私、自覚なかったけど、不安だわ。
昨日の記事を書いてる時にぼんやり気付いたわ。
そもそも、投影の法則的には、
「大丈夫やで!」と私が伝えることは、
私自身が大丈夫と思いたいってことよね。
人に言いたいことは自分に言いたいこと。
みなさんに有益な情報を届けたいという
自分の気持ちにだけ目を向けていたわ。
でもホンマは妙に不安やねん。
統計的に見て、頭では大丈夫と分かっていても。
自分の不安に気付いて、
私は記事を読み返してみたの。
最初は
「私はこうした方がいいと思う。」
「私はこの方法がおススメ。」と
書いていたの。
それがさ、
記事あたりから、
「(あなたは)○○をやめてください。」と
言い方を使い始めてた。
物品の消毒にはアルコールよりもハイターがおススメですの記事もそうやね。
アルコール消毒もあかんわけじゃないし、
私のやり方を強制するつもりはなかった。
その割に、主語が「私」じゃなくなって、
自分以外の人に要求をしてることに気付いたわ。
最初は、感染対策を行う人々に
効果的な方法をお伝えしたいと思って、厚労省の推奨する方法を書き始めました。
(based on "standard precaution")
だんだん、自分の不安を減らすために
必要以上に私の伝えた方法を
周りに知ってもらいたい気持ちが
強くなっていってたわ。
私は周りの人をコントロールしようとしてたわ。
本当に申し訳ない。すみません。
そりゃ周りにも届かないよなぁ。
良かれと思って、は相手への押し付け。
相手には拒否する権利があると忘れてた。
他人の行動に口出しをするのは、
不安な人が取る行動なんよね。
信頼できるデータを集めて、
頭では死ぬ確率は低いし大丈夫と思っていても、
私は心の奥では不安だったみたい。
頭と心は別だもんね。
数年前、父ががんだと分かった時を思い出した。
父は発見が早く、がん自体も予後が良い(=生存率の高い)ものだった。
だから、頭では大丈夫と分かってた。
特に心配材料はなかったけれど、
父の手術が無事に終わって、
まだぐったりしている父と一言会話をした後で、
私はめちゃくちゃ泣けてきた。
それで気付いた。
頭では助かると分かっていても、
非日常の事態を前にして
(何が不安なのか分からんけど)
私は不安でたまらなかったんだって。
多分今もそうなんやろうな。
頭で大丈夫と分かっていても
私の心はどうやら不安らしい。
こればっかりは仕方ない。
そんなこともあるわな。
そんな時は、
不安以外の感情が生まれるまで感じまくる。
「私不安なんやなー」と自分に寄り添い続ける。
そして、今の気持ちを書き続ける。
参考記事
まぁ結局、私の場合は、
自分と大切な人への愛に気付いたわ。
ごめんね、
みなさまにブログ上で口うるさく言ってさ。
記事の裏に、
相手をコントロールしようという気持ちがあると、読んでいてもあんまいい気持ちにはならないよね。
反省。これも勉強。
今日は元勤め先に送ったお菓子が届いたらしく
お礼をいわれました。
私の連絡先を知らないのに、ご丁寧に
お礼を言うために聞いて回ってくれたみたい。
えへへ、自分がやりたくてやったことで
お礼を言われるって嬉しいね。
この状況で働いてらっしゃる全ての方に
感謝と労いの思いを捧げます。