イエス・キリストは、

12人の使徒を選んで伝道に遣わす際に、

カバンも財布も持っていくなとおっしゃいました。

(マタイ10章など)

 

しかし私は、

通勤の際には通勤バッグを必ず持ちます(笑)

 

通勤バッグの中には

聖書と聖句グッズが入っています( *´艸`)

 

 

聖書は通勤電車の中や、休憩時間に読みます。

 

読みなれた新共同訳ではなく、

新改訳2017を持ち歩いています。

 

 

紙の聖書を持ち歩くのは重たいから、

スマホの聖書アプリでいいかと思ったのですが……

 

やっぱり紙の聖書じゃないと、

落ち着いて神様とお話しできないです(´・ω・`)

 

それに、電車内や休憩時間に聖書を開くことで、

そういう私の姿を見た誰かが、

聖書に興味をもつきっかけになるかもしれませんし。

 

「よくあんな分厚い本を持ち歩いてられるな」

「そういや学生時代に聖書をちょっとだけ読まされたな」

「何を読んでるの……うわっ、聖書?」

 

そんなことを心に思って、ちょっとでも、

聖書やキリスト教に関心をもってくれれば御の字です。


 

 わたしの仕えているイスラエルの神、

 主は生きておられる。

 

 ――旧約聖書 『列王記上』 17章1節

 

 

相手に神様の働きかけがあれば、

私に話しかけてくれることもあるでしょう。

 

神様は、いまも昔も、永遠に生きておられます。

いまこの瞬間も、神様は生きておられます。

 

いま生きておられる主のご計画に信頼していますから、

通勤時間の私は、

ただ聖書を開いて読んでるだけでいいのです。

 

 

聖書カバーの内ポケットには、

聖句カードなどを常備しています。

 

いつでも、誰にでも、すぐお渡しできるように。

 

 

むやみにバラマキはしません。

 

宗教勧誘みたいなことはぜったいやりたくないです。

私の自己満足の押し付けになるのもイヤです。

 

イエス様に促された時に、その相手に、

イエス様の御愛を感じてほしいと祈りながら、

お渡しするためのものです。

 

これらの聖句グッズに、

出番があるのか、ないのか、ぜんぜんわからないけど。

いまの私が備えるべきものは、備えていると思う。

 

 

相手の状況やニーズに合わせて。

がっつり資料セットでも、聖句カード1枚でも、

イエス様がその人にお渡ししたいもの

チョイスできますように。

 

 

 

 

聖句のディボーションカードセットを買いました。

 

カード表面に聖句、

裏面にかんたんなガイダンスとお祈りが載ってます。

 

今度会う予定の友人にプレゼントするつもりです。

 

キリスト教に縁がない、仕事が忙しい。

 

そういう人でも、こういうカードなら、

気軽に聖書の言葉になじんでもらえるかなと。

 

イエスキリスト、聖書、十字架、クリスマス、イースター。

 

そういうものに1ミリでも関心がある人に、

気軽に話しかけてもらえる工夫は続けていきたいです。

 

それ以上のことは、すべてイエス様のご計画にお任せです。

 

 

 

気軽な世間話の中で、

イエス様の御愛をお伝えできるのが理想です。

 

「神様のお役に立ちたい!

 わたしがイエス様の子ロバになる!

 わたしがあの人を助けてあげなきゃ!」

 

という熱意に舞い上がって、

独善の押し付けに走ってしまうクリスチャンもいますが……

善意のターゲットにされた側には、ひじょうに迷惑なことです。

 

私が洗礼を受けて間もないときに、

教会内でそういうクリスチャンにふりまわされて、

過呼吸の発作が出るほどひどいストレスに悩まされました。

 

教会生活がド素人の私は、

こういう人にどう対処していいのかわからなかったのです。

 

申し訳ないですが、

自分の信仰と善意にのぼせやすいクリスチャンとは、

今後もちょっと距離をおかせていただきます。

 

心はホットに。

頭はクールに。

 

頭がホットになるのは危険です。

愛と善意に満ちた迷惑行為をしでかすから。

善意で誤情報を拡散させたりね……

 

イエス様は愛の御方ですから、

冷酷ではありえませんが。

 

愛のある冷静さ、冷たさ、冷徹さは、

信仰生活に欠かせないものだと思っています。

 

実際、福音書のイエス・キリストは、

クールで峻厳な面もけっこう見せています。

 

私だって、

「神様のお役に立ちたい」

という想いはあります。

 

だからこそ。

 

「神様のお役に立つ人間になりたい」

というエゴの誘惑には要注意です。

 

「神様の役に立っている自分」

という偶像に仕えることのないように。

自己実現の罠にハマらないように。

 

「人助けをしてあげる自分」

に酔うことのないように。

メサイア・コンプレックスの虜にならないように。

 

私が神様の役に立つかどうか。

 

それを決めるのは神様です。

 

神様が私を使いたい場面で、

私が神様の御心を正しく理解して、

神様のなさりたいことを行えますように。

 

私がでしゃばることのないように。

 

神様のためと称して、

私のエゴ実現をすることのないように。

 

私が役立たずなら役立たずでけっこうです。

イエス様は、役立たずな私を愛してくれていますから。

 

実際のところ、

私が通勤バッグに聖書を入れているのは、

私が紙の聖書を読みたいから。

 

私が聖書を読みたいから、

自分のために、重い聖書を持ち歩いてます。

 

自分のためだから、

重い聖書を持ち歩くのは、苦ではない。

 

誰かのため、福音伝道のため……

と気負ってしまうと、

きっと聖書が重荷に感じるでしょうね。

 

どんなに善いことでも、

重荷に感じるなら、やめた方がいいですね。

 

私は聖書や聖句グッズの持ち歩きを、

重荷とは感じてないから、これからも続けます。

もし重荷に感じたらやめます。

 

何事も、熱心かつ気軽に、

イエス様と歩んでいきたいです。

 

 

 

 

聖句グッズは、神戸キリスト教書店で買いました。

JR元町駅から南へ徒歩1分、たいへん便利です(^^♪

 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 ↑最寄りの教会紹介、無料聖書通信講座もあります。
 

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