全世界のキリスト教会で、イエス・キリストの復活を祝うのが、

春のイースター/復活祭。

 

今年のイースターは4月12日(日)ですが……

新型コロナ感染防止のため、

各地の教会で礼拝中止、教会施設閉鎖という異例の事態になっていますね。

 

私が洗礼を受けたプロテスタント教会も、

3月下旬から日曜礼拝・各種集会を中止しているようです。

イースター当日の礼拝と音楽祭も中止決定したそうで。

神戸でも感染者が報告されていますから、妥当な判断ですね。


たぶん世界各地のキリスト教会が、同じような状況になっているのでしょう。

人が集まる葬儀すら禁止になってしまった国もあるそうで、

事実なら本当に気の毒です。

バチカンのお膝元イタリアでは、

病者を訪ねた数十名の神父さんが亡くなったそうですし……

 

幸か不幸か、前々から無職ニート状態の私は、淡々と平常運転。

世間の混乱に巻きこまれることなく、低みの見物をしています。

神様はこうなることもすべてすべてご存知だったから、

私を足止めしてくれてたんだなあと、あらためて畏れ入ります。

 

そんなかんじで低みの見物をしている私には、

イエス・キリストがわりと本気でキリスト教会のテコ入れを始めたように見えます。

 

イースターをひかえたこのシーズンに、

キリストの受難を想いながら物忌み(断食など)をする教派もあります。

今年は礼拝中止、教会施設の閉鎖……強制的に物忌みさせられてますね。

 

物忌みの俗化、惰性イベント化については、

旧約聖書の時代から、神ヤハウェがくりかえし苦言を呈しています。

たとえば『ゼカリヤ書』では、

 

 国の民すべてに言いなさい。

 また祭司たちにも言いなさい。

 

 五月にも、七月にも

 あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。

 こうして七十年にもなるが

 果たして、真にわたしのために断食してきたか。

 

 あなたたちは食べるにしても飲むにしても、

 ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。

 

 ――旧約聖書 『ゼカリヤ書』 7章5、6節

 

断食だけでない、他の神事も同じ。

 

神事が、神に捧げる神事でなくなっているならば。

人間フェスティバルで盛り上がる口実として神の名を使っているだけならば……

 

 わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。

 祭りの献げ物の香りも喜ばない。

 

 たとえ、焼き尽くす献げ物をわたしにささげても

 穀物の献げ物をささげても

 わたしは受け入れず

 肥えた動物の献げ物も顧みない。

 

 お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。

 竪琴の音もわたしは聞かない。

 

 正義を洪水のように

 恵みの業を大河のように

 尽きることなく流れさせよ。

 

 ――旧約聖書 『アモス書』 5章21-24節

 

 (参考) 伝統行事よりも大切なもの … 小さい者の声を聞くこと

 

キリスト教では「教会はキリストの体」だと主張します。

いま生きておられる復活の主キリストの体ならば、日々の新陳代謝が必要ですね。

惰性の慣習などは、キリストの体と相いれないでしょう。

 

正直、私はキリスト教会を「死に体」、

ゆるやかに沈みゆく泥船だと思って見ていました。

神気が抜けてるから。

イエス・キリストのことよりも、

自分たちの伝統・慣習・想い入れなどを優先して、

船が沈みかけてるのを見て見ぬふりする平和サークルかと思ってた。

 

しかし、疫病流行というムチをもって、

キリスト御自ら宮清めに来られたということは、

あるいは息を吹き返して再浮上できる教会もあるかもしれません。

 

インシャーアッラー、神の御心のままに。

 

神はあるものを抜き、あるものを植え、

あるものを壊し、あるものを建てる。

沈むものは沈むし、浮上するものは浮上するのでしょう。

 

 

昨年は、イースターを目前にひかえた受難週に、

フランスのノートルダム大聖堂が大火事になりました。

 

私は、あれは、キリストが投じた聖霊の火による「宮清め」だと思ってます。

 (参考) 【ルカ12章】キリストは聖霊を投ずるために来た … ノートルダム大聖堂火災で思うこと

 

宮清め……イエスがエルサレム神殿の境内で激怒して暴れた事件のこと。

共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)では、

イエスが逮捕されて十字架にかかる数日前の出来事として描かれている。

 

「わたしの父の家は、祈りの家だ。

 神殿を商売の家、強盗の巣にするな」

 

と叫んで、イエスは神殿の境内にいた両替商の机をひっくり返し、

祭壇にささげる生贄動物の売店を営業妨害して、

ユダヤ宗教エリートの恨みを買った。

 

その宮清めが今年は、全地で新型コロナの流行という形で現れたのかなと。

 

愛である神がそんな乱暴なことをするはずがない?

 

いやいや。

それは人間的な希望……ジーザス・クライスト・スーパースターという偶像だと思う。

 (参考) 子ロバに乗るキリスト … スーパースターじゃない、humble(謙虚、質素)な救い主メシア

 

イエスの宮清めの箇所は、キリスト者にもあまり評判がよくないみたいだけどね。

キリスト教放送局FEBC http://www.febcjp.com/ のリスナーのお便りコーナーでも、

しばしば宮清めのキリストが怖い、嫌だという感想が読まれます。

 

でも私は、イエスの宮清めのエピソードが大好きなのよ。

 

なんつーか、「それでこそ我が主なり!」とゾクゾクするの。

私の感性がちょっとおかしいのは認める。

 

事実として、イエスは八方美人のヤサ男ではないです。

 

是は是、非は非。

そう断じる峻厳さがある(マタイ23章など)。
人々の救い主にして、最後の審判者でもあるキリストならではの特性だと思う。
 
神は光と闇を分け、天と地を分け、水と陸を分けた。
断じるべきことを断じる神は、「潔い/きよい、いさぎよい」のだ。
 
イエスはただ慈悲深くて優しいだけの存在ではない。
だから私は、イエスに降伏してひれ伏すのが、とても心地よい。
イエスの厳しさは、神の愛であるゆえに、とてもすがすがしい。
 

 

いま、厳しい状況に追い込まれている一人ひとりの状況は、

神様が間違いなくすべてご存知です。

 

私としては、非正規雇用者のことが気になります。

急な不況のせいで派遣切り、雇い止め、年度末の契約更新がなかった人々が、

路頭に迷わず生活できるようにと、神の助力を本気で祈ります。

 

そして、いつでもそうなのですが、

不本意なトラブルを、ただのマイナスな出来事で終わらせるのではなく、

本人のカルマのせいだ波長が悪いせいだとバカげた理屈で片づけるのでもなく、

この機に本物の神を求め、

本物の神に近づき、

本物の神を知り、

本物の神とともに生きるきっかけとして、

今の時をいかすことができるようにと、

イエスキリストの御名によって祈ります。

 

アルハムドリッラー、神に称えあれ。

 

 

 

 

※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』
 
※イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 
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