【はじめに】
 
今回記事は、先週15日に出火したノートルダム大聖堂のニュースをみて、
私が個人的に感じたことを書いています。
 
21日にスリランカで、ホテルとキリスト教会を狙ったテロ事件がありましたが、
そちらのキリスト教会について書いているつもりはまったくないこと、ご承知ください。
 
今回記事は、スリランカのテロ事件が起こる前から書きはじめていた内容です。
中途半端な忖度はしないで、
もともと書くつもりにしていたことを、今回もいつもの調子で書いていこうと思います。

 

あと、今回から、記事内の見出し目次をつけてみます。

過去記事にも目次を追記していくつもりです。

 

 【今回の目次】

 

 ・ さて、あなたはどう思うか?

 ・ イエスは地上に火を投ずるために来た (ルカ12章)

 ・ 受難週の月曜日、イエスは神殿を清めた (マルコ11章)

 ・ 受難週の火曜日、イエスは神殿崩壊を予告した (マルコ13章)

 ・ しかしイエスは3日で神殿を再建=復活する (ヨハネ2章) 

 ・ 神が喜ぶお金の使い方とは? (マルコ14章)

 ・ 不幸は神罰ではない (ルカ13章)
 
***************************
■ さて、あなたはどう思うか?

 

前回記事で、イエスのたとえ話は、

聞き手がみずから考えるよう仕向けているものも多いと書きました。

 (前回) 【ルカ10章】 ボランティアと「善きサマリア人の法」… 隣人愛は無理のない範囲内でいいのだ。

 

イエスは聞き手にしばしば問いかけます。

さて、あなたはどう思うか?

 

先週に、パリのノートルダム大聖堂が大きな火災に見舞われましたが、

この火事は、まさにイエスからの問いかけのように感じられました。

2000年前のたとえ話を通してではなく、

今リアルに起こっている事件を通しての問いかけです。

 

幸い、火災による死者はなく、消防士も軽傷ですんだということで。

人的被害がなかったのは不幸中の幸いでしたね。

 

今回は、ノートルダム大聖堂火災に関して、

私が気になったイエスの言葉や、感じたことを中心に、

いくつか書いてみたいと思います。


■ イエスは地上に火を投ずるために来た (ルカ12章)

 

2000年前、神の御子イエスは何のために大工の息子として生まれてきたのか。

イエス自身が、『ルカ福音書』12章でその理由をこう語っています。

 

 わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。

 その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。 (49)

 

 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。

 それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。 (50)

 

 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。

 そうではない。

 言っておくが、むしろ分裂だ。 (51)

 

 今から後、一つの家に五人いるならば、

 三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。 (52)
 父は子と、子は父と、

 母は娘と、娘は母と、

 しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、

 対立して分かれる。 (53)

 

 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 12章49-53節

 

イエスは地上に平和をもたらすためではなく、

火と分裂をもたらすために来た……

『マタイ福音書』では「火」ではなく「剣」となっています。

どちらにしても、イエスはかなり物騒な言い方をしていますね。

 (参考) 聖書の悪用(1) 戦争を正当化できてしまう個所

 

聖書で「火、水、風」は、いずれも聖霊のシンボルです。

イエスももちろん、「地上に聖霊を投ずるために来た」という意味で語っています。


けれども、イエスによって、聖霊の火が投じられた時、

罪・ケガレは聖火で燃やされてしまいます。

個人の内側で、あるいは外側で、大火事に見舞われてしまいます。

 

地上にイエスがいた時、諸々の軋轢が生じ、火の粉が散りまくっていたことも事実です。

福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四書)にはそういうエピソードがたくさんあります。

 

イエスが地上に神の御言葉の種をまくというたとえ話もありますが、

御言葉の種は、しばしば火種となって、炎上することもある……

 (参考) 神から出たコト(言・事)は必ず成就する … ただし神が意を翻すことはある。

 (参考) 剣と分裂(divide)をもたらすキリスト … 守るべき境界線と、壊すべき境界線

 

ノートルダム大聖堂の炎上は、改修工事の単純な失火(?)が原因だそうですね。

戦火でもなく、自然災害やテロでもない。

フランス革命時の襲撃にも耐えた大聖堂が、

ちょっとした火種で大炎上してしまうというのがなんとも。

 

今回の火災は、地上の誰にも責任を負わせない形で

イエスが投じた聖霊の火、またそのメッセージではなかろうかと感じました。

 

21日のイースターには、スリランカで痛ましいテロ事件がありました。
テロはもちろん神の業ではないですよ。

悪魔の業ですよ。

 

でも、ノートルダム大聖堂の火災は、犯人がいないんですね。

改修工事業者の責任が問われたとしても、特定の誰かが犯人ということではない。

世界的に有名な神殿が、いわば自然発火であっけなく焼けたからこそ、

そのインパクトは強く、その報は全地に伝えられる。

地球人口の3分の1ぐらいはキリスト教徒らしいです(信仰の温度差はともかくとして)。

大火災の報に込められた神の問いかけは、数十億人に届くことになりました。

 

「さて、あなたはどう思うか?」

 

こういう大胆な形で人々に問いかけられるのは、神ならではという気がします。

 

■ 受難週の月曜日、イエスは神殿を清めた (マルコ11章)

 

私が真っ先に思ったのは、「どうしてわざわざこの日に?」ってことです。

 

ノートルダム大聖堂から火が出た4月15日(月)は、

くしくもイースター前の受難週まっただ中、聖月曜日です。

 

イエスの復活を記念するのが復活祭/イースター。

イースター前の一週間は「受難週」とか「聖週間」といいます。

英語ではパッションウィーク。

 

パッション/PASSIONは、「情熱」という意味ですが、

イエスの十字架の受難のこともパッションといいます。

メル・ギブソン監督の映画『パッション』は、受難週の出来事を実写化したものです。

 

今年は、14日(日)~20日(土)が受難週でした。

 

受難週の始め、日曜日に、

イエスが子ロバに乗ってエルサレムに入り、群衆に大歓迎されます。

 (参考) 子ロバに乗るキリスト … スーパースターじゃない、humble(謙虚、質素)な救い主メシア

 

ノートルダム大聖堂から火が出た15日(月)は、

受難週の二日目、聖月曜日にあたります。
 

 ● 受難週の月曜日は「宮清め」の日……

 

『マルコ福音書』11章によると、受難週の月曜日に、

イエスはエルサレム神殿で大暴れして、境内の商売人を追い出しています。

「神殿の宮清め」をしています。

 (参考) 清濁あわせ呑まないキリスト … divine(神聖)にはdivide(分離)が伴う。

 

 それから、一行はエルサレムに来た。

 イエスは神殿の境内に入り、

 そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、

 両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。  (15)

 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。  (16)

 

 そして、人々に教えて言われた。

 「こう書いてあるではないか。

 『わたしの家は、すべての国の人の

 祈りの家と呼ばれるべきである。』

 ところが、あなたたちは

 それを強盗の巣にしてしまった。」  (17)

 

 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、

 イエスをどのようにして殺そうかと謀った。

 群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。  (18)

 

 ――新約聖書 『マルコによる福音書』 11章15-18節

 

ノートルダム大聖堂は、聖母マリアにささげられた聖堂なんですね。

世界遺産でもあり、貴重な収蔵品もたくさんあり……

イエスの茨の冠という聖遺物もある。

でも、いずれもイエス・キリストの本質とは関係ないものですね。

 

受難週の金曜日、イエスの公開裁判の場で、

総督ピラトがユダヤ民衆に言いました。

 

「この人を見よ (エッケ・ホモ) (ヨハネ19:5)

 

イエス・キリストを信じる人が注目すべきは、

立派な建物や、聖母マリアや、聖遺物とかいうパチモン文化財ではなく、

永遠に生きておられる神の御子イエス・キリストです。

 (参考) 神は永遠の存在者 … 「アルファでありオメガである」「主は生きておられる」 御霊の火、風、水

 (参考) 【ヨハネ19章】 この人を見よ(エッケ・ホモ)… 神の前でも、堂々とそれを選択できますか?

 (参考) 【ヨハネ19章】 キリストの死を直視する … 真実を直視した魂は、霊的死人の墓から起きあがる

 

 神は霊である。

 だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。

 

 ――新約聖書 『ヨハネによる福音書』 4章24節

 

この大前提を再確認させるために、

神はノートルダム大聖堂で宮清めをしたのではないかと思えます。

火災発生が聖月曜日というのは、あまりにもタイミングが良すぎます。

 

これはもちろん、フランス人やカトリック信者だけへのメッセージではなく、

キリストを信じるすべての人に対するメッセージです。

 

神殿は、物理的な建造物のことでもありますが、

霊的には人の身体のこともさします。

身体は聖霊の宮です。

 

イエスが十字架刑の前夜、最後の晩餐で弟子に語っています。

 

 「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。
 わたしの父はその人を愛され、
 父とわたしはその人のところに行き、一緒に住む。」
                    
 ――新約聖書 『ヨハネによる福音書』 14章23節

 (参考) 人間の身体は聖霊の宮 … 土の器に命の息を宿す者、神と共にある生き方、人間生活の基礎

 

神霊と同棲するとどうなるか。

神の前にふさわしくない罪・ケガレ・エゴは滅ぼされてしまいます。

神の本質とは関係がない人間的遺産(価値観、習慣など)も同様。

 

ノートルダム大聖堂に起こったことは、個人レベルでも起こりえます。

物質界で価値あるものを、神が容赦なく取り去ることは誰にでも起こりえます。

それは神罰ではなく、宮清めという形の恵みとして受け取ればいいと思います。

 

イースターの後には、ペンテコステ……聖霊降臨祭を迎えます。
イエスの昇天後、弟子たちに聖霊が降った日です。(使徒2章)

今年は6月9日(日)です。

 

「主よ、われらに聖霊を降らせたまえ……」と祈っている人や団体に、

本当に聖霊が降ってしまったら、激しく清められて、

それまで保たれていた平穏が崩れるリスクもありますね。

それは霊的にはとても良いことなのですけれど。

 

『ルカ福音書』で、「地上に火を投ずるために来た」と語ったイエスは、

それに続けて、「時のしるしを見分けること」についても語ります。

 

 あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。

 実際そのとおりになる。
 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。

 事実そうなる。
 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、

 どうして今の時を見分けることを知らないのか。
 あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。

 

 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 12章54-57節

 

受難週の宮清めの日に、大聖堂が炎上するというシンボリックな事件があった後だから。

神のサインに、いつも以上に注意して過ごしたいと思います。

 

■ 受難週の火曜日、イエスは神殿崩壊を予告した (マルコ13章)

 

受難週の火曜日は「論争の日」ともいわれます。

この火曜日に、イエスをぎゃふんと言わせたい宗教エリートたちが、

次々と論客をおくりこんで、イエスに宗教議論を挑むシーンが続くからです。

 

論戦は、イエスの全戦全勝でした。

議論バトルの後、イエスはエルサレム神殿についてこう語っています。

 

 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。

 「先生、御覧ください。

 なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。

 

 イエスは言われた。

 「これらの大きな建物を見ているのか。

 一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。

 

 ――新約聖書 『マルコによる福音書』 13章1、2節

 

イエスは人に媚びないんだよね。

立派なエルサレム神殿を見て喜んでる弟子たちに、

この神殿がいつか全壊すると予告して、冷や水をあびせています。

そういうことをするから、イスカリオテのユダに裏切られたのかも。

 

そして実際、エルサレム神殿はイエスの昇天から約40年後、

紀元70年にローマ帝国に破壊されます。

 

神殿が崩壊するとイエスが言っているのは、

当時のエルサレム神殿についてだけではない、

すべての神殿にあてはまることだと思います。

どれだけ立派な石造りの建物も、時が至れば崩壊する。

築850年以上の大聖堂もあっけなく燃える。

人の肉体も同様ですね。

 

■ しかしイエスは3日で神殿を再建=復活する (ヨハネ2章)

 

話が前後しますが、イエスの宮清めについて、

『ヨハネ福音書』2章では、こういう伝え方をしています。

少し長いですが、重要な個所なので、省略せずに引用します。

 

 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。 (13)

 

 そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、

 座って両替をしている者たちを御覧になった。 (14)
 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、

 両替人の金をまき散らし、その台を倒し、 (15)
 鳩を売る者たちに言われた。

 「このような物はここから運び出せ。

 わたしの父の家を商売の家としてはならない。」  (16)

 

 弟子たちは、

 「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」 (※詩編 69:10)

 と書いてあるのを思い出した。 (17) 

 

 ユダヤ人たちはイエスに、

 「あなたは、こんなことをするからには、

 どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。 (18)

 

 イエスは答えて言われた。

 「この神殿を壊してみよ。

 三日で建て直してみせる。」 (19)

 

 それでユダヤ人たちは、

 「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、

 あなたは三日で建て直すのか」と言った。 (20)

 

 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。 (21)

 

 イエスが死者の中から復活されたとき、

 弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、

 聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 (22)

 

 ――新約聖書 『ヨハネによる福音書』 2章13-22節

 

まず、弟子たちは、『詩編』69編10節を思い出したとあります。

 

 「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」

 

「あなたの家」とは、父なる神ヤハウェの家です。

神殿のことです。

いままでも、これからも、神殿にイエスが来たならば、

宮は清められ、イエスのパッションが燃え上がることもあるのでしょう……

 

これもたいへん重要な言葉です。

 

 「この神殿を壊してみよ。

 三日で建て直してみせる。」 (19)

 ……イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。 (21)

 

地上の神殿と異なり、神の御子イエスのからだという神殿は、3日で建て直される。

人にはできないが、神にはできる。

 

受難週に焼けたノートルダム大聖堂は、修復に相当な年数がかかりそうです。

しかし受難週の金曜日に十字架で処刑されたイエスは、3日後に復活した。

それを記念するのが復活祭/イースター。
 
イースターは、「キリスト復活おめでとう!」という他人事ではないです。
それだとイエス個人のハッピーエンドを祝ってるだけですから。
そうではなく、イエスを神の子メシア(キリスト)と信じた人も、
イエスと同じく死に打ち勝ち、復活の恵みにあずかることができる、
その感謝や喜びをもって、イエスの復活を毎年記念しています。

 

■ 神が喜ぶお金の使い方とは? (マルコ14章)

 

イエスは復活して昇天した後、現代にいたってもなお、

いたるところで霊的火種をまいている感があります。

 

 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。

 そうではない。

 言っておくが、むしろ分裂だ。 (ルカ 12:51)

 

ノートルダム大聖堂の再建をめぐって、

イエスの言葉どおり、たしかに人々の間に分裂が起こっているようです……

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00000004-jij_afp-int


文化財保護と、貧困層支援と、どっちにお金をつかうべきなのか?

こういう議論は、いつの時代にも尽きないですね。

現代日本でも、東京オリンピックをするお金があるなら社会福祉にまわせ等、

この手の議論は常にありますね。

 

イエスと十二使徒の間でも、同じ議論が起こったことがあります。

『マルコ福音書』14章では、イエスの十字架刑の前々日エピソードとなっています。

 

 イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、

 食事の席に着いておられたとき、

 一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、

 それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。 (3)

 

 そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。
 「なぜ、こんなに香油を
無駄遣いしたのか。 (4)
 この香油は三百デナリオン以上に売って、

 貧しい人々に施すことができたのに。

 そして、彼女を厳しくとがめた。 (5)

 

 イエスは言われた。

 「するままにさせておきなさい。

 なぜ、この人を困らせるのか。

 わたしに良いことをしてくれたのだ。 (6)

 

 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、

 したいときに良いことをしてやれる。

 しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 (7)

 

 この人はできるかぎりのことをした。

 つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。 (8)
 はっきり言っておく。

 世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、

 この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」  (9)

 

 ――新約聖書 『マルコによる福音書』 14章3-9節

 

この女性は、イエスが間もなく地上からいなくなることを予感した……

だから、高価なナルドの香油を余さずイエスに注ぎました。

イエスに対して、この女性ができるせいいっぱいの愛情表現だったわけです。

イエスはそれを「良いこと、できるかぎりのこと、埋葬の準備」として受け取っています。

 

しかし現代、イエスはすでに復活し、聖霊というかたちで私たちと一緒にいます。

この女性に対してイエスが語っていることを、

現代人にそのまま適用することはできないと思います。

神を埋葬する準備はもう不要です。

 

それでは、お金をどのように使うのか。

聖堂修復か、福祉か、あるいはそれ以外のことに使うべきか。

 

それは神と各人との間で考えるべきことだろうと思います。

税金など、強制的に徴収したお金の使い道は、きちんと議論すべきですが、

個人のお金をどう扱うかは、各人の自由でしょう。

 

フランス政府がもともと定めていた福祉予算を削ってまで聖堂再建をするなら、

それはたしかにダメだと思います。

 

でも、聖堂再建名目で集まった寄付金ならば、

その目的どおり、聖堂再建に使うのが筋だと思います。

寄付をした人は、聖堂を再建してほしくて寄付をしたのですから。

寄付金を目的外のことに使用すると、募金詐欺になってしまいます……

 

 ↑(参考) 砂漠に水をまくようなものなのか … 国境なき医師団写真展@大阪

 

イエスの言ったとおり、「神のものは神に返す」でいいと思います。

 (参考) ハーガ・リッラー/神のものは神に返す、富の再分配

 

ある人にとっては、聖堂再建に寄付することが正解。

また別の人は、貧困層支援に寄付することが正解。

寄付ではなく、自分の楽しみのために使うのが正解だと思うなら、

堂々とそうしたらいいのです。

 

どういう理由でそれをしているのか、神に対して言い開きができるなら、

どんなお金の使い方をしてもOKだと思います。

 (参考) 【マタイ27章】 選択には責任が伴う … 裏切り者のユダより悪質な群衆(レギオン)

 

 

***************************

 

■ 不幸は神罰ではない (ルカ13章)
 
最後に、やっぱりこれを書いておこうと思います。
 
テロなどの理不尽な事件・事故の犠牲になってしまう人について。
イエスはこう語っています。
 
 そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、
 ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
 
決してそうではない。
 言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。
 
 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、
 エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。
 
決してそうではない。
 言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。
 
 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 13章2-5節
 
2000年前のユダヤ人は、不幸な出来事を神罰と考えていました。
現代でも多くの人がそう考えますね。
神罰と言わないで、カルマだ、前世の因縁だという言い方をすることも多いですが。
ようするに、当人の自業自得だというわけですね。
 
でも、イエスはそれを全否定しています。
不幸に遭った人の自業自得ではないのです。
 
 
 
 
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 
■ 「神と聖書と日ユ同祖論」 記事一覧&リンク →こちら
 
***************************


※このブログのコメントは承認制です。
ブログチェックのタイミングにより、
コメントの反映・返信が2,3日後になる場合もあります。
土日は休みです。


***************************

本ルーン魔女KAZのホームページ/著書一覧は こちら

本 無料WEBコミック雑誌てんてる …… KAZの著書の版元さんが運営しています☆
無料WEBコミック雑誌てんてる