クラス替えをきっかけに
人間関係に疲れ果てて不登校になった
中2の娘
不登校になる直前は
朝は起きられず
いつも不機嫌で
それでも遅刻はしたくない!と騒ぎ立て
なのに急ぐわけでもなく
諦めた感じで登校して行った
そんな時の
私の想いは
あなた、何がしたいの??
学校に行きたいのか
行きたくないけど行くのか
行きたくないから遅刻するのか
行かなきゃいけないから行くのか
本人の想いがまったく私はわからなかった
そしてやってきた不登校
学校に行かない娘と家で過ごして
まずは私の意識を変えて
こちらのブログご参照
わかったことは・・・
本人が一番
『自分が何がしたいのかがわからない』
ということ
そりゃー辛かったね
自分が一番わかってないのに
ママに
「あなた何がしたいの!」
「学校行くって言ったくせに何してんの!」
と言われたんだよね
私はあなたの言葉だけを聞いて
あなたの気持ちは理解してなかった
理解してないことは問題じゃなくて
言葉で表現されてないから
理解できないのは当たり前なんだけど
そこで私が勝手に
私の脳内であなたの気持ちを決めつけていた
その決めつけが負担だったね
学校に行くから間に合うように起きてくるはず
学校行きたくないけど行くと思っているはず
遅刻がいやだから急ごうと思っているはず
そんな勝手な固定観念
いやだったよね
自分の思考のクセに気づいたので
ごちゃごちゃした私の頭の中と
モヤモヤした私の心の中を
逢意で癒してみることにした!
私が娘に向けている心配
いい母でいなければという思い
母は学校に行かせなければならないという思い
学校に行かせることがいい母だという思い
凝り固まった固定観念
それを手放すために
逢意はとても便利
娘が問題なのではなく
まずは自分を整えることが大切
なぜいい母だと思われたいのか
それは
いい母ということが
私自信への評価だと思い込んでいたから
そこが自分の価値だと
大きな勘違いをしていたから
私の価値はそこではない
私はいい母になりたいわけではない
『いい母でいるべきである』
という固定観念を手放すために
自分を逢意で癒してみた
たくさんの
私のまわりに飛んできている
ネガティブエネルギー
そこを一つ一つクリアリング
スッキリした後は
さっきまでの固定観念が
なんだかばかばかしくなってくる
いい母
これは他人から見た私
他人にこう見て欲しいのか?
本当に私は『母』として見て欲しいのか?
『私個人』を見て欲しいのではないか?
『母』という仕事に没頭することで
考えないようにしていることはないか
やりたいことなんか・・と
言い訳ばかりを並べているのではないか
そう
やらない理由を考える
やらないための言い訳ばかり
そんな時間もったいない
時間的に制限があるならば
制限がある中でのできること
制限がある中でもやりたい理由
を考える方が前向き
親が言い訳ばかり
やらない理由しか考えてない
そんな親を見ている子ども
そんな子どもが
未来に希望を見るわけないじゃん
やってみよう!という勇気が出るわけないじゃん
私が前向きでいると
娘の表情も明るくなる
私が自由でいると
娘も過ごしやすそうにしている
ママはいつもニコニコしとけ!
というのではなく
ママだってニコニコできない時もある
そんな時も自由に
ただ
不機嫌な理由はちゃんと言う
私が逢意で癒されて
スッキリした思考になってくると
娘は私に対して言葉を選ばなくなってきた
ママが喜ぶことを言う
ママが言って欲しい言葉を言う
そんな不自由な発言をしていた娘が
ちゃんと反論するようになった
そうそう!
ケンカしていいんだよ
討論すればいいんだよ
どっちかに合わせなきゃいけない
そんなことないからね
家で自由に過ごせるようになると
学校でのモヤモヤを少しずつ
ポツリポツリと話してくれるようになった
それはまた次の機会に