カズの「きまぐれブログ」 -20ページ目

とあるドラッグストアの戦略

最近とあるドラッグストアに行き驚いた。買い物を終えて、購入した物を袋やバックに詰める台にあるものが置いてあったからだ。
そこには~OO様(某大手ファミリーレストラン)からのご厚意により、レジ袋を無料で提供させて頂いております。中にある割引券も是非ともご利用下さいませ~と書いてあった。
ファミリーレストラン側にとっては、レジ袋を無料で提供し、中にファミリーレストランの割引券を入れる事で受け取ってもらえる確率が高まる。つまり宣伝になり、新たな顧客獲得に繋がりやすい。
ドラッグストア側にとっては、レジ袋という経費削減が出来る。また、あそこの店舗ならば、レジ袋が無料で貰えるよ、となり、ライバル店舗との競争に有利に働く。
顧客にとっては、レジ袋を無料で貰えて、尚且つファミリーレストランの割引券までも貰える。
レジ袋の有料化が良策か愚策かは別にして、それすらも自らのビジネスに有利に働く…そういう頭の柔らかさとしたたかさがそこにはある。
まさに三者全てが特をする見事な方法である。
心から感心しました。

10万円給付をクーポンに固執する理由

今問題になっているが、10万円給付の半分をクーポンに固執している。事務作業が煩雑になっているにも関わらず止める訳にはいかない理由がある。
それは何故だろうか。
全額現金給付に出来ない理由がそこにはある。
それはあまりにも深刻過ぎる人手不足である。労働市場において人手不足という事は、即ち消費者不足という事に他ならない。何故なら労働者は皆消費者だからである。
コロナのリスクがあるにも関わらず五輪を強行したのも同じ理由である。
内需の減少があまりにも酷すぎて、もはや通常の国内需要だけでは、日本の経済が持たないからだ。
人手不足という事は国内需要を徹底的に減少させてしまうのである。
クーポンを支給したり、五輪を強行したのも、何がなんでも消費を拡大させないといけないという危機感がそこにはある。
五輪の場合は、国内需要は限界なので海外から人を呼び込んで、何がなんでも消費を拡大させないといけないという危機感がそこにはある。
内需の減少は国にとって、あまりにも危険なリスクなのである。
移民受け入れは、治安の面で様々な不安定要素が生まれる事は否定できない。言葉や文化、歴史、生活習慣など様々な違いから生じるトラブルは残念ながら起きかねない。
しかし移民の人達も消費者なのである。消費拡大に寄与している。
メキシコからアメリカに押し寄せている移民希望者の映像を見た日本のある経営者が、「もの凄い数のお客様…羨ましい」と呟いた。移民も見方を変えれば消費者なのてある。
しかし移民受け入れを事実上拒絶し続けた日本は、労働市場による圧倒的な人手不足を生んだ。それは圧倒的な消費者不足を生む結果となり、経済は加速度的に小さくなってしまう。
移民受け入れの是非はそう簡単な話ではないのである。

小さくともキラリと光る国日本

かつて1990年代終盤頃、環境主義を抱えて選挙を戦った小さな政党があった。福島の原発事故をきっかけにして、環境問題に注目が集まる遥かに前な話である。
「すべての政策を環境の視点から見直します」そう訴えていた。
当時の国民はその訴えに見向きもしなかった。よくテレビのコメンテーターが、政党に対して、将来のビジョンを国民に明確に示せ、というが、これ程までに、分かりやすく明確に示されたビジョンは無い、それなのにだ。ただ環境配慮されている事で有名な通販会社が、応援する特集記事を組んだ位だ。
しかし圧倒的な労働力不足により、圧倒的な消費者不足に陥ってきた日本。結局の所日本が五輪に固執していたのも、もはや日本の内需だけでは経済を回すのも限界で、海外頼みになっている経済界の弱さがそこにある。
内需が限界になって初めて、日本は大量生産大量消費大量廃棄からの転換を迫られ始めた。安売り史上主義では国内の経済が持たなくなったのである。
そこで環境主義の下で、商品に付加価値を付けたり、企業として環境問題に積極的に取り組む事で、顧客から例え高くとも支持される企業への脱皮が必要不可欠になってきている。
先程の小さな政党の代表は、当時「小さくともキラリと光る国日本」というスローガンを挙げていた。
まるで今日の日本の経済界の弱さを予測していたかのように。そのキラリと光るものこそ今では当たり前の環境主義だったのである。
労働力が圧倒的に不足状態に陥り、消費者も加速度的に減ってゆく日本。
日本は加速度的に小さくなってゆく。そこでこそキラリと光る環境主義という付加価値が今こそ見直されている。
それにしても先見性の凄さには驚くばかりだ。