雨のあとに虹 その145
榊原は部長室でパソコンを見ていた。三友商事は3月が決算である。今は予算の達成が微妙な状態であるが数字が未達成だと榊原は責任を取らなければいけないのである。榊原は数字をチェックするだけでもかなりの時間を要していた。静寂を破って内線電話が鳴ると
「はい。」
榊原が電話に出て言った。
「山本だが時間はあるかね?」
山本は言った。役員からの呼出であった。
「すぐに参ります。」
榊原は言うと立ってネクタイを調えた。大きく深呼吸をして部屋から廊下に出た。廊下を歩きエレベーターホールまで来ると榊原に緊張が走った。すぐに開いたエレベーターに乗ると上昇した。緊張感が榊原の健康を蝕むスピードに加速をかけていた。エレベーターを降りて山本がいる部屋をノックしようとした時であった。榊原は物凄い激痛を腹部に覚えた。
「うっ!」
と榊原は呻くような声を出してから腹部を押さえて倒れこんでいた。わずかの時間であるが榊原には長い時間のように感じた。役員室のドアを開けて出て来たまどかが榊原を見て驚いたように
「どうしました?」
と言うが榊原は声を出せないでいた。
「動かしてはダメだ!」
山本が部屋から出て来て言った。窓かは山本を見て
「榊原部長が大変です。」
と言うと
「榊原くんはそのままにしておきなさい。」
山本は言った。
「はい!」
まどかが言うと
「私が救急車を呼ぶから他の人間をここに呼びなさい。」
山本は言った。
「はい!」
まどかが言って人を呼びに行った。
「いいお店だね。」
俊之は言った。俊之は矢島建設が新規事業に参入する第一歩として出店する雑貨屋を視察に来ていた。
「これでやっと開店出来そうですよ。」
田崎は嬉しそうに言った。
「これで矢島も自分だけの事業を展開するようになったわけだね。」
俊之は言った。
「先代の事業を引き継いだのではなくて社長が始めた事業ですよ。」
田崎が言うと
「それは良い事だけど無理は経営を圧迫するよ。」
俊之は言った。
「それは心配ないと思いますよ。」
田崎は微笑んで言った。
「それなら心配は要らないね。」
俊之が言うと
「二言目には高村が慎重にしろといっているからと僕に言いますからね。」
田崎は言った。
「矢島は賢いね。」
俊之が言うと
「高村さんのアドバイスは無視しないですよ。」
田崎は正直に言った。
「それなら僕も安心して見ていられるよ。」
俊之は微笑んで言った。俊之は田崎がこの数ヶ月間でかなり成長している事に気付いていた。噴水に落ちた夜からに比べると精神的に頼もしくなっていた。
「ただいま」
久美子は言った。ひとり暮らしの久美子であるが同居人がいるように振舞って部屋に入った。これは俊之と翔太にも言われていた事であった。最近は凶悪な事件が多発している。少しでも防犯のために声を出してドアを開けてドアを閉めたらすぐに鍵をロックする事を心がけていた。翔太が言うには被害に合いやすいタイミングと言うものがあるそうだ。少しでもそのタイミングをはずすように久美子も心がけていた。久美子は部屋落ちつくと携帯が鳴っていた。見ると相手は育子からだった。
「育子さん。」
久美子は言った。久美子は育子にも純子のような近親間を持つようになっていた。
「久美ちゃんも成人式は実家に帰るの?」
育子が言った。育子に言われて久美子は予定を確認した。来週の月曜日は成人の日であった。
「帰る予定です。」
久美子は言った。
「晴着姿になるのね?」
育子が言うと
「母が美容師なので髪をセットしてもらいますよ。」
育子は言った。育子は間をおいて
「高村さんにも見せてあげないとダメだよ。」
と言った。久美子は
「俊さんにも見てもらうつもりですけどね。」
と言った。
「行事が終わる頃に高村さんに来てもらえばいいよ。」
育子はしっかり頭を働かせて言った。
「俊さんの予定をあけておいてもらいます。」
久美子は言った。少し肌寒い夜である。冬の夜は時間が長いが感覚的には短く感じる時がある。今の久美子がまさにそれであった。
雨のあとに虹 その144
貴志はびくびくしながら自分の席に座っていた。貴志は山本があんなに強引な改革に出てくるとは思わなかったのだ。周囲を見れば三友商事の社員の大半はまじめにきちんと仕事をしていた。貴志や田所のような社員がいたという事実が問題なのである。貴志はフロアーの隅で別の部署にいる中村が話をしているのを聞いた。
「山本取締役の鶴の一声で僕が総武との提携の実務をとる事になりました。」
中村が言うと須藤が
「それはおめでとう。」
と言って中村を見た。
「だけど責任者が田所課長ですよ。」
中村は迷惑そうな顔で言った。
「あの田所課長なら私も嫌だよ。」
須藤は言った。
「僕も同じ課長に昇格したけど素直に喜べないですよ。」
中村は言った。貴志の耳には中村を声がはっきり聞こえていた。
「それは最悪だね。」
須藤は言った。
「落ち込むような事を言わないでくださいよ。」
中村が言うと
「田所は性格が悪いからね。」
須藤は言った。
「成果がでたらすべて自分の手柄にしますよね?」
中村が言うと
「田所ならやりかねないね」
須藤は言った。
「そうですよね。」
中村が言うと
「田所みたいな奴は大嫌いですよ。」
須藤は言った。
「それから貴志も嫌な奴ですよね?」
中村が言うと
「あんな奴は早く解雇しないと会社全体がおかしくなるよ。」
須藤が言うと貴志の頭を須藤の言葉が響いていた。
「それは本当なの?」
ひとみは驚いて言った。久美子から俊之の話を聞いて信じられない気持ちと納得した気持ちが交差していた。
「間違いないと思います。」
久美子は言った。
「そんなかわいそうな事ってあるかしら?」
ひとみが言うと
「高校時代からのお友達である矢島さんが言う事だから間違いはないと思います。」
久美子は言った。ひとみは
「私は何も気づかなかった。」
と言った。
「私は俊さんと最初に話をした時に心を開いていないように思いました。」
久美子は言った。
「高村さんのどこを見てそれが解ったの?」
ひとみが言うと
「微笑みを浮かべても目だけはすべてをあきらめているように感じました。」
久美子は言った。
「堀川さんには高村さんの心の奥にある影が見えたのね。」
ひとみは何かを思い出すように言った。
「今でも少し残っていますけど以前から比べると明るくなりましたよ。」
久美子が言うと
「人はみんなそれぞれ事情があるからね。」
ひとみは言った。
「みんなそれぞれの事情を抱えて必死に生きているのが人生かもしませんね。」
久美子が言うと
「私も施設で育ったからね。」
ひとみは言った。そんなひとみを見て久美子は
「矢島さんのような存在がいてくれると救われた気持ちになりますよね?」
と言った。
「これからは堀川さんが矢島さんと協力して高村さんの支えになればいいのよ。」
ひとみは言うとはじめて俊之と久美子を心底から応援しようと思ったのである。
直子が珈琲を口に運んだ時に弘子が入口から入って来た。そんなに広い喫茶店ではないからすぐに直子の目に映った。
「お待たせ。」
弘子は悪びれる様子もなく直子に一言だけ言った。
「よろしくお願いします。」
直子が一言だけ言うと
「お金は出来た?」
弘子は手短に言った。
「出来そうですがもう少し時間をください。」
直子は慎重に言葉を選んで言った。
「困ったわね。」
弘子が言うと
「お金が出来たら振込みで良いですか?」
直子言った。
「仕方ないわね。」
弘子が言うと
「銀行の方が安心ですからお願いします。」
直子は言った。
「お金が出来たらここに振り込んでね。」
弘子は銀行口座の詳細をメモ帳に書くと破り取って直子に渡した。
「本当にこれでメジャーデビューが出来きますよね?」
直子は心配になって言った。
「心配しなくても大丈夫よ。」
弘子は短く言った。
雨のあとに虹 その143
「そんな偶然が重なって天門先生の事務所へ行く事になったわけです。」
俊之は言った。言葉の途中で女性店員が来て
「珈琲とケーキをお持ちしました。」
と言って珈琲とケーキを置いた。
「ありがとう。」
俊之は言った。
「ご注文はこれでお済みですか?」
女性店員が言うと桑田は優しく
「これで全部だよ。」
と言った。
女性店員は
「ごゆっくりどうぞ。」
と言ってから会釈をして歩いて行った。
「高村さんはケーキがお好きだと天門先生に聞いていましたのでね。」
桑田は長年の親友を見るように俊之を見て言った。
「天門先生にはすべてがお見通しのようですね。」
俊之は素直な気持ちを言った。
「どうぞ。」
桑田が言うと
「話の途中でしたね。」
俊之は言った。
「ケーキを食べながらゆっくり話してください。」
桑田は紳士的な態度を崩さないで言った。
「それではいただきます。」
俊之は言ってからケーキを口に持っていった。
「ちょっと堀川さん。」
ひとみは仕事の合間をみて久美子に言った。
「はい。」
久美子は言うとひとみを見た。久美子がちょうど待っていたお客さんに珈琲を出したところである。
「次の休憩は一緒にとならない?」
ひとみは珍しく久美子を誘って言った。
「いいですよ。」
久美子が言うと
「それは一緒に休憩をとりましょう。」
ひとみは言った。
「何かありましたか?」
久美子は理由を聞きたくなって言った。
「今日の午後は混雑しそうでしょ?」
ひとみが言うと
「私も混雑すると思っていました。」
久美子は言った。
「堀川さんと一緒じゃないとこなせないからこのあとの時間は大石さんに任せようと思ってね。」
ひとみの正直な考えを言った。
「それならいっしょに休憩をとりましょう。」
久美子は言った。
直子が消費者金融から出て来た。翔太は少し離れた所でそれを見ていた。何に使うのかも翔太には解っていた。直子が被害に合うのを未然に防ぎたいのであるが今の翔太は黙って見ているだけであった。事実だけを確認すればそれでよかった。直子がお金を渡す相手も翔太には解っていた。翔太は迷ったが決心をして直子に近づいて行った。直子を追い越しそうであったが追い越さずに並んで歩くと翔太は
「現金は手渡しではなく振り込んでください。」
とそれだけ言うとスピードを上げて前に直子を置いて歩いて行った。直子は
「えっ?」
と言って横に居るはずの翔太を見た。翔太はすでに前の方に去っていた。直子の耳に翔太の言葉だけが木霊のように響いていた。
「興味深いお話が聞けてありがとうございます。」
桑田は俊之に感謝するように言った。
「本当にこれで良かったのですか?」
俊之は言った。自分が話した内容で桑田の役に立ったのかどうかが解らなかった。
「とても貴重なご体験ですね。」
桑田は言った。
「これは天門先生とご縁があったからでしょうね?」
俊之が言うと
「迷惑でなければお願いがあります。」
桑田は言った。
「僕に出来る事でしたらなんでも言ってください。」
俊之が言うと
「これからも定期的に高村さんの取材を続けたいと思っています。」
桑田は言った。
「僕なら大丈夫ですよ。」
俊之は快く言った。