雨のあとに虹 その166
「高村も出世したな。」
矢島は自分の部屋で寛ぎながら妻の早苗に言った。
「高村さんはいずれ大きく活躍すると思っていましたよ。」
早苗は静かに言った。矢島も俊之の実力を認めるひとりであったが俊之が総武のトップに立つとは考えていなかったのだ。いずれどこなかの商社に呼ばれて入社するかだろうと考えていた。経営コンサルタント会社を立上げて大手企業と提携することはあると思っていたが総武のトップになるとは矢島も思いが及ばなかった。
「お前は俺より理解するより高村を理解しているようだな?」
矢島が言うと
「そんな事はないと思うわ。」
早苗は言った。
「30年の付合いがある俺も驚いているぞ。」
矢島が言うと
「高村さんには人を引付ける何かがあるから驚かなかっただけよ。」
早苗は言った。矢島も同じものを感じていたのだった。
「久美子!」
浅野昭子が言った。式典が終わって市民センターの前は成人式を迎えた若者たちでいっぱいだった。久美子と同じ振袖姿ある昭子は同級生のひとりである。久美子は地元の同級生と会うのは久しぶりで懐かしさを感じていた。今日の成人式は特別な日になるから思いっきり騒いでみたい久美子であったが
「これから行く所があるのよ。」
言った。
「それは残念ね。」
昭子は残念そうに言うのだった。
「ごめんね。」
久美子は言ってせっかくの誘いであるが断っていた。
「式典が終わったからこれからみんなで騒ごうと思っていたのよ。」
昭子は言った。男性はスーツ姿で女性は振袖姿というあでやかな姿で名実ともに大人になった記念に羽目を外すのは秩序さえ守れば悪い事ではなかった。
「次に帰ってきた時に誘ってね。」
久美子は昭子に言った。
「今度は一緒に飲みに行こうよ。」
昭子は優しく言った。
俊之を乗せた電車は静かに駅のホームに入って来た。都心から郊外に来る電車は平日だと空いているが今日は祝日のために混んでいた。通勤ラッシュの混雑ではなくても休日にしては人が多かったのだ。寒さも忘れるほどにスーツと振袖姿の若者に囲まれた俊之の周囲には熱気があったのである。改札口を出て俊之は周囲を見回していた。
「俊さん!」
久美子が言うと俊之は目を向けた。久美子が振袖姿で右を上げているのが俊之の眼に入った。白塗りの化粧などと言われるが久美子は自然に少しだけファンデーションを塗っただけでそんなに化粧をしていなかった。俊之は久美子に近づいて行って
「式典はどうだった?」
と久美子に言った。
「市長の話は普通だったよ。」
久美子は言った。
「市長の話はまじめなのは仕方がないよ。」
俊之が言うと
「そのあとのコンサートがよかった。」
久美子は言った。
「成人式のコンサートは印象に残るよね?」
俊之が言うと
「バラードの曲が多かったから落着いて最後まで楽しく聴けましたよ。」
久美子は言った。俊之は久美子の話を聞きながら歩いていた。近くにある公園まで来ると
「大人になると言っても特別なものはないよ。」
俊之は言った。
「そうかも知れない。」
久美子が言うと
「すべては日ごろの積み重ねだからね。」
俊之は言って写真を撮ろうとした時である。
「おふたりのお写真を撮りましょう。」
翔太が大木の陰から現れて言った。俊之と久美子は翔太の姿を見るとスーツを着ていて成人式を迎えた人のようにおしゃれであった。
「翔ちゃん。」
俊之が言うと翔太は笑みを浮かべて久美子を見ながら
「写真を撮りますよ。」
と言ってカメラをふたりにカメラを向けた。
「笹川さんもお忙しいのにすみません。」
久美子はカメラを構えた翔太に向かって言った。
「久美子さんは高村さんと腕を組んでください。」
翔太はプロのカメラマンのような口調で言った。
「はい。」
久美子は言って俊之の左腕に自分の右腕を絡ませた。
「自然な感じで良いですよ。」
翔太は言った。
「翔ちゃんはプロのようだね。」
俊之も翔太のペースに乗せられて言った。
雨のあとに虹 その165
「来週早々に三友商事側と打合せを再開する予定ですが如何でしょう?」
恵子は俊之に言った。
「それでいいと思うよ。」
俊之は言った。
「そのように段取りをします。」
恵子が言うと
「今度はこちらに来て貰うのが筋だからそうしてもらってください。」
俊之は優しく言うが主張は崩してはいないのだ。
「承知しました。」
恵子は言った。
「交渉は結論が出ていないのもあるよね?」
俊之が言うと
「ますは総武遊園地と総武緑化の一部で三友商事と提携する考えを伝えて同意を貰います。」
恵子は言った。
「最初はそこからスタートだね。」
俊之が言うと
「うまくこちらの思惑通りにいきますか?」
恵子はやや心配そうに言った。
「次回は三友商事の岡村社長も出てくるはずだからね。」
俊之が言うと
「そこでうまく同意を得るわけですね。」
恵子は言った。
「そうしないと三友商事の経営基盤が崩れるからね。」
俊之が言うと
「そんなに経営状況が悪いのですか?」
恵子が言った。
「強気に出てきてはいるけどかなり追い詰められているよ。」
俊之が表情を崩さずに言った。
「一部上場企業だから経営は良いものと思っていました。」
恵子が言うと
「総武は三友商事と提携しなくても他に提携先はいくらでもあるよね?」
俊之は言った。
「三友商事との提携は春香さんが正樹社長にお願いした事です。」
恵子が言うと
「ここは三友商事に恩を売っておこうよ。」
俊之は言った
「はい。」
恵子は言った。そんなふたりを陽子は黙って見ていた。広い社長室で俊之がはじめて恵子に出した指示を陽子は内心驚いて聞いていた。春香と正樹が俊之を総武のトップに選んだ理由が解ったような気がした。
「税理士事務所にお前が働きに行くのか?」
純一は驚いて静江を見て言った。
「今の経営状況では私が働かないとどうにもならないでしょ?」
静江が言った。純一にも仕方がないことは解っていたが静江が働きに出る事は賛成できなかった。
「銀行から融資が受けられればこんな事にはならなかった。」
純一が悔しそうに言うと
「それは無理ですよ。」
静江は静かに言った。
「今までは簡単に貸してくれたのにどうしてダメなのかが解らない。」
純一が言うと
「経営改善計画きちんと作成していないところに誰もお金は貸しませんよ。」
静江ははっきりと言った。
「俺の何が悪い?」
純一は叫ぶように言った。純一たちが住む建物は一軒家で大きな庭があり周囲には花も植えられているから多少の大声は近所迷惑にはならないのだ。
「広い世間を知らないとね。」
千晴が話に入ってきて言った・
「何だと!」
純一の顔は見るうちに怒りの形相に変わって言った。
「考えても見なさいよ。」
千晴は言った。
「親に向かって生意気を言うな!」
純一は言うが
「相手の都合も考えずに自分の主張ばかり言うからみんな離れて行くのよ。」
千晴は言った。
「それが俺のやり方だ!」
純一が言うと
「俊之おじさんに何をしたのかをよく考えてみてよ。」
千晴が言った。
「お前は何も知らないくせに生意気を言うな。」
純一が言うと
「バチが当たったのよ。」
千晴がきついひと言を言った。それを聞いた静江が
「それ以上は止めなさい。」
とだけ言うと少しの時間だけ静寂になった。
「好きにすればいいだろう。」
純一が言うと静江は
「そうさせていただきます。」
静江は言った。千晴は静江が珍しくきつい言葉を発したので驚いて
「お母さん。」
とだけ言った。
「千晴の言う事は間違ってはいませんよ。」
静江は言った。
「俺が間違っていたと言うのか?」
純一が言うと
「あなたも広い世間を見てきてはどうですか?」
静江は言った。
「俺だって隣のおじさんや向いのおばさんと付き合っているさ。」
純一が言うと
「世の中は自分が知らない世界がたくさんあります。」
静江は言った。
「お母さんもきつい事を言うね。」
千晴が言うと
「世間は向こう三軒両隣だけではないのですよ。」
静江は言った。静江が言った言葉にはある決意が込められていたのだった。
雨のあとに虹 その164
「三友商事の山本さんからです。」
陽子は言って電話を保留にすると俊之が受話器を取って
「高村です。」
と言った。山本は恐縮して
「高村さんには申し訳ありませんでした。」
と言った。
「小さい事は気にしないでください。」
俊之が言うと
「中村から細かい報告を受けましたよ。」
山本が言うと
「山本さんから謝罪の電話をいただくとは思いもしませんでした。」
俊之は驚いて言った。
「田所は本社の勤務を解いて子会社に出向させます。」
山本が言うと
「僕たちをうまく利用しましたね。」
俊之は言った。
「何とか機嫌を直してほしくてね。」
山本が言うと
「起きた事は仕方がありませんので大事なのはこの後の姿勢ですよ。」
俊之は言った。
「それはきちんと自覚しています。」
山本が言うと
「二度とこのような事が起きないようにしていただければ大人になりたいと思います。」
俊之は言葉を選んで言った。
「二度と起こさせないよ。」
山本は強い口調で言った。
「それで田所さんに責任を取らせて子会社に転籍ですか?」
俊之が言うと
「高村さんもご存知のとおりに田所の悪行は目に余るものがあったからね。」
山本は言った。
「総武を堕しに使うのはこれが最初で最後にしてくださいよ。」
俊之はきっぱりと言った。陽子は俊之の隣で会話を聞いて俊之を頼もしく見ていた。
改札口から育子が出て来た。スポーツバッグを抱えて歩くその姿は雑誌のモデルそのものであったが合気道初段であるとは誰も気づいていない。育子の姿を見つけた久美子は自分から近づいて行って
「育子さん。」
と言った。久美子に声をかけられた育子は声の方を見た。
「久美ちゃん。」
育子は言って久美子の方へ駆け寄って来た。
「急にすみません。」
久美子が言うと
「気にしないでね。」
育子は言った。
「そこのファミレスに行きましょう。」
久美子が言うと
「そうしましょう。」
育子は言った。ふたりは近くのファミレスに入って行くとすぐに席に座ることがきた。
「卓球の練習はきつくないですか?」
久美子が言うと育子は
「練習そのものは最初のうちはきつくてもすぐに慣れてくるからね。」
育子は言った。
「そうですか?」
久美子が言うと
「今ではそんなにきつくないよ。」
育子は言った。ふたりは寛いで珈琲を飲んでいた。
「私は高校時代にテニスをしていたけれど今は授業以外のスポーツからは遠ざかっていますよ。」
久美子が言って育子を見た。久美子はアスリートとしての育子が羨ましくもあったのである。
「人はそれぞれだから良いのよ。」
育子は言った。
「私は育子さんが羨ましいですよ。」
久美子が言うと
「久美ちゃんの出来る事を伸ばしていったらそれが自然だと思うよ。」
育子は言った。
「そうですよね?」
久美子が言うと
「私は久美ちゃんが羨ましいよ。」
育子は言った。
「本当ですか?」
久美子が言うと育子はスポーツバッグの中から小さな箱を出して
「これを久美ちゃんにと思ってね。」
と言った。
「おしゃれな箱ですね。」
久美子が言うと
「受取ってね。」
育子は言った。
「とても嬉しいです。」
久美子が言うと
「成人式のお祝いだよ。」
育子は言った。
「ありがとうございます。」
久美子が言うと
「あとで晴れ着の写真も見せてね。」
育子も久美子の晴れ着姿を見たくて言った。
「ちゃんと写真を撮ってお見せします。」
久美子は言いながら小さな箱に育子の優しさが見えたような気がしていた。
「久美ちゃんからタイミングよく留守電が入っていて良かったよ。」
育子は言った。
「私は育子さんの声が聞きたかったから電話をしてみただけですよ。」
久美子が言うと
「今日渡さないと間に合わなかったね。」
育子は言った。育子はかなり前から久美子と親しかったような錯覚を覚えていたが久美子と出会ってから1ヶ月も経っていなかったのである。