雨のあとに虹 その41
俊之は階段を降りて前を見た。ベンチの横に立つ女性が久美子だとはっきり認識した時には緊張が少しだけほぐれた。20歳の久美子が今はもっと大人の女性に見えた。久美子は出会った時に比べると魅力は数倍も増していた。俊之はそんな事を頭の片隅で考えながら久美子に近づいて行った。途中まで歩くと久美子も俊之の方へ歩いて来た。久美子の歩調が少しずつ早くなり駆け足になりなってきた。俊之も早歩きになった。久美子は全力で走って来て最後は俊之に抱きついていた。
「久美ちゃん!」
俊之は言って久美子を見た。久美子も
「俊さん。」
と言って久美子を見た。
「遅くなってすまない。」
俊之は静かに言った。久美子は俊之の背中に腕を回して
「私こそわがままを言ってごめんなさい。」
と言った。久美子は俊之の身体にはじめて触れたから反応していた。
「たまには誰かに甘えたい時もあるさ。」
俊之も久美子を強く抱きしめた。
「来てくれて嬉しいです。」
久美子が言うと
「僕だって甘えたい時があるからね。」
俊之は言った。
「本当に俊さんにもそういう時があるの?」
久美子は言った。
「誰にだって誰かに甘えたい時はあると思うよ。」
俊之は言った。静かな時間がふたりだけに静かに流れているようであった。
「俊さん。」
久美子は言って俊之の後ろに回した手に力を込めた。。
「あのベンチに座ろう。」
俊之は言って久美子をエスコートした。腰を下ろした俊之の横に久美子も座った。
「寒くないですか?」
久美子が言うと
「少し寒いね。」
俊之は言った。
「私も寒いです。」
久美子は言った。
「久美ちゃんに会って安心したら急に寒さを感じてきたよ。」
俊之は言った。
「ごめなさい。」
久美子が言うと
「気にする事はないさ。」
俊之は言った。
俊之は言った。久美子は缶珈琲を出して
「これに触ると暖かいですよ。」
と言った。俊之は久美子から缶珈琲を受取って缶にを触れてみた。
「温かいね。」
俊之は言った。俊之の手に久美子は自分の手を乗せて
「俊さんの手は冷たいですよ。」
と言った。
「今夜は特に寒いからね。」
俊之は言って俊之は天を仰いだ。
「どうしたの?」
久美子は言った。
「都心でも今の季節は星がきれいだね。」
俊之は言った。久美子も空を見上げて
「とてもきれいですね。」
と言った。
「こういうことでもなければゆっくり星を見る事はないだろうからね。」
俊之は言った。
「私もずっと見ていたいです。」
久美子は言った。レインボーブリッジには時々通過する車のライトが交差していた。近代的な都会の部分に相反して自然を象徴する鮮やかな星空が調和している。俊之も久美子もここには周囲と違う時間と空間があるようにさえ思えた。
「もう少しだけこうしていよう。」
俊之が言うと
「はい。」
久美子は素直に言った。
ふたりの間にだけは時間がゆっくりと流れているようだった。
久美子とゆっくりとした時間を少しだけ過ごした。それは俊之にとっても久美子にとっても特別な時間であった。偶然に通りかかったタクシーを拾って俊之は久美子と一緒に俊之の部屋に帰って来た。ゆっくりと夜が朝に向かって変化する時間が流れていた。俊之の愛に久美子は拒まなかった。いつの間にか俊之は男の役割を久美子は女の役割を果たしていた。俊之にも久美子にも忘れてはいけない特別な時間が静かに確実に確かなものを残して過ぎていった。久美子は確実に大人の女性に成長していた。俊之はそれを肌で感じ取っていた。久美子は女としての自分を始めて自覚したのであった。
久美子は眠りにつくまでに時間がかかった。いつの間に眠っていたのだろうか?いつもより早く目をさましていた久美子は特別な朝を迎えた。久美子が開けた時には俊之はまだ眠っていた。久美子は昨夜の事に後悔は無かった。最初に出会った時には俊之はお客の中のひとりに過ぎなかった。それがひとみに頼まれてからいつの間にか俊之を意識するようになった。久美子は俊之に電話をかけた時からこうなる事を予感していたのかも知れない。久美子はいつの間にか本当の女になる覚悟を決めていた事に今になって気づいていたのだった。久美子は俊之の寝顔をそっと覗いて
「俊さんの寝顔ってかわいい。」
と言った。久美子は食事の支度をしようと冷蔵庫を開けてみると中には飲み物だけが入っていた。おそらく自炊はしないようである。フライパンや包丁などの道具があるだけだった。
「男の人ってだめね。」
久美子は言って近くのコンビにまで買い物に出た。朝早いので食材の数は少なかったが何を作ろうか?と考えていた。俊之は好き嫌いが多いのだろうか?今の久美子は俊之の事で知らない事が多かった。
雨のあとに虹 その40
俊之と翔太を乗せた乗用車は深夜の道路を滑走している。翔太は無言の俊之に対して
「僕に聞かなくて良いのですか?」
と言った。
「何を?」
俊之は言った。
「どうして僕が車で迎えに来たのかという理由ですよ。」
翔太が言った。
「聞いたら素直に答えてくれるかい?」
俊之は言った。」
「今はダメですね。」
翔太は言った。
「いずれ解かる時が来るだろうからその時を楽しみにしているよ。」
俊之は言った。
「すみません。」
翔太は言った。
「それよりも久美ちゃんを見つける事が先だよ。」
俊之は言った。
「もう少しスピードを出しますよ。」
言って翔太はアクセルを踏んだ。
久美子は暖かい缶珈琲を手に持っていた。飲むのではない。こうして手に持っていると暖かいのだ。急におかしな行動を取った自分を俊之はどう思うだろうか?不安があったのだが俊之は時間内に必ず来てくれると信じていた。今は風が無いがとても寒くために久美子の身体は少し震えている。すると関口と2人の暴走族風の若者が話をしながら歩いてくるのが見えた。久美子はさっと建物の影に隠れた。こんな場所で出会ったら何をされるか解からない。息を潜めて通り過ぎるのを待っていた。
「寒いですね。」
ひとりの男が言うと
「そうだな。」
ロック歌手のような髪型の男が
「寒いから風邪を引くなよ。」
と言った。
「早く帰って関口さんの部屋で何か食べましょうよ。」
もうひとりの男が言った。
「お腹空いたからバイク飛ばして帰る事にするか?」
髪をリーゼントで決めた関口が言うとさらにもうひとりが
「そうしましょう。」
とふたりは声をそろえて言った。関口たち3人は通り過ぎて行ったが久美子はしばらくじっとしていた。怖くて動けなかったのである。
俊之を乗せた乗用車は翔太の運転技術が高いおかげでテレビ局まであとわずかだった。テレビ局まで近づいた時に3人の暴走族風のグループとすれ違ったが道を開けてマナー良くすれ違ってくれた。テレビ局の前で翔太は乗用車を止めると
「ここからは高村さんひとりで行ってください。」
と言った。
「ありがとう。」
俊之は言うと足早に歩き出した。
久美子は夜の闇の中にひとつだけ光る街灯のそばで俊之が来るのを待っていた。不思議と不安は無かったのだ。俊之ならすぐに来てくれると信じて疑わなかったからだ。夜の闇に時折通るトラックや乗用車のヘッドライドが綺麗なコントラストを描いていた。久美子がじっとそのコントラストを見ていた時に俊之からの着信があった。久美子が出ると
「久美ちゃん?」
俊之が言った。
「はい!」
久美子は嬉しいけれど寒さで震える声で言った。
「久美ちゃんのすぐそばまで来ていると思うけどね。」
俊之は言った。
「早いかったですね。」
久美子は言った。
「テレビ局を背にしてどちらの方向に居るの?」
俊之の優しい声で言った。
「右側の階段を降りて堤防の手前に街灯があるベンチです。」
久美子は言った。
「すぐに行くからね。」
俊之は言った。言い終わらないうちに足早に階段の方へ歩き出していた。久美子はひとりで自分を待つ間どんな気持ちでいるのだろう?不安だったに違いない。そう考えながら俊之は夜の闇に街灯が照らす明かりを頼りに階段を降りて行った。
久美子はベンチに座っていたが俊之がすぐそこまで来ているのが解かると立ち上がった。階段の方向じっと見ていた。俊之はあの階段を降りてくるに違いない。ずっと凝視していると俊之の姿が闇の中に浮かんで見えるような気さえした。少しずつ俊之の姿が見えてくる。俊之は黒いコートを着ていたが闇の中でも久美子にはそれがよく見るのだった。シルエットのように浮かびあがった俊之の姿がはっきりと久美子には映っていた。俊之の顔は良く見えないが久美子は世界中のどの男も今の俊之には敵わないと思ったのだ。
雨のあとに虹 その39
「もしもし。」
俊之は言った。電話の向こうの久美子は一瞬沈黙があって
「俊さん。」
久美子のいつもとは違って思いつめたような声が聞こえた。
「久美ちゃん。」
俊之は言った。
「電話して話して大丈夫ですか?」
久美子は言った。
「元気が無いけどどうしたの?」
俊之が言った。
「ちょっと。」
久美子は外にいるのだろうか?俊之には直感でそう思った。
「外にいるみたいだね。」
俊之は言った。
「解りますか?」
久美子は言った。
「何となく解るよ。」
俊之は言った。
「夜遅くにすみません。」
久美子は言った。
「こんな時間に外に出ていてはいけないよ。」
俊之は言った。いつもの久美子とは違う様子に俊之は少し戸惑っていた。
「レインボーブリッジが見えるテレビ局の傍にいます。」
久美子は言った。
「レインボーブリッジが見えるテレビ局の傍だね。」
俊之が言った。
「はい。」
久美子が寒さに震えるような声で言った。
「そんな所にひとりでいるなんてダメだよ。」
俊之は言った。
「私の事が心配ですか?」
久美子は言った。
「それは心配だよ。」
俊之は言った。
「これから迎えに来てもらえますか?」
久美子は言った。
「これからすぐに行くよ。」
俊之は言った。俊之は電話で話をしているうちに久美子を迎えに行くべきだと直感していた。
「一時間で来られますか?」
久美子は言った。
「一時間でそちらへ行けば良いね?」
俊之は言った。
「はい。」
久美子は言った。俊之は少しだけ沈黙をして
「必ず一時間で行くよ。」
俊之は言った。
俊之は電話を切ってコートを羽織ると素早く戸締りをして部屋を飛び出していた。 マンションのすぐ前に駅があるが終電車が出た後にはタクシーは止まっていない。俊之は周囲を見回て見るが時々トラックが通るだけであった。俊之をタクシーが多く走っている大通りに出ようと考えていた。大通りに向かって全力で走る俊之を追いかけるように見慣れない乗用車が来て俊之の横まで来て止まった。乗用車の窓を開けて翔太が顔を出した。
「高村さん。」
翔太が言うと
「翔ちゃん。」
俊之は言った。
「時間がありません。」
翔太が言った。
「いつもすまない。」
俊之は言って助手席に素早く乗っていた。 翔太はスピードを上げて乗用車を発車させた。
久美子は深夜の静まり返った湾岸沿いにひとりでベンチに座っていた。純子とのやり取りを思い出していたのである。
「久美子は裏切った人を庇いたいわけね。」
純子は言った。
「そうじゃないの。」
久美子は言った。
「それならどういう事なの?」
純子が言うと
「人を裏切って復讐される人には見えないからよ。」
久美子が言うと
「どうしてそう思うの?」
純子が言った。
「解らない。」
久美子が言った。
「女の感かな?」
純子が言うと久美子は
「それもあると思う。」
と言った。
「もう身体をあげたとか?」
純子が言うと
「馬鹿な事を言わないでよ!」
久美子が言った。少し怒ったような表情をした久美子を
「どうなの?」
純子が言って覗き込んだ。
「やはり女の感なのかな?」
久美子は言った。
「はるほどね。」
純子は言った。
「その人はそんなにいやらしい悪い人ではないからね。」
久美子は言った。
「久美子も純情だね。」
純子が言った。そのあとに純子のアドバイスがこの方法をアドバイスしたのである。久美子が少し甘えたようなわがままを言ったら俊之はどうするのか?見極めろと言うのだった。無視するのか?応じてくれるのか?応じた後の態度はどうか?かなり子供騙しの方法だったが勇気を持って美子は行動に移したのだった。