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リグ・ヴェーダ(2)


今回は宗教と神という視点からリグ・ヴェーダを見てみよう。


リグ・ヴェーダを始めとする四つの文献が『ヴェーダ』であり、

それを至上の聖典と仰ぐ宗教がバラモン教と呼ばれている。





※前に天界の神々を地上に呼び寄せるための祝詞を歌う人たちが後の四カーストのトップ、バラモン僧と記述した。

彼らは司祭者であり、宗教教師だ。


あとに、クシャトリヤ(王族、武士、貴族)、

続いてヴァイシャ(庶民、貿易業者、商人、農民、その他の職業のもの)、

最後にシュードラ(隷民、農奴、召使い)。




そのバラモン教では神のことを『デーヴァ』(天)と呼ぶ

その神に対抗するのが悪魔で前にも書いていたが『アスラ』だ。(仏教で言う〝阿修羅〟)




(ただ、イランではそのアスラ<アズラ・マズダー>も最高神であったという。)



ここでやっと登場のデーヴァが

英雄神のインドラ(仏教では帝釈天)。

戦車をで魔神を退治する武勇の神。

全身が光る茶褐色で体中に目が描かれる場合があるが、

それは聖仙(リシ)がウタマの妻を誘惑したときに呪いを受けて1000の女性器のマークを付けられ、

それが変化したものである。

ソーマ酒を好むらしい。

ヴェーダの時代にこそ代表的な神であったが後に東方を守る守護神の地位に後退する。





まばゆくらいの黄金の肌を持つ輝かしい存在であったそうだ。

干ばつを起こして民衆を苦しめていたアスラ(ヴリトラ)を倒し雨雲を開放したという話がある。







ソーマとは、〝酒の神〟でもあり、〝神の飲む酒〟でもある。

もともとは植物を搾った液を指してそう言ったとか。

インドラもアスラとの戦いの際にこれを飲用して英気を養った。

(リグ・ヴェーダの第9巻はすべてソーマへの賛歌になっている。)




マドゥ(蜜)とかアムリタ(不死の霊水)とも呼ばれている、というのが気になった。


ソーマがアムリタであるとは初めて知った。

アムリタを手に入れるためには乳海攪拌をしなければならない。

ラクシュミーもこのときに生まれたのだ。



詳しくは次回に。




リグ・ヴェーダ(1)


『リグ・ヴェーダ』

まずはどんな歌が収められているのか代表的なものを見てみよう。





〝宇宙創造に関する賛歌〟と、ある。

『宇宙開闢(かいびゃく)の歌』


1. そのとき(宇宙始原のとき)無もなく、有もなかった。空界もなく、その上の天もなかった。

(中略) 深く測ることのできない水は存在していたのか。


2. その時、死も不死もなかった。夜と昼のしるしもなかった。かの唯一物は自力によって風なく呼吸していた。

これより他の何も存在しなかった。


3. 始原の時、暗黒は暗黒に覆われた。この一切はしるしのない水波だった。空虚に覆われて現れつつあるもの、

かの唯一物は、熱の力によって生まれ出た。


4. 最初にかの唯一物に意欲が現れた。これは思考の第一の種子だった。詩人たちは心に探し求めて、

有の始原を無に見つけた。(以下略)








様々な解釈がされたと言われているが基本的なことはこうだ。


原水→熱力→意(思考力)→意欲(展開への欲求)→現象界

胎児を守るかのように存在する水、胎児に生ずる意欲、そして何かが変化するときには常に熱が生じている、

というような解釈もある。




面白いことにヒンドゥー教神話では、

世界を造った神でさえ世界の中に存在するとされている。(もしくは世界と同一視されている)




続いて『プルシャ(原人)の歌』というのがよく知られているようだ。


1. プルシャ(原人)は千の頭、千の足をもつ。彼はあらゆる方角から大地をおおって、

それよりもなお十指の高さにそびえる。


2. プルシャは過去と未来に渡るこの一切である。また神々の不死界も、食によって生きるもの(動物)も支配する。


3. このようにプルシャは偉大だが、彼はさらに強大だ。

万有は彼の四分の一であり、四分の三は天界における不死である。


4. プルシャは四分の三をを備えて上方に昇った。彼の四分の一はここ(現象界)に再び生まれた。

これより彼はあらゆる方に、生物と無生物に向かって、展開した。(以下略)







リグ・ヴェーダには実際に難解な箇所が多く、

学者ですらその真意を正確に理解することが不可能になっていたという。




プルシャというのはサンスクリット語で『人間、男』という意味で、


〝神々がプルシャを、いけにえ犠牝(いけにえ)として
祭祀りを行った時、馬・牛・山羊・羊などが生まれ、さらに意(心)からつきが、
眼から太陽が、口からインドラとアグニが、気息(呼吸)から風が、ヘソから空気
頭から天界、耳から方位が生じたという。

またプルシャを分割したとき、その口はバラモン(祭官)、腕はクシャトリァ(王族)、
両腿はヴァイシャ(庶民)、両足はシユードラ(奴隷)となった。〟


というような話もある。







あとは、巨人解体型の神話と言って同じようなパターンの神話が世界中、

北欧や中国などでも見られるようだ。




サーンキャ学派〟(精神と物質の二元論)というものがあり、

精神は、『純粋精神』であり、プルシャ、そしてアートマンで、活動性がないもの。


それに対して物質原理がプラクリティ(自性)という、活動性のあるもの。

※自性(じしょう):仏語。そのものが本来備えている真の性質。本性。




ここにいくとかなり哲学的観点になってくるので正直大変解かり難い。

恐らく、アートマン(我)=ブラフマン(神、万物)と関わってくる話のようだ。






『プルシャの原人の歌』を見る限りでは、

人間がいて彼らが神々も含めた全てを支配してるような解釈ができる。

だが人間も神々も同じものだというような感覚だ。




それもやはりアートマンとブラフマンの考え方を表しているように思える。

次回、『リグ・ヴェーダ』にまつわる神々について調べてみよう。





2.5 in India ~初めてのインドの旅~ (4)


インドで何がしたい?

そう聞かれてリストをソナムに渡していた。

Rajを通しておじさんにも行きたいところのリストを伝えてもいた。




イギリスにいる間に調べていたいたコルカタの寺院。

カーリー寺院と、ビルラー寺院。



カーリーはどうやらコルカタの土地に馴染みの深い神で

是非挨拶に行きたい気持ちがあったし、

ビルラー寺院は、シヴァにガネーシャ、クリシュナも祀ってある。

なんとしてでもジヴァにお目にかかりたい気持ちでいた。




この願いは一日目にして叶うことになった。

まず出向いたのがビルラー寺院。




まず靴置き場がある。

そこでゴムサンダルを貸してくれたわけが分かった。

革でできたサンダルもダメだ。

すごい人込みと熱気に包まれている。




そしてそこで手も洗う。

神様に会う前には必ず靴を脱ぎ手を洗うことをこのとき初めて知った。

26年もの歳月を経て生まれたその真っ白な寺院はこうこうと光り輝いていた。




お目当ての方が出迎えてくださった。

よく来たね、と言ってくださったように感じた。

そのお顔はなんだか優しく見えた。




1つ未だに解けていない疑問が、

なぜ神の周りには細い廊下のようなもがありそこをぐるりと回るのだろうか。

神の後ろ側に回って、壁に額をつけて祈る。

また今度調べてみよう。

そして祈りを捧げた後に甘い飴のようなものを頂く。




車でわりとすぐの場所にビルラー寺院はあった。

ソナムの家からも見えると言うから驚いた。

そんなに近い場所だったなんてガイドブックを眺めてるときには想像もしていなかった。




おじさんのはからいで、通りすがりの職人さんたちの仕事場を見学させてもらった。

ビーズや刺繍一つ一つを丁寧に手で付けていく作業。

数人係でも数百時間を要する根気のいる仕事。

写真はダメだと言われた。

一時間頑張って数十円の賃金だ。

なんだか気が遠くなった。




一度家に戻った頃には22時近かった。

まさかこの時間から?

カーリー寺院へいけるのだと言う。



するとそこにおばさんが私の耳元で聞いた。

〝今日、毎月のやつは大丈夫?〟

最初意味が分からなかった。



どうやら女性は毎月のことの最中は寺院に行っては行けないらしいのだ。

その理由もまた気になった。



Hanaind




カーリー寺院へはおばあさんも一緒に来てくれるとのことだった。

一日目、ほとんど写真はない。


もちろん寺院の中にカメラなど邪道だが、

私は私の中で、

外からでさえ撮ることをアンカンファタブルに思うので。

ただ私の中で、、なんとなく気が進まないのでしないだけなんだけれど。


外からなら撮ってはいけないってことはまずないだろけど。

なんだろう、、、

なんとなく、、

なんとなく。