質問リレーの自由度が増すと、不思議な質問も登場します。
今回は脳内の話。
*** *** ***
【記憶に重さはあるか】
【NRくんの質問】
なぜ、記憶に重さはないのですか?
【YSさんの考え】
記憶とは脳みその一部だと思うのだ。だから、重さはある。
でも、質問は「なぜ記憶に重さはないのか」だから、重さがないものとして考えてみる。
まず、記憶とは、メモリー。こう書くとPCのメモリーとかSDカードとか、重さがあるものと錯覚する。
SDカードに脳みそがつめこんであるわけではないし、この場合の重さとは単なるカードの重さであって、入っているデータの容量が増えたからといってSDカードの重さは変わらないだろう。
って、考えたら、記憶に重さがないような気がしてきた。
よしっ、その調子で、次は本題「なぜ記憶に重さはないのか」
・・・では、背理法で、もし重さがあったならば・・・
質量があるのならば、何か物質が存在しなくてはならない。記憶という物質は、何か経験をするたびにふえていくだろう。
すると、どうだ。
それと比例して、質量も重くなっていくのではないだろうか。
それはとても恐ろしい。
頭が重くなって、歩いたり姿勢を保ったりすることなどが、不可能になるのではないだろうか。
しかし、私たちはこうして、歩いたり姿勢を保つことができる。
よって、矛盾が生じる。
よって、記憶には重さはない。
あれ? 記憶に重さがないことの証明になっちゃった・・・
この質問、むつかしいな。
重さがないことは証明できても、何故かということは説明できない。
自然の摂理だからですっていいたい。
じゃあ、重さがないものは? 質量がない→物質として存在していない。そもそも記憶って、存在していないとか?
概念実在論。この言葉、ぴったりかと思った。
記憶って、機能かも。脳が歩けと命令して、覚えておく。脳がする命令は無意識だから、嫌な記憶は「覚えておけ」とは命令されない。だから、いやな事が忘れやすいとかいうのでは。
【ひろじのつぶやき】
NRくんの質問が、そもそも、普通ではありません。
記憶とは物質なのか、情報なのか。
情報はエネルギーなのか、そうでないのか。
情報がもしエネルギーならば、相対性理論の「質量とエネルギーの等価性」により、情報も重さを持つということになります。
どこから思いついた疑問かは謎ですが、こういう独特な質問は、答を考える人の発想力も刺激するようで、思わぬ意見が聞けます。この質問も、そうなりました。
YSさんの答の文章は、なるべくもとの文の雰囲気を残すように書きました。読みにくいところを数カ所修正したり省略したりした以外は、原文通りです。
記憶の例としてSDカードなどの電子機器関連の記憶媒体を選んだのは、俊逸ですね。
仕組みの分かっていない脳についていきなり考察を始めるより、問題を単純化して、機械的な記憶を考えの入口にしています。
SDカードより、もっと古い時代の情報の記録媒体である、磁気ディスク(フロッピーディスクや磁気テープ)で考えてみると、情報記憶媒体の仕組みがよくわかります。
磁気ディスクでは、プラスチックに強磁性体を塗布し、そこに電磁石を利用してディスクを磁化します。NSの向きを例えば上向きにしたり、下向きにしたりすることが、論理回路では0か1かの違いに相当するので、2種類の磁化の組み合わせで2進数(0と1ですべての数を表す方法)を記録できます。いわば、なんらかの情報をディスクに「記憶」させることができるわけです。(上向き、下向きは例えとして使った表現で、ようするにNSの磁化の方向が2種類区別できればよい)
情報を得た磁気ディスクの強磁性体塗布面は、そうでないときに比べて、NSの向きが規則的に上を向いたり下を向いたりしています。
明らかにディスク塗布面の情報量は増えていますが、エネルギーはどうでしょうか。
磁化されていない強磁性体は「磁区」(強磁性体内部にある、小さな磁石と考えてもかまわない)の向きがそろっていませんが、情報を記録後は、一定のルールに従って磁区が特殊な向きになります。
2つの磁針を近寄せると、2つの磁針のNSが逆向きになって安定します。(2つの磁針のN極とS極が引かれあうからです)
電磁気のエネルギー的には、2つの磁針のNSがそろっている方がエネルギーが高いのは明らかでしょう。
こういう見方をするなら、情報を記憶させた磁気ディスクは、少なくとも電磁気のエネルギーは余分にある状態だと考えることもできます。
そうすると、「記憶」した磁気ディスクの方が、そうでないものより、電磁気的のエネルギーは大きいということになります。
その質量の増加分は相対性理論によれば、(エネルギーの増加/光速の2乗)になりますが、「光速の2乗」は桁外れに大きな数なので、質量の増加分を測定することは難しいはずです。
閑話休題。
YSさんは「記憶は物質として脳に蓄えられる」ならばどうなるか、という論理で、破綻が生じることを示しています。
論理学ではこれでよいのですが、自然科学ではそうはいきません。自然科学は近似の学問です。
近似というのは、数学的には厳密ではないが、ある程度の範囲内では省略しても構わない部分を省略して、自然現象を考える代表的な手段です。
机上の論理ではなく、現実の宇宙のルールを考える場合、近似という方法は必須なのです。
記憶物質の質量が非常に小さければ、それがかなりの量集まったとしても、測定にかかる重さとして感知できるかどうかは、はなはだ疑問、ということになりますね。
では、このへんで。ちゃん、ちゃん。
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