「私とは何か」「それはオートマトンである」
テスラの評伝「テスラ 発明的想像力の謎」(新戸雅章)に紹介されていたテスラの言葉です。
ニコラ・テスラは、エジソンの研究所に雇われながらも、エジソンと対立して研究所を出て、独自に交流の研究をした人。現在の交流による電気文明の基礎を築いた人でもあります。エジソンに負けない奇人・変人の類で、自分の築いた交流の理論は早々にビジネスに関心のある会社に譲渡し、あとは公園でハトを友人としながら、独自の研究にいそしんだという人です。
オートマトンとは自動人形、つまりロボットやサイバネティクスの原形的な言葉。人工知能研究では基本的な用語として登場し、以来、定着しました。
中世の自動人形はこう呼ばれたとか。有名どころではアヒルの自動人形があります。ぼくがアヒルのオートマトンの話をはじめて読んだのは、運動エネルギーの先行概念ビスビバについて述べられたとある科学書です。「ビスビバ」は現在「運動エネルギー」に相当する概念ですが、当時はもちろん、エネルギーという、ウィリアム・トムソンが明確に定義した言葉もなく、生命力みたいなイメージでとらえられていた言葉です。
テスラは神経症的な人間で、潔癖症やら強迫神経症やらの症状が出ていたといわれます。
子供のころから、自分の考えが自分のものでなく、だれか他の影響で生み出されているというイメージに取り憑かれていたそうです。
それが転じて、冒頭の言葉になったのでしょう。
過去の情報のインプットが現在の思考のアウトプットを生んでいるなら、自分という思考はどこにあるのか。自分はただの自動機械と同じ存在ではないのか。
そういう問いかけだったと思います。
ぼくもタイプは違いますが、ちょうどこの裏返しの形で、子供のころから悩み続けました。ですから、テスラの気持ちは(自分なりにですが)よくわかります。
それは自分にとっての決着として、「意識の森」や「存在への道標」という作品に結実しました。こちらは、いずれ、オリジナルマンガサイトに載せる予定です。(掲載できたら、また、この記事の関連記事でお知らせします)
テスラは自分の悩みを前進のエネルギーと転化しました。
逆の発想で、自動人形に人間のような思考作業をさせることができる可能性に言及しています。これは、今のAIにつながる、おそろしいほどの先見性ですね。
ところで、彼の症状の一つに強い共感覚があったといわれています。
共感覚というのは、あるイメージと別のイメージが共鳴して結びついてしまう症状です。
これは彼ならずとも、誰にでも現われる精神作用でしょう。むしろ、人間の特性として語られてもいい属性です。
ラノベの『涼宮ハルヒの憂鬱』に登場するSF小説『ハイペリオン』『エンディミオン』(ダン・シモンズ著)では、この共感覚が、重要なエッセンスとなっていますね。
ぼくも経験があります。ある刺激が本来関係のない別の感覚を呼び起こすという、ぶっとんだ感覚です。
テスラの場合は「液体を満たした皿に四角い紙を落とすと、嫌な味が口内一杯に広がる」体験だったとか。
すごく、よくわかります。ぼくの場合は、ある経験が、ある特殊な匂いと関連するという感覚です。
こちらは、先に述べた2作品にも少しだけ登場しますので、マンガサイト「千の砂粒万の星屑」にアップしたら、ご覧ください。
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