タイムマシンと友との会話 | ひろじの物理ブログ ミオくんとなんでも科学探究隊

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ミオくんと時計
 

「綺麗な環境を守ろうってさ、あるだろ。あれ、キレイって何やろう」
 大学に入ってまもなく、みんなで構内の食堂巡りをしていたときのこと。ぼくの行っていた大学の理学部は2年までは学科の区別がなく、同じクラスに物化生地に数学志望と、さまざまな連中が集まっていました。飯より議論が好きな連中ばかりでしたから、ちょっとした昼食でも議論が始まります。
 最初はここはうまい、あそこはまずいと行っていたのが、すぐに理系の議論に。
 口火を切ったのはAくんで、それに反論したのがBくん。(もう面倒くさいから、ABC・・・でやりますね)
B「そりゃあ、公害やらなんやらで環境が乱れているんだから、もとの自然な状態に戻すって事だろう」
C「待てよ、自然って何だ。そもそも人間がいる状態が自然じゃないだろ」
B「いや、常識的な判断でいいだろ。産業革命が始まってから環境が汚れたという認識でいいんじゃないか」
A「そうか。例えばゾウリムシとかは見た目に綺麗な静水で繁殖するだろうけど、ヘドロみたいな環境でも、そこで育つ生物・・・たとえば、嫌気性の細菌とかがいるわけやろ」
B「まあ、そうだな。酸素がない方が有利な生物もいる」
A「そういう生物にとっては、ヘドロが【綺麗な環境】に当たるわけや。環境がキレイかキタナイかって、生物によって違うんやない?」
C「そうだ。綺麗な環境って、結局、人間中心に考えているだけだろ。人間にとってキレイでも、他の生物にとっては害毒という環境だってあるはずだ」
B「じゃあ、結局、人間にとって生きやすい環境が【キレイ】ってことか。だったら、自然回帰なんてレベルじゃなくて、都会生活そのものが【キレイな環境】ってことだろ。水道やガス、電気がない環境じゃ、人間はもはや健康的な生活は送れないんだから」
A「そうやろ。安易に【キレイな環境】なんて言葉を使って、環境問題を論ずるのって、危ないんやないかな」

 ぼくは唸りました。そういう考え方はしたことがなかったからです。話はとりとめなく続き、やがてタイムマシンの話になりました。ぼくもこの手の話は好きだったので、ようやく出番がきたなと思い、得意の話題を振りました。

ぼく「むかし、ウェルズの【タイムマシン】の映画が日本に来たとき、そのポスターに【5分間で200万年の過去へ】なんて宣伝文句が書かれていたらしい。過去に遡るのに、5分間かかるって、変じゃないか」(*1)

 この話題はSF好きの間ではわりと有名な話だったんじゃないかと思いますが、そもそもSF好きな人間の総数が限られている時代でしたから(ひょっとしたら、今はもっと少ないかも)、耳慣れない話題にみんな食事を中断。

 ・・・と、Bくんが・・・

B「その話だけど・・・おれ、時間の話というか、そういうの好きでさ・・・ずっと考えてきたことがあるんだけど、聞いてくれるか」

 おもむろに話し始めました。

B「あのな、相対性理論で、ウラシマ効果(*西欧では【リップバンウィンクル効果】と呼ぶそうです)ってあるだろ。光速に近い速度で飛ぶロケットでは、時間がゆっくり進むから、双子の片方がロケットに乗って帰ってくると、地球に残っていた方がお爺さんになっているのに、ロケットに乗っていた方は若いままだったって」
ぼく「うん、うん」
B「あれな、ロケットの中の時間がゆっくり進むっていうけど、ロケットに乗っている人間を構成する原子も、その法則に縛られているから、例えば電子が原子を一周する時間もゆっくりになる(もちろんこれは例え話で、実際には電子は原子の周りを回転していません。こちらの話題はまた、別の機会に)ロケットに乗っているおれたちの体も、その力学法則に支配されているから、何もかもがゆっくりの時間の中にいるわけだ」
A「まあ、そうなるやろな」
B「すると、ロケットの人間にとっては、その時間は果たして【ゆっくり】過ぎ去ることになるんだろうか?」
ぼく「何もかもがゆっくり進むなら・・・普通に時間が過ぎるように感じる・・・」
B「そうだろ? ウラシマ効果で、仮に地球で60年経っている間に、ロケットの中では5年しか経ってないとしても、ロケットの搭乗員にとって、その5年は、地球で過ごす5年と同じ時間に感じるんじゃないか。いや、感じるというより、物理的に5年に相当するんじゃないか」

 ぼくたちは、Bくんの話に絶句しました。

 当時はまだ特殊相対性理論をきちんと習っていない時でしたから、Bくんの推論も、ぼくたちの推論も、きちんとした理論の上に立ってはいません。でも、今振り返るとBくんの推論は相対性理論の【固有時】に相当する内容で、非常に的を射た考え方だったことがわかります。

 みなが時間をかけて、ようやくBくんの話にうなずくと、Bくんは、じゃあ、といって、ぼくの振った話題に答えました。

B「タイムマシンが仮にあったとしても、その装置が働いている場合、高速で進むロケットの中と同じで、すべての力学系は普通の世界と同様な時間の進み方をするはずだ。だから、例え200万年の過去に戻るとしても、タイムマシンに乗っている人の時計で5分かかるというのは、ありえるだろ」

 ぼくは議論ではそうかんたんに負けない自信があったのですが、このときばかりは降参しました。彼の方がぼくより、時間について深い考察をしてきたんだなということがわかったからです。

 この出来事は大学に入って間もない頃に起きたのですが、ぼくにとっては大事件で、その後のモノの考え方を決定的に変えた瞬間でした。

 このままでは、置いて行かれる・・・

 むちゃくちゃ、焦りました。とんでもない連中といっしょに学ぶんだなあ・・・と。

 大学の講義より、毎日の雑談の方が、ぼくにとっては強烈な刺激でした。

 ある日、そんな雑談のとき、ぼくは思いあまって「どうしてそういう考え方ができるようになったんだ」と聞いてみたことがあります。

 そうしたら、相手はきょとんとして「え? だって、高校の物理の先生がそういってたぜ・・・」と答えました。

 その差だったのか、と初めて気がつきました。

 人によりいろいろな経緯があるから、必ずしもそればかりではないでしょうが、ぼくとその相手との【差】は、明らかに高校の時に習った【先生の差】だった。

 この仕事についたとき、ぼくはその差を埋めるような仕事をしたいなと思いました。どこまでできるようになったかはわかりませんが、それができていれば嬉しいなと思います。 

 さて、もう少しだけ、いまの話題の補足をしておきます。

 特殊相対性理論は一定の速度で動きあう観測者の時空間が、相対的に変化する法則を表したものです。固有時というのは、動く観測者から見た時間に相当するもので、動く観測者から自分を見た場合は止まっているわけですから、時間も空間も、その人にとっては普通な状態になるわけです。動く人の時間がゆっくり進むようになり、空間が進行方向に縮むというのは、止まっている人から見た場合の話。動く人から止まった人を見た場合は、相手の方が動いているわけですから、相手の時間がゆっくり進み、相手の空間が進行方向に縮んで見えるわけです。

 それでもウラシマ効果が起こり、双子の年齢に差が出るのは、ロケットがUターンして戻る瞬間に、相対性が崩れるからです。(これをUターンのときに加速がかかるために一般相対性理論の効果で時間がずれると解説する本もありますが、そうではありません。Uターンの時に地球の人とロケットの人の時計(時空座標軸)で、不連続なズレが生じるためです)

 ミオくんの【時計】は特別な装置で、時間を遡ったり、異次元の世界を行き来したりできるんですが、こちらはあくまでもクウソーの世界。

 たとえば、どこでもドアみたいな装置で、ぽんと違う場所へ移動するだけで、物理学の因果律が崩れます。瞬間移動装置はタイムマシンと同じで、相対性理論の枠組みを超える装置になります。当然、ミオくんの【時計】も同様ですが、ミオくんは通常の物理法則をある程度自由に操れるので、特別扱いということで・・・

 アメリカの有名なSF小説「ハイペリオン」シリーズでは、まさにどこでもドアで宇宙空間をつなぐ世界ですが、ぼくが読む限り、因果律の破れについての言及はありませんでした。ちょっと、残念でしたね。

 まあ、そちらについては、ぼく自身が描けばいいのかな、とも思っています。
 
 
(*1)必要があって、このときに使われたポスターを調べてみたところ、「5分間で100万年の過去へ」ではなく「5日間で80万年後の世界へ往復」でした。どこで記憶の錯覚が起きたんでしょうか。大学時代の会話は「5分間で100万年の過去へ」に基づいたものだったので、本文は直しませんでした。
 
※これらの内容を下敷きにした冒険マンガを『いきいき物理マンガで冒険』に掲載しました。ぜひご覧ください。下方のリンクをご利用ください。
 
 
 

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