メンタルヘルス ~希望へ向かって~ -56ページ目

メンタルヘルス ~希望へ向かって~

メンタルヘルスナビゲータによるカウンセリングの提供と、「ホリスティック医学」の概念を基盤とした「次世代型 療院構想」について発信しています。

こんばんは。いつもご覧いただいて、ありがとうございます。

 

昨年、8月から11月まで依存症専門の精神病院に入院し、退院後も自宅療養で8カ月、当時勤めていた会社の傷病手当で過ごしていました。復職を希望しましたが、なんせ当時は薬物依存症で、居眠り運転したり、闇金に手を出したりで、会社や家族に大迷惑かけてしまいましたから、結局そのため復職はかなわず、7月13日付で依願退職しました。

 

現在は、薬物依存症は克服出来て、昨年の入院時に診断された様々な精神疾患の症状は、努力に努力を重ねて寛解し、落ち着くことが出来ました。

今は、かねてからの悲願である、再来年の「療院構想」建設実現の為に、着々と準備を進めています。

 

先日書いた進捗状況にあるように「統合医療学会」「相補代替医療学会」「ホリスティック医学協会」への再入会と人脈づくりをするために、そして、夢実現と実生活の維持ために費用を蓄えなければならないので、今は失業保険の給付と、障害年金の受給に加えて、暫定的に就活を始めました。

 

昨日、ハローワークに行って求人検索をしていたら、「中国JRバス」が「バス運転士」を募集していたので、早速、履歴書を送付しました。

私は大型Ⅱ種を持っていて、バス運転士の経験もあるので応募したら、早速今日、先方様から電話があって、書類選考は合格したので、10月10日にある一次試験(筆記問題・作文・面接)に来るように連絡がありました。

 

バス運転士の勤務形態は3勤1休のローテーション勤務なので、多忙な残業や休日出勤もなく計画的に時間を利用できるし、JRバスは大手のバス会社なので給料や賞与の面もいいので、受けることにしました。

 

昨年のような、精神面でどん底を経験し、身も心もボロボロになって精神病院に駆け込んでから時を経て、ここまで這い上がってくるまでには、並大抵の努力じゃなかったです。

廃人になるか自死をするかまで自分を追い詰め、他人を傷つけていました。

それでも、家族や友人などに援助してもらった御陰で、社会復帰できるレベルまでにならせていただきました。

 

本当に感謝に絶えません。

 

精神障害や依存症は、回復はするが完治はしないと言われていて、時には、夢を諦めかけて、希望を見失いかけたこともありました。

それでも、私は自分を信じることを止めませんでした。障害を受け入れ、逆境を力に変えて、前に進むことを選びました。

 

障害者になることを認めることと、自分に負けることとは違うのだと思っています。

それに、夢や希望を捨ててしまったら、また再び自己憐憫に陥り、依存症に逆戻りしてしまうことが分かっていました。

 

「療院構想」実現の夢は、私の存在意義そのものだと思っています。

「愛と冒険」をカタチにすることが、自分らしく生きるということであると…。

 

「医療革命」と「全人的な人間救済」こそが私の使命であり、そう思えば思うほど、心の奥底から燃え上がる闘志が湧いてきます。

きっと私は、そのために生きている。これまでの試練は、その使命を実現するための修行であったと思えるのです。

 

祖父が院内感染で病院に殺されたことへの憎しみから始まり、それがやがて自己実現の欲求と使命へカタチを変え、培われていく。

 

私があの世に逝った時に「僕は、じいちゃんの仇を取ったよ」と、堂々と祖父に言えるように精一杯生きていきたい。

 

私は、ただ普通に、食って寝て遊んで、生活にまみれるために働いて、何も残さず凡人として生きていく類の人間ではないような気がします。

 

その為に傷つくことも多いかもしれない。その為に命を落としてしまうかもしれない。ただ、自分は新しい第一歩の為にこの命を賭ける。

その覚悟は出来ています。その為に死ぬことは全く怖くありません。何もせず、何も残さず死んでいくことが恐ろしいです。

 

障害者であろうと、変り者であろうと、それがどうした?私は、真っ直ぐ生きていく。

最期は、喜びをもって、笑顔をもって、達成感をもって、安らかに死ねればいい。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

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うちのニャンコ🐈

名前は、「ミク」♀っていいます。

多分、2歳くらい(*´▽`*)

 

猫なで声に癒されてみてくださいね♡

 

 

今回は、適応障害に悩む仲間に向けて、ブログ更新させていただきます。

 

私は、精神障害者3級の手帳を持っています。

 

昨年、重複受診による精神安定剤(抗うつ剤、抗不安薬、向精神薬、てんかん発作防止の薬、発達障害の薬、睡眠導入剤、睡眠薬)の多剤服用によって、薬物依存になり、まともに自分の身の回りのことができなくなり、善悪の判断や思考がまとまらない、妄想、居眠り運転、呂律が回らない、ふらつき、対人恐怖症、口渇感、過食、躁鬱、感情鈍麻などの症状が現れる様になり、家族や会社、友人など多くの方に多大な迷惑をかけてしまい、このままだと違法薬物に手を出すか、自殺してしまうかとの瀬戸際に立たされ、観念して、初めて自ら精神病院へ入院する決意をしました。

 

入院して、最初に診察や心理テストなどを行い、私につけられた病名は・・・

 

「発達障害(自閉症スペクトラム障害)」「適応障害」「不安障害」「双極性障害」「薬物依存症」

と診断され、6か月の入院を言い渡されました。

 

私は現在45歳。初めて精神科を受診したのは21歳の時でした。仕事と信仰とのギャップに悩まされ「不安神経症」「睡眠障害」「拒食症」と診断され、自暴自棄に陥り、いくつかの処方薬は出されてましたが、根本治癒には至らず、仕事も信仰も辞めてしまいました。

 

その後、現在に至るまで11回も仕事を転々としてきて、親には、「性根がない。自分に甘えている」などと貶されるばかりで、常に自己憐憫に苛まれていました。

 

どん底に堕ち、自ら初めて入院した精神病院の主治医から、私の生い立ちからの経緯を質問され、生まれながらの「発達障害」と、父親が酒乱で、いつも呑んで帰ってきては、母親や私や妹弟に暴力を振るい、幼少期での心的外傷が原因で臆病で暗い性格になり、そのため学校ではイジメに遭い、社交性に乏しく友人もいない、学業成績も悪く、登校拒否になり、負の連鎖で人間関係や処世術に欠け、自閉的になり、適応障害になったのだろうと言われました。

主治医からは、「あなたが悪いんじゃない。自分を責めないでほしい。」と言われ、これは病気のせいだったんだと思えるようになり、少しホッとしました。

 

入院中の診療方針として、まずは減薬をしていくこと。他の障害は、減薬が成功出来れば、発達障害の患者に処方される「ストラテラ」という薬だけに治められるだろうと言われました。

 

ここからは、直接、動画でお話させていただきますね。

 

 

 

 

 

 

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~今後の計画~

①統合医療学会への加入

②日本相補代替医療学会への加入

③日本ホリスティック医学協会への加入

 

★シンポジウム、フォーラムへの参加・研修

★懇親会で「療院構想」実行委員参加者募集及び協力者とのコネクションづくり

★各相補・補完・代替医療及びホリスティック医療従事者からの情報収集

★医療事業投資家への協力要請

★事業計画の改善・補正

 

 

 

 

おまけ(*´▽`*)

 

うちの、ニャンコ(=^・・^=)

名前は「ミク」♀ ミックス

 

(=^・・^=)猫は、しっぽの付け根を撫でられると気持ちいいそうですよ♡

前回は、長文ブログと2つの動画に、いいね!いただき、ありがとうございました。

 

前回の文章と動画を見返してみて、改めて、昨年の今頃と今の自分の変化を、客観的に見ることが出来ました。

 

私のブログスタイルは、長文を書き殴るか、一時間近く自撮り動画で喋りまくるスタイルで、読み手にとっては最後まで見るのはキツいかもしれませんね。スミマセン(;^_^A

 

また、その多くが「療院構想」についての内容なので、またか…って思われてる方も、いらっしゃると思います。

 

今年の2月にアメブロを始めて、当初は「薬物依存症からの克服」というテーマで、自身の経験をノンフィクションで記していました。

 

潜在意識の開化によって、依存を克服出来た内容を書いていたと記憶しています。

 

あれから7カ月。薬物依存症は克服でき、現在もスリップすることなく維持できています。

 

依存症は、回復はできるが完治はしない。これが、現代医学の一般的な見解になっています。

 

確かに、その通りだと思います。

 

少しでも心に隙を作ると、依存の魔の手が誘惑してきます。その度に、心の中の天使と悪魔が闘います。

 

たとえ、何か月も何年もクリーンをキープしていても、依存の魔の手は常に隙を見計らっています。

 

自分はもう大丈夫だという油断に付け込んで、依存の魔の手は一瞬で強力に誘惑してきます。

 

意志の強さとか弱さとか、依存症者にとっては、それは関係ありません。

 

意志を司る分野以外の脳自体が、薬物による精神的麻酔状態を憶えていて、恍惚感や快楽、精神的苦痛からの一瞬の解放感、躁状態、薬の作用による不安感や緊張の緩和などの記憶を蘇らせ、「報酬系」という脳の伝達物質を分泌させ、薬物への強力な欲求を命令してきます。

 

自分の脳からの命令なので、到底、勝ち目はありません。

「少しくらいなら…」

これが再発を引き起こし、スリップして、アディクトの蟻地獄へと引き込んでいきます。

 

私も例外ではありません。昨年、薬物依存症で精神病院に3か月入院して、急激な減薬に凄まじい離脱症状に苦しめられました。

退院した時は、「もう二度と薬に手を出すものか」と決心しましたが、家に帰って、内科系の薬を見ただけで、欲求の衝動にかられました。

 

私の場合は、潜在意識の開化による、依存の再発を防ぐために、ジェームス・スキナーの「成功への9ステップ」というCDを聴きまくり、自己啓発による意識の転換を図り、9ステップを実践して、成功のための集中力を高め、心に隙を作らない訓練をして、なりたい自分になるためにノートにたくさんの、なりたい自分を「なりたい」ではなく「なる」「なった」と、完結形で書き殴り、なりたい自分になったイメージを、より具体的に鮮明に想像し、演じることによって、それが次第に現実化していき、薬への興味や関心を意識から削除することができました。

 

 

その他に、NA(ナルコティクス・アノニマス)ミーティングに参加することによって、同じアディクトと気持ちを分かち合い、自分は孤独ではないと思えるようになり、NAの12のステップを実践し、スピリチュアルに目覚め、「自分で理解している神」の配慮に委ねる決心をし、ハイヤーパワーの力によって、再発を防いでいる状態を維持できています。

 

今日、こんにちの回復に至るにまでには、並大抵じゃない努力を積み重ねてきました。

元来からの、精神障害を自分の個性として理解することにし、自ら、精神障害者手帳の交付を受けました。

背伸びして、健常者ぶるのではなく、ありのままの自分を受け入れ、頑張らない努力をしました。

そこにいたるまでには、自尊心や、これまで培った自分を全部捨てなければならないのかという葛藤に苛まれ、何度も自死を考えました。

薬によって、心の病は治るのだと信じていた自分を恨むこともありました。

 

薬物以外のことに、とにかく何かに集中し、モチベーションをキープするために、心に隙を作らない努力は今も継続しています。

 

心に爆弾を背負っている様なものです。

この戦いに終わりはありません。死ぬまで戦い続けていかなければなりません。

 

この戦いに勝ち続けるために「療院構想」は、必ず成就させなければならないのです。

 

それは故に、多くのアディクトを救済するために、NAのステップ12にある「これらのステップを経た結果、スピリチュアルに目覚め、この話をアディクトに伝え、また自分のあらゆることにこの原理を実践するように努力した。」ことにより、回復者として自信を持って生き抜いていこうとする自分自身への誓いでもあります。

 

ありがとうございます。

 

 

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今日、毎月第2土曜日にある『NAミーティング』(ナルコティクス・アノニマス)に、車で1時間半かかる下関市に行ってきました。

 

今日の参加者は4名でしたが、それぞれの薬物依存と戦ってる方で、テーマミーティングをしました。

 

今日のテーマは「反抗」というテーマでした。

 

発言者の最初は、私からでした。

 

反抗・・・何を喋ればいいのか10秒くらい考えましたが、思春期の頃に誰もがある「反抗期」について話しました。

 

私は、幼少時から父親の酒乱のせいで、いつもビクビクしながら暮らしてました。

何かあっては怒鳴られる。酔っ払って蹴飛ばされたり暴力されることは、しょっちゅうありました。

そのため、父親に対して怯えていて、いつも「良い子」を演じてなければならない家庭環境にありました。

 

中高校生の頃には、普通は反抗期というのがあって、親や学校の先生に意味もなく反抗したり、ちょうど半分大人になりかけで、情緒不安定な時期でヤンチャをしたりして、世間に背を向けて、自分の存在を認めてもらいたくて、親を困らせたりするものですが、私の場合は「反抗期」というのが学生時代にはなくて、父親から暴言暴力を浴びせられるのが怖くて、完全に心を閉ざしていました。そういう嫌な目に遭わないためにいつも、良い子でなければならないという意識があり、素の自分は親に対しても出せる状態にありませんでした。

 

学校ではイジメに遭い、家庭では父親に怯え、自分の本当の居場所がありませんでした。

中学3年生の時、両親が離婚して、ようやく父親の酒乱に脅かされることもないだろうと安心していたのですが、離婚して間もなく、父親が私らの住む家を探し当て、今でいうストーカーをし始めて、しょっちゅう家に来るようになりました。

さすがにその時は飲酒はしてませんでしたが、顔を見たり声を聴くだけでトラウマが蘇り、不安や恐怖を覚えました。

 

ただ、その時は家に来ても猫を被ったような態度で、酒乱で暴れまくったりすることはありませんでした。

なので、母親と妹弟を安心させるために、公務員になるための勉強は集中してできるようになりました。

 

母親に対しても、心配させないために良い子を演じていました。父親代わりに自分が頑張らないといけないとの思いで、学校で嫌なことがあっても一切話すこともなく、部活で剣道して、駅から10km以上ある家まで自転車で通ってました。

冬場は日が暮れるのも早く、雪が降って、田舎なので街灯も少なく、自転車のライトじゃ真っ暗で見えませんでした。

そういう環境下にいたので、反抗期というのはありませんでした。

ところが、私に反抗期が出始めたのは、社会人になってからでした。

刑務官をしてましたから、規律も厳しく、階級や先輩後輩による上下関係は厳しく、両親には出せなかった反抗的な態度が、この頃に出始めました。職務でミスをして上官に叱られたら、口答えをして始末書を何枚も書きました。

意味もなく反抗して、天に唾を吐くようなもので、その始末は当然、自分に振りかかってきました。

そのころ、新興宗教にも填まってしまい、何が正義なのか、何が悪なのか、何に支配されておけばいいのか、矛盾だらけのこの世界で、どう生きていけば正しいのか・・・

世間の処世術を知らず、不器用で上手く立ち回れない私は、答えのない疑問に苛まれていき、だんだんドツボに填まっていきました。

 

精神的に荒んでしまい、この怒りや不安をどこにぶつけ、何に救いを乞えばいいのか、逃げ出したくなり訳が分からなくなりました。

それで、初めて精神科に受診し「不安障害」と診断されて、抗不安薬・抗うつ剤・向精神薬・睡眠薬の処方薬を服用するようになりました。

アナフラニール、ソラナックス、デパス、マイスリー、セルシン・・・(発言の時は薬名は言ってません)

それから、薬物のアディクトになり始めました。

 

反抗するのは、自分の中に何かしらの怒りや悲しみや寂しさや、そういったものがゴチャゴチャになり、うまく消化できない状態になっていて、親や学校の先生に正しいことを言われても、「あんたに俺の気持ちがわかってたまるか」という感情と、本当は、この混沌とした感情を整理して分かってもらいたい。納得させてほしいという感情が入り乱れて、社会に出たら、ある程度自分なりに処世術を覚え、人間関係を崩さない為にも、自分の中で調和をとることが出来るようになるものだと思いますが・・・。

 

私の場合は、それが遅れてきたんですね。私は、発達障害(自閉スペクトラム)と診断がつけられており、適応障害とも診断されています。

その結果が、薬物依存症に堕ちて3か月、精神病院に入院しました。

 

現在、断薬は出来ていますが、他の精神的な傷病は、今尚、完治には到っておりません。

薬に対する欲求は今でも時々ありますが、そこは魔の手に「反抗」して、自分を信じて、今日集まった仲間とともに、クリーンを目指して頑張っていきたいと思います。

今日、毎月第2土曜日にある『NAミーティング』(ナルコティクス・アノニマス)に、車で1時間半かかる下関市に行ってきました。

 

今日の参加者は4名でしたが、それぞれの薬物依存と戦ってる方で、テーマミーティングをしました。

 

今日のテーマは「反抗」というテーマでした。

 

発言者の最初は、私からでした。

 

反抗・・・何を喋ればいいのか10秒くらい考えましたが、思春期の頃に誰もがある「反抗期」について話しました。

 

私は、幼少時から父親の酒乱のせいで、いつもビクビクしながら暮らしてました。

何かあっては怒鳴られる。酔っ払って蹴飛ばされたり暴力されることは、しょっちゅうありました。

そのため、父親に対して怯えていて、いつも「良い子」を演じてなければならない家庭環境にありました。

 

中高校生の頃には、普通は反抗期というのがあって、親や学校の先生に意味もなく反抗したり、ちょうど半分大人になりかけで、情緒不安定な時期でヤンチャをしたりして、世間に背を向けて、自分の存在を認めてもらいたくて、親を困らせたりするものですが、私の場合は「反抗期」というのが学生時代にはなくて、父親から暴言暴力を浴びせられるのが怖くて、完全に心を閉ざしていました。そういう嫌な目に遭わないためにいつも、良い子でなければならないという意識があり、素の自分は親に対しても出せる状態にありませんでした。

 

学校ではイジメに遭い、家庭では父親に怯え、自分の本当の居場所がありませんでした。

中学3年生の時、両親が離婚して、ようやく父親の酒乱に脅かされることもないだろうと安心していたのですが、離婚して間もなく、父親が私らの住む家を探し当て、今でいうストーカーをし始めて、しょっちゅう家に来るようになりました。

さすがにその時は飲酒はしてませんでしたが、顔を見たり声を聴くだけでトラウマが蘇り、不安や恐怖を覚えました。

 

ただ、その時は家に来ても猫を被ったような態度で、酒乱で暴れまくったりすることはありませんでした。

なので、母親と妹弟を安心させるために、公務員になるための勉強は集中してできるようになりました。

 

母親に対しても、心配させないために良い子を演じていました。父親代わりに自分が頑張らないといけないとの思いで、学校で嫌なことがあっても一切話すこともなく、部活で剣道して、駅から10km以上ある家まで自転車で通ってました。

冬場は日が暮れるのも早く、雪が降って、田舎なので街灯も少なく、自転車のライトじゃ真っ暗で見えませんでした。

そういう環境下にいたので、反抗期というのはありませんでした。

ところが、私に反抗期が出始めたのは、社会人になってからでした。

刑務官をしてましたから、規律も厳しく、階級や先輩後輩による上下関係は厳しく、両親には出せなかった反抗的な態度が、この頃に出始めました。職務でミスをして上官に叱られたら、口答えをして始末書を何枚も書きました。

意味もなく反抗して、天に唾を吐くようなもので、その始末は当然、自分に振りかかってきました。

そのころ、新興宗教にも填まってしまい、何が正義なのか、何が悪なのか、何に支配されておけばいいのか、矛盾だらけのこの世界で、どう生きていけば正しいのか・・・

世間の処世術を知らず、不器用で上手く立ち回れない私は、答えのない疑問に苛まれていき、だんだんドツボに填まっていきました。

 

精神的に荒んでしまい、この怒りや不安をどこにぶつけ、何に救いを乞えばいいのか、逃げ出したくなり訳が分からなくなりました。

それで、初めて精神科に受診し「不安障害」と診断されて、抗不安薬・抗うつ剤・向精神薬・睡眠薬の処方薬を服用するようになりました。

アナフラニール、ソラナックス、デパス、マイスリー、セルシン・・・(発言の時は薬名は言ってません)

それから、薬物のアディクトになり始めました。

 

反抗するのは、自分の中に何かしらの怒りや悲しみや寂しさや、そういったものがゴチャゴチャになり、うまく消化できない状態になっていて、親や学校の先生に正しいことを言われても、「あんたに俺の気持ちがわかってたまるか」という感情と、本当は、この混沌とした感情を整理して分かってもらいたい。納得させてほしいという感情が入り乱れて、社会に出たら、ある程度自分なりに処世術を覚え、人間関係を崩さない為にも、自分の中で調和をとることが出来るようになるものだと思いますが・・・。

 

私の場合は、それが遅れてきたんですね。私は、発達障害(自閉スペクトラム)と診断がつけられており、適応障害とも診断されています。

その結果が、薬物依存症に堕ちて3か月、精神病院に入院しました。

 

現在、断薬は出来ていますが、他の精神的な傷病は、今尚、完治には到っておりません。

薬に対する欲求は今でも時々ありますが、そこは魔の手に「反抗」して、自分を信じて、今日集まった仲間とともに、クリーンを目指して頑張っていきたいと思います。

 

おはようございます。

 

今日は、第二土曜日。

 

毎月恒例の、NA(ナルコティクス・アノニマス)ミーティングに参加しに下関まで行ってきます。

 

車で1時間半かかるのですが、それも苦にならないくらいに楽しみにしています。

 

NAとは、「薬物依存症」の自助グループです。

 

私は去年、入院するまで、一回の服用量が30種類くらい飲んでいて、入院してから急激に薬を減らされたので、離脱症状(禁断症状)が出て、幻覚・幻聴・妄想・震え・生汗・興奮・不眠などの症状が現れ、2週間ほど保護室に隔離されていました。

 

今は、発達障害の薬(ストラテラ)1つと、眠剤の漢方薬を飲むくらいに減薬に成功しています。

 

一回、以前に処方薬を飲まずに完全に断薬を試みたのですが、注意力の欠如・多動・衝動の症状が出たので、最低限の薬だけ出してくれませんか?と、主治医の頼んで、今現在の服薬でキープできています。

 

同じ薬物依存で悩んでいた仲間に会うのはとても楽しみで、孤独ではない、自分一人が耐えがたい苦しみをしてるのではないという、安心感があり、毎月楽しみに、参加しにいってます。

 

 

 

 

シリーズ第七幕!

 

今日、ご紹介させていただきます人生の師匠は、

 

大人なら誰でも知っている

 

政治家 小泉純一郎 元総理です。

自民党をぶっ壊すといって、政界に乗り込み、政権公約であった「郵政民営化」を実現させた方です。

 

独占インタビュー(完全ノーカット)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

https://www.youtube.com/watch?v=FVDNQWLsN5s&t=145s

 

総理現役時代や閣僚時代は、様々なマスメディアでクローズアップされていましたから、ウィキペディア情報ですが活動内容を紹介すると・・・

 

日本の旗 日本政治家

小泉 純一郎

こいずみ じゅんいちろう

Junichiro Koizumi (cropped) during arrival ceremony on South Lawn of White House.jpg

2006年6月29日(64歳)

生年月日 1942年1月8日(76歳)
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横須賀市
出身校 慶應義塾大学経済学部卒業
前職 衆議院議員福田赳夫秘書
所属政党 自由民主党清和政策研究会→無派閥)
称号 経済学士(慶應義塾大学・1967年
子女 小泉孝太郎長男
小泉進次郎二男
親族 小泉又次郎祖父
小泉純也
井料克己従兄

日本の旗 第87-89代 内閣総理大臣

内閣 第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣
第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣
在任期間 2001年4月26日 - 2006年9月26日
天皇 今上天皇(明仁)

日本の旗 第38代 農林水産大臣

内閣 第2次小泉改造内閣
在任期間 2005年8月8日 - 2005年8月11日

日本の旗 第133代 外務大臣

内閣 第1次小泉内閣
在任期間 2002年1月30日 - 2002年2月1日

日本の旗 第81代 厚生大臣

内閣 第2次橋本内閣
第2次橋本改造内閣
在任期間 1996年11月7日 - 1998年7月30日

日本の旗 第55代 郵政大臣

内閣 宮澤改造内閣
在任期間 1992年12月12日 - 1993年7月20日

その他の職歴

日本の旗 第69-70代 厚生大臣
1988年12月27日 - 1989年8月10日
日本の旗 衆議院議員
1972年12月11日 - 2009年7月21日

国会議員を引退した後も、現在、脱原発についての取り組みを全国各地に精力的に講演会などを行われています。

abemaTVにも、出演されており、その様子をご覧ください。
↓↓↓↓↓↓↓↓
Abema TV独占インタビュー
※3つ目の画面が、動画です