今日、毎月第2土曜日にある『NAミーティング』(ナルコティクス・アノニマス)に、車で1時間半かかる下関市に行ってきました。
今日の参加者は4名でしたが、それぞれの薬物依存と戦ってる方で、テーマミーティングをしました。
今日のテーマは「反抗」というテーマでした。
発言者の最初は、私からでした。
反抗・・・何を喋ればいいのか10秒くらい考えましたが、思春期の頃に誰もがある「反抗期」について話しました。
私は、幼少時から父親の酒乱のせいで、いつもビクビクしながら暮らしてました。
何かあっては怒鳴られる。酔っ払って蹴飛ばされたり暴力されることは、しょっちゅうありました。
そのため、父親に対して怯えていて、いつも「良い子」を演じてなければならない家庭環境にありました。
中高校生の頃には、普通は反抗期というのがあって、親や学校の先生に意味もなく反抗したり、ちょうど半分大人になりかけで、情緒不安定な時期でヤンチャをしたりして、世間に背を向けて、自分の存在を認めてもらいたくて、親を困らせたりするものですが、私の場合は「反抗期」というのが学生時代にはなくて、父親から暴言暴力を浴びせられるのが怖くて、完全に心を閉ざしていました。そういう嫌な目に遭わないためにいつも、良い子でなければならないという意識があり、素の自分は親に対しても出せる状態にありませんでした。
学校ではイジメに遭い、家庭では父親に怯え、自分の本当の居場所がありませんでした。
中学3年生の時、両親が離婚して、ようやく父親の酒乱に脅かされることもないだろうと安心していたのですが、離婚して間もなく、父親が私らの住む家を探し当て、今でいうストーカーをし始めて、しょっちゅう家に来るようになりました。
さすがにその時は飲酒はしてませんでしたが、顔を見たり声を聴くだけでトラウマが蘇り、不安や恐怖を覚えました。
ただ、その時は家に来ても猫を被ったような態度で、酒乱で暴れまくったりすることはありませんでした。
なので、母親と妹弟を安心させるために、公務員になるための勉強は集中してできるようになりました。
母親に対しても、心配させないために良い子を演じていました。父親代わりに自分が頑張らないといけないとの思いで、学校で嫌なことがあっても一切話すこともなく、部活で剣道して、駅から10km以上ある家まで自転車で通ってました。
冬場は日が暮れるのも早く、雪が降って、田舎なので街灯も少なく、自転車のライトじゃ真っ暗で見えませんでした。
そういう環境下にいたので、反抗期というのはありませんでした。
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ところが、私に反抗期が出始めたのは、社会人になってからでした。
刑務官をしてましたから、規律も厳しく、階級や先輩後輩による上下関係は厳しく、両親には出せなかった反抗的な態度が、この頃に出始めました。職務でミスをして上官に叱られたら、口答えをして始末書を何枚も書きました。
意味もなく反抗して、天に唾を吐くようなもので、その始末は当然、自分に振りかかってきました。
そのころ、新興宗教にも填まってしまい、何が正義なのか、何が悪なのか、何に支配されておけばいいのか、矛盾だらけのこの世界で、どう生きていけば正しいのか・・・
世間の処世術を知らず、不器用で上手く立ち回れない私は、答えのない疑問に苛まれていき、だんだんドツボに填まっていきました。
精神的に荒んでしまい、この怒りや不安をどこにぶつけ、何に救いを乞えばいいのか、逃げ出したくなり訳が分からなくなりました。
それで、初めて精神科に受診し「不安障害」と診断されて、抗不安薬・抗うつ剤・向精神薬・睡眠薬の処方薬を服用するようになりました。
アナフラニール、ソラナックス、デパス、マイスリー、セルシン・・・(発言の時は薬名は言ってません)
それから、薬物のアディクトになり始めました。
反抗するのは、自分の中に何かしらの怒りや悲しみや寂しさや、そういったものがゴチャゴチャになり、うまく消化できない状態になっていて、親や学校の先生に正しいことを言われても、「あんたに俺の気持ちがわかってたまるか」という感情と、本当は、この混沌とした感情を整理して分かってもらいたい。納得させてほしいという感情が入り乱れて、社会に出たら、ある程度自分なりに処世術を覚え、人間関係を崩さない為にも、自分の中で調和をとることが出来るようになるものだと思いますが・・・。
私の場合は、それが遅れてきたんですね。私は、発達障害(自閉スペクトラム)と診断がつけられており、適応障害とも診断されています。
その結果が、薬物依存症に堕ちて3か月、精神病院に入院しました。
現在、断薬は出来ていますが、他の精神的な傷病は、今尚、完治には到っておりません。
薬に対する欲求は今でも時々ありますが、そこは魔の手に「反抗」して、自分を信じて、今日集まった仲間とともに、クリーンを目指して頑張っていきたいと思います。