人間は大きく分けると、精神的な部分である「心」と物理的な部分である「体」で構成されています。体については、かなり医学的に解明されていますが、心については、まだわからないことだらけです。
人間として生まれ育って、ある人はとても誠実で、世のため人のために一生懸命生きています。ある人は物心ついたときから悪さばかりし、大人になっても犯罪を繰り返しています。
どうしてこんなことが起こるのでしょう?
これは人間の体ではなく、心の問題です。遺伝的な要因もありますが、生まれ育った環境も大きく影響しているのです。
心の問題は、医学でも心理学でも扱われてきてはいますが、説明がつかない不可解なことが多いのが現実です。
特に心は移り変わりが激しいものです。友人の実例ですが、30年以上も前に、第一志望の東京大学に合格し大歓喜に満ちていたところ、癌で入院していた最愛の母がその直後に亡くなり、愕然となりその場で泣き崩れてしまいました。結局、苦労してせっかく合格した東京大学には入らず、フリーターとなって、仕事と住まいを転々とする有り様。彼にとって若くして母を失ったことは、生きる希望まで失くしてしまう結果となりました。
これこそ心の大きな問題です。
心について仏教ではとても興味深い分析をしています。仏教では、心のことを「生命」と定義しており、生命のステージには、10段階あると説いています。それを「十界論」と言います。
十界とは、地獄界(じごくかい)、餓鬼界(がきかい)、畜生界(ちくしょうかい)、修羅界(しゅらかい)、人界(にんかい)、天界(てんかい)、声聞界(しょうもんかい)、縁覚界(えんかくかい)、菩薩界(ぼさつかい)、仏界(ぶっかい)のことを指しますが、それぞれ心の段階を特徴づけています。その各界を下から順番に簡単に紹介します。
地獄界=あらゆる恐怖に苛まれた状態。
餓鬼界=眼前の事象に固執する餓鬼の状態。
畜生界=動物的本能のままに行動する状態。食欲、睡眠欲、性欲、物欲、支配欲など、欲望のままに行動する状態を指す。
修羅界=話し合いをせず、「武力」をもって解決を目指す状態。日常的な喧嘩から国家間の戦争に至るまでの全般を指す。
人界=平常心である状態ではあるが、人間的な疑心暗鬼な精神状態も含む。
天界=諸々の「喜び」を感じる状態。主に瞬間的な喜びを指す。
声聞界=仏法(仏教の教え・法則)を学んでいる状態。仏法に限らず、哲学・文学・物理学、さらには大衆娯楽や子供の戯言に至るまで「学ぶ」状態を指す。
縁覚界=仏道に縁することで、自己の内面において自意識的な悟りに至った状態。仏界における最高の「悟り」とは根本的に異なる。
菩薩界=仏の使いとして行動する状態。自己の意思はともかく「行動」そのものを指すとされる。
仏界=悟りを開いた最高の精神状態。
このように同じ人の心、つまり生命状態でも、これだけ違うのです。修行することで自らの生命をコントロールする仏界を除いて、各状態は環境である外因、例えばいいことや悪いことが起こることから大きく影響を受けます。
幸せになるためには、修行を積むことで仏界を維持し、何があっても動揺しない大きな心、要するに不動の心を持つことです。これは、何も仏教の世界に限ったことではなく、普遍の真理ではないでしょうか。
つまり、一言で言えば、幸せは私利私欲と保身を捨て、世のため人のために生きることで、自らの心が深く感じるものなのです。
人間として生まれ育って、ある人はとても誠実で、世のため人のために一生懸命生きています。ある人は物心ついたときから悪さばかりし、大人になっても犯罪を繰り返しています。
どうしてこんなことが起こるのでしょう?
これは人間の体ではなく、心の問題です。遺伝的な要因もありますが、生まれ育った環境も大きく影響しているのです。
心の問題は、医学でも心理学でも扱われてきてはいますが、説明がつかない不可解なことが多いのが現実です。
特に心は移り変わりが激しいものです。友人の実例ですが、30年以上も前に、第一志望の東京大学に合格し大歓喜に満ちていたところ、癌で入院していた最愛の母がその直後に亡くなり、愕然となりその場で泣き崩れてしまいました。結局、苦労してせっかく合格した東京大学には入らず、フリーターとなって、仕事と住まいを転々とする有り様。彼にとって若くして母を失ったことは、生きる希望まで失くしてしまう結果となりました。
これこそ心の大きな問題です。
心について仏教ではとても興味深い分析をしています。仏教では、心のことを「生命」と定義しており、生命のステージには、10段階あると説いています。それを「十界論」と言います。
十界とは、地獄界(じごくかい)、餓鬼界(がきかい)、畜生界(ちくしょうかい)、修羅界(しゅらかい)、人界(にんかい)、天界(てんかい)、声聞界(しょうもんかい)、縁覚界(えんかくかい)、菩薩界(ぼさつかい)、仏界(ぶっかい)のことを指しますが、それぞれ心の段階を特徴づけています。その各界を下から順番に簡単に紹介します。
地獄界=あらゆる恐怖に苛まれた状態。
餓鬼界=眼前の事象に固執する餓鬼の状態。
畜生界=動物的本能のままに行動する状態。食欲、睡眠欲、性欲、物欲、支配欲など、欲望のままに行動する状態を指す。
修羅界=話し合いをせず、「武力」をもって解決を目指す状態。日常的な喧嘩から国家間の戦争に至るまでの全般を指す。
人界=平常心である状態ではあるが、人間的な疑心暗鬼な精神状態も含む。
天界=諸々の「喜び」を感じる状態。主に瞬間的な喜びを指す。
声聞界=仏法(仏教の教え・法則)を学んでいる状態。仏法に限らず、哲学・文学・物理学、さらには大衆娯楽や子供の戯言に至るまで「学ぶ」状態を指す。
縁覚界=仏道に縁することで、自己の内面において自意識的な悟りに至った状態。仏界における最高の「悟り」とは根本的に異なる。
菩薩界=仏の使いとして行動する状態。自己の意思はともかく「行動」そのものを指すとされる。
仏界=悟りを開いた最高の精神状態。
このように同じ人の心、つまり生命状態でも、これだけ違うのです。修行することで自らの生命をコントロールする仏界を除いて、各状態は環境である外因、例えばいいことや悪いことが起こることから大きく影響を受けます。
幸せになるためには、修行を積むことで仏界を維持し、何があっても動揺しない大きな心、要するに不動の心を持つことです。これは、何も仏教の世界に限ったことではなく、普遍の真理ではないでしょうか。
つまり、一言で言えば、幸せは私利私欲と保身を捨て、世のため人のために生きることで、自らの心が深く感じるものなのです。