意思の不存在(欠缺)
ここでは前回お話した意思表示の不備について、もっと詳しくみてゆきたいと思います。今回は意思の不存在のほうをメインで話を始めて行きたいと思いますが、意思の不存在には心裡留保、虚偽表示、錯誤があるということは先に説明しましたのですでにご存知かと思います。まず心裡留保ですが、これは民法93条に規定されていて、それによると「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない」とあります。表意者がその真意でないことを知ってする行為――つまり「これはカレーです」と言ってウンコを食わすこと――これはウソをついてもその通りの効果が発生するぞ、つまりウソをついたらそのウソを本当にやらなくちゃならなくなるぞってことです。ここで月並みな疑問を呈しておきたいと思うのですが、昔っからよくやる「ウソついたらハリセンボンのーます」っていうアレなんかにこの民法93条を適応しちゃうと、今頃世の中は死人だらけになってるんじゃないかと不安に思いますよね。実際、人との付き合いなんてウソがなけりゃ成り立たないし、それに誰しもが自分にウソをつき続けて生きているのですから…(ぜんぜ関係ない話ですが)。そんな時の救世主が、民法93条但し書きにある「ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は無効とする」という規定です。誰だって相手がハリセンボン呑めるなんざ本当は思っちゃいないわけですよ。本当に怖いのは針を千本呑むことなんかじゃない、人の信頼を失うことなんだってことですね(´∀`)イヤマジデ
続いて虚偽表示。規定は民法94条1項「相手方と通じてした虚偽の意思表示は無効とする」ですね。簡単に言えば通謀虚偽表示、つるんでウソをつこうってことで、例えば私が借金取りに追われて、親から受け継いだ権田山を取られそうになっていたところを、友達の梶原さんと通謀して土地の名義だけを彼に移転しちゃったりすること、これが通謀虚偽表示です。これは条文によって全部無効にされちゃいますが、ただし例外があります。それは94条2項にある「前項(94条1項)の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない」という規定です。私は梶原さんと通謀して、見た目は完全に梶原さんが土地の権利を持っていますが、仮にその土地を目当てに1000万だすと梶原さんに言い寄る武山さんという人がでてきたとしますね。梶原さん的には「しめしめ、本当はsimに権利があるのに…」と真実を知っていますから、「どうぞどうぞ」といって内心ほくそえみながら武山さんと架空の土地の売買契約を行い、1000万をもってマカオに逃げちゃいます。そうすると後になって武山さんは気づくわけです、「梶原の野郎、俺をだましたな!」と。しかしこの場合武山さんは善意、つまり梶原さんが本当に権田山の権利を持っていると思って1000万を渡したわけですから、規定にある「意思表示の無効」、つまり「実はウソでしたー!」と私が悪びれもせずに武山さんに対抗することはできないというわけです。しっかり武山さんに権田山を明け渡さなければならない――これは紛らわしい外観を作ったヤツ(私)が悪いという、権利外観法理という民法の考え方が根っこの部分にあるからなのです。
もう少しこの94条2項について突っ込んで行きたいと思うのですが、この条文にかいてある「善意の第三者」ってのは何なのでしょうか。善意というのは「知らなかった」ということですが、そこに「無過失」は含まれないのでしょうか。というのは、昔小学校の通学路でよく下校の時に割り箸でできたゴム銃やら、色とりどりのヒヨコを売っている香具師のオッサンがいたかと思いますが、何故か知りませんが無性に欲しくなったものです。しかしそんなうさんくさいところでうさんくさいカラーヒヨコを買って、それでもって家に持ち帰って数日で色が落ちたからといって、今風に「返品したいのですが…」なんて優雅なこと言ってるほうが、私は恥ずかしいと思うのです。たった数百円で、「騙される」という貴重な経験を安全にさせてくれたあの香具師のオッサンに対して、そんなことを言うのは失礼だし、そもそもその頃には、その抜け目ないオッサンは何処か他の町にトンズラしてしまってます。騙し騙され、人はそうやって強くなってゆくんだということを信じてやまない私ですが、つまり私が言いたいのは「ダマされたほうが悪いんじゃね?」ということです。しかし通説では「善意の第三者」は善意であることは要求されても無過失であることは要求されません、なぜならやっぱり通謀虚偽表示をした連中がイチバン悪いからです。善意の第三者とは、当事者及び包括承継人以外の者で、「虚偽表示による法律行為の存在を前提として、新たに独立の利害関係を有するに至った者」だと言われています。分かり易く言い換えれば、虚偽表示の信頼を前提として、梶原さんと武山さんのような全く異なる利害関係における第三者のことです。独立の利害関係、というのが少しわかりにくいかもしれないので少し説明を加えておきますが、例えば怒った武山さんが私に「梶原から1000万を回収してくれたら1割やるよ」と言われ、調子に乗った私がマカオいる梶原の所へ「梶原てめえ1000万円返せ」と強迫しに行った場合、私は武山さんと梶原さんとの紛争における第三者となりえるのでしょうか。答えはNoです。なぜなら私と武山さんとの関係は「独立の利害関係」ではなく「委任契約者の関係」であるからです。なかなか悪いことはできないようになってますね(;´Д`)ノ
まだまだ94条2項の懐は深いので、みなさんにはもう少し私といっしょに勉強してもらうこととなりますが、世の中には法律では割り切れないってことが山ほどありまして、通謀虚偽表示も決して例外ではありません。例えば畠山敏郎さん(72歳)が箱根にある自分の土地の名義を、借金のある銀行による財産没収の手から逃れるために、彼の息子である畠山昇平さん(49歳)の名義に息子の承諾を得ずに勝手に登記していたとして、オヤジの土地が自分の名義になっていることに気付いた飲んだくれ放蕩息子である昇平さん(49歳)はすぐさま友人の桜田さんに箱根の土地を売り飛ばしてしまいました。こういう場合、敏郎さんと昇平さんとの間に通謀虚偽表示はないのだから、民法94条2項の第三者保護規定は適用されずに桜田さんは泣き寝入りするしかないんじゃないのっていう話になるわけですが、実はこういうケースの場合、裁判所の必殺技である「類推適用」が行われます。「いや実際、敏郎も昇平も、虚偽表示しとるようなものじゃないか?」ということで、この場合も虚偽表示と同じように94条2項が類推適用されちゃいます。つまり第三者である桜田さんからしてみれば、こんなのはバカ親子の茶番なわけで、この場合敏郎に紛らわしい外観作出の帰責性があり、さらに桜田は完全に昇平を信頼している、こうしたことから権利外観法理が適用され、94条2項の類推適用が可能ということになります。裁判所って正義のためなら解釈でどこまでも行ってしまうのね(((゜д゜;)))ガタブル
最後は錯誤。条文は民法95条「意思表示は法律行為の要素に錯誤があったときは無効とする」ですが、まずこの難しい用語である「要素」は「重要な根っこ」とでも思っていただければ良いかと思います。この錯誤と、前にお話した心裡留保がゴチャゴチャになる人もいるかもしれないので詳しく説明しますと、錯誤とは「意思の不存在に対して表意者の認識が欠けていること」と言えば立派な定義になっていると思います。つまり自分が間違っていることすら自分で気付いていないのです、勘違いなのです。しかしながら、ヒトコトに「錯誤」といっても、実はコレ、突き詰めてゆけばかなり複雑な論点ともなりうるのが厄介なところで、例えば意思表示を行う動機の段階で錯誤(動機の錯誤)があるのか、それとも効果意思の段階で錯誤(内容の錯誤)があるのか、はたまた表示における錯誤(表示の錯誤)があるのかで断然性質が変わってきます。そもそも人が物事を成そうという場合のプロセスは、大まかに考えれば「何々したいという動機」があって、その次に「効果意思(法律行為を成そうという意思)」が発生します。そして最後に「具体的な意思表示」が行われるわけですが、まず動機の錯誤とは、例えば私がイトーヨーカドーで「NUDA」というナイナイの岡村が宣伝している美味そうな清涼飲料水を買ったとしましょう。見た目も青い包装で爽やかだし、こいつは美味いだろうと思って買った私ですが、実際に口をつけてみるとどう考えてもただの炭酸水にしか思えない。やられた、もっと美味しいのかと思ってた!これが動機の錯誤です。次に内容の錯誤ですが、その「NUDA」が実は「ポーション」だった場合。同じ青だからついつい間違って買っちゃった、これが内容の錯誤です。最後に表示の錯誤ですが、例えば私が大学入学のための下宿を借りたいと思ってインターネットで「駅から徒歩5分!」と宣伝していたアパートとロクすっぽ確認せずに仮契約してしまったけど、後から大家さんに会いにアパートに行ってみると駅から徒歩5分というのは大嘘で、余裕で15分くらいかかるところにあった場合、私は「ウソを書くとは!」と大家さんに怒るわけですが、これが表示の錯誤です。
長くなりすぎたので改行しますが、表示の錯誤は簡単に理解できるかと思います。前にパソコンの広告で本当は10万円の商品を間違って1万円とタイプミスしちゃった会社があって、急いで買い注文を出した客がその会社に「おい、俺たち善意なんだぜ?払えよ!」と詰め寄った事件がありましたが、これなんかが表示の錯誤にあたります。これに比べて動機の錯誤と内容の錯誤って殆ど違いがないよな?って思う人が大半だと思いますので詳しく説明をしていきたいと思いますが、まず通説として動機の錯誤は「錯誤」とは認められません。認められるのは「内容の錯誤」と「表示の錯誤」だけなのですが、確かにNUDAがいくら不味かったといっても、もうフタを開けられてるのにマズいからというただそれだけの理由で返金請求されちゃったら、店側もたまったもんじゃありません。問題は、NUDAとポーションを間違えるのとそれにどのような違いがあるのってことですが、ポイントは「表示」と「内心」にズレがないかということです。人は「○○を望んで(内心)、こうこうしてくれと表示」します。内心とは相手にやって欲しいこと、言い換えれば相手がやるべきことであって、それ以外の心の作用は動機と言われます。イトーヨーカドーの例の場合、相手である店員がやるべきことは「商品の個数や金額、適正な位置に適切な商品を適切な表示で置いているか」ということであって、「NUDAを美味くすること」は店員さんの仕事じゃありませんよね。「NUDAが美味しかったらいいのにな」というのは「相手がやるべきことを期待する」以外の作用ですから、それは単なる個人的な動機であるといえます。しかしNUDAではなく間違えてポーションを買ってしまった場合は、これは単純に動機の錯誤であるとはいえません。NUDAのなかに店員がミスって一本だけポーションが混ざっていた場合(あり得ませんが)などは、これは明らかに内容の錯誤であると言えると思います。ただし動機の錯誤と内容の錯誤は非常に紙一重な部分があって、例えばある大阪の露店で、ブランド物のニセモノばかりを取り扱った店があったとして、そこに偶然通りかかった朝比奈さんという京都のお嬢様(21歳)がルイヴィトンのバッグに並々ならぬ興味を示されたとしましょう。しかしお嬢様がよくよく見ればそれはルイヴィトンではなくルイバトンと銘打たれたニセモノだったのですが、それでもお嬢様はそのバッグが気に入ってしまいます。そこでお嬢様は「そのルイヴィトンのバッグ下さる?」と聞くわけですが、お嬢様のおつきの二宮は内心「お嬢様は勘違いしてらっしゃる」と思ってお嬢様にこっそりと耳打ちするわけです。結局お嬢様は顔を真っ赤にして「いきましょ!」と二宮をおいてどんどん先に行ってしまわれることになってしまうのですが、もし仮にお嬢様が「そのルイバトン下さる?」と行っていたらどうなるでしょうか。本当にお嬢様は間違えているのか、それとも分かってて敢えてバトンのバッグが欲しくなったのか、二宮は混乱してしまいます。冷静に考えれば「内容の錯誤」なんですけど、頭が混乱しそうですよね。
ただし、いくら「錯誤は無効」だいっても、やっぱり現実にはふざけるなといいたくなるような出来事があるわけで。例えば私はあるときテレビを買いたいと思い、広告にあった25型フラットテレビ25000円を求めて近所のベスト電器という電気店に行ったことがあるのですが、どこを探してもその品がないので店員に聞いてみると、「ああ、これはミスですね」と言われて、腹が立ったことがあります。話を聞くところによれば、本当は40000円くらいするテレビだったらしいのですが、それにしても店員の「は?俺は関係ないからね」と言わんばかりの態度が気に入らない。謝罪せえと。実は民法95条の但し書きには「錯誤は無効だが、ただし表意者に重大な過失があったときは、表意者は自らその無効を主張することが出来ない」とあります。まあこれは重大な過失ではないにしても、例えば新しくオープンする山崎予備校がベスト電器に100台の25型フラットテレビ(25000円)を注文していたとして、そのほかの予算もギリギリで計算していたとしますね。それなのに土壇場になって「ああ、これはミスですね」とはやっぱりいかないと思うんですよ。予備校的にはサテライン授業というビデオブースによる受講がウリなのに、肝心のテレビが手に入らないとなってはこれは大問題なわけです。こうした事案においては、おそらくベスト電器のミスは「重大な過失」であると判断できるため、ベスト電器はしぶしぶ25000円で山崎予備校にテレビを売らなければならないというわけですね。
ふう、なんとか「意思の不存在」について説明することができたかと思いますが、最後にひとつだけ付け加えておきます。錯誤による無効主張は、本人によってなされるのが原則です。は、あたりまえじゃん?と思われるかもしれませんが、実はコレ結構重要なことで、例えば私がNUDAだと思ってポーションを買ってしまった場合、私以外の人が突然「あなた、無効主張できますよ!」などといって、チャリに乗りかけの私を引っ張って店の店員に「なんでNUDAのところにポーションを置いてるんだ!」と私の代わりに錯誤無効を主張されたら迷惑です。なぜなら、「くそっ、間違ってポーション買っちゃった…」と意気消沈しながら家に帰って、まあいいかと思ってポーションを飲んで、「あっ、結構いける」と判断してしまった場合、それはそれで私的には問題はないからです。それに大阪の露店の話にしたって、実際は敢えてニセモノを買おうと思ってくる人ばっかりだと思うんですよね。勿論95条但し書きは相手方が悪意だった場合には、表意者による無効主張は全く制限されないことは断っておかなければなりませんが、そういうニセモノを買う人で無効を主張する人なんてみたことがないでしょう?小さな悪をこっそりと見逃すところに、大きな悪は生まれます。法律ってのは、性善説に基づいて作られているんでしょうか、まあいくらいいもの(民法)を持っていても、それを使う側が阿呆だったら、どうにもならないってことで今日はしめくくりたいと思います。(´д`lll)キビシイケドホントノコトダ 次回は「瑕疵ある意思表示」をやりたいと思いますので、楽しみにしておいてください。
入門!意思表示
レジに商品を持っていかずに(意思表示を行わずに)ずっとマヨネーズの前で物欲しそうな顔をしていても、だれもそこに確実な「買うぞ!」という外形を認めることができないと前に書きましたが、そもそも意思表示には「表示主義」と「意思主義」という考え方があります。「表示主義」とは名前の通り、表示そのものをなによりも優先するという考え方で、例えば小学校の頃によくこういうヤツいましたよね、授業中に先生が「ここ分かる人~?」なんて言って児童に手を挙げさせるときに、偶然頭をかいてて「はい、キミ」とあてられてしまうヤツ。すぐさま「頭がかゆかったんです」とその子は言い訳をするわけですが、大抵「まぎらわしいことをするな」とそのまま当てられちゃったりなんかして、まあそうやって人は強くなってゆくもんなんですよね・°・(ノД`)・°・。つまり表示主義とはそういうことで、そこに意思がなくても「それらしい表示」があったらその表示は本人の意思の表れとみられちゃいます。それに対して「意思主義」とはなによりも本人の意思を優先する考え方で、この場合には「頭がかゆかったんです」「まぎらわしいことしないでね」「はい」という流れが通用します。民法の原則は「意思主義」ですが、どちらがより重視されるかは規定ごとに変化するので、そこのところを頭にいれて置いてください。
さてさて、意思といっても場合はいろいろ、中には「ウンといわねえと浣腸するぞ山川ァ!」と脅されて、いやいやウンと言わされる場合もあるだろうと思います。その意思は本当に本人の意思なのか?もしかしたら「意思っぽい」だけで、それは本当は間違っているのかも。そうした場合を民法はしっかり考慮していて、上の例にあるような強迫、それに詐欺なんかのことを「瑕疵ある意思表示」と言います。瑕疵は「かし」と読み、これはキズの漢語表現です。意思表示にキズがある、つまり意思を形成する動機の段階に欠陥があることです。動機の段階に欠陥というのを分かり易く説明すると、例えば結婚詐欺を働こうと思った男が女をダマそうとするのは、つまり外形的な意思表示である「あなたと結婚したい」というのと、本音である「金だけ騙しとってトンズラしたい」という真の意思の間にズレがあるということで、これを民法では「瑕疵」すなわちキズのある意思表示だとしているわけです。こうした「瑕疵ある意思表示」とは少し違った「間違った意思表示」には、他に「意思の不存在」というものがありますが、その名のとおり効果意思、すなわち法律効果を実現する意思が欠けていることであり、錯誤(まちがい)や心裡留保(ウソ)、虚偽表示(つるんでウソをつく)などがこれにあたります。「瑕疵ある意思表示」は原則で取消可能、「意思の不存在」も原則無効なので、注意して下さい。
では、取消可能・原則無効といっても、具体的にはどのようになっているのでしょうか。そもそも取り消しも無効も同じじゃね?と思うのが普通だと思いますが、実際にはまず追認ができるかどうかが違います。取消は追認ができて、無効には追認ができません。追認が何だったか忘れた人のためにいちおう説明しておきますと、つまり追認とは「ファイナルアンサー」であり、「本当にこんなんでいいの?」「うん、いいよ」の意味。本来は取り消しにできる行為をOKにしてしまう、これが追認。なぜ無効に追認がきかないというと、そもそも無効とは「法律効果が最初からなかったこと」を意味するため、追認によって「実は効果はあった」とすると意味的に矛盾してしまうため、民法119条にもあるように、無効の場合における追認は「追認時に新たな行為を成したものとみなされ」ます。つまり「最初から効果はなかったから、新たにOKサイン(有効)を出した」というわけです。もっと無効と取消の違いを明確に言うとすれば、そもそも取り消しというのは遡及効であって、つまり取消を行うまではずっと有効、取消を行った時点で「いままでのことはなかったことに」なるというわけです。
そもそもなんで「取消」という概念が必要なのか、それを説明するのにいい例が、マルナカでリンゴジュースを買おうと思っていたのに、偶然通りかかった先輩に「オレンジジュースのほうが身体にいいんだぜ」と言われて、内心「チッ、俺はリンゴジュースがいいんだよ」と思っているのに、先輩のオレンジに対する薀蓄を長々と聞かされるハメに陥った場合。ある意味強迫に近いものがありますが、「あとで返品しよう」と思いながらオレンジジュースをレジに通している間に、「でも美味そうだからいいか…」と思うことがあると思うんです。これが無効だったら、有無を言わさず返品ということになってしまいますが、それはちょっとオセッカイがすぎるぜ民法さんよということで、取消があるのです。最近では無効と取消の接近化が言われてて、例えば無効である錯誤の場合なんかでも、上のオレンジジュースと同じような場合があるかと思います。それに意思表示の不備によって保護されるべきものが無効主張をする気が起こらなかった場合(まあ、いいか的なフィーリング)、別にそこまで過保護になることはないんじゃねということで、無効における追認行為に取消のような遡及効が認められることもあります。まあ、取消も無効も似たようなものっちゃ似たようなものだということです(/ω\)ワーイッチャッタヨー
任意規定と強行規定
前にも書いたことがあるかと思いますが、民法の醍醐味はなんといっても任意規定であると思います。民法91条には「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う」という規定があり、例えば松林大学に少林寺拳法部という部があったとして、その部には「挨拶をしなかった者はスクワット20回、できないなら退部」という規則を部内に作っていたとします。さらに今年入部したばっかりの不真面目な桜田という新入部員がいたとして、桜田はふてぶてしく先輩に挨拶すらしないし、罰であるスクワットだって全然やろうとしません。そんな桜田を退部させようとすればすればで、桜田は「ふざけんなぁぁぁぁぁ~~!そんな法律は民法にはねぇ~~!」と泣き叫んでいつまでも畳の上にうずくまって、これでは練習どころではないという騒ぎです。しかしお分かりのように、民法91条は任意規定は有効であることを定めているので、紛争解決の手段としての部内規定を破った桜田は少林寺拳法部を退部せざるをえないというわけです。しかし前にも書いたように、民法90条には「公序良俗規定」があるので、「挨拶を忘れたら裸になって逆立ちをしなくてはならない」といった倫理秩序に反する行為は許されません。
ただし、任意規定は法律行為の中でも最下層に位置づけられます。例えば「少林寺拳法部では重婚が認められる」などと勝手に規定を作っても、任意規定に優越する強行規定というものがあって、例えば労働基本法や著作権法のように、公益を守り弱者を保護する目的で、絶対に守らなければならないモノというものがあるわけです。だから強行規定である家族法によって重婚は認められません。それと補足的に注意しておきたいことがあるのですが任意規定には優越するが強行規定には負ける「慣習」という概念があります。例えば「少林寺拳法部では年功序列的に後輩は先輩のお茶やら座布団やらの世話をしなくてはならない」といった慣習がある場合、特に規則として決まってはなくても、暗黙の了解としてそうした決まりごとが実際に力を持ちます。よって、仮に少林寺拳法部の規定で「先輩は後輩に寛容であるべきだ」という決まりがあったとしても、慣習として先輩はお茶やら座布団の世話をされているのだから、そうした慣習は任意規定に優越し、よって桜田のように「先輩、お茶を忘れたからってそんなに怒ることはないじゃないすか?」なんて言ったにしても、それはやっぱり失礼なわけです。大体いままで説明してきた概念の効力を分かり易くならべてみると、強行規定>意思表示>慣習>任意規定って感じです。意思表示については、次のエントリーで説明しますので楽しみにしておいてください。
法律行為
人が法律効果を発生させようとする意志に基づいて成す行為を「法律行為」といいますが、民法ではこの法律行為が重要な位置を占めています。なぜなら法律行為を成すものの意思の通りの効果を認めることは、それがそのまま前にも紹介した「私的自治の原則」にかなっているからです。ただし法律行為は「○○しよう」という意思に対応する「表示」が必要であり、それはなぜかと言うと「○○しよう」と思っているだけでは、ハタから見て何を考えているか分からないからです。例えば売買契約のことを考えてみると、普通スーパーなんかに行ってマヨネーズを買いたいと思えば、調味料売場に陳列されているマヨネーズをカゴに入れて、レジに持って行ってお金を払いますよね?しかし調味料売場でジーッとマヨネーズをみつめて、「買いたい!」といくら必死に思っていても、店の人には全然伝わらないわけです。法律行為は外形にその意思が表れる必要がある、なぜなら事実の判断が難しいから。よって売買契約については意思の合致による契約の成立――レジに商品を持ってゆく(要件の充足)――が必要であり、そこで初めて代金支払い義務と商品引渡し請求権が発生するというわけです。
法律行為には何種類かあって、今例に挙げた売買契約なんかは「契約」と言って、二つ以上の相相対する意思表示の合致によって成立し、それとは逆に単一の意思表示によって構成される法律行為もあります。その名も「単独行為」と言い、例えばクーリングオフなんかを考えてみれば分かり易く、ある期間の間であれば商品の売り手の意思は一切顧みずに商品を返品できる、つまり一方的にこちら側のみに法律行為を成す権限が生じるという点で、こうした行為は「単独行為」と呼ばれます。単独行為、契約ときたら、もっと大人数の法律行為もあるかというのは想像がつくでしょうが、このほかにも合同行為というものがあります。例えば韓国の俳優のリュ・シウォンが大好きなババア連中が、「リュ・シウォン様を囲う会」を作ろうとした場合、集団の意思表示が同一目的に向けられているということで、これは合同行為であると言えるかと思います。それといままでの単独行為・契約・合同行為とは少し毛色の違う法律行為について書いておきたいと思うのですが、基本的に法律行為とは権利の消滅や発生について扱いますが、効果意思を伴わない法律行為というものがあります。名前だけ先に言っておきますとこれを「準法律行為」と言って、さらに「よくわからんぞハゲ」と私に怒鳴りつけたくてウズウズしている人のために説明を加えると、効果意思とは「法律効果を発生させるための意思表示」のことであります。つまり分かり易い例で説明するとすれば、例えば私が向山さんに1億円の土地を譲渡したいと思って、向山さんに電話で「あの土地をあなたにあげようと思うんだ、ヘヘヘ」と通知することが準法律行為であって、要するに「契約書を取り交わそう」なんていう具体的な意思表示が要素になっていない行為のことです。ただ準法律行為だからといっても、ちゃんと法律効果は発生するので、「いや適当に言っただけですよ、困りますね向山さん」という言い訳はなかなか通用しないので注意しなくてはなりません。準法律行為は法律行為の規定を類推適用されちゃうことがあります。
ブツ
法律の世界では「物」のことを刑事ドラマ風にブツと言います。今日はそんなブツについて書きたいと思うのですが、「物」とはすなわち有体物のことです(民法85条)。有体物とは、気体液体固体などと簡単に考えてくれれば良いと思いますが、物には不動産、動産があって、不動産とはご存知の通り「土地」であり、正確には草とか木とかいった「定着物」も不動産とされます。ここで注意しておきたいのは、定着物はあくまで草木や石ころといったようなもののことを指し、それとは違って建物は土地とは独立した不動産であるとみなされるということであり、西洋諸国では建物の価値≒土地の値段となりますが、これは向こうでは建物=定着物であるという考え方をしていると言えますね。石の家でできてて地震も少ない地方にあって壊れにくかった西洋家屋に比べて、日本の家屋は木造でさらに台風やら地震やらでバッコンバッコン壊れては直ししていた歴史がありますから、そこら辺は文化的な違いといっても良いかもしれません。建物が地面に「定着する」という感覚がない、まさに無常観といってもいいでしょう。
次は動産ですが、民法86条2項では「動産とは不動産以外の全てのものである」とされており、今私の手元にある動産をランダムに挙げるとすれば、例えば扇風機とか携帯電話とかゴミ箱とかいったもの、これらは全て動産となります。それと注意しなくてはならないのは、無記名債権と呼ばれる債権も動産として扱われることです。無記名債権とは、その名の通り「債権者が指定されていない債権」で、例えば天満屋の商品券なんかを想像するといいでしょう。無記名債権が商品券であるからには、それじゃあ普通のお金はどうなるのとなるでしょうが、実はお金は動産のなかでも特別の扱いがされており、占有則所有の原則というものが適用されます。占有則所有とは何かといいますと、物権的な返還請求権の対象とはならない、つまりお金には「個性」というものがなくって、例えば私が友達の山形くんに借りていた千円を返したからといって、山形くんに「それは俺が貸した千円じゃねえ!」と怒られる筋合いはないということです。「いや、右下にキズがあった」なんて無茶を言われると、お金の貸し借りなんてできたものじゃありません、つまりお金には「完全な代替性がある」ということですね。
もう少しだけ動産について語りたいかと思いますが、物には「主物・従物」という概念があって、分かり易く言えばペン(主物)とキャップ(従物)、刀(主物)と鞘(従物)の関係であり、これは例えば私がペンのキャップを落として、隣の席のリョウコさんに「ペンをとってくれませんか?」と仮に言ったとしたら、おそらくリョウコさんは「これ?」といってキャップを手渡してくれ、決して「はい、ペン」とは言わないであろうことを想像してくれれば良いです。つまりキャップとはあくまで主物であるペン本体を経済的に補う従物にすぎないのであって、これは刀で考えても、鞘のことをさして「これは素晴らしい刀だ」などと言わないのと同じです。
物の説明もいよいよ佳境に入ってまいりましたが、最後は元物と果実についてお話したいと思います。簡単なのでズバリ言って終わりにしますが、元物とはすなわち「リンゴの木」、果実とはすなわち「リンゴ」のことです。言い換えれば元物とは「果実を生じるもの」であり、果実とは「物から生じる経済的利益」のことです。ここで果実の定義「物から生じる経済的利益」というのに注目して欲しいのですが、この定義に当てはめれば鶏卵や牛乳なんかも果実なってしまいます。これらは「くだもの」ではないのでは?いえ、これらはあくまで「かじつ」であるため、OKなのです。実は果実には天然果実と法定果実の二つの分類があって、天然果実は「経済的用途にしたがって有機的あるいは無機的に産出されるもの(88条1項)」であり、法定果実とは「物の使用の対価として受ける金銭その他のもの(同2項)」、よって鶏の卵は前者の天然果実に分類されます。リンゴなんかもそれ。反対に法定果実というのは、ナナナナントびっくりしたことに家賃やら銀行の利息やらのことを指します。確かに、大家さんにとって下宿生は「金のなる木」みたいなもんで、月ごとに数万円もうかるんだから果実扱いされるのも納得だわなって感じです。法律って、そういうところがクール杉なんだよね・°・(ノД`)・°・
お知らせです
法人の種類
そういえば最初に断っておくのを忘れていましたが、「憲法」とは違って今のところ「民法」に関する詳しい論点について書くつもりは毛頭ないっていうか、ただひたすら入門的な知識を網羅して行きたいと思っております。それはなぜかというと、私が思うに民法の内容は憲法よりはるかに難しいと思うからでありまして、まずおおまかな全体像を掴んでから、晴れてマジ顔になって論点を追ってゆくのが美容と健康にいいという私の考えをゴリ押しする形になってしまうとは思いますが、悪しからずお願い申し上げます(;´Д`)ノ
ということで、憲法でも少し扱いましたが、今度は民法における「法人」に焦点をあてて行きたいと思います。まず法人って何人?インド人?っていうヒトのためにその定義を提示しておきたいと思いますが、簡単に言うと「自然人以外のもので、法律上、権利義務の主体たりうるもの」でありマス。要するに「ソニー(営利法人)」とか「追手門大学(大学法人)」とか「アーレフ(宗教法人)」とか「JASRAC(社団法人)」などといったものであると言えば感覚的に理解できるだろうと思うのだ。その趣旨は目的達成(「金を集めたい」とか「ヒトのために役にたちたい」とか)の為の便宜であり、そもそもなんで団体として皆で集まる必要があるのか(臆病なヤツほどよく群れるのでは?)といいますと、世の中には団体そのものに帰属する利益というものがあるからでありマス。例えば「人類を火星に移住させてえ!」と思ったヒトが岡山県の御津郡という田舎にいたとして、そのヒトがいくら独りで頑張ったところで「人類を火星に移住」はおろか親から「ニートでてけ!」といわれる辛い毎日を過ごさなくてはならない状況に陥ってしまう可能性が大アリなわけで、そんな壮大な夢を持つヒトには「会社(法人)を作って目的達成」させてやるのが適当であるように思えます。
まず法人の種類には何があるの?ってことですが、大きく分けて「社団法人」と「財団法人」の二つにわけることができます。そして社団法人にはさらに公益法人と営利法人の二つにわけることができ、前者は営利を目的とせず、後者は営利団体、すなわち商法上の会社のこと(コカコーラ社とか)を指します。公益法人としては、例えば赤十字みたいな慈善団体や、育英団体などがそれにあたるでしょう。基本的に社団法人は出資者と会社とのつながりが深くいうなれば出資者の集まりであるのに対して、財団法人のほうでは「財産に法人格が与え」られており、公益法人しか含まれず、営利法人は含まれません。ナントカ財団とよく耳にするかもしれませんが、これはもともとの出資者がすでに死んで、その意思だけが法人として生きているというパターンが多くて、そのことからも出資者と法人との関係が薄いというのもうなずけると思います。もともとなぜ財団法人が「財産に法人格を与え」ているかというと、もし管理者に法人格を認めてしまうと管理者が財産を食いつぶしてしまう恐れがあるからで、特にワンマン社長みたいなのは、すぐに自分の会社の金を自分の金のようにして使ってしまいそうなイメージありますから、そんなんで慈善事業なんてもってのほかだということなのだろうな。
ここにきて初めて民法43条「法人は…定められた目的の範囲内において権利を有し義務を負う」の意味が理解できると思います。まず法人はその設立の目的に反することはできない、だからよくワイドショーなんかで社団法人に天下った連中が、施設にプール作ったりサウナ作ったり、なぜか営業のためにベンツを経費に入れたりなんかする行為は「それなんのためなの?もしかして私腹肥やしてる?」って国民にツッコまれるんだな。そんでもってそれがバレちゃった場合、民法44条「法人の目的の範囲を超えることによって相手に与えた被害に対する損害賠償責任」によってエラいヒトたちにバツを与えられるってわけ、いちおうタテマエとしてはさ。また法人は会社のエラいヒトが不法行為をした尻拭いをさせられる嫌な役割をもっていて、そのことは民法44条1項に書いてあります。また法人はヒトであるとは言っても、喫茶店で偶然「やあ」とかいって会えるものではありませんので、理事=法人という方便でもって、会社が不祥事を起こした=理事がクビという図式ができるのです。ただし、理事が飲酒運転でイイ気分になって人をバーッとはねちゃったからといって、それが形式的外形的に「職務」を行っている最中の行為でなければ会社は関係ないよという外形標準説というものがあることはアタマに入れておく必要があります。また民法54条は「理事の代表権に加えた制限は善意の第三者に対抗することができない」とありますが、これは例えば何の権限もない理事が「全てを任されている僕と取引をしましょう」などと大ウソをついてある会社と取引をしようとしたもんだから、取引先の会社側としても他にあったいろいろなオイシイ話を蹴っていたというのに、土壇場になって「実は私にはそんな権限はないのです」と言ってネタばらしをされちゃった場合、取引先の会社は大損害を被ることになりますが、こうした場合、いくらもともと「理事の代表権に制限があった」からといって、相手(第三者)が「オレはこいつを信頼したのに!」と怒り爆発状態になって泣き寝入りするのは不合理じゃないかということで、第三者の相手方は理事の会社に損害賠償請求ができるというわけです。
あっ、ちなみに言い忘れていましたが、理事とは社団法人、財団法人の長のことでありマス。理事は複数人いてもOKですから、場合によっては理事長みたいな役職がある場合もあります。これが営利法人なんかの場合であれば、取締役などといわれるようになります(*^ー^)ノ
催告権の反撃
この前のエントリーでは「制限行為能力者」について勉強しましたが、こんどは制限行為能力者と契約を交わす相手側のことについて言及してみたいと思います。例えば私が嫁さんといっしょに住む夢の城が欲しいなあと思って、消費者金融で金を借りてその金を資金に被補助人のヒトと土地の売買契約を行ったとして、話がイイトコまで進んでいたのに、土壇場になって補助人のヒトがでてきて「このヒトは制限行為能力者だから、ちょっと判断力がアレなんですよね~」とか言いだしてきて、その勢いで契約が無効にされちゃったり(被補助人は取消権を持っています)なんかすると、「おい、ちょっと待てやコラ」ってことになりますよね(それ以来、嫁さんは夜が冷たくなりましたとさ)。だから民法ではそういう事態を防ぐために、制限行為能力者と取引を行う相手方を保護しようってことで、民法20条では相手方の催告権というものを認めています。催告とはつまり、「取り消すのか追認するのか、ハッキリしろよ」と確答を促すことで、もし相手が「…」とガンコに返事をしてこなかった場合は、相手が能力者や法定代理人であれば自動的に追認の返事がきたものとみなし、逆に相手が被保佐人や被補助人だった場合は取消の返事がきたものとみなします。なんでそんなヤヤコシイ場合分けがあるのかというと、普通ベッドの上で「あーあー」ってうわ言いってるアルツハイマーのバアちゃんに対して「それじゃあお婆ちゃん、松山にある土地を売ってくれるんですね?」と話を持ちかけて、それでもってすかさず「どうなんですか」と催告して「あーあー」と返事があったからといって追認したってことになったら、世の中が「あーあー詐欺」だらけになってしまって、すごく世知辛い世の中になっちゃうからなのだ。
また補足的事項として、追認には法的追認というものがありまして、これは「オレは追認してねえ!」とか「てめえフザけやがって!」なんていう無用の争いを防ぐために、ある特定の動作をしたときは、あんたは追認したようなもんだよってことを意味します(ちなみに125条に規定してあります)。例えばそのなかに「履行の請求」というものがありますが、もし私が被補助人であったとして、ゲーム屋に「ファイナルファンタジーを売りたい」と言ったとしましょう。でも私は被補助人であるために取消権を持っているわけで、ゲーム屋的にも「こいつ昨日買いに来たばっかじゃん」と怪しんで、レジでしばらく気まずい沈黙の時間が訪れました。そんな時、私が「いいから4000円の代金払ってくれよ」と言えば、これは「履行の請求」になって、追認するぜとは言ってないものの追認したのと同じ効果が発生すると同時に、民法122条は「取り消すことのできる行為の追認は、以後取り消すことができない」と定めているため、はれて店員さんは「しめしめ、これでコイツは取消できないぞ」とばかりに私の手に4000円を握らせてくれるというわけです。あともうひとつ言い忘れてましたが、もし私が未成年(制限行為能力者)であることを隠して風俗にいってハァハァするとどうなるかということです。まず「自分が制限行為能力者」であることを完璧に黙秘(つまり「…」のこと)している場合、それは詐術にあたりません。ただし黙っていることにプラスαが加わるとダメで、例えば煙草を吸うとか「割りチケあるんだけど…」「たわし洗いできるの?」などと風俗用語を用いて大人っぽさを演出する行為があるとNGでありまして、だから未成年なキミはクールに「ふっ…」と言って黙ってやりすごす(内心ヒヤ汗かきながら!)しかないのだな。
制限行為能力者のタマちゃん
「はぁ?オマエ身障じゃねえん?」
などと言ってヒトの悪口を言うヒト(ヤンキー系?)がいますが、私はバカと身障の意味合いを混同するオマエこそバカだと言いたいと常日頃から思いつつ、言ったら何されるか分かんないので見てみぬフリをしています。民法では意思能力と行為能力という2つの能力を規定していて、前者は「有効な意思を持ちうる能力を有しているか」が問われ、後者では「財産の管理運用能力があるか」が問われます。そうした厳密な民法の考え方からして、つまり身障のヒトは「やりたくても先天的に出来ない」わけであって、バカは「できて当然なのにできない」ってことなんだな。だからあまり、身障のヒトのことをもちだしてヒトをけなす材料にするもんじゃないよって、ことなんだな(野に咲く~花のよ~に~)。あと権利と意思能力の他に言うまでもないのが権利能力でして、例えば私はエモという名の雑種のクソ犬を飼っているのですが、やつがあまりにもキャワイイということで「よし、エモのほねっこ用銀行口座を作ってやろう」なんて考えたとしても、エモには権利能力がないので無理です。そういや飼い猫に遺言で何億もの財産を相続させようとしたキ○ガイばあさんが外国にいたみたいだけど、代理人にでも権利委託しない限りそれは無理な話というものです。もしそんな億万長者なネコがいたら、私はマジで「あんたと結婚したい!」って猛アプローチするんだろうけど、でもきっと振られるんだろうな(あくまでネコの代理人にな!)。まあたかがネコだもの、エサを与えてくれるやつなら誰にだって懐く生き物なんて人間の女にくらべたらカスみたいなもんだぜ(…という口説き文句を考えているのですが、実際に放言したらバカにされそうなのでこんな場所でしか使えません)。
さてさて、まずは行為能力者についての理解を海のように深くしていきたいと思いますが、普通のヒトをまず「行為能力者」とすれば、反対に「制限行為能力者」がいるんじゃないかというのは容易に想像がつきますし、実際にそういうヒトたちを保護するのが重要な民法の役割であったりします。じゃあ制限行為能力者にはどのような種類があるのって話ですが、①未成年者、②成年被後見人、③被保佐人、④被補助者の4つがありまして、まず①の未成年者は言わずもがなの「満20歳に達していないもの」でありマス。最近「18禁の壁」をどんどんスルー(ENTER)できる権限を得たばかりの俺はまだまだ未成年ってわけですが、実はこれあまり知られてなかったりするのだけれど、民法753条は「未成年は既婚者を除く」としていて、つまり「結婚した瞬間にオメーは成熟する」っていうが如きワケワカンナクナクナクナイ?な論理なのだ。まあ確かに「ヒトは家庭をもったら変わる(良くも悪くも…)」とはよくいいますが、成年になったのに選挙権もらえねーっておかしくないか?っていう穿ったみかたもできるんだがこれどうよ?未成年の保護者は親権者であるお母さんやお父さん、場合によってはオジイチャンだったり、もしくは未成年後見人であり、そういう未成年の保護者さんたちはまず同意権(民法5条)を持ってます。例えば「わんぱくこぞう」なんかでゲームをバーッと売りたいなーなんて思ってウキウキしながら店にいったはいいものの、「親の同意をもらってきてください」などというくだらない理由でわざわざ家に帰らなくちゃならなかった苦い経験を持つヒトはそれなりにいるはずです。その他に保護者さん達は民法824条、859条にあるように代理権、そして120条1項、122条にあるように追認・取消権というものをもっていて、代理権てのはわかりやすくいうと「マー君のお年玉はママが預かっといたげる」ということで、つまり親が子供の財産を管理しちゃったり(代理で)することなのだ。追認・取消権というのは、例えばトイザラスなんかで子供が「買って買ってええ!イイイイアアアアアアアアアアーー」と地べたにスッ転んで泣き出したとして、そんな子供のもとへ店員さんがあくまで質問形式で「ボクこれ欲しいの?」と優しい笑顔で尋ねたとしましょう。そんな時の「ヤベエ」て顔した保護者さんの反応が追認or取消というわけです。「いいわよ、買ってあげる」or「一生そこで寝転がってなさい」のどちらか、まさにマー君にとっては一世一代の大勝負ですね。(ちなみに追認とは過去に遡って事実を認めることや、不安定な法律行為を後に確定的なものとすることです)また、そんな未成年者の権利制限にも例外があって、第5条の但し書き「単に権利を得、または義務を免れる行為」、第5条3項「法定代理人が処分を許した財産の処分(要するに小遣いとか)」、6条1項「営業を許された未成年者が営業に関して成した法律行為」に関しては、未成年者の権利能力は制限されないということはアタマに入れておく必要があります。
予想以上に説明が長くなってしまったことに「うへー」とため息をつきたくなるくらい嫌になりつつありますが、挫けず成年被後見人について書いてみます。まず成年被後見人の定義は「恒常的に意思能力を欠く状態」、専門的に言えば事理弁済能力を欠く常況にあるものでして、その保護者は想像つくと思いますが「成年後見人」でありマス。その権限は先にもあった代理権、そして追認・取消権の2つであり、ここには同意権は含まれません。事理弁識能力(=人と契約をかわしたりなんかする理解の力)を欠くっていうくらいだから誰かが世話してあげないと相当ヤバいってことで、成年被後見人の権利が制限されない例外は日常生活に関する行為(9条但し書き)だけであり、つまりタマゴやキュウリをスーパーで買ったりする行為に限られるということなのでありマス。
次は被保佐人。定義は「判断能力(事理弁識能力)が著しく不十分な者」ということで、「恒常的に意思能力を欠く状態」を規定した成年被後見人よりは少しマトモといったらあれなんですけど、よりしっかりした判断能力があるということになってます。保護者は「保佐人」であり、その権限は未成年後見人(親権者)と同じ同意権と、例の代理権、追認・取消権でありまして、なかには被保佐人と未成年って同レベルで扱われるのって驚かれる人もいるかもしれませんが、実は代理権、同意権に関しては「民法13条に規定されている借金する権利とか訴訟する権利(13号1項所定)とかいった特別な行為プラス、保佐人の請求によってその他の法律行為ができるかどうか家庭裁判所によって審判させた事項」に関してのみ保佐人としての権限が与えられる(すみませんわかりづらくて…ヤヤコシイところなんです!)のです。基本的に被保佐人は「法律行為ができる」のが原則ですから、いろいろと本人の意思を尊重しなくちゃならないわけですけれども、それでも不動産やその他の重要な財産に関する権利の得喪に関しては、やっぱり世の中に悪い人なんかが「このバカだましてやろう」って思うことがあるかもしれませんので、保佐人のギロリと光る第二の目が必要なんじゃないかということです。
ふうふう、最後は被補助人ですが、これは「判断能力が不十分なもの」とされており、みんなの中学時代の友達にも何人かいたようなレベル(うそ)です。保護者は補助人であり、その権限は同意権および追認・取消権で、基本的に代理権はありません。ただし同意権は13条1項各号所定の事項のうちで家裁の審判があった事項にのみ(17条1項)認められ、また例外として代理権は家裁の審判によって補助必要と認められた場合にのみ与えられますので、このあたりは保佐人との区別が非常にややこしいですね。
そういえばウチの近所にタマちゃんって呼ばれてる成年被後見人っぽい(というかそれ)40前半くらいの女性がいて、たまに私のうちにあがってきては(幼馴染の私の母が目的なのでしょう)勝手に冷蔵庫をあけて何かを食ったりして母親を待っているなんてことがよくあり、地元ではちょっとした有名人で、私は子供ながらに「しょうがねえなーこのヒト」と思っていたのですが、実はこのタマちゃん、若い頃におなかに赤ちゃんができたことがあるらしいんですよ。当然孕ませたのは誰だってことで家族は騒然となったわけでありますが、綿密な調査の結果、近所の小汚いオサーンであることが発覚しました。その先は大人の事情よんと言わんばかりに、その先のことを私は教えられていなかったのですが、結局オサーンとタマちゃんの子供は堕ろされたんだってことをなんとかかんとかして聞き出しまして、子供ながらに「そのオサーン、制限能力者より無責任だな」と思いました(制限能力者が無責任だと揶揄する意図はありません)。タマちゃん的にはオサーンに自分が何をされてるか分かんないわけで、そんな無力なタマちゃんにオサーンは…オサーンは…・°・(ノД`)・°・そう考えると私はやりきれない思いで胸がいっぱいになるのでありマス。ちなみにそのオサーンは近所でも評判のエロジジイで、ヒトんちの風呂を覗くタシーロ的な行動で地元の婦女子を恐慌に陥れていたほどの手ダレであり、そうした「盗み○○」的な発想からも伺えるように、正当な手段で女性に近づくことができなかったのかと思われますが、だからって山瀬まみを100倍不細工にしたようなタマちゃんに手を出すなんてことはないだろうにとある種の憐憫を感じてしまうのは、本当に道徳的な男なんていないということを表しているようでなんだか申し訳ないです。
最後まとめ。未成年後見人の権限は同意権、追認・取消権、代理権であり、成年後見人の権限は代理権、追認・取消権、保佐人の権限は同意権、代理権、追認・取消権であり、その範囲は13条1項の所定とそれ以外に申請したモノに限る。補助人の権限は同意権と追認・取消権、代理権であり、その範囲は13条1項のうち家裁で「補助人が必要だ」と審判があったもののみである。だいたい民法120条代に制限行為能力者についての規定がされていて、代理権に関わる事項については民法800条代に記載があることを覚えておけばよいと思います。
私的自治の原則
いつまでも憲法だけやって暮らしたいと思っていたのですが、心の中のもうひとりの自分から「民法をやれ」と口酸っぱく言われるようになったので、民法の超初歩的な前提を勉強してみたいと思います。いままで憲法では自由権などをやってまいりましたが、その自由権を実質的に保障するのが民法の指導原理である「私的自治の原則」でありマス。例えば朝起きるのは10時過ぎで、パジャマのままコーヒーを飲み、そのあとに顔を洗い朝飯を食いパソコンをして一日を過ごすのだと私が欲したならば、それは「私のことは私で決めるんだ」ということで自分で自分の身の振り方を決定できるというか、誰にも邪魔はされないってことで私的自治の原則にかなっております。そこから派生した考えには「所有権絶対の原則」というものがあり、これは憲法25条の財産権を保障した考え方なのですが、「これは俺のネコなんだから朝と晩にしか餌をやらない(ネコは法律では物でありマス)」といった按配に、自分の「モノ」には何をしてもいい、所有物に対して所有者は王様なのよという考え方で、この例に限って考えれば動物愛語法に抵触しない限り、マジでネコには何をしてもいい(セクハラしてもいい!肉球押してもイイっ!)っていう考えです。他にも私的自治の原則に基づく考えはたくさんあって、契約自由などというのも民法の特色であります。例えばある会社の社長が、朝は「アラベスク!」って挨拶しないと謹慎処分を食らってしまうという決まりごとを作ったとして、そういう決まりごとに対して社員が「いいっすよ」と承諾するのも自由契約だし、「もし守ったら社員旅行に連れて行ってやろう」と社長が言うのだってバカバカしいけど立派な自由契約なのだ。わかりやすく言えば自分らの身内のなかで法律っぽいのをつくるのが「私的自治の原則」であり、そのなかで個人と個人が好き好きに契約を交わすのが契約自由ってわけで、これらは公序良俗原則(民法90条)に反しない限りOK、ただし社員に「飲尿健康法(朝イチバンの!)」を義務付けたりするなんてのはちょっとヤバそうだってことで。あと公序良俗原則のほかには民法1条1項の「私権は公共の福祉に適合しなければならない」という制約が「私的自治の原則」にはあって、例えば借地借家法や労働基準法なんかはモロに自由な契約を制限しまくってるわけだけれども、考えてみれば契約が自由すぎたらヤミ金の「トイチ」の論理なんかが公然とまかり通ってしまうってことで、誰もが等しく合理的判断力をもっているわけではないことや貧富の格差を考慮に入れて立法されたこうした法律は、実はすっごい大切だったりするのだ。
さてさて、入門編だからこれを見てくれるひとは「ウゼーーーーーーーーー」とか思ってるかもしれませんが、俺も我慢して頑張っているので皆さんにも我慢をしてもらうってことでどんどん進んでゆくとして、実は民法には俺の大好きな日本的な規定が1条2項にドーンとあって、条文をそのままあげると「権利の行使および義務の履行は信義に従い誠実に行わなければならない」という、通称「信義則」と呼ばれるものなのだ。アメリカの裁判では「自販で紙コップのコーヒーを買ったら、手にこぼしてしまって火傷しちゃったので賠償しろ」っていう類の、マジでお前ら「人間は理性的動物である」っていう思想が生まれた土地にルーツを持ってるの?って言いたくなるようなおバカ訴訟がバンバンでてるのは有名であると思いますが、日本ではそんなクソ訴訟は絶対に起こりません。なぜなら日本の信義則を使えば、そういう自分でコーヒーこぼしたババアに対しては「そんなんアンタが悪いでしょ」のヒトコトで済ませられるからで、例えばラーメン屋で「お待ちどう様でーす」とか言って運ばれてきたラーメンに運んできた男の指が浸かってたりなんかすると、その指はもしかするとその男が数分前に便所でチンコ握った手かもしれないぜ!と誰もが怒り狂うのはあたり前田のクラッカーということで当然お客さんは「取り替えろ」って言うんだろうケド、そこで男が「ウチの店はラーメンを提供するのが契約の内容なんだぜ!」と憎たらしい不細工ヅラして言ってきたらどうでしょうか。不細工じゃなくっても腹立ちますよね?「そういえば…そうかも」となったらまんまとカモられちゃった証拠で、正しくは「貴様の発言は信義則に反しているぜ!」でありマス。難しくというか、法学部っぽくカッチョイイいいかたをすればこれは「付随義務違反」、つまり契約内容になくてもこんなの当たり前じゃんっていういわば「常識違反」っていうわけなのだ。
同じような話として民法1条3項では「権利の濫用はこれを許さない」という条文があり、例えば日本の海岸べりにはよく使いもしないようなクソボロい「海の家」的な小屋が乱立していると思いますが、あれなんかは「夏場にお客さんにご利用してもらいたいんす」みたいな殊勝な心がけから建てられているとはかならずしも限らなくて、「この辺にリゾートホテルが建設されるかも」とあてこんだヤクザ屋さん的発想をもったクズどもが、立退き料を当て込んでやった確信犯的行為であったりするわけですが、この条文はそういったことを許しません。電車の路線開通の場合も同じで、明らかに路線の開通予定地を先回りして買ってたりなんかすると、「オマエわざとやってるだろ」ということで、場合によっては損害賠償責任が発生しちゃうというわけですが、だからといってダム建設予定地に住んでるガンコな田舎のヒトたちのことを「この金の亡者め!」とののしったりなんかしてはいけません、というのはそこに住んでるジジババどもはあくまでその土地に昔から住んでいる「郷土愛者」なわけであって、たとえそこに「しめしめ、もうちょっと値段をつりあげてやろう」と思っていたとしても、権利の濫用とまでは言わないからです。ウーンこのへんの判断は非常に難しいですねー。またこの1条3項は「自助救済」も禁止してまして、例えば私が友達の山崎にバイオハザードを貸していたとして、約束の期限が過ぎたので山崎に「返せ」と言って「いやだプー」と拒否された場合、私が怒り来るって「うおおおおおおおおおおお」などと叫びながらバットもって山崎の家に乗り込んで私的にバイオ奪還作戦を決行して山崎を泣かすのはイケナイコトなのだ。同じように駅前でチャリを盗まれて「クソッ」と思っていた時、どっかの家に盗まれたチャリっぽいものがとめてあったとしても、「あったあった♪」とか言って勝手に乗ってかえっちゃだめです、それは窃盗です。あくまで権利の内容の実現は裁判所が行うわけで、なぜなら自力救済にもし間違いがあれば取り返しがつかないし、社会の秩序を維持するために自力救済は障害となる可能性が高いからです。でも世の中には「確実にコイツだろ」ってわかるような場合でも、適切な証拠やら何やらがなくて相手が無罪になるような殺人事件とか、それに類する事例があるのも事実なわけで、そんな時にたまらなく自力救済をしたくなるのは人間として自然な感情であるのも事実なのだな。