校歌の広場

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

第45回大会の優勝校は明星高校でした。

今回は、大阪の明星高校です。

https://www.meisei.ed.jp/

 

大阪代表校としては最古参に当たり、大正6年に初出場以来春夏通算12回出場して優勝1回

かつての”大阪私学7強”の一角も最後の出場は昭和47年夏、実に50年以上も遠ざかっている古豪ですが復活はあるのでしょうか…

 

明星は「みょうじょう」ではなく「めいせい」と訓みます。カトリック男子修道会が創設したマリア会系列の男子中高一貫校で、東京の暁星、長崎の海星、北海道の光星は姉妹校に属します。七つボタンの制服も共通ですね。

学校は天王寺区の北端近くに所在し、最寄り駅は玉造駅です。真北の至近距離(1kmほど)に大阪城がありますが、高低差が激しく天守が見えるかどうかは不明です。

明治31年に明星学校として開学、5年後に現在地に定まり明星商業学校に改称しました。学制改革で明星中学、明星高校となり現在に至ります。分類としては併設型中高一貫校になるのでしょうか。

現在の校歌は、作詞:久松浅右ヱ門 作曲:林雄一郎で昭和23年制定です。

明星高校 (全3番)

  生駒の嶺の 空高く
 仰げ 明星 理想の光
 智徳のほまれ きそい
 ただひたすらの 道をゆく
 明星 明星 われらが母校
 

 

ここでの明星は、空の星と聖母マリアの象徴を兼ねたものと捉えられます。

2番の「ソロモンの智恵」とは旧約聖書の続編や知恵文学に分類される”知恵の書”に出てくる、ソロモン王についての伝記の中の言葉。検索するかぎりでは、イスラエル王になったばかりの若きソロモンが民衆を正しく裁くための知恵と判断力を神に求めた、という意味が多いようです。

そのように明星学園生も善悪を正しく判断できる知恵を追求していこう、という感じでしょうか。

 

旧制時代の校歌は作者、作成年とも不明です。

旧制・明星商 (全5番)

 烟にぎはふ 大阪の
 町を眼下に 見下して
 真田の山に いかめしく
 築きたてたる 明星校

 

現在の明星中学・高校の校地の一角は、推定ながら真田丸跡とされる遺構があります。この辺りは戦国時代に豊臣秀吉が築城した大坂城の南側の出城として真田幸村が構築した真田丸(曲輪)があった場所ということです。

町名の真田山町真田山公園、校歌にも「真田の山」とありますが、付近の標高は約10mとちょっとした高台くらいの感じです。それでも「町を見下ろす」くらいの景観があるのでしょう。

後に1番が改訂されたようです。

 

進学実績としては約1割が国公立大学、残りが私立大学や大学校に進学しています。

第43回の優勝校は浪商高校、第44回大会の優勝は作新学院高校でした。

今回は、栃木県の作新学院高校です。

https://www.sakushin.ac.jp/


昭和33年夏の初出場以来、春夏通算で28回の出場を誇る栃木県有数の強豪校です。

3回の優勝、とりわけ昭和37年に史上初の春夏連覇を達成したことで知られる他、怪物・江川投手を擁して名勝負がありました。20年ほどのブランクを経て復活後は夏の10年連続出場と平成28年に54年ぶりに優勝したことは記憶に新しいですね。


県都・宇都宮市の西郊に所在し、昨年(2025年)に創立140周年を迎えた栃木県の伝統校です。

母体の学校法人作新学院は幼稚園から短大・大学まで運営する総合学園となっています。また日本有数のマンモス校でもあり、生徒数が1万人を超した時代もあるそうです。

明治18年に下野英学校として創立し、3年後に下野国の北東にあった黒羽藩の藩校の名を受け継いで私立作新館に改称、明治32年に下野中学校に再改称しています。

下野中の最初の”校歌”は、大正11年に創立者の船田兵吉が自ら作った漢詩のものだそうです。

下野中 漢詩校歌

 晃山北聳高摩天 満堂健児沖天気

 練体鍛心柔与剣 土肥到処満稲田……


この後、下野中は不祥事や県からの補助金交付停止の憂き目にあい一時は廃校の危機に陥ったということですが、校長の息子で当時政治家になったばかりの船田中の奔走によって立ち直りました。


また、昭和初期頃に日本語の校歌が作られていますが作者は不明です。旧制の校歌に関しては、あまり詳しいことは判っていません。

下野中 (全1番?)

 あやに畏き大君の 恵の露のしげければ

 いづこのはても教草 茂れる中に国の名を

 我名に負へる下野の 学の園の友はみな

 ニ荒山にそめ出す 紅葉の赤き誠もて

 鬼怒の流を行く水の 清き心をみがきあげ

 報いまつらん君の恩 報いまつらん国の恩


この他に「二里山健児の歌」という歌もあったようですが、どういう位置づけのものかは不明です。


昭和16年には作新館高等女学校も併設開校しています。

作新館高女の校歌は作詞:吉屋信子 作曲:杉山長谷雄で開校同年の昭和16年制定です。

旧制・作新館高女 (全3番)

 我が日の本に 生ひたちて

 次の時代を 継ぐ者の

 教へを学ぶ 乙女子われら

 清く雄々しく 伸びゆかん


学制改革で下野中と作新館高女を統合し、高等部、中等部で構成される作新学院となりました。平成15年に高等部を高等学校に改称、作新学院高校となって現在に到ります。

校歌は学院歌でもあり、作詞:石浜恒夫 作曲:外山雄三で昭和27年制定です。

作新学院 (全3番)

 光り満ちたり 涯しなき

 知恵の流れに いそしみて

 はぐくむつばさ ひたすらに

 若きこころの あこがれや

 作新の風 吹きおこる

 われらが愛の 学院に


作詞者の石浜氏は尽誠学園布施高校なども作っていますが、初めて手がけた校歌がこの作新学院です。当時の学院長、船田小常女史から自然環境を入れるよりはもっと都会的で抽象的なものをという要望があったようです。

当時はワルツ調、つまり3拍子の校歌は珍しいとされ、これは作曲者が男女共学にあたって校歌で社交ダンスも踊れるようなものでなくては、という考えからだったそうです。実際そうしたことが行われたのかどうかはわかりませんが…

学校史にも「…連続優勝のあと、作新学院校歌を愛でる全国同好の士から楽譜の送付依頼がたくさん寄せられたのである…」とあり、後年の池田高校やPL学園のような「愛される校歌」の先駆けでしょうか。


野球部のみならず他の運動部も強く、体操部やバドミントン部、空手部なども全国優勝経験があるようです。


2026年、明けましておめでとうございます。

さて、このブログも間もなく開設から8年目を迎えようとしています。

とりあえず目指せ10年!という目標は持っていたいですね。


昨年末にも触れた私事ですが、この度、生まれてから長年(大学時代はは関西ですが)生活してきた愛知県を離れ、関東地方に転職移住しました。

今後は手付かずだった東日本も本格的に調査していくつもりです。まあ、その前に新生活を安定させることが最優先ですね……

愛知県三河地方にあやかったネーム「参州人」は変えません。今後も参州人でよろしくお願いします。


昨年は転職活動と平行して校歌活動はブログを中心とする控えめなものでしたが、今年は再び遠征も視野に入れていきたいと思っております。

またこれまで作ってきた“校歌集“も岐阜、福井に次いで長崎、香川、沖縄、滋賀を暫定完成させました。今年はどこをやろうか、今からワクワクしています(笑)


最近、私事があり更新できず1ヶ月ぶりになりました。

第42回大会(昭和35年)の優勝校は法政二高校でした。今回は、神奈川県の法政大学第二中学・高校です。

https://www.hosei2.ed.jp/

 

昭和35年夏に優勝、その半年後の36年春も優勝し史上3校目の夏春連覇を果たした名門校です。夏春夏三連覇を目指した36年夏もベスト4に進出しましたが、浪商に敗れています。11回の出場で昭和32年夏の準優勝も含め19勝を挙げていますが、昭和63年夏が現状最後となっています。今秋(2025年)は県大会準優勝と躍進、33年ぶりに関東大会に進出しましたが残念でした。

 

川崎市中原区に所在し、約1.5km東に東京都と県境をなす多摩川が流れています。最寄り駅は南武線、東急目黒線・武蔵小杉駅または元住吉駅でしょうか。

 

昭和14年当時、法政大学の予科が川崎市に移転していましたが、川崎市に中等学校が不足していたため同じ敷地に附属中学として設立されました。

大学予科とは旧制大学に進学する前段階にあたる高等教育機関で、基本的に旧制高校と同等の教育が行われたそうです。学制改革後は新制大学の教養学部などに統合昇格して解消しました。

法政二中時代は独自の校歌があり、作詞:井本健作 作曲:松谷厳で開校間もなく作られたと思われます。

旧制・法政二中 (全4番)

 遙かにあふぐは 霊峰富士の

 雲さへはばかる その厳かさ

 こなたに望むは 清流多摩の

 瑠璃を溶かせる その美しさ

 いざいざ讃えん 自然の恵み

 

1番は川崎市の自然を歌ったものですね。ただし私の資料では4番のうち、2,3番が略されていて詳細不明です。

また、法政一高の前身・法政中についても不明です。昭和11年創立なので、下記の大学校歌を歌っていた可能性はありますが…

 

その後、昭和20年の空襲で被災して二中の校舎はほぼ全焼、しばらくは米軍に接収されたりと満足な教育環境ではありませんでした。ようやく学制改革の頃に校舎が再建、校名も法政大学第二高校となりました。Wikiでは「他の私立校のように新制中学校を併設しなかった」とあり、これは上記のように終戦直後は校舎が無く生徒募集を行わなかったため新制学年でいう”中学生”が在籍せず、高校から再スタートを切る形になりました。

昭和61年に併設型中高一貫校・混合型で附属第二中学校が開校、また創立以来長らく男子校でしたが平成28年度から共学化しました。

現在の校歌は法政大学に準じ、作詞:佐藤春夫 作曲:近衛秀麿です。

法政ニ (全2番)

 若きわれらが 命のかぎり
 ここに捧げて ああ愛する母校
 見はるかす窓の 富士が峯の雪
 蛍集めん 門の外濠
 よき師よき友 つどひ結べり
 法政 おおわが母校
 法政 おおわが母校

 

大学の校歌として制定されたのは昭和5年ですが、法政大学附属校がいつから大学と同じものになったのかは不明です。

法大の校歌制定のいきさつについてはこちら→https://www.hosei.ac.jp/hosei/daigakugaiyo/symbol/koka/?auth=9abbb458a78210eb174f4bdd385bcf54


これで今年の更新を終ります。皆々様、良いお年を。

今夏、久しぶりに沖縄県に行ってまいりました。

沖縄県は妻の実家があるので、夫婦ではかれこれ10回以上行っているのです。

たいていは沖縄市を拠点としていて、国際通り美ら海水族館首里城といった観光の定番も行ったりしましたが、他にも本島最北の辺戸岬ナゴパイナップルパーク東南植物楽園、最大のイオンモール沖縄ライカムなどなども訪問しています。季節によってはエイサー祭りや道ジュネー、那覇の大綱挽などのイベントも見物に行ったりしていました。

 

沖縄県は日本列島南西のに位置し、うちなーんちゅは本土のことを”内地”と言っています。当然ながら”内地”からのアクセスは飛行機か船舶しかありません。

このブログに関しては、昔は琉球といい琉球王朝があったこと、太平洋戦争最大の激戦地となったこと、戦後20年以上は米国の統治下にあり学校も琉球政府が管理していたことなどが重要な事柄となっています。

沖縄県の高校は現在70校ほど。調査して判明した校歌の数は旧制などを含め約100曲となっています。

 

さて、沖縄県最大の図書館は沖縄県立図書館です。

沖縄県で”唯一の軌道線”ゆいレールで旭橋駅下車、久茂地川を渡ると那覇オーパと呼ばれるビルがあります。1階は県内各地へ運行する最大のバスターミナルがあり、3~5階が図書館となっています。

元々はもう少し東の寄宮地区にあったようですが、平成30年に現在地に移転してきたので館内は割合きれいです。

 

沖縄・琉球関連の郷土資料は5階。学校史や学校要覧などほとんどが開架ですが、小中高が混合で五十音順で並べられているため特定の学校を探すのにやや時間がかかるかと思います。

”校歌集”としては『沖縄県全高等学校校歌集』というのがありますが、各高校の公式HPにある学校要覧の校歌部分を編集した体裁なので確認程度で充分でしょうか。他に『戦前の学校 校歌集』『旧制中等学校・高等女学校 校歌集』もあり楽譜付きで載っています。

 

沖縄県立図書館(2回訪問)

アクセスのしやすさ… 那覇空港から直結のゆいレールで旭橋駅下車、徒歩5分ほど。私はもっぱらレンタカーで送迎でしたが(笑)
所蔵本の充実さ… 学校史、学校要覧とも申し分なく充実しているほうかと思います。校歌集もいくつかあります。
所蔵形態など… 学校史は多いし開架扱いなので便利なのですが、それを打ち消すのが著作権に関する厳しさ。歌詞や楽譜は当然として、例えば個人の回想記なども却下でした。この図書館でこうした方法で研究するには時間的な余裕や筆写などの根気がなければ全くお奨めはできない、というのが個人的な感想です。

図書館HPによれば「国会図書館に準じた複写可能範囲」を定めているようですが…運用については少々違うのかもしれません。

この他、沖縄市立図書館をも訪問したことはあります。

 

不明なのはつくば開成国際高校、最近開校したばかりで未制定?の沖縄中央高校くらいかと思います。