第43回の優勝校は浪商高校、第44回大会の優勝は作新学院高校でした。
今回は、栃木県の作新学院高校です。
https://www.sakushin.ac.jp/
昭和33年夏の初出場以来、春夏通算で28回の出場を誇る栃木県有数の強豪校です。
3回の優勝、とりわけ昭和37年に史上初の春夏連覇を達成したことで知られる他、怪物・江川投手を擁して名勝負がありました。20年ほどのブランクを経て復活後は夏の10年連続出場と平成28年に54年ぶりに優勝したことは記憶に新しいですね。
県都・宇都宮市の西郊に所在し、昨年(2025年)に創立140周年を迎えた栃木県の伝統校です。
母体の学校法人作新学院は幼稚園から短大・大学まで運営する総合学園となっています。また日本有数のマンモス校でもあり、生徒数が1万人を超した時代もあるそうです。
明治18年に下野英学校として創立し、3年後に下野国の北東にあった黒羽藩の藩校の名を受け継いで私立作新館に改称、明治32年に下野中学校に再改称しています。
下野中の最初の”校歌”は、大正11年に創立者の船田兵吉が自ら作った漢詩のものだそうです。
下野中 漢詩校歌
晃山北聳高摩天 満堂健児沖天気
練体鍛心柔与剣 土肥到処満稲田……
この後、下野中は不祥事や県からの補助金交付停止の憂き目にあい一時は廃校の危機に陥ったということですが、校長の息子で当時政治家になったばかりの船田中の奔走によって立ち直りました。
また、昭和初期頃に日本語の校歌が作られていますが作者は不明です。旧制の校歌に関しては、あまり詳しいことは判っていません。
下野中 (全1番?)
あやに畏き大君の 恵の露のしげければ
いづこのはても教草 茂れる中に国の名を
我名に負へる下野の 学の園の友はみな
ニ荒山にそめ出す 紅葉の赤き誠もて
鬼怒の流を行く水の 清き心をみがきあげ
報いまつらん君の恩 報いまつらん国の恩
この他に「二里山健児の歌」という歌もあったようですが、どういう位置づけのものかは不明です。
昭和16年には作新館高等女学校も併設開校しています。
作新館高女の校歌は作詞:吉屋信子 作曲:杉山長谷雄で開校同年の昭和16年制定です。
旧制・作新館高女 (全3番)
我が日の本に 生ひたちて
次の時代を 継ぐ者の
教へを学ぶ 乙女子われら
清く雄々しく 伸びゆかん
学制改革で下野中と作新館高女を統合し、高等部、中等部で構成される作新学院となりました。平成15年に高等部を高等学校に改称、作新学院高校となって現在に到ります。
校歌は学院歌でもあり、作詞:石浜恒夫 作曲:外山雄三で昭和27年制定です。
作新学院 (全3番)
光り満ちたり 涯しなき
知恵の流れに いそしみて
はぐくむつばさ ひたすらに
若きこころの あこがれや
作新の風 吹きおこる
われらが愛の 学院に
作詞者の石浜氏は尽誠学園や布施高校なども作っていますが、初めて手がけた校歌がこの作新学院です。当時の学院長、船田小常女史から自然環境を入れるよりはもっと都会的で抽象的なものをという要望があったようです。
当時はワルツ調、つまり3拍子の校歌は珍しいとされ、これは作曲者が男女共学にあたって校歌で社交ダンスも踊れるようなものでなくては、という考えからだったそうです。実際そうしたことが行われたのかどうかはわかりませんが…
学校史にも「…連続優勝のあと、作新学院校歌を愛でる全国同好の士から楽譜の送付依頼がたくさん寄せられたのである…」とあり、後年の池田高校やPL学園のような「愛される校歌」の先駆けでしょうか。
野球部のみならず他の運動部も強く、体操部やバドミントン部、空手部なども全国優勝経験があるようです。