校歌の広場

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今年の選抜高校野球もいよいよ19日に開幕、休養日を挟んで13日間の熱戦が始まります。

今回出場する32校のうち、拙ブログで紹介しているのは以下の5校。

今回は割合少ないですね……

もう少し優勝校紹介が進んだら、東洋大姫路高校横浜高校が間もなくという段階でしたが。


山梨県 山梨学院

愛知県 中京大中京

岐阜県 大垣日大高

熊本県 熊本工

沖縄県 沖縄尚学


最近紹介した四日市高校が21世紀枠で選出とならなかったのは少々残念でした。

沖縄尚学高校の夏春連覇はあるのでしょうか?1982夏〜翌春の池田高校以来無いそうですが、もうあれから半世紀近く経っているんですね……


第46回大会の優勝校は高知高校でした。

今回は、高知県の高知高校です。

https://www.kochigakuen.jp/

 

高知県では通称”学園”とも呼ばれ、明徳義塾高校高知商業高校と並ぶ3強の一角に位置付けられます。

昭和30年の春夏連続出場を皮切りに、ほぼコンスタントに出場していて春夏1回ずつの優勝と準優勝が1回あり、近年では平成25年春にベスト4進出しました。珍しい記録では、平成21年夏の1回戦(対・如水館高校)が2回も途中降雨ノーゲームで流れ3試合目でやっと勝利しています。

 

高知市街から西方、JR土讃線・旭駅の北側に大学から附属幼稚園まで一貫教育を経営する高知学園のキャンパスが展開していて、中学と高校は併設型中高一貫校となっています。

明治32年に江陽学舎として創立し、4年後に江陽学校に改称しています。この江陽学校に商業科を設置、大正8年に独立して城東商業学校となりました。江陽学校はその後もしばらく存続していましたが昭和4年に廃止しています。

城東商業時代の校歌は、有志の方の厚意で教示していただき判明しています。

作詞は土井晩翠と伝えられていますが、作曲者や制定年は不明です。

旧制・城東商 (全3番)

 黒潮寄せ来る 南海高知
 城東商業学校 ここに
 健児の勇みて 勉むる処
 士魂と商才 あわせて兼ねん

 

学制改革で城東高校となり同時に中学校も併設、この頃は現在のはりまや橋の東側あたりに校舎がありましたが、昭和31年に高知中学・高校に改称し翌年に現在地に移転しました。

上記の校歌が城東高校でも受け継がれたかどうかは不明ですが、現在は詞を一部変更し応援歌となっているそうです。

高知高校の校歌は高知学園の学園歌でもあり、作詞:橋詰泰ニ 作曲:平井康三郎で昭和32年制定です。

高知高校 学園歌 (全3番)

 黒潮かおる 自由の土佐に

 萌えたつ緑の 鷲尾嶺こえて

 世界の鐘が とどろきわたる

 平和の光と 友愛こめて

 雲はるか 若き日の夢

 われらの声よ 遠くゆけ

 

世界の鐘」とは抽象的な表現ではなく、実際に世界25カ国のハイスクールから送られた銅貨を鋳込んで成形した鐘だそうです。

昭和32年から世界の平和と友愛をこめた学園のシンボルとして約半世紀もの間鳴り響きましたが、現在は世界40カ国の銅貨を元に鋳造された二代目の鐘になっています。

また、この年代に高知学園高知工業高校高知学園工業高専が相次いで開校していて、これらの学校でも同じ学園歌が歌われたようです。高知高専は国立移管、高知工はすぐに廃校となりましたが…

 

現在の高知学園は120年以上の伝統を持ち、高知大学、高知学園大学など、主に四国内や西日本の大学への進学実績が多い傾向です。

部活動では運動部が盛んで多くの部が全国大会で活躍、文化部では吹奏楽部が金賞獲得の実績があるようですね。

第45回大会の優勝校は明星高校でした。

今回は、大阪の明星高校です。

https://www.meisei.ed.jp/

 

大阪代表校としては最古参に当たり、大正6年に初出場以来春夏通算12回出場して優勝1回

かつての”大阪私学7強”の一角も最後の出場は昭和47年夏、実に50年以上も遠ざかっている古豪ですが復活はあるのでしょうか…

 

明星は「みょうじょう」ではなく「めいせい」と訓みます。カトリック男子修道会が創設したマリア会系列の男子中高一貫校で、東京の暁星、長崎の海星、北海道の光星は姉妹校に属します。七つボタンの制服も共通ですね。

学校は天王寺区の北端近くに所在し、最寄り駅は玉造駅です。真北の至近距離(1kmほど)に大阪城がありますが、高低差が激しく天守が見えるかどうかは不明です。

明治31年に明星学校として開学、5年後に現在地に定まり明星商業学校に改称しました。学制改革で明星中学、明星高校となり現在に至ります。分類としては併設型中高一貫校になるのでしょうか。

現在の校歌は、作詞:久松浅右ヱ門 作曲:林雄一郎で昭和23年制定です。

明星高校 (全3番)

  生駒の嶺の 空高く
 仰げ 明星 理想の光
 智徳のほまれ きそい
 ただひたすらの 道をゆく
 明星 明星 われらが母校
 

 

ここでの明星は、空の星と聖母マリアの象徴を兼ねたものと捉えられます。

2番の「ソロモンの智恵」とは旧約聖書の続編や知恵文学に分類される”知恵の書”に出てくる、ソロモン王についての伝記の中の言葉。検索するかぎりでは、イスラエル王になったばかりの若きソロモンが民衆を正しく裁くための知恵と判断力を神に求めた、という意味が多いようです。

そのように明星学園生も善悪を正しく判断できる知恵を追求していこう、という感じでしょうか。

 

旧制時代の校歌は作者、作成年とも不明です。

旧制・明星商 (全5番)

 烟にぎはふ 大阪の
 町を眼下に 見下して
 真田の山に いかめしく
 築きたてたる 明星校

 

現在の明星中学・高校の校地の一角は、推定ながら真田丸跡とされる遺構があります。この辺りは戦国時代に豊臣秀吉が築城した大坂城の南側の出城として真田幸村が構築した真田丸(曲輪)があった場所ということです。

町名の真田山町真田山公園、校歌にも「真田の山」とありますが、付近の標高は約10mとちょっとした高台くらいの感じです。それでも「町を見下ろす」くらいの景観があるのでしょう。

後に1番が改訂されたようです。

 

進学実績としては約1割が国公立大学、残りが私立大学や大学校に進学しています。

第43回の優勝校は浪商高校、第44回大会の優勝は作新学院高校でした。

今回は、栃木県の作新学院高校です。

https://www.sakushin.ac.jp/


昭和33年夏の初出場以来、春夏通算で28回の出場を誇る栃木県有数の強豪校です。

3回の優勝、とりわけ昭和37年に史上初の春夏連覇を達成したことで知られる他、怪物・江川投手を擁して名勝負がありました。20年ほどのブランクを経て復活後は夏の10年連続出場と平成28年に54年ぶりに優勝したことは記憶に新しいですね。


県都・宇都宮市の西郊に所在し、昨年(2025年)に創立140周年を迎えた栃木県の伝統校です。

母体の学校法人作新学院は幼稚園から短大・大学まで運営する総合学園となっています。また日本有数のマンモス校でもあり、生徒数が1万人を超した時代もあるそうです。

明治18年に下野英学校として創立し、3年後に下野国の北東にあった黒羽藩の藩校の名を受け継いで私立作新館に改称、明治32年に下野中学校に再改称しています。

下野中の最初の”校歌”は、大正11年に創立者の船田兵吉が自ら作った漢詩のものだそうです。

下野中 漢詩校歌

 晃山北聳高摩天 満堂健児沖天気

 練体鍛心柔与剣 土肥到処満稲田……


この後、下野中は不祥事や県からの補助金交付停止の憂き目にあい一時は廃校の危機に陥ったということですが、校長の息子で当時政治家になったばかりの船田中の奔走によって立ち直りました。


また、昭和初期頃に日本語の校歌が作られていますが作者は不明です。旧制の校歌に関しては、あまり詳しいことは判っていません。

下野中 (全1番?)

 あやに畏き大君の 恵の露のしげければ

 いづこのはても教草 茂れる中に国の名を

 我名に負へる下野の 学の園の友はみな

 ニ荒山にそめ出す 紅葉の赤き誠もて

 鬼怒の流を行く水の 清き心をみがきあげ

 報いまつらん君の恩 報いまつらん国の恩


この他に「二里山健児の歌」という歌もあったようですが、どういう位置づけのものかは不明です。


昭和16年には作新館高等女学校も併設開校しています。

作新館高女の校歌は作詞:吉屋信子 作曲:杉山長谷雄で開校同年の昭和16年制定です。

旧制・作新館高女 (全3番)

 我が日の本に 生ひたちて

 次の時代を 継ぐ者の

 教へを学ぶ 乙女子われら

 清く雄々しく 伸びゆかん


学制改革で下野中と作新館高女を統合し、高等部、中等部で構成される作新学院となりました。平成15年に高等部を高等学校に改称、作新学院高校となって現在に到ります。

校歌は学院歌でもあり、作詞:石浜恒夫 作曲:外山雄三で昭和27年制定です。

作新学院 (全3番)

 光り満ちたり 涯しなき

 知恵の流れに いそしみて

 はぐくむつばさ ひたすらに

 若きこころの あこがれや

 作新の風 吹きおこる

 われらが愛の 学院に


作詞者の石浜氏は尽誠学園布施高校なども作っていますが、初めて手がけた校歌がこの作新学院です。当時の学院長、船田小常女史から自然環境を入れるよりはもっと都会的で抽象的なものをという要望があったようです。

当時はワルツ調、つまり3拍子の校歌は珍しいとされ、これは作曲者が男女共学にあたって校歌で社交ダンスも踊れるようなものでなくては、という考えからだったそうです。実際そうしたことが行われたのかどうかはわかりませんが…

学校史にも「…連続優勝のあと、作新学院校歌を愛でる全国同好の士から楽譜の送付依頼がたくさん寄せられたのである…」とあり、後年の池田高校やPL学園のような「愛される校歌」の先駆けでしょうか。


野球部のみならず他の運動部も強く、体操部やバドミントン部、空手部なども全国優勝経験があるようです。


2026年、明けましておめでとうございます。

さて、このブログも間もなく開設から8年目を迎えようとしています。

とりあえず目指せ10年!という目標は持っていたいですね。


昨年末にも触れた私事ですが、この度、生まれてから長年(大学時代はは関西ですが)生活してきた愛知県を離れ、関東地方に転職移住しました。

今後は手付かずだった東日本も本格的に調査していくつもりです。まあ、その前に新生活を安定させることが最優先ですね……

愛知県三河地方にあやかったネーム「参州人」は変えません。今後も参州人でよろしくお願いします。


昨年は転職活動と平行して校歌活動はブログを中心とする控えめなものでしたが、今年は再び遠征も視野に入れていきたいと思っております。

またこれまで作ってきた“校歌集“も岐阜、福井に次いで長崎、香川、沖縄、滋賀を暫定完成させました。今年はどこをやろうか、今からワクワクしています(笑)