足元を、かためることが、

結果を大きく変えることになる。

足元を、かためることで、

すこしずつ、足元をたかめることが、

できるから。

固まらない足元は、

いつまでも沈み続ける。

ずぶりずぶり。

ずぶり。

カリキュラムに追われて、

カリキュラムの紙のいかだを作って、

一度のテストは乗り越えられても、

やり方だけを細い理解の糸でつないでいても、

切れる。

紙のいかだは、

水を吸って、

ぷくぷくして、

沈んでしまう。

沈んだ紙は、

引き上げられず、

子供は、

顔を水面の上に出して、

はあはあ、息をしている。

そこで、しかると、

しずむよ。

しずみたく、なるよ。

もっとくるしくなるわよ。

いまがんばんなさい。

そんなこといわれても、

カリキュラムが自分をどこへ連れて行ってくれるのかを、

自信を持って教えてくれていない先生に

教わっているかぎり、

j分で自分を救う道なんてない。

どうするか。

親御さんがまずとびこむのだ。

お子さんを不安定にしているものに。

そして大声で叫んで助けを求めるのだ。

いったい、今、うちの子の受ける学校にとって、

大問いくつの小問何の点が取れる

勉強をしているのかと。

そこを示せる先生なら、

お子さんを救ってくれるはず。

私は、いつでも、浮き輪を首に通した、

水鳥として、

教え子たちのところへと、

飛んでいる。

気づき魂。

私と同じように


ご家庭の中に入る仕事として、


ベビーシッターという職業があります。


私はかなり小さなお子さんを専門とするシッターさんに


お目にかかることが多いのですが、


いろいろと気づかされます。


親という仕事は、


大体において兼業です。


親を専門職とする方は、


めったなことではお目にかかれません。


そうなると、お子さんに向かっているときに


別のことをし「ながら」かかわることがあります。


でもそれは気配を感じさせておけば満足のいくことと、


気配ではなく、お子さんの瞳孔の中を見てあげて、


対応してあげなければならないことに分かれていて、


うまいな、と思うシッターさんは


そこのきづきが、声でわかるのです。


瞳孔の中を見てあげて、気合を入れて喜んでいる声が、


何部屋も離れたところからでももれつたわってきて、


わかるのです。


まだ言葉を話せないお子さんの気配に気づいて、


上手に解放させていると、


お子さんは安心して、体がふわふわします。


私も、教え子の話には多分オーバーすぎるほどに対応します。


だからといって、わかりやすくじっとみつめていると、


子供というものは萎縮しますから、


静かに問題に取り組み始めた瞬間から、


解き終える瞬間までは、


できるだけ気配を消して、わずかな気配の中で


問題を解いてもらいます。


問題と自分との一対一の関係をうまく作れるようになってくると、


私がおいとました後も、家庭学習がうまくいくようになるので、


その気配と、教え子への最大限の興味とで、


子供の感情をゆさぶり、


今お子さんの抱えている課題への興味を引き出し、


知識の取り入れ口を作り、知識の入れ方を考えます。


そして本人の気づいていないところで起こす


ミスの萌芽を、言語化して気づかせます。


 ほら、そこ、分子の1を写してない。 

 分子がじゅうなんとかになると、十の位から気持ちが飛ぶね。


 二桁分子は注意だね。


 おお、今度はおっけーでした。


言語を使えるかどうかの違いはあれど、


どこまでお子さんの無意識の行動の変化に気づくことが出来るか。


これが一つの間合いと気合の勝負です。


でもその勝負が楽しいからこそ、


私はこの仕事を続けています。


ここまでお読みいただいた方へ、ひとこと。


お子さんに感じさせるのは、気配だけでも、100パーセントの興味だけでも、


不十分です。


必要なのは、その幅です。


一人でもやれる、でも、やれたことを


本気で、真剣に、喜びを、共有する。


これを、親御さんよりうまくやれているのが、


件のシッターさんに代表されるような、プロの教育者なのです。

さあ、やってきました、黄金週間。


ここをいかに使い切るかで、


受験を制しやすくなるかどうかが決まります。


そんなわけで、私は休まないで、


節句働きモードに入ります。


塾の先生方は、どうぞ、お休みになってください。


これは、心から思うこと。


先生だって、飛び出す前には、休養と準備。


これはものすごく大事。


塾の先生の納期は、受験の日ですから。


職人と商人のDNAを受け継いでいるので、


納期とお客様の大切さはこりゃしょうがないってな感じで、


働く家族の姿を見ながら、出かけないお休みを過ごしていました。


さて。


いろいろなところで書かれていますが、はじろの教え子には


今までやったことのない時間数の勉強を課します。


やったことのないというところがポイント。


もちろん、学校で勉強する時間+家庭学習の時間、


もしくは塾で勉強する時間+家庭学習の時間。


どちらよりも多くします。


でも途中できちんと体を動かすことを忘れずに。


体育というものが世の中にはあるでしょう。


歩くことはとても大切です。


動物の散歩なんて、最高ですね。


出来れば、親御さんと話しながら散歩できるといいなあ。


できるだけ日常のこととか、今もりもりやっている勉強に対して


思うところはないかとか、そうしたことをべーべー話しながら、


歩けるといいですね。


必ず、やっていった課題には日付を打って、


出来るだけやった量が見えやすいように


空白をきちんととったテキストで勉強させます。


もしくは暗記物は目標を立てて、一つの暗記を完成させる。


都道府県と県庁所在地でもいい。


年号を50覚えるのでもいい。


花のつくりを完全にするのでもいい。


水溶液の性質を全て覚えるのでもいい。


憲法の有名な条文を暗誦するのでもいいじゃないですか。


時期的にもナイス。


あと、自分の心を見つめる時間を作るために、


毎日自分の勉強空間をきっちり掃除させることを


覚えさせたほうがいいと思います。


普段より長く使うと、


普段より散らかるし汚くなる。


でも親御さんもお分かりになるように、


仕事が煮詰まると掃除をしたくなったりしませんか?


その心持を、きちんと部屋をきれいにすることで、


すっきりさせることを覚えてもらいたいのです。


すっごくチャンスですよ。


これをきちんとやり遂げたお子さんは、


中途半端に遊んでいたお子さんに、


すごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく


差がつけられるということを、


私は経験則で知っています。


毎年遊びに行ってたのに?


毎年遊びに行ってたんならこそ。


今年は違う年にするということを、


お子さんの心と体に染み付かせるという意味でも、


いいと思いますよ。

いい入試国語の問題って、どこにあるのでしょう。


それは、いい国語の先生の頭の中でしょう。


いい国語の先生は、


偏差値の高い学校にいらっしゃる、とは、かぎりません。


偏差値急上昇中の学校は、


まず英語と数学の先生にてこを入れます。


次に理系合格者を増やしたいので、


理科の先生にてこを入れます。


社会と国語はその次かな。


学校説明会にうかがっていても、


国語の先生が保護者に感動を与える、


という光景はやや少なめです。


かなしいことに。


母国語を再発見し再構築し、


母国語の使い手になるということが


どれほど「もだえじにしそうに楽しい」ことなのかを、


今一番当たりの国語の先生に当たっている


教え子から毎回毎回聞かされる私としましては、


本当にいい国語の先生に当たるって、ばくちなんだなあ、


と思わざるを得ません。


確かに、国語の先生で塾で当たりの先生がいると、


すぐ話は広まりますもんね。


さて、いい先生のいい問題とは。


それは、授業一時間目でなにを語りたいのかが


見えるということです。


文章を見ていて、受験テクニックだけで


100点満点まで行けてしまう学校は、


先生の色は絶無です。


でも、先生の読みの手法が


くせがありすぎて、3年間習ってもさっぱりわからんちんだった、


という先生もおいでです。


良い読みというものは、一つに凝り固まることがないにせよ、


ある方向に進んでいくものであるという信念のもとに


より良い読みを模索している先生の作られる作問は、


本当に本文を新たな目で見直させてくれます。


そうした問題が入っている学校には、


必ずいい先生がおいでです。


それは受験テクニックでは到達し得ないものがあるのです。


受験テクニックは、作者に迫るもの。


良い入試問題は、読み手の生き様に、迫るきっかけを、


ちらりと示しているのです。

言うことを聞かない子供に、


必要なのは説得する技術です。


子供を親が説得するのではなく、


子供が親を説得するための。


子供の中には、


反発するための論理があります。


ただそれが、言葉になっていないだけ。


だから理由を述べるかわりに、


同じ要望を繰り返します。


だって、だってなんだもん。


だって、だってだってなんだもん。


でもそれを一生繰り返されて、


親御さんの体調が悪くなって、介護が必要になったときも、


だって、きもいんだもん。


親御さんが亡くなった後も、


だって、遺産がほしいんだもん。


とか言われてもねえ。


でも言うよねえ。


自分の言葉で戦う訓練をしなければ、


自分の文化がないことは変わらないわけだから、


親御さんの文化に寄生して、


お子さんの心にコピーされた親御さんの文化は広がることなんてないから、


そのお子さんの手かせ足かせになる。


だから言うことをきかない時期、思春期の前半で、


自分の中の論理を相手にわかる形で論理化し、


相手を説得する術を習得させる。


そのためなら、子供も言うことをきくでしょう。


それを大きく広げて、


人の話を聴くということを教えていく。


入試問題に正しく答えることが出来るということは、


例えばそこまでの生きる力につながってくるのです。


相手の話を正しくきいて、自分がどう理解しているか、


どう考えたかを感情論ではなく、論理で伝える。


入試国語は、そこまでつながります。


お子さんが子供のとき、あなたの言うことはどうにかしてきかせることが出来たけれど、


あなたが年老いたとき、あなたの頼りにまるでならない、大人を作りますか?


いやですか?


どうしますか?