QUOD TIBI HOC ALTERI

QUOD TIBI HOC ALTERI

„Was du dir wünschst, das tu dem andern“.

 新年早々であるが、本日は、上野の東京国立博物館に行ってきた。その前に、まずは近所の神社に初詣。

 

 

 

西洋美術館

 

東京国立博物館

 

正門

 

大階段

 

 1室に入る。

 

突線鈕4式銅鐸、盛装の男子&深鉢形土器

 

土偶

 

 2室(国宝室)。「松林図屏風」であるが、人が多すぎて撮影できない。

 

 

 3室(平安~室町)。

 

「聖徳太子立像」

 

曼荼羅

 

「一遍上人絵伝」

 

 

 

 

 

 

 「e国宝」によれば、「時宗の開祖である一遍智真の主な事跡と、二祖他阿真教の遊行上人時代の事跡を描いた絵巻。この系統の絵巻は、真教の弟子と言われる宗俊という僧が編述した、10巻一組の絵巻が原本とされる。前半4巻までに一遍の修行時代から臨終まで、後半第5巻以降に他阿が一遍亡き後、教団としての形を整え、時衆を率いて遊行を行い、その地位を退くまでが描かれる。内容は単に開祖と二祖の事跡を追うだけでなく、それらを通して開祖から二祖への法系の正当性を示し、時衆教団としての教義や行儀法則を示すものとなっている。

 

 原本の成立は、絵巻の最後の場面が嘉元元年(1303)12月まであること、ある転写本の奥書から徳治2年(1307)制作のものの存在がわかることから、その間の14世紀初めと推測されている。教団の根本聖典として重要視されたため、転写本がさかんに制作され、現在、20本ほどが知られている。本作もそうした転写本の一つである。顔料は上質なものが用いられ、暢達した描線による人物描写は古様を示し、精彩がある。原本の成立をそれほど隔てない時期に制作されたと考えられる」という。

 

『法華経』「法師功徳品」

 

「厩図屏風」

 

如寄筆、了庵桂悟賛「花鳥図」

 

石樵昌安「花鳥図」

 

夢窓疎石「偈頌」

 

鉄舟徳済「賈島詩」

 

輞隠印「花鳥図屏風」

 

 

 「文化遺産データベース」によれば、「精緻な筆使いと緊密な図様構成による、様式美の極致を示す花鳥図。孔雀や金鶏、牡丹や紅椿など、吉祥の花と鳥とが色彩豊かに描かれ、水墨の背景がそれをいっそう引き立てている。作者の輞隠は、狩野派の二代目・元信の弟にあたる之信とする説が有力である」という。

 

 特別1室で、午(馬)に関する展示があったので、見てみる。

 

長谷川等伯「伝名和長年像」

 

 解説によれば、「本図は南北朝時代の武将、名和長年の肖像画と伝わる。しかし、近年は能登畠山氏に関係する人物、あるいは馬術家で知られる武将、斎藤好玄(1500-1572)とも考えられている。編み込まれたたてがみの描写が細やかな暴れ馬は、像主の愛馬であろう」という。

 

「馬医草紙」

 

 

 

 

 

 

「馬医草紙断簡」

 

 

 「文化遺産オンライン」によれば、「馬の医者の秘伝書で、古の著名な馬医と名馬の姿、馬の薬として用いる薬草の図を表わす。奥書には、文永4年(1267)正月に西阿が七郎兵衛尉忠泰にこの巻物を与えたと記されている。馬、人物、植物が写実的に、そして生き生きと写し取られている」という。

 

狩野元信「神馬図額」

 

 一階に降りる。

 

11室

 

「息長足姫坐像」

 

「八幡神坐像」

 

「比売神坐像」

 

「阿弥陀如来立像」

 

「阿弥陀如来立像」

 

「釈迦涅槃像」

 

「阿弥陀如来坐像」

 

千手観音菩薩坐像&四天王立像

 

 予測していたことであるが、通常より人が多くて作品をゆっくり見ることが出来ない。

 

(続く)

 本日は、宮古島旅行最終日。まずはホテル内シャトルバスに乗って、一昨日行った友利のあま井を見に行く。

 

夜明け

 

県道235号にある標識

 

県道235号

 

 魚トンネルをくぐり、北上する。

 

 

 

 

 

友利のあま井

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に、金志川泉。

 

 

 

 

金志川泉入口

 

 

 

 

 

 

 金志川泉を見た後は、シャトルバスに乗り、お宿に戻る。

 

今回お世話になったお宿

 

 

 次に、お宿をチェックアウトして、送迎バスに乗って宮古空港に行き、そこから路線バスに乗って「北小前」下車、再度漲水御嶽を参拝する。

 

宮古神社一の鳥居

 

漲水御嶽

 

 

神木

 

 

 漲水御嶽参拝後、市場通りに行って、それから空港に戻り、帰りの飛行機に乗って、羽田に帰って来た。

 

モンテドール

 

 

 

市場通り

 

宮古空港

 

出発ロビー

 

離陸直前

 

離陸後(宮古島)

 

 羽田空港到着。

 

 

 宮古島滞在は、前半は暑いくらい、後半は天候不順であったが、それでも東京よりは過ごしやすかった。

 本日は、池間島に行ってきた。

 

日の出

 

 お宿の前の砂浜

 

 「北小前」バス停から池間島行きバスに乗り、「漁協前」で下車、まずは大主御嶽参拝。

 

 

 池間大橋を渡る。

 

 

 

 

 

「漁協前」バス停

 

 

池間漁港

 

 大主御嶽を目指して歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大主御嶽鳥居

 

 

 

 宮古島情報サイトによれば、「池間島北端の水浜岬近くにあるナナムイ御嶽(大主神社・ウハルズ御嶽)は、琉球王国時代から続く御嶽信仰の中心地であり、島の最高神が降臨する神域とされる場所です。鬱蒼とした森に包まれた小高い地形は、外界の喧騒を遮断し、鳥居の先には手つかずの自然がそのまま残されています。ここでは神殿や本殿は存在せず、森や石、空間そのものが神として祀られています。御嶽としての歴史は500年以上におよび、王国時代の神女(ノロ)制度とも密接に結びつき、島の暮らしとともに信仰が受け継がれてきました。ナナムイ御嶽は観光地として開放されておらず、鳥居より先は立入禁止。御嶽に足を踏み入れることが許されるのは、地域の信仰儀礼を司るツカサンマなど限られた人だけ。こうした厳格な掟を守り続けている地域は今では少なく、この御嶽は信仰が生きている聖地として学術的にも貴重な存在です」という。大主御嶽を参拝した後は、池間遠見跡を見に行く。

 

 

池間遠見跡

 

入口

 

 

 

 

 

 

 市のホームページによれば、「江戸時代、鎖国体制下の1644(順治元)年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火)機能をになった遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡として重要である。池間島南端の小高い丘の上にあって、東方には大神島が、南方には平良の街が望見できるところにある。この遠見は岩盤を利用して円柱状に造られ、登り降りするための石段が数段設けられている」という。

 

マツヌブー

 

 

 

 

 

 海岸に沿って歩く。

 

 

 

 

 

 

御嶽

 

 次第に風雨が激しくなってきたので、早々に島内観光をあきらめ、バスに乗り、宮古空港に戻る。

 

「漁協前」バス停から見えた池間大橋

 

 空港でお昼をいただいて、送迎バスに乗ってお宿に戻る。

 

本日のお昼

 

送迎バス

 

本日の夕食

 本日は、午前中は下地島の通り池に行ってきた。

 

夜明け

 

 ホテルの送迎バスに乗車し、伊良部大橋を渡り、下地島空港に向かう。

 

 

 

 

 伊良部島が見えてきた。

 

 

 

 

 下地島空港に到着後、レンタサイクルに乗って通り池に向かう。

 

空港ターミナルビル

 

 

管制塔&空港事務所

 

 

佐和田の浜

 

 

 

 滑走路に沿って走る。

 

 

 

 

17END

 

 

 

 

 

 

通り池車道入口

 

通り池入口

 

 

通り池

 

 

 

 

 通り池は、下地島北西部の海岸近くにある大小2つの円形の池で、一の池と呼ばれる海側(南側)の池が直径75メートル、水深45メートル、二の池と呼ばれる陸側(北側)の池が直径55メートル、水深25メートルである。地上からは2つの池が並んでいるように見えるが、これらは地下でつながっており、さらに海側の池は洞穴で海とも通じている。「通り池」という名は、このような池の構造に由来する。この地形は、海岸にあった鍾乳洞が、波によって侵食されて大きくなり、天井が部分的に崩落して形成された陥没ドリーネに海水が浸入したものである。池の周辺には石灰岩が点在するカレンフェルトと呼ばれるカルスト地形が発達している。この池は海とつながっているために潮の干満につれて水面が上下し、サーモクラインによって色が変化して見える。また、深度によって塩分濃度や水温に差があるため、多種多様な魚介類が分布しており、サーモクラインによる神秘的な景観とも相まって、絶好のダイビングスポットとなっているという。通り池を見た後は、再び送迎バスに乗ってお宿に戻り、午後は域内シャトルバスに乗って、友利地区に向かう。

 

シャトルバス

 

標識

 

県道235号

 

 手前のステージ?の横を通って、魚トンネルをくぐり、北上する。

 


 まずは、友利のあま井に向かう。

 

 

 

 周囲はほとんどサトウキビ畑。

 

 

城辺町の友利のあま井

 

 

 

 

 

 

 

 市のホームページによれば、城辺町の友利のあま井は、「城辺の字砂川と字友利の境界にあって、友利元島遺跡の西側に隣接する自然洞窟の井泉である。降り口から湧き口までの深さは約20m、自然洞窟井泉の規模としては大きく、水量も豊かである。1965(昭和40)年に城辺で上水道が普及する以前は、この井泉が飲料水を始め、生活を営む上の貴重な水資源であった。「雍正旧記」(1727年)には「掘年数不相知」と記されている。友利・砂川・新里の各元島(旧集落)の住民が、「明和の大津波」(1771年)以前から現在地への集落移動後も長く利用した井泉である」という。次に、金志川泉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金志川泉は、沖縄県宮古島市城辺字友利にある洞窟性の湧水(洞泉)。1994年(平成6年)4月12日に城辺町の史跡に指定され、合併後は宮古島市の史跡となっている。開口部から水壺まで約30段の階段が設けられており、水壺は広くほぼ円形で水深約1m。潮の干満によって海水が混じるため、後年は飲用には利用されなかった、という。最後は、上比屋山遺跡。

 

 

 

 

上比屋山遺跡入口

 

 

 

 

 

ウイウスムトゥ

 

 

 

クスウイピャームトゥ

 

マイウイピヤームトゥ

 

 

ムトゥ前の巨木

 

 上比屋山遺跡は、「砂川集落の南、高さ40mの琉球石灰岩丘陵にある14~15世紀の遺跡で、南側の砂川元島遺跡とあわせて広い集落跡を形成している。また、遺跡内には、10ヶ所余の御嶽があって、うち3ヵ所は、昔のまま石垣の上に茅の屋根が葺かれている」という。上比屋山遺跡を見た後は、シャトルバスでお宿に戻る。

 

本日の夕食

 宮古島に行ってきた。

 

羽田空港

 

搭乗した飛行機

 

離陸直前

 

機内の様子

 

富士山

 

 約3時間弱で宮古空港到着。

 

 

宮古空港

 

 

 宮古空港に到着後、路線バスに乗り、北小前バス停で下車、まずは宮古神社と漲水御嶽を参拝する。

 

北小前バス停付近

 

宮古神社一の鳥居

 

二の鳥居

 

手水舎

 

拝殿

 

本殿

 

 

迎御嶽

 

 

 宮古神社は、沖縄県宮古島市に鎮座する神社。日本最南端の神社という。祭神は、熊野三神および豊見親三神など。豊見親三神は、かつて宮古島を統治した3人の豊見親(首長の尊称)を神としたものであるという。

 

漲水石畳道

 

漲水御嶽鳥居

 

漲水御嶽

 

 

手水舎

 

 

 

神殿

 

 

 

 漲水御嶽は、沖縄県宮古島市平良字西里に鎮座する御嶽。古意角と姑依玉の男女二神を祀る。琉球王国建国(1429年)以前から信仰を集めている御嶽であり、宮古島の創生神話をはじめとする多くの神話と伝説の舞台でもある、という。宮古神社と漲水御嶽を参拝した後は、付近の旧跡巡り。まずは、豊見親墓。

 

 

仲宗根豊見親墓

 

知利真良豊見親墓

 

 

 宮古島市のホームページによれば、「豊見親墓は3つの墓から構成されている。1つは「仲宗根豊見親の墓」で、15世紀末から16世紀初めにかけて宮古の首長を務めた仲宗根豊見親を初めとする忠導氏一門が祀られている。2つめは「知利真良豊見親の墓」で、仲宗根豊見親の三男で宮金氏一門の墓、子孫の平良の頭・宮金氏寛富が1750(乾隆15)年頃造ったと伝えられている。3つめは、「あとんま墓」で忠導氏の継室が祀られている。これらの墓の特徴は、墓の入口正面に「つんぷん」があることと、墓室の上部に、短い石柱が立ち並んでいることである。石柱の上端には凹状の欠きこみ部があり、祭祀のときは、凹みの部分に桁木をのせ、梁をかけ、屋根を覆うことができる。このような独特な構造の墓は県内他の地域ではみられず、貴重なものである」という。次に、人頭税石。

 

 

 次に、大和井。

 

 

トックリキワタの大木

 

大和井入口

 

石垣

 

ブトゥラ井(庶民用の井戸)

 

 

 

大和井

 

 

 

 

 

 宮古島市のホームページによれば、「大和井は、平良市街の東北に位置する泉(洞井)である。「雍正旧記」(1727年)に記されている内容から、1720年ごろに掘られたと考えられている。井戸の周りは大小の切り石を円形に積み上げてあり、上り下りの通路には石段が設けられている。伝承によれば、首里王府派遣の在番役人など一部の者のみが使用し、一般の人々には開放されなかったといわれている。かつては泉にいたるまでに2ヶ所の門があって、水守りもいたとの言い伝えがある。宮古島の人々と水とのかかわり合い、石工技術の見事さを示す遺石造跡として類例のないものである」という。大和井の次は、盛加井 (ムイカガー)。

 

盛加井入口

 

盛加井御嶽

 

盛加井

 

 

 

 

 

 

 市のホームページによると、「水道の発達しないころ、人びとの生活用水は天水と各所に散在する洞井(ウリガー)であった。集落は洞井を中心に形成、発達してきており、宮古の歴史は洞井を切りはなして考えることはできない。盛加井内には小規模ながら貝塚層もあり、周辺一帯からは多くの青磁片・土器片等が表面採取でき、大きな集落跡を物語っている」という。以上で、今回のお宿に向かった。

 

お宿の部屋からの眺め

 

本日の夕食

 本日は、久しぶりに、パーリ経典を読んでみる。Majjhima Nikāya 106 - Āṇeñjasappāya Sutta(『中部経典』第106経「不動利益経」)。

 

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1. So habe ich gehört. Einmal hielt sich der Erhabene im Land der Kurus, bei einer Stadt der Kurus namens Kammāsadhamma auf. Dort richtete sich der Erhabene folgendermaßen an die Bhikkhus: "Ihr Bhikkhus." - "Ehrwürdiger Herr", erwiderten sie. Der Erhabene sagte dieses:

2. "Ihr Bhikkhus, Sinnesvergnügen sind vergänglich, hohl, falsch, trügerisch; sie sind nur Schein, ihr Bhikkhus, die Unterhaltung von Narren. Sinnesvergnügen hier und jetzt und Sinnesvergnügen in künftigen Leben, Sinneswahrnehmungen hier und jetzt und Sinneswahrnehmungen in künftigen Leben - beide sind gleichermaßen Māras Gebiet, Māras Reich, Māras Köder, Māras Jagdgrund. Ihretwegen entstehen diese üblen, unheilsamen Geisteszustände, wie Habgier, Übelwollen und Anmaßung, und sie stellen ein Hemmnis für einen edlen Schüler in der Übung dar."

(Das Unerschütterliche)
3. "Da, ihr Bhikkhus, erwägt ein edler Schüler folgendes: 'Sinnesvergnügen hier und jetzt und Sinnesvergnügen in künftigen Leben, Sinneswahrnehmungen hier und jetzt und Sinneswahrnehmungen in künftigen Leben - beide sind gleichermaßen Māras Gebiet, Māras Reich, Māras Köder, Māras Jagdgrund. Ihretwegen entstehen diese üblen, unheilsamen Geisteszustände, wie Habgier, Übelwollen und Anmaßung, und sie stellen ein Hemmnis für einen edlen Schüler in der Übung dar. Angenommen, ich verweilte mit einem erweiterten und erhöhten Herzen, nachdem ich die Welt transzendiert und einen festen Entschluß mit dem Geist gefaßt habe. Wenn ich so verfahre, wird es keine üblen, unheilsamen Geisteszustände, wie Habgier, Übelwollen und Anmaßung mehr in mir geben, und mit deren Überwindung wird mein Geist unbegrenzt, unermeßlich und wohl entfaltet sein.' Wenn er auf diese Weise übt und häufig so verweilt, erlangt sein Geist Zuversicht in Bezug auf diese Grundlage. Sobald volle Zuversicht vorhanden ist, erlangt er entweder gleich das Unerschütterliche oder ansonsten neigt er sich zur Weisheit. Bei der Auflösung des Körpers, nach dem Tode, ist es möglich, daß dieses sein weiterführendes Bewußtsein zum Unerschütterlichen weitergeht. Dies, ihr Bhikkhus, wird als der erste Weg, der auf das Unerschütterliche ausgerichtet ist, verkündet."

4. "Wiederum, ihr Bhikkhus, erwägt ein edler Schüler so: 'Sinnesvergnügen hier und jetzt und Sinnesvergnügen in künftigen Leben, Sinneswahrnehmungen hier und jetzt und Sinneswahrnehmungen in künftigen Leben; was es auch immer an Form gibt, das sind die vier großen Elemente und Form, die von den vier großen Elementen abstammt.' Wenn er auf diese Weise übt und häufig so verweilt, erlangt sein Geist Zuversicht in Bezug auf diese Grundlage. Sobald volle Zuversicht vorhanden ist, erlangt er entweder auf der Stelle das Unerschütterliche oder ansonsten neigt er sich zur Weisheit. Bei der Auflösung des Körpers, nach dem Tode, ist es möglich, daß dieses sein weiterführendes Bewußtsein zum Unerschütterlichen weitergeht. Dies, ihr Bhikkhus, wird als der zweite Weg, der auf das Unerschütterliche ausgerichtet ist, verkündet."

5. "Wiederum, ihr Bhikkhus, erwägt ein edler Schüler so: 'Sinnesvergnügen hier und jetzt und Sinnesvergnügen in künftigen Leben, Sinneswahrnehmungen hier und jetzt und Sinneswahrnehmungen in künftigen Leben, Formen hier und jetzt und Formen in künftigen Leben, Wahrnehmungen von Formen hier und jetzt und Wahrnehmungen von Formen in künftigen Leben - beide sind vergänglich. Was vergänglich ist, ist es nicht wert, sich daran zu ergötzen, nicht wert, es willkommen zu heißen, nicht wert, daran festzuhalten.' Wenn er auf diese Weise übt und häufig so verweilt, erlangt sein Geist Zuversicht in Bezug auf diese Grundlage. Sobald volle Zuversicht vorhanden ist, erlangt er entweder gleich das Unerschütterliche oder ansonsten neigt er sich zur Weisheit. Bei der Auflösung des Körpers, nach dem Tode, ist es möglich, daß dieses sein weiterführendes Bewußtsein zum Unerschütterlichen weitergeht. Dies, ihr Bhikkhus, wird als der dritte Weg, der auf das Unerschütterliche ausgerichtet ist, verkündet."

(Das Nichtsheitsgebiet)
6. "Wiederum, ihr Bhikkhus, erwägt ein edler Schüler so: 'Sinnesvergnügen hier und jetzt und Sinnesvergnügen in künftigen Leben, Sinneswahrnehmungen hier und jetzt und Sinneswahrnehmungen in künftigen Leben, Formen hier und jetzt und Formen in künftigen Leben, Wahrnehmungen von Formen hier und jetzt und Wahrnehmungen von Formen in künftigen Leben, und Wahrnehmungen des Unerschütterlichen - sie alle sind Wahrnehmungen. Wo diese Wahrnehmungen ohne Überbleibsel aufhören, das ist das Friedvolle, das ist das Erhabene, nämlich das Nichtsheitsgebiet.' Wenn er auf diese Weise übt und häufig so verweilt, erlangt sein Geist Zuversicht in Bezug auf diese Grundlage. Sobald volle Zuversicht vorhanden ist, erlangt er entweder gleich das Nichtsheitsgebiet oder ansonsten neigt er sich zur Weisheit. Bei der Auflösung des Körpers, nach dem Tode, ist es möglich, daß dieses sein weiterführendes Bewußtsein zum Nichtsheitsgbiet weitergeht. Dies, ihr Bhikkhus, wird als der erste Weg, der auf das Nichtsheitsgebiet ausgerichtet ist, verkündet."

7. "Wiederum, ihr Bhikkhus, erwägt ein edler Schüler, der sich in den Wald oder an den Fuß eines Baumes oder in eine leere Hütte zurückgezogen hat, so: 'Dies ist leer von einem Selbst oder was einem Selbst gehört.' Wenn er auf diese Weise übt und häufig so verweilt, erlangt sein Geist Zuversicht in Bezug auf diese Grundlage. Sobald volle Zuversicht vorhanden ist, erlangt er entweder gleich das Nichtsheitsgebiet oder ansonsten neigt er sich zur Weisheit. Bei der Auflösung des Körpers, nach dem Tode, ist es möglich, daß dieses sein weiterführendes Bewußtsein zum Nichtsheitsgebiet weitergeht. Dies, ihr Bhikkhus, wird als der zweite Weg, der auf das Nichtsheitsgebiet ausgerichtet ist, verkündet."

8. "Wiederum, ihr Bhikkhus, erwägt ein edler Schüler so: 'Ich bin nichts, was irgendjemandem irgendwo gehören könnte, auch gibt es nichts in irgendjemandem irgendwo, was mir gehören könnte [4].' Wenn er auf diese Weise übt und häufig so verweilt, erlangt sein Geist Zuversicht in Bezug auf diese Grundlage. Sobald volle Zuversicht vorhanden ist, erlangt er entweder gleich das Nichtsheitsgebiet oder ansonsten neigt er sich zur Weisheit. Bei der Auflösung des Körpers, nach dem Tode, ist es möglich, daß dieses sein weiterführendes Bewußtsein zum Nichtsheitsgebiet weitergeht. Dies, ihr Bhikkhus, wird als der dritte Weg, der auf das Nichtsheitsgebiet ausgerichtet ist, verkündet."

 (Das Gebiet von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung)
9. "Wiederum, ihr Bhikkhus, erwägt ein edler Schüler so: 'Sinnesvergnügen hier und jetzt und Sinnesvergnügen in künftigen Leben, Sinneswahrnehmungen hier und jetzt und Sinneswahrnehmungen in künftigen Leben, Formen hier und jetzt und Formen in künftigen Leben, Wahrnehmungen von Formen hier und jetzt und Wahrnehmungen von Formen in künftigen Leben, Wahrnehmungen des Unerschütterlichen und Wahrnehmungen des Nichtsheitsgebiets - sie alle sind Wahrnehmungen. Wo diese Wahrnehmungen ohne Überbleibsel aufhören, das ist das Friedvolle, das ist das Erhabene, nämlich das Gebiet von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung.' Wenn er auf diese Weise übt und häufig so verweilt, erlangt sein Geist Zuversicht in Bezug auf diese Grundlage. Sobald volle Zuversicht vorhanden ist, erlangt er entweder gleich das Gebiet von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung oder ansonsten neigt er sich zur Weisheit. Bei der Auflösung des Körpers, nach dem Tode, ist es möglich, daß dieses sein weiterführendes Bewußtsein zum Gebiet von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung weitergeht. Dies, ihr Bhikkhus, wird als der Weg, der auf das Gebiet von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung ausgerichtet ist, verkündet."

 (Nibbāna)
10. Nach diesen Worten sagte der ehrwürdige Ānanda zum Erhabenen: "Ehrwürdiger Herr, da übt ein Bhikkhu so: 'Wäre es nicht, so wäre es nicht mein; es wird nicht werden und es wird nicht mein werden.

Was existiert, was geworden ist, das überwinde ich.' So gewinnt er Gleichmut. Ehrwürdiger Herr, erlangt solch ein Bhikkhu Nibbāna?"

"Ein Bhikkhu hier, Ānanda, könnte Nibbāna erlangen, ein anderer Bhikkhu hier würde Nibbāna vielleicht nicht erlangen."

"Was ist die Ursache und Bedingung dafür, ehrwürdiger Herr, weshalb ein Bhikkhu hier Nibbāna erlangen könnte, während ein anderer Bhikkhu Nibbāna vielleicht nicht erlangen würde?"

"Ānanda, da übt ein Bhikkhu so: 'Wäre es nicht, so wäre es nicht mein; es wird nicht werden und es wird nicht mein werden.

Was existiert, was geworden ist, das überwinde ich.' So gewinnt er Gleichmut. Er ergötzt sich an jenem Gleichmut, heißt ihn willkommen und hält sich daran fest. Während er das tut, gerät sein Bewußtsein in Abhängigkeit davon und haftet daran an. Ein Bhikkhu, Ānanda, der von Anhaftung betroffen ist, erlangt Nibbāna nicht."

 

11. "Aber, ehrwürdiger Herr, wenn jener Bhikkhu anhaftet, woran haftet er?"

"Am Gebiet von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung, Ānanda."

"Wenn jener Bhikkhu anhaftet, ehrwürdiger Herr, so scheint es, daß er am besten Objekt der Anhaftung haftet."

"Wenn jener Bhikkhu anhaftet, Ānanda, so haftet er am besten Objekt der Anhaftung, nämlich dem Gebiet von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung."

12. "Ānanda, da übt ein Bhikkhu so: ' Wäre es nicht, so wäre es nicht mein; es wird nicht werden und es wird nicht mein werden.

Was existiert, was geworden ist, das überwinde ich.' So gewinnt er Gleichmut. Er ergötzt sich nicht an jenem Gleichmut, heißt ihn nicht willkommen und hält sich nicht daran fest. Weil er das nicht tut, gerät sein Bewußtsein nicht in Abhängigkeit davon und haftet nicht daran an. Ein Bhikkhu, Ānanda, der von Anhaftung frei ist, erlangt Nibbāna."

13. "Es ist wunderbar, ehrwürdiger Herr, es ist erstaunlich! Der Erhabene hat uns in der Tat erklärt, wie man den Strom überquert, in Abhängigkeit von der jeweiligen Grundlage. Aber, ehrwürdiger Herr, was ist die edle Erlösung?"

"Ānanda, da erwägt ein edler Schüler so: 'Sinnesvergnügen hier und jetzt und Sinnesvergnügen in künftigen Leben, Sinneswahrnehmungen hier und jetzt und Sinneswahrnehmungen in künftigen Leben, Formen hier und jetzt und Formen in künftigen Leben, Wahrnehmungen von Formen hier und jetzt und Wahrnehmungen von Formen in künftigen Leben, Wahrnehmungen des Unerschütterlichen, Wahrnehmungen des Nichtsheitsgebiets und Wahrnehmungen des Gebiets von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung - dies ist Persönlichkeit, soweit sich Persönlichkeit erstreckt. Dies ist das Todlose, nämlich die Erlösung des Geistes durch Nicht-Anhaften."

14. "Somit, Ānanda, habe ich den Weg gelehrt, der auf das Unerschütterliche ausgerichtet ist, ich habe den Weg gelehrt, der auf das Nichtsheitsgebiet ausgerichtet ist, ich habe den Weg gelehrt, der auf das Gebiet von Weder-Wahrnehmung-noch-Nichtwahrnehmung ausgerichtet ist, ich habe erklärt, wie man den Strom überquert, in Abhängigkeit von der jeweiligen Grundlage, ich habe edle Erlösung gelehrt."

15. "Was ein Lehrer, der auf das Wohlergehen seiner Schüler aus ist und Mitgefühl für sie hat, aus Mitgefühl für seine Schüler tun sollte, das habe ich für euch getan, Ānanda. Dort sind Bäume, dort sind leere Hütten. Meditiert, Ānanda, seid nicht nachlässig, ihr sollt es später nicht bereuen müssen. Dies ist unsere Anweisung an euch."

Dies ist es, was der Erhabene sagte. Der ehrwürdige Ānanda war zufrieden und entzückt über die Worte des Erhabenen.

 

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1. このように私は聞いた。かつて世尊はクル国、カンマーサダンマと呼ばれるクルの村落に滞在された。そこで世尊は、比丘たちにこう語りかけた。「比丘たちよ。」比丘たちは、「世尊よ」と答えた。世尊はこう仰せられた。

2. 「比丘たちよ、欲は無常である。空虚、偽り、欺瞞に満ち、単なる幻想である。比丘たちよ、それらは愚か者の娯楽に過ぎない。現世の欲も来世の欲も、現世の欲の想念も来世の欲の想念も、どちらも等しく魔の領域、魔の境界、魔の罠、魔の狩場である。それらによって貪欲、瞋恚、傲慢といった悪しき不善の心が生じ、聖なる弟子の修行を妨げるのである。

(不動)
3. 比丘たちよ、聖なる弟子はこう思う。『全ての現世の欲と来世の欲、全ての現世の欲の想念と来世の欲の想念――これらは共に魔の領域、魔の境界、魔の罠、魔の狩場である。これらによって貪欲、瞋恚、傲慢といった悪しき不善の心が生じ、聖なる弟子の修行の妨げとなる。私は世俗を超越し、心に堅固な決意を固め、広く高尚な心で住するとしよう。もし私がこのように修行を続けるならば、貪欲、瞋恚、傲慢といった悪しき不善の心はもはや私の中に生ぜず、それらを克服することによって、私の心は無限で計り知れず、よく訓育されるであろう。』もし彼がこのように修行し、専らそこに留まるならば、心はこの境地に対する信を得る。完全な信が得られたなら、彼は直ちに不動の境地に達するか、あるいは智慧へと傾く。死後、肉体が消滅した後も、彼のこの甚深なる意識は、不動の境地へと向かうであろう。比丘たちよ、これこそが不動の境地へと向かう、第一の道であると宣言される。

4. また、比丘たちよ、聖なる弟子はこう考える。『全ての現世の欲と来世における欲、全ての現世の欲の想念と来世における欲の想念、あらゆる色は、四大元素と、四大元素から形成される色である』と。このように修行し、専らそこに留まるならば、彼の心はこの境地に対する信を得る。完全な信が得られたならば、彼は即座に不動の境地に達するか、智慧へと傾く。死後、肉体が消滅するとき、彼のこの深遠なる意識は、不動の境地へと向かうことになる。比丘たちよ、これが不動の境地へと向かう、第二の道であると宣言される。

5. また、比丘たちよ、聖なる弟子はこう考える。『全ての現世の欲と来世における欲、全ての現世の欲の想念と来世における欲の想念、全ての現世の色と来世における色、あらゆる色の想念、これらは全て無常である。無常なるものは、喜ぶに値せず、歓迎するに値せず、執着するに値しない』と。もし彼がこのように修行し、もっぱらそのように留まるならば、彼の心はこの境地に対する信を得る。完全な信がもたらされるや否や、彼は直ちに不動の境地に達するか、あるいは智慧へと傾倒する。死後、肉体が消滅するとき、彼のこの深遠なる意識は、不動の境地へと向かって進み続けるであろう。比丘たちよ、これが不動の境地へと向かう、第三の道であると宣言される。

(無所有処)
6. また、比丘たちよ、聖なる弟子はこう考える。『全ての現世の欲と来世における欲、全ての現世の欲の想念と来世における欲の想念、全ての現世の色と来世における色、全ての現世の色の想念と来世の色の想念、そしてあらゆる不動の想念――これらはみな想である。これらの想が一切跡形もなく消え去る時、それは寂静であり、最上であり、すなわち無所有処である。』このように修行し、この境地に専心して留まるならば、彼の心はこの境地に対する信を得る。完全な信が得られたならば、彼は直ちに無所有処に達するか、智慧へと傾く。死後、肉体が消滅するとき、この深遠なる意識は無所有処へと向かうであろう。比丘たちよ、これが無所有処へと向かう第一の道であると宣言される。

7. また、比丘たちよ、聖なる弟子は、森林に行き、木の根元、あるいは空き家に入り、こう思う。『ここには自我がなく、自我に属するものもない』と。このように修行し、しばしばそこに留まるならば、彼の心はこの境地に対する信を得る。完全な信を得ると、彼は直ちに無所有処に達するか、智慧へと傾く。死後、肉体が消滅するとき、彼のこの深遠なる意識は無所有処へと向かうであろう。比丘たちよ、これが無所有処へと向かう第二の道であると宣言される。

8. また、比丘たちよ、聖なる弟子はこう思量する。『私は何処にもなく、誰のものでもなく、何ものでもない。また私のものは何処にもなく、誰のものでもなく、何ものでもない』と。このように修行し、しばしばそこに留まるならば、彼の心はこの境地に対する信を得る。完全な信が生じれば、彼は直ちに無所有処に至るか、あるいは智慧へと向かう。死後、肉体が消滅すると、この意識はさらに無所有処へと向かうことができる。比丘たちよ、これが無所有処へと向かう第三の道であると宣言される。

(非想非非想処)
9. また、比丘たちよ、聖なる弟子はこう考える。『全ての現世の欲と来世における欲、全ての現世の欲の想念と来世における欲の想念、全ての現世の色と来世における色、全ての現世の色の想念と来世の色の想念、あらゆる不動の想念、そしてあらゆる無所有処の想念――これらはすべて想である。これらの想が跡形もなく消え去る時、寂静であり、最上であり、すなわち非想非非想処である。』このように修行し、常にそこに留まるならば、彼の心はこの境地に対する信を得る。完全な信を得ると、彼は直ちに非想非非想処に達するか、あるいは智慧へと向かう。死後、肉体が消滅するとき、この高次の意識は、非想非非想処へと向かって進む。比丘たちよ、これこそが、非想非非想処へと向かう道であると宣言される。」

(涅槃)
10. これらの言葉の後、アーナンダ尊者は世尊に申し上げた。「世尊よ、ある比丘がこのように修行したとします。『何も実在しない。何も私のものではない。(実体的には)何も生じず、何も私のものとなることはない。故に、今存在するもの、将来に生じるもの、その一切を私は捨離する』と。こうして彼は捨を獲得したとします。世尊よ、このような比丘は、涅槃に達することができるのでしょうか?」

 「アーナンダよ、ある比丘は涅槃に達するかもしれないが、別の比丘はそうではないかもしれない。」

 「世尊よ、『ある比丘は涅槃に達するかもしれないが、別の比丘はそうではないかもしれない』というその因縁とは、一体何なのでしょうか?」

 「アーナンダよ、ある比丘がこのように修行する。『何も実在しない。何も私のものではない。何も生じず、何も私のものとなることはない。故に、存在するもの、生じるもの、その一切を私は捨離する』と。こうして彼は捨を得る。彼はその捨を喜び、それを歓迎し、それに執着する。そうするうちに、彼の意識はそれに依存し、それに執着する。アーナンダよ、執着があれば、比丘は涅槃に至ることができないのだ。」

11. 「しかし世尊よ、もしその比丘が執着するとしたら、何に執着するのでしょうか?」

 「アーナンダよ、非想非非想処である。」

 「世尊よ、もしその比丘が執着するとしたら、それは最も優れた対象に執着しているように思えます。」

 「アーナンダよ、もしその比丘が執着するならば、最も優れた対象、すなわち非想非非想処に執着するのである。

12. アーナンダよ、ある比丘がこのように修行するとする。『何も実在しない。何も私のものではない。何も生じず、何も私のものとなることはない。故に、存在するもの、生じるもの、その一切を私は捨離する』と。こうして彼は捨を得る。彼はその捨を喜ぶことも、歓迎することも、執着することもない。そうすると、彼の意識はそれに依存することも、それに執着することもない。アーナンダよ、執着のない比丘は、涅槃を得るのだ。」

13. 「世尊よ、実に素晴らしい!世尊よ、稀有なることです。世尊は、それぞれの境涯に応じて、いかにして流れを渡るべきかを私たちに示してくださいました。しかし世尊よ、聖なる解脱とは、一体何なのでしょうか?」

 「アーナンダよ、聖なる弟子はこう考える。『全ての現世の欲と来世における欲、全ての現世の欲の想念と来世における欲の想念、全ての現世の色と来世における色、全ての現世の色の想念と来世の色の想念、あらゆる不動の想念、あらゆる無所有処の想念、そしてあらゆる非想非非想処の想念――これらは人の所作である限り、人に限定される。不死とはすなわち無執着による心解脱である。

14. このように、アーナンダよ、私は不動の境地へと向かう道を教え、無所有処へと向かう道を教え、非想非非想処へと向かう道を教え、各自の境涯に応じて流れを渡り切る方法を説明し、聖なる解脱を教えたのだ。

15. アーナンダよ、弟子の利益を願い、彼らに慈悲の心を抱く師が、弟子への慈悲から行うべきことを、私はあなた方にも為した。アーナンダよ、ここに木々があり、あそこに空き家がある。坐りなさい。放逸であってはならない。後悔することのないように。これがあなたへの教えである。」

 世尊はこう仰せになった。アーナンダ尊者は世尊の言葉に歓喜し、教えを受持した。

 本日は、大宮の氷川神社に行ってきた。その前に、銀座でお昼をいただいた。

 

交通会館

 

本日のお昼

 

 お昼をいただいた後、大宮まで行き、駅から歩く。

 

二の鳥居

 

参道

 

 

勅使斉館?

 

三の鳥居

 

神楽殿

 

額殿

 

夫婦楠

 

天津神社

 

六社

 

松尾神社

 

参道

 

神池

 

楼門

 

手水舎

 

舞殿

 

 

拝殿

 

 

本殿

 

東門

 

御嶽神社

 

門客人神社

 

楼門

 

蛇の池入口

 

蛇の池

 

宗像神社

 

 

氷川稲荷神社

 

 

 Wikiによれば、氷川神社は、「埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目に鎮座する神社。式内社(名神大社)、武蔵国一宮を称する(ないし三宮)。旧社格は官幣大社。東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本社である。神社の境内は、見沼(江戸時代中期まで存在した広大な沼)のほとりに位置し、もとは見沼の水神をまつっていたと考えられている。神社の南側に広がる神池は、神社の西側から涌き出た地下水がたまったものであり、かつて見沼の一部であった。現在の主祭神は、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱」という。年初は激混みするので、年末に参拝に行ってきた。大宮氷川神社参拝後、大宮駅まで戻り、帰宅した。

 

 ちなみに、今参禅しているご老師のお弟子さんから、事実を直指するような文章をメールでいただいたので、一部転載する。

 

------------------------以下引用----------------------

 

〇悟りは、戻ることがあるんですか?
 悟りは、主体客体なく“カァ~”とはっきりするわけですから、悟りが、後々あやふやになるようなことは起きえません。深まることもありません。前を向いたらその通りの様子です。迷うことも、深まることも無い証拠です。禅(実物=カァ~)とは何かを実相を自分で確認して知っていると、このような疑問も起きないはずです。

 禅(実物)がわかっていないと、悟りは自分がある状態に成りそれが持続する、と思ってしまうかもしれません。悟りはある状態に成りそれが持続すると思っていると、悟りの状態が元に戻ったとか、深まってきた、と思えるかもしれません。これは間違いですね、右見たら右の様子で、前見たら前の様子です。持続ってどこにもないです。即今実相のみです

〇無我って何ですか?
 無我とは、“カァ~”ということです。“カァ~”自体ということです。“カァ~”を聞いている人無く、“カァ~”です。

 有我とは、無いものを有ると思い、思ったものが本当にあると信じ込んでしまうことです。例えば、坐っていて、見ている私が居る、と思うと、見ている私を無くさなければ、と思い、思考上で私を無くすことを工夫し始める時、私が本当に居ると思い込んでいるという証拠です。見ている私が居ると思っただけなのに、私という実体があると本気で思ってしまうので、無くす工夫をし始めた、ということです。でも思いなので、そのまま坐っていたら、知らぬ間に、見ている私が居るという思いは、消えています。

 無心と有心も同じです。何かを思い、思いが有ったと思うと、有った思いを無くそう、とする。無心とは、思いが無くなることではなく、思いが有るとか無いとかと思っていな時、思いっぱなしの様子のことです。今もこれを読んでいて、何かしら思っていたと思いますが、思いが有る、とは思っていなかったと思います。つまり無心だったということです。

 近所の九品仏に行ってきた。

 

参道入口

 

参道

 

 

総門

 

閻魔堂

 

閻魔像

 

地獄道

 

衆合地獄

 

六地蔵

 

至総門

 

至仁王門

 

仁王門

 

仁王像

 

 

鐘楼

 

至下品堂

 

大銀杏

 

下品堂

 

下品上生仏

 

下品中生仏

 

上品堂

 

 

中品堂

 

 

中品上生仏

 

中品中生仏

 

中品下生仏

 

境内

 

本堂

 

本尊(釈迦如来坐像)

 

 

 

五劫思惟如来坐像

 

釈迦如来坐像

 

普賢菩薩像

 

文殊菩薩像

 

本堂

 

至仁王門

 

閻魔堂

 

東門

 

 紅葉が見頃であった。ちなみに、昨日(土曜日)は、月例の中野成願寺の坐禅会に行ってきた。提唱は、「淨心是法明門、無濁穢故」(『正法眼藏』第十一「一百八法明門」より)の一句の説明で終わった。面白かったが、提唱後の質疑応答で痛感したこと:観念(or 理解)は人を狂わせる。その前日の金曜日は、同じく月例の恵比寿福昌寺での坐禅会に出席した。提唱では、「洪州百丈山大智禪師語錄」の、以下のような問答が取り上げられた。

 

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 師、潙山と作務する次いで、師問う、「火有りや又た無しや。」潙山曰く「有り。」師云く、「恁麼の處にか在る。」潙山一莖の柴を把って吹いて師に過與す。師、接過して曰く、「蟲の木を蝕むが如し」と。

 百丈は潙山と作務をしているときに、こんなことを尋ねた。「火を持っているか?」潙山は「ありますよ」と答えた。「どこにある?」と百丈は尋ねた。すると潙山は、一本の柴を取って(火をおこすように)吹いて百丈に渡した。百丈は近づいて言った。「虫が立木を食い散らかすようなものだな」と。

 因みに普請して地を鋤く次いで、僧有り。鼓聲を聞いて鋤頭を舉起して、大笑して歸り去る。師云く、「俊なる哉、此は是れ觀音入理之門なり。」後に其の僧を喚んで問う、「你、今日何の道理をか見る。曰く、「某甲早晨未だ粥を喫せず。鼓聲を聞いて歸って飯を喫す。」師乃ち呵呵大笑す。

 

 ある日の普請の作業のおり、昼食の時を知らせる太鼓の音が聞こえたところで、ある僧が大笑いし、鋤を立てたままさっさと僧堂にひきあげてしまった。百丈は言った。「すごいな、これこそいわゆる観音入理の門である。」そこで寺へもどって、僧に問うた。「君は、さきほどは、どんな道理を悟ったのか?」すると僧は、「私は実は粥座にありつけなかったのですが、さきほどは太鼓の音が聞こえまして、これでやっと帰ってご飯にありつけると思っ(て大笑いし)たのです。」それを聞いた百丈は、大笑いした。

 問う、「如何なるか是れ佛。」師云く、「汝は是れ阿誰ぞ。」云く、「某甲。」師云く、「汝某甲を識るや否や。」云く「分明箇。」師拂子を豎起して問う、「汝拂子を見るや否や。」云く「見る。」師乃ち語らず。

 (ある僧が)尋ねた。「仏陀とは一体何なのでしょうか?」百丈は答えた。「君は一体誰だ?」「某甲です」と僧は答えた。「君は某甲を知っているのか?」と百丈は尋ねた。「当たり前です」と僧は答えた。すると百丈は払子を立てて、「君にはこの払子が見えるか?」と尋ねた。僧は、「見えます」と答えた。すると百丈は何も言わなかった。

 師、僧をして章敬の處に去らしめて、「渠が上堂說法せんを見て、你便ち坐具を展開して禮拜して、起って一隻の鞋を將いて、袖を以て上塵を拂却して、倒に頭を覆うて下れ」と云う。其の僧章敬に到って一へに師の旨に依る。章敬曰く、「老僧が罪過」と。

 あるとき、百丈はある僧を章敬の所に行かせた。そして、「彼が上堂し說法するのを見たら、君は坐具を広げてお拝をして、立ち上がったら、履物を取って、袖(の汚れ)を払ったうえで、頭を覆って帰ってこい」と指図した。その僧は章敬のもとに到着すると、百丈の言われたとおりにした。そしたら章敬は、「私が悪かった」と言った。

 潙山、五峰、雲巌侍立する次いで、師、潙山に問う、「咽喉唇吻を併却して、速やかに道い將ち來たれ。」潙山云く、「某甲道うことを得ず。請う和尚道へ。」師曰く、「汝に向かって道うことを辭せず。恐らくは已後我が兒孫を喪せん。」又五峰に問う。峰云く、「和尚亦須く併却すべし。」師云く、「人無き處に斫額して汝を望まん。」又雲巌に問う。巌云く、「某甲道う處有り。請う和尚舉せ。」師云く、「咽喉唇吻を併却して、速やかに道い將ち來たれ。」巌云く、「師今有りや也た未だしや。」師云く、「兒孫を喪す。」

 

 潙山、五峰、雲巌が侍者として仕えていた時、百丈は潙山に言った。「口を閉じたまま、今すぐ何か言ってみたまえ。」潙山は、「そんなこと私にはできませんよ。和尚さんならできるでしょうから、何か言ってみてください。」百丈は言った。「言うことは言えるが、それでは君たちが育たん。」それから五峰に同じことを言った。五峰は答えた。「和尚さんこそ、口を閉じるべきでしょう。」百丈は答えた。「人がいない処で君を仰ぎ見ることにするよ。」それから雲巌にも同じことを言った。雲巌は言った。「私には言うことがあります。和尚さん、尋ねてみてください。」百丈は言った。「口を閉じたまま、今すぐ何か言ってみたまえ。」雲巌は言った。「和尚さんはもう言ってみましたか、それともまだですか?」百丈は言った。「だめだこりゃ。」

 鎌倉に行ってきた。小町通りを抜けてまずはお昼をいただく。

 

 

 

本日のお昼

 

 

 次に、鏑木清方記念美術館に向かう。

 

 

鏑木清方記念美術館

 

 

館内

 

 作品は撮影禁止なので、以前竹橋の近代美術館で撮影した画像を掲載する。

 

 

 清方の代表作「築地明石町」三部作が出品されているので、それは見に行かねばならないということで、やってきた。 解説によれば、「明石町は、明治期にはハイカラな外国人居留地であった。水色のペンキが塗られた柵は、そこに洋館があることを示している。朝霧にかすむ帆船のマストも、画面に異国情緒を添える。朝顔ももう終盤。秋の風に袖をかきよせる女性は、上流の夫人を思わせる夜会巻ともイギリス巻とも言われた髪型で、指には大きな金の指輪をはめている。清方にしては珍しく、イメージに合う知人の女性、江木ませ子にモデルを頼み、スケッチにのぞんだことも知られている」という。鏑木清方記念美術館を見た後は、英勝寺に向かう。

 

横大路

 

寿福寺総門

 

参道

 

本堂

 

英勝寺の大銀杏

 

 

英勝寺総門

 

境内

 

山茶花?

 

 

鐘楼

 

 

山門&本堂

 

 

山門

 

本堂

 

本堂内

 

本堂

 

祠堂門

 

祠堂

 

 

聖観音菩薩立像

 

祠堂裏のやぐら

 

竹林

 

 

書院

 

 英勝寺を参拝した後は、駅前の豊島屋に寄って帰宅した。

 

 伊奈波神社参拝後、岐阜駅に戻り、JRで尾張一宮駅まで乗車し、真清田神社を参拝する。

 

ぎんざ通り

 

鳥居&社号標

 

楼門

 

拝殿

 

 

 

本殿

 

服織神社

 

開運橋

 

八龍社&厳島社

 

神水舎

 

 

三八稲荷社

 

神門?

 

 真清田神社は、愛知県一宮市真清田に鎮座する神社。式内社(名神大社)、尾張国一宮。旧社格は国幣中社。創建は詳らかでないが、古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、尾張氏祖神の天火明命を祭神とする。中世には尾張国の一宮に位置づけられ、一帯の地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来する、という。真清田神社参拝後、名鉄一宮駅から国府宮駅まで乗車し、尾張大國霊神社を参拝する。

 

太鼓橋

 

三の鳥居

 

楼門

 

手水舎

 

拝殿

 

 

 

 尾張大国霊神社は、愛知県稲沢市国府宮に鎮座する神社。式内社であり、旧社格は国幣小社。尾張国府の創始とともに創建され、尾張国の総社とされた。境内別宮の大御霊神社・宗形神社とともに国府宮三社と称する。当社の建築様式は本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿、楼門と並ぶもので、「尾張造」と称される。また、本殿に接する境内には自然石を5個円形に並べた「磐境」があり、社殿建立以前の原始的な祭祀様式を物語るものとして神聖視されている、という。尾張大国霊神社参拝後、長久手の名都美術館に行って「上村松園と鏑木清方」展を見た。

 

 

 「上村松園と鏑木清方」展は、撮影禁止のため、画像はないので、パンフを掲載しておく。その後、熱田神宮を参拝する。

 

一の鳥居

 

上知我麻神社鳥居

 

拝殿

 

 

 

本殿

 

八劍宮(熱田神宮別宮)

 

 

清雪門

 

楠御前社

 

南新宮社

 

参道

 

徹社

 

佐久間灯籠

 

二の鳥居

 

参道

 

大楠

 

大幸田神社

 

内天神社

 

境内社

 

信長塀

 

西楽所

 

本宮外玉垣御門(拝殿)

 

 

清水社

 

神木

 

御田神社

 

土用殿

 

 熱田神宮は、名古屋市南部の熱田台地の南端に鎮座する神社。古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られない。名神大社、尾張国三宮。三種の神器の1つである草薙剣を祀る神社として知られる。古くは尾張国における地方大社として存在感を示し、中世以降は政治的・経済的に急速に台頭して、「日本第三之鎮守」(伊勢神宮、石清水八幡宮に継ぐとする意)(『熱田明神講式』)、「伊勢神宮に亞ぐ御由緒の尊い大社」(『熱田神宮略記』)とされるほどの国家的な崇拝を受けるに至る。社殿は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった、という。

 

 熱田神宮参拝後、名古屋駅に戻り、新幹線に乗って東京に帰ってきた。