松蔭寺 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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 浜松の坐禅会に出席したついでに実家に帰省して、翌日は白隠禅師が住持した原の松蔭寺に行ってきた。臨済宗ということもあり、白隠禅師にはあまり興味がなかったが、静岡出身ということもあり、今回初めて訪れてみた。東海道線原駅から歩いて向かう。

 

JR原駅改札

 

 

 旧東海道を東進すると、すぐに徳源寺の寺標が目に入ってきた。

 

 

山門

 

 

参道

 

 

鎮守社?

 

本堂

 

 

 

庫裏&玄関

 

 臨済宗妙心寺派寺院。建久4年(1193年)に行われた富士の巻狩の際、源頼朝がこの地に陣営を構え、今の寺の位置に陣屋を建てたという伝説が伝わる。正應元年(1288年)、その陣屋を今律寺という律宗の寺に改めたのが、寺の起源である。その後無住の寺となるが、應安元年(1368年)、鎌倉の円覚寺創建に貢献した賢宗祖鑑和尚を開山として迎え、安泰山徳源禅寺と改めて臨済宗円覚寺派の寺として開創された。その後無住時代が続くが、承応3年(1654年)、興津清見寺から松厳宗密老師を招いて準開山とし、清見寺の末寺、妙心寺派となり、今に続いているという。

 

 徳源寺参拝後、浅間神社の社頭を通過し、原の交差点を渡るとすぐに、白隠禅師誕生地が見えてくる。

 

 

 

白隠禅師誕生地

 

白隠禅師産湯の井戸

 

無量堂

 

 

 無量堂参拝後、さらに東進するとすぐに松蔭寺の寺標が見えてくる。

 

 

山門

 

鐘楼

 

庫裏

 

 

本堂

 

 

白隠禅師墓所

 

 臨済宗(現在は白隠宗)寺院。江戸時代に白隠慧鶴が住持した寺として知られている。白隠の父の叔父である大瑞宗育が慶安年間に復興し、5代目住職を白隠慧鶴が、次いで遂翁元盧が住職を務めている。白隠は享保2年(1717年)に住職となり、享保3年、34歳の時、京都妙心寺の第一座となった。その後、松蔭寺には全国から雲水が集まり、白隠の会下で修行したことが知られている。明和5年(1768年)、白隠は84歳で入寂し、この寺の境内に墓がある(県指定史跡)。

 

 松蔭寺参拝後、さらに東進すると、長興寺の山門が見えて来た。

 

 

金毘羅堂

 

本堂

 

 

 

庭園入口

 

庭園

 

 臨済宗妙心寺派寺院。今から約640年前の康安年間、鎌倉建長寺の開山大覚禅師の弟子、友嶽和尚が行脚中、原大塚の海辺にさしかかった時、海の響きに感応道交して歓喜雀躍、念持仏の虚空蔵菩薩を奉安して一堂宇を建立。これがこの寺の始まりという。その後、江戸時代には、白隠禅師のもとに全国から集まってきた雲水たちの宿坊として使われたという。

 

 長興寺参拝後、原駅に戻り、東海道線に乗って帰途についた。