東京国立博物館の続き。東洋館を出た後は、かなり疲れたが、今回は、西洋美術館にも入ってみる。
国立西洋美術館

オーギュスト・ロダン「考える人」

オーギュスト・ロダン「説教する洗礼者ヨハネ」

14世紀シエナ派「聖ミカエルと龍」

解説によると、「龍と闘う騎士の像は聖ゲオルギウスとも考えられるが、この作品の騎士は天使のように翼を持っており、馬に跨っていないので、大天使聖ミカエルとする方が正しいであろう。天で戦争があったとき、ミカエルが龍と闘い地上に落下させたという黙示録(第12章7-9節)に基づく場面である。しかし龍退治に関するこの二つの主題はしばしば混同され、ここでもミカエルは地上で怪物を退治している。金地を背景に天使が楯を左手に持ち、右手を振り上げて龍を槍で刺し貫いているところである。赤、白、黄、緑青色の強い色彩の対照が美しく、また顔には緑などの微妙なニュアンスが施されていて、 14世紀シエナ派の装飾的でしかも叙情的な作風を充分に窺わせる。本作品はフィレンツェのローザー・コレクション旧蔵で、同コレクションではロレンツェッティに帰されていた。しかしエヴェレット・フェイおよびフェデリコ・デーリは、本作品をいわゆる「パルナ」(サン・ジミニャーノ僧院の新約伝壁画を描いた逸名画家)の作としている。また近年では、作者をアヴィニョンにおけるシモーネ・マルティーニ追随者「反逆天使の画家」であるとする説、ニッコロ・ディ・セル・ソッツォ周辺の画家であるとする説も出されており、作者の確定は今後の研究をまつ」という。
ティントレット「ダヴィデを装った若い男の肖像」

解説によると、「ティントレットは、ヴェネツィアを中心に活躍した画家です。彼はティツィアーノの晩年の様式を強く引き継ぎつつ、その一方でフィレンツェのマニエリスムをも吸収しました。若者が手にする剣と背景の人物を見ると、旧約聖書「サムエル記上」に語られるダヴィデとゴリアテの物語であることが分かります。このようにダヴィデに見立てた肖像を描くことによって、剣によって示される力としての強さだけではなく、しっかりと据えられた視線に暗示される、心の強さや正義に対する意志の強さも同時に表そうとしていると考えられます」という。
ルドヴィーコ・カラッチ「ダリウスの家族」

エヴァリスト・バスケニス「楽器のある静物」

ピーテル・ブリューゲル(子)「鳥罠のある冬景色」

アントニオ・ディ・ニッコロ・ディ・ロレンツォ(に帰属)
「典礼用詩篇集零葉」

カマルドリ会士シモーネ「典礼用詩篇集零葉」

コルネリス・デ・ヘーム「果物籠のある静物」

ペーテル・パウル・ルーベンス「豊穣」

解説によると、「《眠る二人の子供》同様、この《豊穣》の寓意画も習作であるが、前者がルーベンス35-36歳頃の作品と考えられるのに対して、後者はおそらく50代初めの制作であろう。本作品は、タピスリーのための下絵と思われ、同じルーベンスの手になる《正義》(個人蔵)と対をなす。画面中央の若い女性は「豊穣」を表わし、彼女の膝には「豊穣の角(コルヌコピア)」が置かれている。角からこぼれ落ちる果実は、人間に対する自然の恵みを象徴する。それを拾い集めているのは二人のプットーである。女性の足下の財布は、自然の豊かさに対する世俗的物質的な富を象徴しているのであろうか。ルーベンス自身の手になる油彩下絵の佳品である」という。
マリー=ガブリエル・カペ「自画像」

ウィリアム・アドルフ・ブーグロー「小川のほとり」

ポール・セザンヌ「散歩」

シャルル=ルネ・ド・ポール・ド・サン・マルソー
「マリー・バシュキルツェフの胸像」

9室。
クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」

クロード・モネ「黄色いアイリス」

解説によると、「ジヴェルニーに居を定めてからのモネのモティーフは次第にその庭園の内部に限られてゆくが、その一つである本作品は植物を描いた作品の中でもとりわけ装飾性の強いものである。障壁画を思わせる縦長の大画面は日本趣味を感じさせ、上昇する線がうねるように重なって空間を曖昧にしつつ華麗な効果を生み出している」という。
クロード・モネ「睡蓮」

クロード・モネ「舟遊び」

解説によると、「最初の妻カミーユを亡くしたモネは、1883年、2人の子供たち、そして後に正式に結婚することになるアリス・オシュデとその子供たちを連れ、ジヴェルニーへ移り住みます。画家はこの地で、自宅近くを流れるセーヌ川の支流エプト川で舟遊びを楽しむ家族の情景を何度も描きます。舟遊びは当時人気の休日の娯楽でした。 本作品は一連の「舟遊び」の作品のなかでも完成度の高いものです。画面いっぱいを占める水面の上半分は明るい空を映した青とバラ色、下半分は小舟と娘たちの影が濃紺や茶、青の筆触で描かれ、人も船も水面と同じ風景となって画面に溶けこんでいます。画家の関心は、揺らめく光と影が作りだす水面の色のハーモニーにあります。川の面を上空から見下ろす視点でとらえ、大胆に右半分を断ち切った小舟を配した構図は、日本の浮世絵からヒントを得たと考えられています。モネは浮世絵のコレクターでした」という。
クロード・モネ「睡蓮」

「50歳を超えたモネは、ジヴェルニーの自宅で庭園造りを始めました。樹木や花を植え、池には睡蓮が育てられ、モネはそれを繰り返し描くようになります。その水面は天候や時間帯によって表情を変えるため、画家の関心は尽きず、本作品の制作時にはすでに20年近く睡蓮が描かれていました。花や水面の影に見られる、細部を大胆に省略した表現は、後の表現主義や抽象絵画にもつながる、モネの革新性を示すものといえます」という。
クロード・モネ「セーヌ河の朝」

「1896年から翌々年にかけて、55歳のモネは早朝に起きて、「セーヌ河の朝」というシリーズを制作した。使用する色の数を抑え、装飾的効果をも狙ったと思われるこの連作の多くは、夏の朝、霧のたちこめるジヴェルニー付近のセーヌ河の風景を描いている。この連作中の一点とみなされる本作品《セーヌ河の朝》もまた、ほぼ同じ時期に同じ場所で制作されている。柳が水面に垂れ、草むらが波に洗われ、変転する自然の姿が、モネの立ち騒ぐ筆触の中から生まれ出てくる。しかし筆のめくるめく動きは、風に動く枝や葉や波そのものにとらわれるというよりは、移ろう自然の姿を一気に捉えようとするモネのいらだちと緊張を直に伝えているのである」という。
10室は、「アーティスト・バイ・アーティスト-西洋版画に見る 芸術家のイメージ」という小企画展をやっていた。

ルカス・フォルステルマン(父)「ジャック・カロの肖像」

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインレイデン
「柔らかい帽子と刺繍付きの外套をまとった自画像」

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインレイデン
「洋風を装った自画像」

アンゲリカ・カウフマン「自画像(希望)」

マリー=ジュヌヴィエーヴ・ブリアール「自画像」

解説によると、「18世紀のパリにおいて華やかな宮廷文化の担い手となったのは、上流階級の才気にあふれる女性たちであった。このことは美術の領域にもあてはまり、世紀の後半にはかつてないほどに多くの女性画家が活躍した。そうした画家の一人であるブリアールは、ルイ16世の宮廷画家デュプレッシスらのもとで絵を学び、伝統的に女性が描くことを許されていた肖像画の分野で成功をおさめた。本作品のモデルは、フランスのアンジェール美術館に所蔵される1792年作の署名入りの自画像との比較から、画家自身であることがわかる。パステル画の特性を存分に生かし、明るく柔らかな色調で描き出された彼女の表情は、画家としての自信に満ちているようにみえる」という。
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ
『ロス・カプリーチョス』:「画家フランシスコ・ゴヤ」

フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ
『ロス・カプリーチョス』:「理性の眠りは怪物を生む」

解説によると、「ゴヤは、今日でこそ西洋版画史上屈指の巨匠に数えられているが、生前その分野での活動はほとんど知られることがなかった。彼の四大版画集、「ロス・カプリーチョス」(一般に“気まぐれ”と訳される)、「戦争の惨禍」、「闘牛技」、「妄」のうち、「戦争の惨禍」と「妄」は作者の死後40年近くを経てようやく出版され、「ロス・カプリーチョス」は、異端審問所の圧力を受けたのであろう、彼自身の言葉によれば2日間に僅か27部を売っただけで販売を中止している。それは、彼の版画がきわめて辛辣な社会批判を含んでいたこと、そして、その想像力があまりに独創的であったことによるものと考えられる。 「ロス・カプリーチョス」が発売されたのは、1799年2月であるが、その制作にはかなりの歳月を要したものと想像される。彼は1796年から97年にかけて描き綴った「サンルーカル画帖」と「マドリード画帖」のスケッチを一部参考にしつつ、セピア・インク、赤チョーク、赤インクなどさまざまな技法を用いて多数の習作素描を作り、これらをもとに版を刻んでいるが、エッチングによる線描を主体にしたものから、アクアティントによるハーフトーンに重きを置いたもの、描線を用いずに幾層ものハーフトーンだけで画面を構成するものまで、版画技法も多岐にわたり、曲折した推敲過程と版画技法の習熟に対するゴヤの熱意のほどが窺われる。ゴヤの制作意図は、自由主義の立場から当時スペインを支配していた堕落した貴族社会と教会を批判し、民衆の覚醒を促すことにあった。しかし、それと同時に、アルバ侯爵夫人との失恋や女性美に対する屈折した感情も赤裸に示され、また、理性の光の届かない闇の世界への憧れも垣間見られるなど、この版画集は1790年代後半のゴヤの置かれた情況を雄弁に物語っている」という。
エドゥアール・マネ「ベルト・モリゾの肖像」

フェリックス・ブラックモン
「セーヴルのヴィラ・ブランカスのテラスにて」

ウジューヌ・カリエール「オーギュスト・ロダン」

エドヴァルド・ムンク「眼鏡を掛けた自画像」

パブロ・ピカソ「1968年5月16日 VI」

一階に降りて11室に入る。
ポール・セザンヌ「ポントワーズの橋と堰」

「パリから約28km離れ、近代化された町並と田園の風景が融合した町ポントワーズで、セザンヌは1872年から1881年まで、印象派の画家ピサロと多くの時間を共有し、ときにイーゼルを並べ同じ風景を描きました。この経験は、それまで陰鬱な主題を暗い色調と重い筆触で描いていたこの画家を、明るく軽快な作風へと導きます。さらにセザンヌは、ここから単なる自然の再現ではない、創作物として自立した構築的な画面を作り出す道を辿ります。その際、全体の構図や色彩だけではなく、筆触のあり方もまた構成上の重要な要素となりました。本作の水面から橋、丘、空に向かって積み上げられた構図、様々な方向を向く多様な筆触は、この後晩年に向かうに従い、いっそう意図的に用いられるようになり、セザンヌ独自の様式を顕著に示すものとなりました」という。
モーリス・ドニ「踊る女たち」

ギュスターヴ・モロー「牢獄のサロメ」

「モローは、19世紀フランスの象徴主義の画家です。本作品の主題は「洗礼者ヨハネの斬首」です。ヨハネは、ユダヤの王ヘロデが兄弟の妻ヘロデアを娶ったことを非難して捕えられます。さらにヘロデアが連れ子サロメの舞の褒美に彼の首を所望したため、斬首されました。世紀末芸術では、サロメは男を滅ぼすファム・ファタルとして描かれますが、本作では、ヨハネに対するサロメの微妙な心理面がクローズアップされています」という。
ポール・シニャック「サン=トロぺの港」

「シニャックは彼とともに新印象主義の護持とその理論の普及を行なったスーラの死によって大きな衝撃を受け、その翌年の1892年、友人の画家クロスの勧めによってヨットによる地中海巡航の旅に出た。彼はこの旅行中、まだ小さな漁港であったサン=トロペを発見し、以後10年ほどは、こことパリを往復しつつ制作を行なうこととなる。この期間中、シニャックの芸術傾向は次第に著しい変化を見せる。まず構図の線的な厳格さが和らぎ、色彩の面では新印象主義絵画に特有の描点の粒が大きくなる。後者の変化は、点描派の当初の目的であった視覚混合よりも、個々の色彩の特性とそれらの対比を強調することになる。サン=トロペ港の全景を描いた本作品は、この時期の彼の絵画では最もモニュメンタルなものであり、またこうした様式の変化を端的に示すことによって、新印象主義からの脱却とフォーヴィスム誕生の準備という、世紀の変わり目におけるシニャックの業績を代表する作品となっている」という。
ひと通り見たので、これで帰宅した。