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QVOD TIBI HOC ALTERI

Das ist ein Tagebuch...

 西国三十三所(興福寺南円堂)の続き。南円堂で納経後、春日大社に行く予定であったが、あまりの暑さで断念し、京都に戻り、西国観音とは無関係であるが、臨済宗の巨刹である南禅寺及び相国寺を参拝する。まずは南禅寺。蹴上駅から歩いて向かう。

 

ねじりまんぽ

 

 

何有荘

 

 

南陽院

 

金地院東照宮 楼門

 

金地院 大門

 

 徳川家康の信任が篤かった以心崇伝が住持した塔頭寺院。十万石の格式を与えられただけでなく、五山十刹以下全ての臨済宗寺院の住職の任命権を有した僧録司が置かれたという。小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定されている。

 

東照宮下乗門

 

南禅寺 中門

 

勅使門

 

三門

 

 

 

法堂

 

 

 

 

 

本坊(庫裏)

 

景烈祠

 

 

最勝院

 

 この塔頭の奥之院に行きたかったのだが、帰りの新幹線の時間の都合で無理であった。

 

水路閣

 

天授庵

 

 

 山号は瑞龍山、本尊は釈迦如来。開山は無関普門(大明国師)、開基は亀山法皇。正式には太平興国南禅禅寺と号する。日本最初の勅願禅寺で、「五山の上」に位置づけられた、最も格式の高い臨済宗寺院。南禅寺参拝後、最後に京都五山第二位の相国寺を参拝する。今出川駅から歩く。

 

総門

 

勅使門

 

放生池&天界橋

 

玉龍院

 

光源院

 

法堂

 

 

 

 

 

経蔵

 

八幡宮(鎮守)

 

浴室

 

方丈

 

 

庫裏(香積院)

 

鐘楼(洪音楼)

 

弁天社

 

 

大通院(専門道場)

 

 山号は萬年山、本尊は釈迦如来。開山は夢窓疎石、開基は足利義満。隣接して、本来寺域であった所には同志社がある。足利将軍家縁の禅寺である相国寺を急ぎ足で参拝後、京都駅に戻り、新幹線に乗って帰京した。

 西国三十三所巡礼(與喜天満神社)の続き。第八番の長谷寺参拝。

 

仁王門

 

登廊

 

歓喜院

 

梅心院

 

慈眼院

 

嵐の坂

 

手水舎

 

 

 

蔵王堂

 

 

三百余社

 

鐘楼

 

本堂

 

 

外舞台から見えた大講堂&本坊

 

本堂

 

 

 

 

 

大黒堂

 

愛染堂

 

三社権現

 

 

弘法大師御影堂

 

 

一切経蔵

 

本長谷寺

 

 

五重塔

 

 

奥の院(興教大師祖師堂)

 

開山堂

 

 

本願院

 

 素晴らしい景色と堂宇の宝庫である長谷寺で納経後、七番の岡寺に行く予定であったが、長谷寺での滞在時間が長すぎて、難しくなったので、番外札所の発起院を経由して、九番の興福寺南円堂に向かうことにした。

 

法起院 山門

 

本堂

 

徳道上人御霊廟

 

はがきの木

 

 

 法起院で納経後、長谷寺駅から近鉄奈良駅まで乗車し、到着後、南円堂に歩いて向かう。五重塔修復工事のため、東金堂が拝観できなかった。

 

 

 

 

東金堂

 

中金堂

 

 

南円堂

 

 

鐘楼

 

北円堂

 

三重塔

 

 

猿沢池

 

 藤原氏氏寺である興福寺の南円堂で納経後、春日大社に行く予定であったが、あまりの暑さで断念し、京都に戻り、西国観音とは無関係であるが、南禅寺及び相国寺を参拝することにした。

 

(続く)

 本日は、今回の西国三十三所巡礼最終日。まずは、第八番の長谷寺。近鉄長谷寺駅から歩いて向かう。天候は、晴れ。

 

長谷寺駅前の寺標

 

長谷寺方面の景色

 

 

初瀬交差点

 

参急橋から見た初瀬川

 

旧初瀬参道

 

長谷山口坐神社遙拝所

 

 

 

法起院(西国番外札所)

 

 

 かつて長谷寺の鎮守社であったという、参道途中にある與喜天満神社を参拝する。

 

天神橋から見た初瀬川

 

参道石段

 

與喜天満神社 鳥居

 

泊瀬稲荷社

 

 

手水舎

 

境内

 

中門

 

本殿

 

境内社

 

拝殿

 

鵝形石&沓形石

 

脇門

 

 與喜天満神社参拝後、素盞雄神社を経由して長谷寺に向かう。

 

 

 

素盞雄神社 鳥居

 

玉鬘の大銀杏

 

秋葉社

 

拝殿

 

本殿

 

連歌橋から見た初瀬川

 

門前町

 

中之橋天満神社

 

 やっと長谷寺到着。

寺標

 

総受付

 

普門院不動堂

 

 

仁王門

 

(続く)

 西国三十三所巡礼(中山寺)の続き。

 

境内

 

本堂

 

 

 

 

 

 

護摩堂

 

開山堂

 

大師堂

 

 

五重塔

 

 安産祈願で有名な中山寺で納経後、本日最後は、第五番の葛井寺。近鉄藤井寺駅から歩いて向かう。

 

参道入口

 

地蔵尊

 

四脚門

 

護摩堂&本堂



宝蔵


護摩堂

 

 

南大門

 

仁王像

 

 

 

大師堂

 

 

釣鐘堂

 

本堂

 

 

出世地蔵



 阿弥陀堂が修復工事中であった葛井寺で納経後、隣接する辛國神社の社頭を通り、駅の戻り、天王寺を経由して、京都に戻った。

 

 

 西国三十三所(総持寺)の続き。総持寺で納経後、次は宝塚の二十四番中山寺。中山観音駅から歩いて向かう。

 

 

 

山門

 

 

仁王像

 

 

参道

 

総持院

 

 

 

 

華蔵院

 

 

宝蔵院

 

 

 

成就院

 

 

 

参道脇のあじさい

 

観音院

 

 

 

境内

 

五百羅漢堂

 

水掛地蔵

 

閻魔堂

 

 

寿老神堂

 

 

鐘楼堂

 

白鳥塚古墳(中山寺古墳)

 

石の櫃

 

大黒堂

 

 

阿弥陀堂

 

亥の子地蔵

 

六角堂

 

宝蔵

 

大願塔(多宝塔)

 

鎮守社


(続く)

 西国三十三所巡礼(善峯寺)の続き。善峯寺で納経後、阪急線に乗り、茨木市の二十二番総持寺に向かう。

 

 

 

 

寺標

 

 

開山堂

 

 

仁王門

 

仁王像

 

 

境内

 

庫裏?

 

大師堂

 

 

 

鐘楼

 

水天社

 

本堂

 

 

 

 

 

薬師金堂

 

 

 

地蔵尊&焔魔堂

 

五社稲荷大明神

 

荒神社

 

経蔵

 

鎮守社

 

普悲観音堂

 

東門

 

 開基である藤原山蔭は、四条流庖丁道という新たな庖丁式(料理作法)を定めたことから、この寺は、特に料理人の信仰を集めているという。総持寺で納経後、次は二十四番中山寺。中山観音駅から歩いて向かう。


(続く)

 西国三十三所巡礼二日目。本日は、まずは第二十番の善峯寺。阪急東向日駅からバスに乗車して向かう。駅到着後、バスの発車時間までかなり時間があったので、近くに鎮座する式内社の向日神社を参拝する。天候は、曇り。

 

西国街道入口

 

 

 

 

 

向日神社 大鳥居

 

宮司邸?

 

参道

 

 

勝山稲荷社 鳥居

 

拝殿

 

本殿

 

元稲荷社

 

天満宮社

 

向日神社 手水舎

 

舞楽殿

 

 

拝殿

 

本殿(覆屋)

 

 

御霊社

 

 応永29年(1422年)再建の本殿は国の重要文化財で、室町時代の流造を代表するものという。向日神社参拝後、バスに乗り、善峯寺に向かう。

 

バス停付近の善峰川

 

参道入口

 

 

坐禅石

 

 

 

善峯寺 東門

 

 

山門

 

仁王像

 

 

 

手水舎

 

観音堂

 

 

 

 

地蔵尊

 

大師堂

 

鐘楼堂

 

護摩堂

 

 

遊龍の松

 

経堂

 

 

多宝塔

 

幸福地蔵

 

あじさい苑

 

鎮守社

 

桂昌院廟

 

 

釈迦堂

 

 

 

稲荷社

 

けいしょう殿

 

けいしょう殿からの眺め

 

薬師堂

 

 

蓮華寿院旧跡庭

 

阿弥陀堂

 

本坊

 

 桂昌院ゆかりの門跡寺院でもある善峯寺で納経後、次に向かった札所は、二十二番総持寺。阪急総持寺駅から歩いて向かう。


(続く)

 西国三十三所巡礼(岩間寺)の続き。岩間寺で納経後、来た経路を戻り、京都駅から山陰本線に乗り換え、並河駅からバスで二十一番穴太寺に向かう。

 

保津峡

 

 

参道

 

仁王門

 

仁王像

 

 

境内

 

鎮守堂

 

 

鐘楼

 

手水舎

 

多宝塔

 

三十三所観音堂

 

円応院(本坊)表門

 

本堂

 

 

 

 

念仏堂

 

地蔵堂

 

 札所本尊は、「身代わり観音」として『今昔物語集』にも取り上げられ、国の重要文化財でもある木造聖観音立像であるが、今から五十年以上前に盗難に遭い、今も行方知れずという。穴太寺で納経後、亀岡経由で京都に戻り、本日のお宿に向った。以下は、今回のお宿の近くにある平等寺(因幡堂)。

 

 

 

 到着したのは午後六時近くだったので、すでに閉門していた。

 

 

 

 真言宗智山派寺院。山号は福聚山。本尊は薬師如来。因幡堂、因幡薬師の名で親しまれているという。本日は、ここまで。

 西国三十三所巡礼に行ってきた。今回は、まず第十二番の岩間寺(正法寺)。石山駅からバスに乗車し「中千町」で下車、歩いて向かう。天候は晴天。暑い。

 

車内から見えた瀬田川

 

 

中千町バス停付近

 

 

 

 

 

 

 

奥宮神社鳥居

 

 

 

 

 

 

 

 かなり暑く、登坂がきつく感じられたが、なんとか40分程度で到着。

 

寺標

 

鐘楼

 

仁王像

 

大銀杏

 

稲妻龍王社

 

大師堂

 

手水舎

 

不動堂

 

芭蕉の池

 

 

本堂

 

 

護法龍王社

 

境内から見えた景色


 長寿桂を撮影するのを忘れた岩間寺で納経後、次に二十二番の穴太寺に向かう。来た経路を戻り、京都駅で山陰本線に乗車し、亀岡駅からバスに乗車して向かう。

 

(続く)

 本日は、月例の坐禅会に出席するために、中野坂上の成願寺に行ってきた。

 

山手通り沿いの達磨絵

 

竜宮門(鐘楼門)

 

六地蔵

 

円通閣(百体観音堂)&龍鳳閣(開山堂)

 

円通閣

 

龍鳳閣

 

本堂

 

 

鍋島地蔵

 

 今回の提唱は、『正法眼蔵』第七十の「虚空」。

 

 <這裏是什麼処在のゆゑに、道現成をして仏祖ならしむ。仏祖の道現成、おのづから嫡嫡するゆゑに、皮肉骨髄の渾身せる、掛虚空なり。虚空は、二十空等の群にあらず。おほよそ、空ただ二十空のみならんや、八万四千空あり、およびそこばくあるべし。

 撫州石鞏慧蔵禅師、西堂智蔵禅師に問ふ、「汝還た虚空を捉得せんことを解する麼。」西堂曰、「捉得せんことを解す。」師曰、「你作麼生か捉する。」西堂、手を以て虚空を撮す。師曰、「你虚空を捉せんことを解せず。」西堂曰、「師兄作麼生か捉する。」師、西堂が鼻孔を把りて拽く。西堂、忍痛の声を作して曰く、「太殺人、人の鼻孔を拽いて、直得脱去す。」師曰、「直に恁地に捉することを得て始得ならん。」
 

 石鞏道の汝還解捉得虚空麼。なんぢまた通身是手眼なりやと問著するなり。西堂道の解捉得。
虚空一塊触而染汚なり。染汚よりこのかた、虚空落地しきたれり。石鞏道の你作麼生捉。換んで如如と作すも、早く是れ変じ了りぬ也。しかもかくのごとくなりといへども、変るに随ひて如にして去る也。
 

 西堂以手撮虚空。ただ虎頭に騎るを会して、未だ虎尾を把るを会せずなり。石鞏道、你不解捉虚空。ただ不解捉のみにあらず、虚空也未夢見在なり。しかもかくのごとくなりといへども、年代深遠、伊が為に挙似せんと欲はずなり。
 

 西堂道、師兄作麼生。和尚も也た一半を道取すべし、全く某甲に靠ること莫かれなり。石鞏把西堂鼻孔拽。しばらく参学すべし、西堂の鼻孔に石鞏蔵身せり。あるいは鼻孔拽石鞏の道現成あり。しかもかくのごとくなりといへども、虚空一団、磕著築著なり。
 

 西堂作忍痛声曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去。従来は人にあふとおもへども、たちまちに自己にあふことをえたり。しかあれども、自己を染汚することは即ち得ずなり、修己すべし。>

 

 虚空を捉えてみろと兄弟子の石鞏に言われたので、西堂は虚空を掴む素振りをした。そしたらそれじゃ駄目だと石鞏に言われた。西堂は、それじゃどうすれば良いのかと石鞏に尋ねた。そしたら石鞏は西堂の鼻を掴んで思いきり引っ張った。すなわち、これが虚空(真相)を捉えるということだ、と。

 

 独参に行った。今回は、次のような質問をしてみた。「ご老師は、涅槃を知っておられます。どうか私に涅槃をお示しください。」ご老師のお答えは、「常に(涅槃を)示しているはずだが。」であった。確かに、常に示しておられる。

 

 こんな質問をした理由は、前日の恵比寿の福昌寺での坐禅会で、ご老師が扇子で机を叩かれたときの音に、不生不滅の涅槃を見たからである。

 

 頭おかしいと思われそうなことを書いているが、さらに言うと、高校生の頃、キリスト教の聖書を読んで、「敵を愛する」という言葉に疑問が生じた。その疑問に対する答えがここ(禅)にあった。つまり、ある人を「敵」と見なすのは後付けの主観的評価に過ぎず、事実ではない。事実には「敵」などという名称、評価は何処にも付いておらず、ただそうあるだけである。さらにそれは、「他己」(自分の様子)ですらある。

 

 その意味で、「敵を愛する」ことは、何ら理不尽なことではない。「どうして敵を愛せるのか?」を探る長かった探求の旅もこれで終わり、あとは実践あるのみである。