今日雨のため免許更新に行ってきた。

2回目の免許更新。水色から金色へ。

やっとゴールドだ!

無事故無違反これからも継続していこうと心に誓う。


さてさてそんなことより、

免許の形態が変わったことについてだ。

ICチップが導入されたことだ。


ICチップの導入により何が変わったのか?


ICチップ化のため本籍の記載がないこと。

免許の厚みが多少増したこと。

そのくらいか。


これで偽造防止による不正利用を防げるからと、

本籍が記載されてないから個人情報保護になるからという理由くらいだ。


免許更新時に暗証番号を考えなければならない。

それも2つもだ。


今の生活は暗証番号で埋め尽くされている。

クレジットカード、銀行カード、免許証、パソコン、携帯電話…。

インターネット上のいろいろな登録パスワード等。

半角の英数字が頭の中を飛び交っている。


こんなにも覚えられるのか。

若い世代は慣れているから大丈夫だろうが。

こんないくつもの番号忘れてしまうよ。


個人情報保護という名目での行政管理社会なんだろうなと。

国民は数字で管理されているということだ。

枠から外れたら数字だけで枠外者として扱われる。

ヒトをヒトとしてではなくモノとして見られているのかもしれない。


なんか狭苦しい社会になった気がする。

そのうち生まれたと同時にICチップを身体に組み込まれるかもしれない。

国民は行政の思うままに。

ロボットのようだ。


もしヒトの頭の中を覗き込むことができたら、

半分は数字でフワフワしているかもしれない。

百姓とはまた別の顔を持っている自分。
もうすぐ1年目を終了する消防団だ。
これも一応地方公務員になるのだろうか?

そんなことで地元で火災があると出動する。
近くで消防車のサイレンが鳴るのを聞くと、
来るぞ来るぞという多少の緊張が走る。
携帯のメールで署から出動要請が来る。
それよりも団長からの呼び出し電話の方が早い。

昨日の土曜にも出動があった。
家の梨畑で仕事していると消防車のサイレン。
緊張が走る。
ここら辺なのか?
いやいや我孫子のだろ!?
電話かメールきそうだなぁと、
ドキドキと緊張が走る。
携帯を握り締めちらちらと画面を覗き込む。
震える。
音も鳴りわめく。
ハナレグミの「明日天気になれ」。
今日は晴れてくれなかった…。
団長からの電話。
「今すぐ行きます!」
その一言で消防小屋へと向かう。


消防小屋に到着すると団長1人だけ。

あれ?他の団員は?

仕事だったり連絡つかなかったり。

地元に住んでいるからといって、

地元で仕事している人は限られている。


消防車に乗り込む。

ヘルメットを装着。

赤色灯とサイレンを鳴らし準備完了。

現場へ出発だ。

合法的に信号無視。

なんという快感。

そんな快感に浸ってる場合ではない。

火事なんだから。

気持ちは消防員。

ではなく○○戦隊○○ジャーという感じだ。

炊飯ジャーかチャレンジャーか。

そんなくだらないことを言うのは誰ジャーか。おれジャー。

こんなことを考えている場合ではない。

火事なんだから。

でも戦隊モノのレッドより、

3番目くらいに目立つ中途半端なグリーンが好き。


途中で犬の散歩をしてて慌てて戻ってきた団員1人を乗せ現場へと向かう。

現場付近は辺り一面田んぼだらけ。

住宅火災でないだけ一安心。

煙の上がっている場所を探す。

あれか?あっちじゃないか?

この時期至る所で野焼きがされているからだ。

そんな野焼きをしている田んぼの間から、

本署の消防車の集まりが見えた。


現場に到着。

現場はすでに鎮火済み。

2次火災が怖いということでまだ放水しっぱなしだが。

場所は沼っぺりの枯れた葦やら何やらでいっぱいな畔。

いかにも燃え尽いたらひとたまりもないという感じだ。


実はこの沼っぺりの火災は2度目。

しかもちょうど1週間前の土曜日で時間帯も同じ。


前回の現場から数百メートルしか離れていない。

ということで放火だろうという線で見ている。

犯人はつかまらない。



いっそのこと畔すべて燃やしてしまえばいいのに。

しかしそれはできないらしい。

日本野鳥の会の猛反発によるものらしい。

確かに手賀沼周辺にはたくさんの野鳥がいる。

田んぼをトラクターで耕すと、

土の中のミミズやら虫やらを食べたくて、

野鳥がいつの間にかやってきている。

そして手賀沼の北側、我孫子市には、

日本で唯一の鳥類専門の博物館や、

皇室とも縁の深い山階鳥類研究所がある。

鳥の博物館にはたまに「とりくん」がいるというのは豆知識かも。

あのキャピキャピしてる「さかなくん」のとりver.と思ってくれればいい。

けど見た目からしてさかなくんのようにキャピキャピしてない。


とにかく火の扱いには注意してもらいたい。

もちろん放火なんてくだらないことは絶対におやめください。

国の政策に苛立ったから?むしゃくしゃして?

こんなくだらないことで放火なんてしたら人生終わります。

そして消防団員の1日の予定も狂います。

仕事も中途半端になっちゃったりと。

でもまぁ消防団員は出動すると出動費が支払われます。

それはもちろん税金からです。

大してすることもないのに、お小遣い稼ぎに

至る所から消防団が野次馬のように湧き出てきますから。

もちろん私もお小遣い稼ぎに出動します。

まぁ建前は地域の安全を守るためにですが。

バファリンの半分はやさしさとかいうのと一緒です。

地域の安全、半分はお小遣い稼ぎのため出動します。

だから火の扱いには気をつけて。


放火はやめなはれ。

ほーか、ほーか、なんて言うのはやめなはれ。

そんなこという私はアホーか。

アホーは寝てまえ。

(果報は寝て待て)

日本人はネチネチと怒りを継続する。

この前言ったことをまたかよと。

怒ってからもネチネチとしつこい。


ドイツでは違った。

ドイツ人、たぶん欧州人はそうなのかもしれない。

1回大きな怒りをしたら、その後はもう終わり。

いつまでもネチネチと怒っていない。

あぁ起こられてしまったなぁと、

これから気まずいなぁと思っていて話しかけずにいると、

相手から話しかけてくる。しかも笑顔で。

怒ってない!?

怒りはどこか遠くの方へ行ってしまってるような。

そんな1回きりだけで、その後はもう過去のことで切り替わる。

オンとオフがきっかりしているというか、

とてもやりやすかった。


だからそこでもし自分に非がないと思うのならば、

怒られたときに言わなければならない。

ここで言わなかったら自分の負け。

チャンスは1回きりだ。


日本人は過去のことを穿り返して、

「あの時は…」「あんなことしたから…」などと過去にこだわる。

あまりにもしつこい。

ネチネチネチネチと…。


一昔の日本はすべて「気合」で片付けていたのだが。

なにか失敗すると鉄拳制裁というような。

それが今はなくなってしまった。


北京五輪の結果から考えてもそんなことを伺えた。

日本の「気合」文化のあるスポーツ、

柔道やら剣道やらの個人スポーツ。

瞬間的にチカラを発揮させる。


さて柔道はどうだっただろうか。

メダル数から言えば柔道発祥国日本の圧勝だったが、

過去最低のメダル獲得数であった。

開催国があれなのでいろいろとあったとは思うが…。

男子にいたっては元々実力のあった内柴と新星の石井のみ。

逆にヨーロッパ勢の活躍が目立った。

金メダルだけ見れば少ないかもしれないが、

メダル数だけで見ると、

フランス4個にオランダ5個と健闘した。

「気合」の文化が欧州には根付きつつあるのかもしれない。

確かにドイツも柔道競技が盛んだった。

ドイツの場合、JUDOと書いてユードーと言われていたのだが。


それではネチネチとこねくり回すようなスポーツはどうなのか。

例えばサッカー。

味方同士でパスをまわし隙を見つけてはゴールを奪いに行く。

「気合」だけでは空回りしてしまう。

だからといって元々の個人能力差があるため、

日本の男子サッカーは予想通り(?)散々な結果だった。

野球も期待には答えられず勝負弱さが出てしまった。

しかし女子では、サッカーにソフトボールに大健闘した。


この「気合」というのは今の日本にはなくなっているのかもしれない。

「気合」というか男の威厳というものがなくなっているのかもしれない。

それは男女平等という理念から仕方ないのかもしれないが。

みんな平等。枠から外れたものは不良扱い。

「不良」という属性はあって「良」という属性はないということだ。

ありきたりな普通の人の集まる世の中だ。

子供にはゲームを与えて家に閉じこませる。

家では勉強かゲームかテレビだけ。

勉強させるためにゲームを与える。

学校でも少しでも枠から外れると「不良」扱い。

運動会でみんなでゴールとか。

「平等」が変な方に向いてるのかもしれない。

普通がこの世の中に蔓延している。

普通の中にいればそれで安心する。

「個性的=変人」になる世の中だ。


男女平等で女性の社会進出は進んだ。

女性も力を持つ時代になった。

いや元々力はあったのかもしれないが発揮できずにいたのだろう。

男性はどんどん力をなくしているのかもしれない。

だから鬼嫁なんて言葉まで出てきている。

女性が輝く時代になったとも言えるだろう。

女性は強しという時代だ。


男性の女性化が目立ってきたのかもしれない。

女性は本来の力を発揮しているだけで男性化とは言えないだろうが。

街中を見ても中性的な人が増えた。

女の子のような顔立ちに女性のようなファッション。

テレビではオカマちゃんが番組を持つようになったり、

ゲイを公言する芸能人も増えてきた。

平等。

けど何か全てが中途半端。

これも個性、あれも個性、

それはそれでいいのかもしれないけど、

なんかフワフワしている感じ。

海に浮き輪かぶってただ波に身をまかせて揺れている感じがする。

この世の中は。


ネチネチと言ったっていいと思う。

けど一発だけの欧州の方が、

いろんなことがはっきりしてていいなぁと思う。

言いたいことも遠慮して言えない世の中。

政治家の発言は右に左に、曖昧な表現に。

アメリカが金魚だとすると、

日本は金魚の糞かもしれない。

アメリカの後ろにしがみついてただ揺れているだけの。


金魚の糞じゃなくて、

金魚の糞の中にいる微生物になって、

自由に水の中を泳ぎたい。


人間は唯一、地球上で、

地球にアクションを起こしている生物である。

この遺伝子組み換え作物だってその数あるアクションの1つでしかないのだ。


* * * * * * * * * *


世界の多くの国で利用されている遺伝子組み換え作物でも、

日本はまだ批判的な立場にいる。


それではなぜ日本に研究農場があるのだろうか?

日本モンサントの研究農場はアメリカの本社から出資されて作られた。

これは少なからず近い未来、遺伝子組み換え作物の導入をアメリカに迫られるからではないだろうか?

しかし現在のところ、日本モンサントは日本での販売は考えていないという。

販売に踏み切れない理由はまだ判断できない段階であるということからだ。

またまだ需要がないため販売に無駄な金を投資したくないということだからだ。


しかし近い未来、必ずといっていいほど、

遺伝子組み換え作物は市場に出回ることになるだろう。

今までの数々の事柄からアメリカの圧力に屈してしまうのは目に見えている。

それを見込んでアメリカ本社から出資して日本に研究農場が作られたに違いない。

「総理、アメリカの圧力なんかに負けるな」と言いたいところだが、言ったところで期待できない。

というか期待なんてこれっぽちもしていない。


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さて遺伝子組み換え作物が日本市場に出回ったらどうするか?

外食産業は安定した収量が見込め安い遺伝子組み換え作物を重宝することになるだろう。

加工食品業だって安いなら重宝することだろう。

一般市場にだって加工食品をはじめ、出回るかもしれない。

じゃあ消費者はどうすればいいのか?

はっきり言ってどうすることもない。

消費者は「選択」できる。それも自由にだ。

私たち自身の判断で「選択」すればいいだけのことだ。


生きることは食べること。


その「食べる」にまず金をかけないといけない。

「安全」は今の世の中、それ相当の価値を対価として払わなければ得られないのだ。

それだけいろいろなものがこの日本の中には流通しているということだ。


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さて生産者の立場で考えるとどうだろうか?


私自身は遺伝子組み換え技術の是非はまだわからない。

食糧自給率40%をきるこの日本で、

安定した食料供給とコスト削減を得られることは魅力的かもしれない。

これが広まれば穀物自給率も上昇するかもしれない。


ただ私自身としては栽培はしたくない。

ラウンドアップ耐性の大豆なら、

成長期にラウンドアップを撒くだけで、雑草に影響されず収穫できてしまう。

害虫耐性のトウモロコシなら、

害虫の影響がなく、殺虫剤も撒くことなく除草剤だけ撒いてれば収穫できてしまう。


これが有機農業だったら、

雑草は炎天下の中、汗かきながらむしり取らなければならない。

害虫を見つけたら1匹1匹潰す。害虫にやられたと苦汁を舐めることもあるかもしれない。


楽して遺伝子組み換え作物を栽培するか、

苦労してでも有機農業でやるか、ここで生産者は「選択」を迫られる。

私は後者を選びたい。

「楽=楽しい」ではないはず。

苦労があるからこそ、達成感という「やりがい」と「喜び」につながる。

それが「楽しい」ということではなかろうか。


遺伝子組み換え作物が日本で栽培されるとする。

それは日本にとって利益はあるのだろうか?

農薬全盛期の時代にさかのぼり、

歴史はまた繰り返してしまうのではなかろうか。

そしていずれまた日本本来の農業が見直されるという時代が来るのではなかろうか。

今の農家には遺伝子組み換え作物の栽培はしてもらいたくない。

企業が自社農場等で勝手に栽培するのは一向に構わないのだが。

まぁ企業は世間のイメージがあるからしないだろうけれど。


遺伝子組み換え作物よりもまず、

エネルギー問題の解決を願うばかりだ。


* * * * * * * * * *


何を「選択」するかは私たち自身、平等、そして自由に持っている。

あなたは遺伝子組み換え作物を食べたいと思いますか?


実は日本でも遺伝子組み換え食品を食べることができます。


商品名:発Dr.冨ちゃんの『納豆のススメ』

・遺伝子組み換え大豆95%を使用した食品

・日本で初めて「遺伝子組み換え」の表示


北海道大学名誉教授の冨田房男氏ら研究者によるベンチャー企業

(有)A-HITBio が2003年11月から発売開始された。


そして2004年8月よりドライ納豆 の発売も開始された。


「安全性が十分に立証されたにもかかわらず、日本の消費者が口にする機会がないため、

実際に消費者が遺伝子組み換え食品を食べられる機会を作りたい」とのこと。


もし興味があったら食べてみたらいかが?

日本モンサントでお土産としてドライ納豆をもらったがまだ食べていないです。


「それは食べても安全なのか?」

「健康に影響は与えないのか?」

「また環境に影響は与えないのか?」

日本人が非常に気にする言葉。

まぁそれだけ食・環境に対する安全性や影響がメディアを通して、

ほとんど毎日のように入ってきているわけなんだろうが。

本来は食品の安全性なんて当たり前のことだったんだが。

本来当たり前のことが今は当たり前でなくっている。

だからわざわざ気にしないといけない世の中になっている。

それもまだ最近のことなんだけれども。


* * * * * * * * * *


今回は遺伝子組み換え技術に関して、

環境に対しての「安全性」、

そして食品としての「安全性」、

この2つの「安全性」について語る。


まずは環境に対しての「安全性」から語る。
日本モンサントの研究農場は他の田畑から隔離されている。

遺伝子組み換え作物が自然に増えないように、

花粉等が圃場外の植物に影響を与えないようにフェンスや防風網で囲まれている。

この隔離圃場は、カルタヘナ法(遺伝子組み換え生物等の

使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律) に基づいて、

農水省と環境省に提出した栽培実験計画書と、

専門家の科学的審査の結果、認可を受けている。


この隔離圃場である河内研究農場では、

ラウンドアップ・レディーの大豆と

害虫抵抗性トウモロコシの試験栽培をしている。



大豆は自家受粉なので交雑の可能性は極めて低いのだが、

周辺への交雑防止措置として隔離距離を10m以上とって栽培している。

またこの遺伝子組み換え大豆を隔離圃場外に運び出す場合は、

密閉容器などに入れてこぼれないようにしている。


トウモロコシの場合、周辺の交雑防止措置として、

開花前の除雄、袋かけの等の措置を行っている。

また圃場外に運び出す場合は大豆同様密閉容器に入れている。


どちらの場合に対しても、

食べることはもちろん、収穫もしないことを原則としている。

焼却、あるいはすき込んで処理している。



農水省、環境省、そして専門家の科学的審査により、

「安全性」は確認されているという事実はあるが、それは人為的なものでしかない。

周囲はフェンスや防風網で囲まれているが、圃場から上を見上げればいつもの空が広がっていた。

圃場見学の際に、圃場専用の長靴に履き替えたり、

出る際は長靴を消毒したりする措置を取っているのだが、それは人間だけでしかない。

空からやってくる鳥や昆虫によって圃場外へ持ち出されてしまっている可能性もなくはない。

隔離圃場ということで、

どういうようにがっちりと隔離されているのかと思ったのだが、

本当にこれは「隔離」と呼べるようなものなのか不思議でならなかった。


環境への影響は今の段階ではないようだ。

だからといって安全性が確認されたわけではないだろう。

これから先の未来、どこかで影響が出てくる可能性も否定できない。


* * * * * * * * * *


次に食品としての「安全性」についてだ。

食品としての「安全性」は、2つの法律に基づいてる。

それは食品安全基本法と食品衛生法だ。

法律の上では「安全性」は確認されている。

ただそれは法律の上でしかない。


遺伝子組み換え作物は新しい遺伝子が組み込まれているということだ。

すでに書いたとおり、細胞ではなく遺伝子が組み込まれただけだから問題ないということだ。

しかし、新しい遺伝子が入ったことで、これまで働いていた遺伝子が働かなくなったり、

今まで働いていなかった悪い遺伝子が働き出したりはしないのか?

これに関しては、形、成分を調べて安全性を確認している。

また遺伝子はたんぱく質を作っているもとである。

これまで食べてきた食品に含まれるたんぱく質と同じように安全なのか?

これに関しては消化性やアレルギー誘発性など調べて安全性を確認している。


害虫耐性トウモロコシは、

アワノメイガという害虫がトウモロコシの茎を食べると死んでしまうのである。

害虫が食べると死んでしまう作物を人間が食べても安全なのか?

害虫が食べると、アルカリ性の胃で働きをもったBtたんぱく質が、

害虫の腸にある「受容体」にくっつき、その結果死んでしまうものである。

これはアワノメイガのみに対するもので、

他の昆虫、コガネムシやテントウムシは違う「受容体」を持っているので大丈夫なのである。

また人間を含む哺乳類が食べると、Btたんぱく質は酸性の胃で分解されてしまうのである。

しかも哺乳類の腸にはくっつく「受容体」を持っていないのである。


このように胃が酸性なのかアルカリ性なのか、「受容体」があるかないかで、

人間を含む哺乳類に対しての「安全性」は確認されている。


さて遺伝子組み換えばかりに目がいっているのだが、

同じ品種改良でも伝統的育種法の「安全性」はどうなのか?

普段スーパーで目にする農産物のほとんどというか全てが、伝統的育種法によるものである。

普通に買って食べているからなのか、その「安全性」について疑問を持ったことはないだろうか?

農薬や除草剤の使用有無、国産なのか外国産なのかで疑問を持ったことのある方は多いだろう。

しかしその作物となる前の伝統的育種法に疑問を持つ人はほとんどいないと思う。

それはなぜ?植物同士の掛け合わせだから?

伝統的育種法には安全性に対しての審査はない。

明らかに毒性を持つものや危険なものには品種登録される前に判断され排除される。

しかし経験上の安全性でしか判断されていない。

まぁ普段スーパーで目にする農産物は「安全」と言っても過言ではないくらいにはあるだろう。

この「安全性」がくつがえることは現在の化学レベルでは判明されることはない。


現在77品種(2007年7月20日現在)が食品と認可されている。

しかし遺伝子組み換え食品に対するマーケットの狭さから市場にはほとんど出回っていない。

また「遺伝子組み換え」表示義務のいるものはDNAたんぱく質が残るものだけである。

例えば、豆腐や納豆といったものだ。

油等のたんぱく質成分が残らないものには「遺伝子組か換え」表示義務はないため、

あれだけ毛嫌いしている遺伝子組み換え食品を私たちは少なからずどこかで食べているのである。

ポテトチップスとか食べたことあるでしょう?


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遺伝子組み換え推進派からの「安全性」を強く示す行為と、

遺伝子組み換え反対派(環境NGO等)からの「危険性」を強く示す行為はよく似ている。

環境NGO等からの遺伝子組み換えの「危険性」はメディアを通してよく聞いていると思う。

「危険性」の情報ばかり流して、「安全性」の情報はほとんど流さない。公平ではない。

あれだけ「危険性」ばかり流されると日本人は信じきってしまうだろう。

ただここにさらに推進派からの「安全性」の情報が流されると翻弄されてしまう。

情報に流されやすい日本人だから仕方ないだろう。

今回のこの「安全性」は遺伝子組み換え推進派からのものであり私自身のものではない。


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次回は、これから遺伝子組み換え技術に関しての私の考えを語る。