日本人はネチネチと怒りを継続する。

この前言ったことをまたかよと。

怒ってからもネチネチとしつこい。


ドイツでは違った。

ドイツ人、たぶん欧州人はそうなのかもしれない。

1回大きな怒りをしたら、その後はもう終わり。

いつまでもネチネチと怒っていない。

あぁ起こられてしまったなぁと、

これから気まずいなぁと思っていて話しかけずにいると、

相手から話しかけてくる。しかも笑顔で。

怒ってない!?

怒りはどこか遠くの方へ行ってしまってるような。

そんな1回きりだけで、その後はもう過去のことで切り替わる。

オンとオフがきっかりしているというか、

とてもやりやすかった。


だからそこでもし自分に非がないと思うのならば、

怒られたときに言わなければならない。

ここで言わなかったら自分の負け。

チャンスは1回きりだ。


日本人は過去のことを穿り返して、

「あの時は…」「あんなことしたから…」などと過去にこだわる。

あまりにもしつこい。

ネチネチネチネチと…。


一昔の日本はすべて「気合」で片付けていたのだが。

なにか失敗すると鉄拳制裁というような。

それが今はなくなってしまった。


北京五輪の結果から考えてもそんなことを伺えた。

日本の「気合」文化のあるスポーツ、

柔道やら剣道やらの個人スポーツ。

瞬間的にチカラを発揮させる。


さて柔道はどうだっただろうか。

メダル数から言えば柔道発祥国日本の圧勝だったが、

過去最低のメダル獲得数であった。

開催国があれなのでいろいろとあったとは思うが…。

男子にいたっては元々実力のあった内柴と新星の石井のみ。

逆にヨーロッパ勢の活躍が目立った。

金メダルだけ見れば少ないかもしれないが、

メダル数だけで見ると、

フランス4個にオランダ5個と健闘した。

「気合」の文化が欧州には根付きつつあるのかもしれない。

確かにドイツも柔道競技が盛んだった。

ドイツの場合、JUDOと書いてユードーと言われていたのだが。


それではネチネチとこねくり回すようなスポーツはどうなのか。

例えばサッカー。

味方同士でパスをまわし隙を見つけてはゴールを奪いに行く。

「気合」だけでは空回りしてしまう。

だからといって元々の個人能力差があるため、

日本の男子サッカーは予想通り(?)散々な結果だった。

野球も期待には答えられず勝負弱さが出てしまった。

しかし女子では、サッカーにソフトボールに大健闘した。


この「気合」というのは今の日本にはなくなっているのかもしれない。

「気合」というか男の威厳というものがなくなっているのかもしれない。

それは男女平等という理念から仕方ないのかもしれないが。

みんな平等。枠から外れたものは不良扱い。

「不良」という属性はあって「良」という属性はないということだ。

ありきたりな普通の人の集まる世の中だ。

子供にはゲームを与えて家に閉じこませる。

家では勉強かゲームかテレビだけ。

勉強させるためにゲームを与える。

学校でも少しでも枠から外れると「不良」扱い。

運動会でみんなでゴールとか。

「平等」が変な方に向いてるのかもしれない。

普通がこの世の中に蔓延している。

普通の中にいればそれで安心する。

「個性的=変人」になる世の中だ。


男女平等で女性の社会進出は進んだ。

女性も力を持つ時代になった。

いや元々力はあったのかもしれないが発揮できずにいたのだろう。

男性はどんどん力をなくしているのかもしれない。

だから鬼嫁なんて言葉まで出てきている。

女性が輝く時代になったとも言えるだろう。

女性は強しという時代だ。


男性の女性化が目立ってきたのかもしれない。

女性は本来の力を発揮しているだけで男性化とは言えないだろうが。

街中を見ても中性的な人が増えた。

女の子のような顔立ちに女性のようなファッション。

テレビではオカマちゃんが番組を持つようになったり、

ゲイを公言する芸能人も増えてきた。

平等。

けど何か全てが中途半端。

これも個性、あれも個性、

それはそれでいいのかもしれないけど、

なんかフワフワしている感じ。

海に浮き輪かぶってただ波に身をまかせて揺れている感じがする。

この世の中は。


ネチネチと言ったっていいと思う。

けど一発だけの欧州の方が、

いろんなことがはっきりしてていいなぁと思う。

言いたいことも遠慮して言えない世の中。

政治家の発言は右に左に、曖昧な表現に。

アメリカが金魚だとすると、

日本は金魚の糞かもしれない。

アメリカの後ろにしがみついてただ揺れているだけの。


金魚の糞じゃなくて、

金魚の糞の中にいる微生物になって、

自由に水の中を泳ぎたい。