あらすじ

主観も視点もない従来の歴史に反旗を翻した百田尚樹のベストセラー『日本国紀』。本書は、その著者と編集者が「日本人の歴史」を取り戻す戦いをすべて語る副読本です。親本の「隠しテーマ」の「平和ボケ」「経済」「日韓関係とは何なのか」。教科書記述を例に、教科書では「歴史に学べない」ことを明らかにします。 

 

ひと言

以前に読んだ「日本国紀」の副読本ということで、図書館に予約を入れ、やっと借りることができました。
もうすぐ戦後75年、4分の3世紀がたった今でも続く自虐史観。もちろん日本が行った過ちをもう忘れてもいいとは全く思わないけれど、「日本人に生まれてよかった」という自信と誇りをもっと多くの若い人たちに持ってもらいたいなぁと思いました。

【百田】『万葉集』とは何なのか。現存する最古の和歌集ですが、何よりすごいのは、そこに掲載されているのは王侯貴族の歌だけではないということです。下級役人や農民や防人など、一般庶民ともいえる無名の人々から、遊女や乞食(芸人)などの最下級の人の歌までが網羅されている。芸人は最近では非常に地位が上がりましたけれども、昔は最下級の人々だったわけです。 これは何を表しているのか。和歌という素晴らしい芸の前には、すべて人は平等だということなのです。決して身分の高い人たちだけの歌ではない。素晴らしい歌を詠めば、そこには身分の差も何もないということなのです。『万葉集』にはその精神がある。そこがこの歌集の最も素晴らしい点の一つだと私は思っていますが、教科書にはそれを子供たちに教える視点がない。また、『万葉集』は、身分の上下にかかわらず、当時の日本人は歌が詠めたということを表していると思います。これはすごいですよ。庶民も自然に詠んだんでしょうね。 この素晴らしい点の一つが、強調された歴史教科書はありません。
(第2章 歴史は「物語」である)
 
【百田】大伴部博麻(おおともべのはかま)は千数百年も前の人で、六六三年の白村江の戦いで捕虜になった一般兵士ですね。いわゆる名もなき兵士。
【有本】白村江の戦いは、日本・百済と唐・新羅の戦いですね。
【百田】その戦いで大伴部博麻は捕虜になり、唐の長安に連れていかれて、そこで生活していた。捕虜といってもかなり自由はあったようで、そこで同じように半幽閉状態だった遣唐使四人と友達になったわけです。彼らはあるとき、唐が軍隊を組織して日本を侵略しようとしているという噂を聞いた。「これは大変だ」「なんとか日本に知らせないといけない」「このままでは日本は危ない」と彼らは思ったのですが、知らせる方法がない。日本に帰ることができないわけです。旅費がいるが、とてもそんなカネはない。困った、と。
そのとき大伴部博麻は「よし、俺を奴隷として売れ」と。彼は自らを奴隷として売って、そのカネを四人の遣唐使に渡したのです。遣唐使たちはそのカネで六七一年にようやく日本にたどり着いて、朝廷に唐の侵略計画を知らせました。 最終的には、唐はやってこなかったのですが、当時の天智天皇は防衛のために水城(土塁)を築き、防人を配置して、敵からの侵略に備えたのです。
国難を前に、自分を犠牲にして、日本を守る。そういう愛国的な男が、現実にいたのですよ。こういうことを、なぜ、いまの歴史の教科書に載せないのか。まったく意味がわからないねえ。
【有本】実在をはっきりさせられない、とかいう理由で、体よく消されたんでしょうねえ。
(第3章 消された歴史)
 
【百田】世界海戦史上初めて、空母同士が対決した昭和一七(一九四二)年五月の珊瑚海海戦という戦いがあります。オーストラリア北東部の珊瑚海において日米間で行われた戦いですね。空母同士の戦いでは索敵といって、敵の空母がどこにいるかを偵察機が捜しますが、その索敵で三人乗りの偵察機がとうとう敵の空母を発見した。ふつうはその場所を味方の空母に教えて帰るわけですが、彼らは帰還途中で味方の攻撃隊と出会ったのです。 このときに、この索敵機はUターンして味方を誘導しました。自分は敵空母機動部隊の居場所を知っているから、自分についてくれば間違うことはないと誘導したのです。でも、そうすると、自分たちは燃料が切れて帰れない。
【有本】片道なんですね。
【百田】片道。それをあえて、三人乗りの艦上攻撃機は、誘導していったんです。自らを犠牲にして、味方の攻撃隊を助けたのです。 千数百年前にも大伴部博麻という人物がいたように、そのような日本人や軍人はたくさんいたのですよ。「俺は一生、奴隷として生きる。しかし、日本は助かるだろう」「日本を守らなければいけない」という生き方をした人物。その日本に存在した生き方を消してしまう。 この人物を消すのは本当に、いやらしい意図ですよね。ですから、私の『日本国紀』には「聞いたことがなかった」という人物をたくさん登場させています。
(第3章 消された歴史)
 
【百田】当時の吉田茂首相は、なんとか講和条約を結んで独立したかったのです。だから「全面講和」を唱えた南原繁東大総長を、吉田茂首相は「曲学阿世の徒」と非難しました。世に阿(おもね)るインチキ学者というような意味です。
そのような反対の中、古田茂首相は日本の独立のために、昭和二六年(一九五一)年九月八日、サンフランシスコ講和条約に調印します。ただしアメリカは日米安全保障条約をセットにしてつきつけてきました。というのも、日本が独立すると占領軍(実質はアメリカ軍)は日本から出て行かなければなりません。でも、アメリカ軍は朝鮮戦争をしている最中だから出て行きたくない。そこでアメリカは日本の独立は認めるけれども、同時に日米安保条約を結ぶことにしたのです。一種の交換条件ですね。 その日米安保条約とは、アメリカは日本のどの場所でも自由に基地をつくることができる。また、日本に暴動や内乱が起こった場合は、アメリカ軍が出動することができる。さらに、日本が他国にやられたらアメリカ軍は日本を守る義務はない。こういうものです。滅茶苦茶な話ですが、これを飲まなければ日本は独立できないので、日本はサンフランシスコ講和条約にサインし、そのすぐ後、同じ日に日米安保条約にサインをしたのです。日本は独立するために、これを飲んだのです。
【有本】当時はその選択肢しかなかったのですが、でも、考えてみれば、独立や主権回復などといいますが、他国がどこにでも基地をつくれて、内乱が起こった場合に他国の軍が制圧するなんていうのは、要は独立していないということですよ。
【百田】そうですね。だから当時の人は、悔しい、こんな屈辱的な条約はないと思ったのです。そこでできたのが、自民党なのですよ。 当時、自由党と日本民主党という保守系の二つの党が、勢力を争っていたのですが、彼らは「いま保守同士が争っている場合ではない、いま一緒にならなければ日本は真の意味で独立できない」と考えました。そして自由党と日本民主党は合体して、昭和三〇(一九五五)年に自由民主党(自民党)ができたのです。つまり、自由民主党は、「この屈辱的な日米安保を改定しよう」「独立したのだから自主憲法をつくろう」ということでできた政党なのです。それが自民党です。
【有本】日本の真の独立のためにできた政党ですね。
(終章 日本史の中の異質なもの)

 

今日のお昼は、下の娘の成人式と私の59歳の誕生日のお祝いということで、娘夫婦に伏見の御園座にある「鰻う おか冨士」の上ひつまぶしをごちそうになりました。個室の予約を入れてくれてあったので、待ち時間もなく、ゆっくりとおいしい鰻をいただきました♪。もちろん「うな富士」から暖簾分けを許されたお店だけあり、申し分のない鰻です。ごちそうさまでした♪ 楽しいひとときをありがとう。
 
 
 
鰻う おか冨士
名古屋市中区栄1 御園座タワー 1F

 

娘夫婦が今日奈良へ行った帰り「だんご庄」のきな粉だんごをおみやげにと持ってきてくれました。昨年の11月、TVの「秘密のケンミンSHOW」で奈良県民のソウルフードとして紹介されたらしく、結構並んで買ってきてくれました。140年もの歴史がある老舗らしく、昔ながらのシンプルでやわらかいお団子です。きな粉がおいしく、ほんとうに何本でも食べられるぐらいのおいしさです。ごちそうさまでした♪。
 
だんご庄 本店(食べログ)
奈良県橿原市東坊城町

 

今日のお昼は、名鉄百貨店で昨日から始まった新春 大九州展に出店の「オルキデ」のフルーツメロンパン(680円)。チラシを見てこれ食べたい!と買いにいきました。フルーツたっぷりのメロンパンをハンバーガーのようにかぶりつきます。甘すぎないホイップクリームとフルーツ、メロンパンもよくマッチしておいしいです♪
ごちそうさまでした。
 
オルキデ(食べログ)
宮崎県児湯郡川南町大字川南

 

東京駅で行列が出来る大人気スイーツの店「ニューヨークパーフェクトチーズ」が、JR名古屋高島屋に 2019年12月26日(木)~2020年1月7日(火)までの期間限定で出店というニュースを知り、昨年の年末に帰省土産として買いに行ったのですが、あっという間に売り切れで買うことができませんでした。今日は気合を入れて買いに行き、どうにか買うことができました♪。チェダーチーズ入りの細長いホワイトチョコレートとクリームを、ゴーダチーズを練りこんだ焼き菓子で包んだお菓子。もっとチーズが前面に出てくる味なのかなと思いましたが、控えめで上品な味です。それにしてもすごい行列でした。ごちそうさまでした♪
 
ニューヨーク パーフェクト チーズ
東京都千代田区丸の内1 東京駅構内 南通路エリア

 

あらすじ
私はある日、私からの挑戦状を受け取った。―― 20名の巨星との〈接触〉を開始すべし。猪熊弦一郎、ポール・セザンヌ、ルーシー・リー、黒澤明、アルベルト・ジャコメッティ、アンリ・マティス、川端康成、司馬江漢、シャルロット・ペリアン、バーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、棟方志功、手塚治虫、オーブリー・ビアズリー、ヨーゼフ・ボイス、小津安二郎、東山魁夷、宮沢賢治、フィンセント・ファン・ゴッホ――。どの物語を読んでも、ふたりの間に流れる親密な時間と愛情に満ちたやりとりに、つい笑みがこぼれてしまう。そして、巨匠と呼ばれた彼らの佇いや声色、人柄までもがじわりと伝わってきて、あたかもそのひとりひとりと握手を交わし、ハグしたような気分になる。巨匠たちの創作の秘密を解き明かす、10年ぶりの書き下ろしアート短編集誕生。
 
 
ひと言
年末に「予約していた本が用意できました」とのメールがあり、今年の最後の一冊になったのが大好きな原田 マハさんの本です。今年の9月、京都の清水寺で開催された「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート展」にあわせて書き下ろした小説。
 
 
マハさんが好きな芸術家に、マハさんが好きな手土産を持って、マハさんが聞きたいこと、読者に伝えたいことを空想でインタビューするというという形で進んでいく。ちょっと脱線したりハチャメチャな内容であることもマハさんらしくていい。ただ欲を言えばもう少し一人一人のことを深く掘り下げてもらったほうがよかったかも…。ここ最近は新しいことに取り組み、読者を驚かせてくれるマハさん、来年も素敵な作品をどんどん読者に届けてくださいね。楽しみにしています♪
 
そう。この手紙は単なる手紙じゃない。挑戦状だ。 いまから、私は私にとてつもない無理難題を突きつける。私は物わかりが悪いほうだから、わかりやすく箇条書にしよう。箇条書の挑敵状なんて見たことも聞いたこともないがな……。……。
一、本状において前述した二十人の物故作家と会って、インタビューをする。
一、質問はひとつ、ないしはふたつとする。
一、必ず手土産を持参し、礼儀を尽くす。
一、インタビューのプロセスと内容をまとめ、掌編小説にする。
一、一編につき三千字~三千五百字とする。
一、パソコンで原稿を書く。手書き原稿は受け付けない。但し、序章に限っては手書き原稿での入稿を認める。パソコンにログインできないみたいなので。
一、〆切りは二〇一九年(令和元年)六月十日とする。……。
「ありえない! 〆切り六月十日って、今日六月一日だし! 今日入れて十日間しかないじゃないか?!」
(はじまり)
 
家業は衰退の一途をたどり、やがて廃業。棟方少年は、家計を助けるために裁判所の給仕となって働き始める。絵を勉強するお金などどこにもない。帰宅途中に公園に立ち寄り、写生をするのがやっと。けれど十八歳のとき、運命の出会いをする。青森在住の画家・小野忠明宅で雑誌「白樺」に掲載されていた、フィンセント・ファンこゴッホの絵「ひまわり」を目にするのだ。「はあ、あんときはもう、なんていうか、なんにも言葉が出てこなかったね。いまもおんなじ。ゴッホを見たときの、あの感じは、ああ、こっちから行かなくちゃ、そういう感じでね。向こうにこっちが抱かれるのを待ってちゃダメだってね。こっちから行って抱かなくちゃ。そういう感じでね、ウンウン」 奇しくもゴッホのタブロー(の写真)は棟方少年を強く、激しく呼んだ。こっちへ来い! と。棟方少年があまりにも熱心にゴッホの絵を見つめるので、小野忠明はその雑誌を彼にくれた。そしてそのとき、棟方少年が喜びのあまり叫んだのが、あの有名なひと言。  ―― わだばゴッホになる!
「ゴッホっていうのぱ『絵』のことだと思い込んだくらいでねえ。私が絵になり、絵が私になる。私と絵とがひとつになれるのは、板画なんだって、それから何年かして気がついたんですよ、うん」
(歓喜の歌 棟方志功)
 

 

あらすじ
長崎にある西洋医学伝習所で蘭学を学ぶ夫・亮を追い、弟・誠之助と彼を慕う千沙と共に福岡から移り住んだ鍼灸医の菜摘。女だてらに腕を買われて奉行所の御雇医となり、長崎での生活に馴染みだしたところに、福岡から横目付の田代甚五郎が訪ねてきた。なんと千沙の姉・佐奈が不義密通の末、夫を毒殺し、逃亡したらしい。さらに尊皇攘夷を唱え脱藩した密通相手の男を追い、長崎に逃げ込んだという。信じられない思いを抱きながらも、菜摘は奉行所の女牢で、武家の妻女らしき身なりの女に心あたりを感じる。だが、その女は、腹に子を宿していた。
 
ひと言
私の好きな葉室 麟さんの本で、年末お伊勢さんにお礼参りに行く電車の中で読みました。いつもは気になったフレーズに付箋を貼りながら読んでいくのですが、けっこう読みやすく内容も少し軽めなので、読み終えた後、付箋がほとんどない(付箋の箇所を読み直しても、わざわざこのブログに書き留めるほどのものもなく…)あれ、困ったぞ。ということで最後の時雨堂を書き残すことにしました。
 
菜摘はその後も長崎で鍼治療を行う町医として働き続けた。その仕事を千沙と誠之助か手伝い、たまに亮も患者を診ることがあった。 そして長崎奉行の岡部長常から、 「町医者として看板を上げてはどうだ」 と言われたのを機会に、―― 時雨堂 という看板を門に掲げることにした。亮に医者の看板を上げる話をすると、 「時雨とは、ほどよい時に降る雨のことだという。医者は早すぎても遅すぎてもいかん。ちょうどよいおり、病に苫しむひとを癒す雨でなければならんからな」 と言ったからだ。 看板の文字は長常が書いてくれた。できあがった看板を誠之助が門に掲げると、千沙が嘆声を発した。 「まことによい名ですね」 誠之助も看板を見上げて、 「だれもが困ったおりに、助けの手が来て欲しいと願うでしょうからね」 とつぶやいた。 亮はうなずく。「わたしたちも、時雨のようにひとを助けられたらいいのだが」 亮の言葉を聞きながら、菜摘は佐奈のことを思った。 佐奈は苦しい思いに耐え忍んで、ようやく平野次郎という時雨に出会えたのではなかったか。 ひとは苦難の中にあっても、負けずに進み続けるならば、やがて天から慈雨が降り注ぐのだ、と茶摘は思った。 よく晴れた日だった。菜摘は青空を見上げた。 風にのって潮鳴りが聞こえてくる。
(二十五)
 

 

今年最後のお昼に選んだお店は、大名古屋ビルヂング地下の「酉しみず」の名古屋コーチン親子丼(1430円)。いいお値段なので、ここの親子丼は食べたことがありませんでしたが今年最後の自分へのご褒美でいただきました。鶏はもちろん、ほとんど生に近いふわトロの玉子もグッド♪そのままでも十分に美味しいのですが、テーブルの特製の八丁味噌辛だれを追加していただくと、また味が締まっておいしいです♪
キャベツの粗切りに塩昆布が振ってあるドレッシングサラダもいい味です。ごちそうさまでした♪。
今年も美味しいものをたくさん食べて、お腹の出っ張りが気になりますが、どうにか健康で過ごすことができました。ありがとうございました。
 
酉しみず(食べログ)
名古屋市中村区名駅3 大名古屋ビルヂング B1F
12月24日 友引 昨年に引き続き、年末のお伊勢さんに令和初のお礼参りに行ってきました。
 
 
伊勢市駅からの参道の多くのお店の前に、きれいなお花が飾られていて参拝者をもてなしてくれています。ありがとうございます♪
 
 
古いお札やお守りをお返し参拝します。お守りいただきありがとうございました。
 
 
平成29年の台風被害から今年11月2年ぶりに復旧したせんぐう館。第4火曜日で休館でした。残念!
 

外宮の参拝を終え、バスで内宮へ向かう前に「豚捨 外宮前店」で牛丼(1000円)とコロッケ(100円×2)のお昼をいただきます。
 

猿田彦神社にお参りします。
 
 
さざれ石です。
 
 
市営駐車場とおはらい町を結ぶ内宮おかげ参道にあるハート形の石です。
 
 
おかげ横丁の「豚捨」はやっぱり大行列。外宮前で食べておいてよかった♪
 
 
先にお参りを済ませてからと思いましたが、とても美味しそうな「伊勢角屋麦酒」のカキフライ串 4粒テイクアウト(590円)の誘惑に負けて、お参り前にいただいてしまいました。
 
 
内宮の参拝を終えて、さあ、おかげ横丁でおいしいものをいただきます♪
 
 
先ずは「だんご屋」のきな粉(130円)と生醤油(130円)をいただきます。
 
 
おかげ横丁の「若松屋」のひりょうず(400円)。これも食べようと決めていましたが、絶品でとても美味しいです♪。
 

まだまだ食べたいのですが、最近お腹がかなり出てきたので、昨年に引き続き、〆に 赤福 本店向かいのお店で赤福ぜんざい(530円)をいただきます。
 
 
今年も一年間ほんとうにありがとうございました。おかげさまで今年も無事に終えられそうです。
 
 
健康には十分気をつけてまた来年もお礼参りにうかがえるように頑張ります。ほんとうにありがとうございました。

 

今日は仕事で鶴舞へ行き、「麺家 幸先坂」へお昼を食べに行きました。三河赤鶏と魚介の濃厚つけ麺(限定20食)は品切れで、アゴと貝出汁の醤油そば(860円)+とろけるチャーシュー丼(250円)をいただきます。ビジュアル的にもすごくきれいなラーメンで、アゴと貝と昆布の澄んだ魚介だしはラーメンというよりも鴨南蛮そばに近い味でとても美味しいです♪。先客の多くが限定20食のつけ麺を注文しており、後からの客の数名も、つけ麺が品切れと聞かされると食べずに帰っていったぐらいのつけ麺なので、次は限定のつけ麺を食べてみたいです。ごちそうさまでした。
 
麺家 幸先坂(食べログ)
名古屋市中区千代田5