今日も名古屋は 38℃に迫る暑さ。もっと冷たくてのど越しのいいものをとも思ったのですが、今日のお昼は「こころにあまいあんぱんや」の人気No.1のホイップあんぱん(184円)とこしあん(119円)そしてカレーフライ(152円)です。もちろんあんぱんはおいしいのですが、カレーフライが印象に残りました。調べてみると名古屋太閤通口店 にもお店があり、そちらではカレーパンや人気No.1の手作りビーフカレーパンもあるとのこと。今度はそちらのカレーパンも食べてみたいです。ごちそうさまでした。

 

こころにあまいあんぱんや JR名古屋店

名古屋市中村区名駅1 名古屋駅構内 新幹線通り ジャンシアーヌレジェ内

 

 

あらすじ
世間が万博に沸き返る1970年、洋一郎が小学校2年生の時に家を出て行った父親の記憶は淡い。郊外の小さな街で一人暮らしを続けたすえに亡くなった父親は、生前に1冊だけの「自分史」をのこそうとしていた。なぜ?誰に向けて?洋一郎は、父親の人生に向き合うことを決意したのだが…。老人ホームの施設長を務める洋一郎は、入居者たちの生き様を前に、この時代にうまく老いていくことの難しさを実感する。そして我が父親は、どんな父親になりたかったのだろう?父親の知人たちから拾い集めた記憶と、自身の内から甦る記憶に満たされた洋一郎は、父を巡る旅の終わりに、一つの決断をする。

ひと言
恥ずかしながら今まで知らなかった言葉「ひこばえ」。少し寂しい感じもしますが、なんていい言葉なんだろうとしみじみと思いました。読み終えてすぐ懐かしい吉田拓郎さんの『今日までそして明日から』をすぐYou Tube で聞きました。
1963年3月生まれの重松さん、1961年1月生まれの私とほとんど同じ時代を生きて、同じような悩みを持って「今日まで生きてみました」の2人。我々の世代の小学生時代の一番の思い出は万博。コースが5種類もあって、しかも同時にスタートするジェットコースター「ダイダラザウルス」。そうだ!ダイダラザウルスだ! この本を読むまですっかり忘れていました。ありがとう 重松さん。
2018年 48年ぶりに内部が一般公開された「太陽の塔」。ネットの、予約をしていなくても当日キャンセルが出れば入れることがあるとの情報で、その年の夏、大阪に帰省する際に立ち寄ったことがありましたが、残念ながら入れず、記念にピンバッジとTシャツを買って帰りました。懐かしいなぁ。今度はちゃんと予約してみんなで入場したいなぁと思いました。上下 720頁ほどの作品でしたが、下は一気読みでした。重松さん素敵な小説をほんとうにありがとう。

 

 

若い頃はわからなかった。最近になってようやく気づいた。墓や仏壇というのは、亡くなったひとにとっては、人生が終わったあとに行き着くところ ―― おしまいの場所なのかもしれない。しかし、のこされた家族は違う。墓を建立し、仏壇を置くと、そこから亡くなったひととの付き合いが始まる。いわば、始まりの場所になる。そして、始めるからには、途中でほっぽり出すわけにはいかないのだ、断じて。
(第三章 父、帰る)


神田さんは「じやあ、こんな言葉、知ってるか」と訊いた。    ひこばえ ――。
航太はすぐに「春の季語ですね」と反応した。「木の切り株から若い芽が生えてくることでしたっけ」 横から川端さんも「『ひこ』って、孫の意味なんでしょ?」と応えた。「元の幹から見れば孫のような小さな芽が生えてくるから『ひこばえ』なのよね、たしか」田辺さん親子も「あと、東日本大震災のときに、復興の象徴みたいな感じで、よく紹介されましたよね」「うん、あったあった」「切り倒された木から芽が生えてくるみたいに、被災地も絶対にまた立ち上がるぞ、ってね」「うん、自分は切り倒されても、未来に希望がつながるんだよね」と話を継いだ。
(第十一章 息子の息子) 


「結局ノブさんは孫には会えずじまいで亡くなったわけだが、俺はその気持ちを大事にしてやりたくてな……森で一番古くて太い木が切り倒されても、その切り株からひこばえが出れば報われるように、孫が元気で幸せにやってれば、ノブさんも本望だ。草葉の陰で喜ぶ」私より先に、航太が「はい」と応えた。びっくりするほどしっかりした声だった。ふと気づくと、廊下の障子の陰に道明和尚がいた。法要の準備が整ったのを伝えに来たものの、あえて声をかけずに、神田さんの話が終わるのを待ってくれているのだろう。この話が大切なんだと察したから、なのだろうか ―― 実際、和尚は廊下に座り込み、合掌をして話を聞いているのだ。……。……。
その気持ちを込めて、ノブさんに焼香してやってくれ。あなたのことを知りたい、あなたの人生を知りたい、と願いながらお骨に于を合わせてやってくれ」 そうすれば ――。「あんちゃんは、正真正銘、ノブさんの孫になる。このひとのことを知りたいと思うのが、ひととひとがつながる第一歩だからな」
(第十一章 息子の息子) 


ホテルのロビーに戻ると、一雄さんと一緒に姉がいた。姉は私にも母にも連絡をよこさなかったのに、一雄さんには、ちょうど私と母が船着き場にいた頃にショートメールを送っていた。母がホテルに向かったかどうか尋ね、〈もしも万が一、母が前夫の遺骨に手を合わせると言いだしたら、何卒ご理解、ご高配ください〉と伝えていたのだ。事務的な言い回しや、父を〈前夫〉と呼ぶあたりが、いかにも姉らしい。ただ、ショートメールはホテルに着く少し前に送ったわけだから、姉はたとえ自分だけでも父の遺骨に対面するつもりだったことになる。「しかたないじゃろ、わざわざ東京から持ってきたんじゃけえ、あんたの顔ぐらいは立ててあげんと」姉の足元には、地元のデパートの紙バッグに入れた花束があった。アイリスとリンドウをメインにした、小ぶりではあっても美しい花束だった。
(第十五章 再会) 

 
「人間って、最後の最後に骨が残っちゃうんだね。きれいさっぱり消えてなくなることって、できないんだね。わたし、今回のことで初めて実感した気がする」 ……。……。 「洋ちゃん、わたしにも抱かせてもらっていいかな、それ」姉は両手を私に差し出した。私を見つめる目が涙で潤みはじめる。骨箱を渡すと、姉はそれを胸に押し当てるように抱きしめて、目を閉じた。微笑みを浮かべた。その笑顔に言葉を添えるなら ――「お帰りなさい」という姉の声が、どこかから聞こえたような気がした。
(第十五章 再会)


「やり甲斐とか生き甲斐っていうのは、誰かに『ありがとう』と言われることなのかもしれないよな」ハーヴェスト多摩も含めて、高齢者施設は「なにもしなくていいですよ」というのを最大の謳い文句にしている。だが、ほんとうにそうなのだろうか。「なにもしなくていい」とは「誰からも感謝されない」と同じ意味ではないのか。
(第十七章 わたしは今日まで) 


神田さんは美保港からツタ島に渡るのだと知ると、思いがけないことを口にした。「そういえば、ノブさんは大阪の万博に一家で出かける約束をしたきり、いなくなったんだよな」 「はい……そうです」「じゃあ息子、おまえさんもトラックに乗れ」「―― え?」「美保港に行くんだったら、通るんだよ、万博の公園を」 トラックは名神高速から中国自動車道に入るルートを進むことになる。途中で万博記念公園を突っ切る。そのときに、車窓から太陽の塔が見えるのだという。最初こそ困惑したものの、「乗ります」という返事はすんなりと、まるでずっと喉の奥で出番を待ちかまえていたかのように出た。「太陽の塔を見せてください」 神田さんは「任せろ」とうなずき、「ノブさんと一緒に見ればいい」と笑ったのだった。
(終章 きらきら星)
 

 

 

あらすじ
扇野藩に流罪となった幕府の目付役 永井勘解由。若くして扇野藩士中川家の後家となった紗英は、勘解由の接待役兼監視役を命じられた。この年、江戸城内で藩州赤穂の大名浅野内匠頭が高家筆頭吉良上野介を斬りつける事件が起きていた。浅野内匠頭は即日切腹。だが勘解由は老中に切腹見合わせを進言し、切腹直前、ひそかに浅野内匠頭の 最期の言葉 を聞いたという。その行いが、将軍徳川綱吉の機嫌を損ねたのだった。雪が舞い散る中、屋敷に到着した勘解由を迎え入れた紗英は、役目を全うしようとするが―。身分を隠し、勘解由の元を訪れる赤穂浪人。勘解由のやさしさに惹かれてゆく紗英。扇野藩に、静かに嵐が忍び寄る。時代長編!


ひと言
450頁もある本ですが、お盆休みでもあり、とても引き込まれて一気読みの本でした。おまけに私の好きな忠臣蔵を交えた面白い切り口で、葉室 麟さんだからハッピーエンドなのはわかっているのですが、勘解由や紗英はどうなるんだろうとハラハラドキドキ。読了後とてもさわやかで人に対して優しい気分になれるような気がして…。こういう本に出逢えるから、葉室 麟さんは止められませんね。素敵な作品をありがとうございました♪。


「……。大石様は明日、旦那様をお訪ねしたいとのことでございました」 「では、お待ちしていると伝えたのだな」 「はい、わたくしの一存でそのようにお応えいたしましたが、よろしゅうございましたでしょうか」紗英が問うような眼差しを向けると、勘解由は大きく頭を縦に振った。「構わぬとも。わたしも大石殿に会いたいと思っていた」「ただ、明日、大石様は門をくぐり、玄関よりお訪ねになるとのことでございます」「ほう、玄関からな」勘解由は目を鋭くした。紗英は緊張した面持ちで、「大石様は何事か覚悟しておられるのではないかと存じましたゆえ、玄関からお訪ねになられるとのお申し越しを承知いたしました。出過ぎた真似をいたしたのやもしれません。お許しくださいませ」と言って、目を伏せた。勘解由は目の色をやわらげて微笑した。 「何を言う。秘すべきところを武家が玄関より堂々と訪いを入れるのは、出陣を控えておるからに相違ない。大石殿は討ち入りのため江戸へ向かわれるのであろう。玄関から上がってもらうのは、武門として当たり前のことだ」淡々と言う勘解由の表情が落ち着いているのを見て、紗英は安堵しながらも、話を続けた。「旦那様のご意向もうかがわずに返答いたし、差し出がましい振舞いではなかったかと案じておりましたが、いまのお言葉で胸をなでおろしてございます」紗英はほっとして言った。
(託された言葉 一)


瑶泉院は内蔵助を涼やかな目で見つめ、「亡き殿の最期のお言葉を伝えに参ったとはまことか」と訊いた。「いかにもさようにございます。切腹の場となった田村屋敷にて、さるお旗本が聞かれたのでございます」内蔵助の返答を耳にした瑶泉院は頬をほんのりと染めた。亡き夫の最期の言葉と聞いて少しく胸が高鳴ったのであろうか。「して、殿は最期になんと仰せでありましたのか」内蔵助はじっと瑶泉院を見つめた。「ただ、御方様のことのみ気にかかる、と」「最期までわらわの身をご案じくだされたと申すのか」瑶泉院は息を呑んだ。「さようにございます。殿は切腹の場に臨みながら御方様の行く末を気にかけておられたのでございましょう」内蔵助がしみじみと言うと、傍らに控える奥女中が袖で目頭を押さえた。「なんというお優しいお心でありましょうか」しかし、瑶泉院は何事かに耐えるかのように目を閉じた。「殿のお心はまことに有難く、嬉しく思いますが、禄を失い、国を出ざるを得なかった家臣たちのことを思うと、どう申せばよいのか言葉が見つかりませぬ」「御方様、それがしたち家臣への遠慮ならご無用でございますぞ」内蔵助はゆったりと言った。「たとえ、主君であれ、家臣であれ、いや武士だけでなく百姓、町人も皆、いとおしい者をいとおしいと思いつつ生きております。ひととしての務めもございますが、まずはひとをいとおしんでこそ、ひとがましく生きられましょう。おのれの命が尽きるとき、いとおしく思う相手を思い浮かべるのに何の不都合がございましょうか」内蔵助は思い入れ深く話した。「さように思うてくれまするか」瑶泉院は目に涙を浮かべて内蔵助を見つめた。「嘘偽りはございません。われらは、さような殿であればこそ、仇を討つ所存にございます「内蔵助、そなた ――」
(討ち入り 一)


(ひとは自らの心願だけで生きられるものではない。生きていることを願ってくれるひとの想いに支えられて生かされているのだ) 勘解由は瞼を閉じ、脳裏に紗英の面影を思い浮かべた。
(はだれ雪 一)


厳しい公弁法親王の言葉に吉保の表情は強張った。公弁法親王はなおも厳かな表情で、「もともと、ひとは生まれながらに正しき者と悪しき者に分かれておるわけではない。ひとりの身のうちに正しさと悪しきものが、ともにあるのや。ひとの悪を取り去ろうとしても、腕一本、足一本をもぎ取るくらいのもので、仮にそうしたにしても、手足を引き裂かれて残った身には、また悪心か生じる。それがひとの業というものなのや」と話した。「ひとの悪は裁けぬと仰せでございましょうか」吉保は問いかける眼差しを公弁法親王に向けた。「法で裁けるのはひとの行いだけや。ひとの正しさも悪も法によって裁くことはできぬ」「それでは天下に悪行が横行しましょう」額に汗を浮かべなから、吉保は抗うように言った。「それを悪行やと誰が決めるのや。おのれの正しさを言い募る者はやがては悪に転じ、おのれの悪を知る者にはやがて正しき道が開かれよう。政事をする者は思い上がらず、ひとの正しさ、悪に沿うて、導くことや。法で栽くだけなら、政事などいらん。高札場に法の条文を張り出しておくだけですむのやないか」公弁法親王は吉保を見据えた。「扇野の者を助けよとの仰せでございましょうか」吉保はしぼり出したような声で言った。「助けよと言うておるのやない。浅野家旧臣は切腹したが、遺された者たちは苦しんでおろう。浅野家だけやない、吉良家もそうやろう。助けてやらねばならんのは、その者たちや。浅野家旧臣の討ち入りがまことに正しきこととして、ひとの生きる亀鑑となれるかは、これからの政事にかかっておる。それを扇野に手伝わせたらどうや、と言うておるのや。さすれば彼の者が扇野にて過ごした一年は無駄になるまい」庭に目を向けたまま語り終えた公弁法親王は、それ以上、古保の返答を求めなかった。後は自ら考えよ、とそれとなく示されたのだと察した吉保は、自分が作り上げた壮麗な庭園に佇みながら唇を噛みしめた。
(はだれ雪 二)
 
 
街道に入って間もなく、乗り物の小窓を開けた紗英は、街道沿いの大きな板の根もとに残る雪が日差しを受けて銀白に輝いているのを目にし、扇野に来た際に勘解由が口にした和歌を思い出した。


はだれ雪 あだにもあらで 消えぬめり 世にふるごとや もの憂かるらん


あのおりは消え残る雪に、世の中の憂きことを重ね合わせて励まされたのであろうが、いまにして思えば、たとえどのような苦境に陥ろうとも清浄な白い雪の如く穢れることなく生を全うしようとさえすれば、やがて日の光に輝く時節も到来するのだとわかる。 大石内蔵助や堀部安兵衛、吉田忠左衛門ら、武士として花を咲かせながら、雪のようにはかなくあの世へ駆け去った男たちの顔が脳裏に浮かぶ。あの武士たちに比べれば、勘解由や自分はまだらに消え残るはだれ雪なのかもしれない。(諦めず、迷わず、これからも信じた道をただ一筋に歩んでいくよう励まねば) 江戸に赴けば新たな苦難も待ち受けているだろうと思いながら、紗英はあどけなく笑いかけてくる雪に頬ずりして自らを奮い立たせた。 名残の雪の美しさが目に眩しい。
(はだれ雪 四)

 

あらすじ

城下の「お狐火事」をきっかけに、扇野藩の財政は破綻の危機に瀕した。中老に登用された檜弥八郎は藩政改革に着手するが、改革は領民の生活を圧迫、人々は「黒縄地獄」と呼んで弥八郎を嫌った。そんな折に弥八郎は収賄の疑いで糾弾され切腹、改革は三年でとん挫する。弥八郎の娘・那美は、親類の中で最も貧しい、遠縁の矢吹主馬に預けられた。
――その数年後。弥八郎の嫡男、慶之助は、代替わりした新藩主の側近として国入りを果たす。父・弥八郎の改革に批判的だった慶之助は、自らの考える藩政改革に意欲を燃やし、藩札の発行など、新しい政策を提案する。警戒する家老らは、主馬を呼び出し、那美を妻とせよと命じた。主馬に檜家の家督を継がせることで、慶之助を排除しようとしたのだ。

財政破綻の扇野藩だが、この本は葉室 麟さんにしてはめずらしく論理破綻しているように思う。悪徳商人のように描かれている叶屋、升屋であるが、それらを無理やり藩札の札元にして借財を踏み倒すとか、慶之助が阿片中毒になるまで商家に閉じ込められるとか ……。力のおかげで人を信じることができたという点や、〈白骨おろし〉との因果関係も弱い。葉室 麟さんの本は、ほとんどはずれはないのだけれど、これは楽しめませんでした。
 

 

ひと言

「生きていくことぱ、自分が誰かから傷つけられるだけでなく、誰かを傷つけていることなのかもしれません。……」那美は囁くように言った。
(十四)

「そう言えば、先日、それがしの妻が面白いことを申しました」 ……。「ひとの真は、たとえ見えなくともどこかにあって、そのひとを支えているのだそうです。たとえ、違った道を歩んでもいつの間にか戻るのが、ひとの真であり、ひとはいつも自分の心の中のどこかにあるものを信じればよいのだと申しました」……。主馬は笑顔のまま立ち上がって御用部屋を出ていった。風が吹き抜けるような所作だった。
(二十四)

8月9日 今日から始まった清水寺の千日詣りと西国三十三所の札所を巡ってきました。

 

 

朝 5時半に家を出て車で京都まで行き、そこから自転車で札所を巡ろうと車から自転車を降ろすと、が~ん。タイヤの虫ゴムが熱でやられたのか空気を入れても漏れてきます。えっ 今日は替えの虫ゴム持って来てない!!!どうしよう ……。

とりあえず近くの駅まで、途中空気を何度も入れながら騙しだまし走り、京阪電車で祇園四条へ。 朝8時30分ごろなのとコロナの自粛もあって八坂神社までの四条通りは人がいません。

 

 

夏越の祓、祇園祭の神事も終わったのに、今年はコロナの影響なのか疫神社に茅の輪が…。

 

 

本殿の左にも…、コロナの収束を祈って作法に則り茅の輪をくぐります。

 

 

おねの道です。

 

 

二寧坂です。

 

 

9時10分ぐらいに清水寺に到着。さすがにここだけは行列ができています。ソーシャルディスタンスには十分注意して並びます。

 

 

本堂の檜皮屋根葺き替え工事は完了しましたが、舞台板交換の工事がまだ残っています。

 

 

音羽の滝のあの長い柄杓がコロナの感染予防のため撤去されていて、行列ができていません。

 

 

この前、嵐山で食べたとろけるゆばチーズのお店が仁王門の近くにありました。

 

 

八坂庚申堂、六道珍皇寺の六道まいりの迎え鐘をつかせてもらい、六波羅蜜寺へ

 

 

お昼は、この前は時間が合わず行けなかった「おかる」のチーズ肉カレーうどん(1140円)をいただきます。

 

 

神宮丸太町駅まで京阪電車に乗り、革堂行願寺へ。六角堂まで歩く途中、ル・プチメック 御池店(黒メック)へ立ち寄り

オレンジとクルミのセーグル、パンオショコラ、ミルクフランスを購入します。

 

 

どうにか自転車屋さんを探し、虫ゴムを買わないと……。コンズサイクル蛸薬師店さんに立ち寄り、事情を説明すると、虫ゴムだけは販売していないので、これをどうぞ と虫ゴムをいただきました。100円だけでもとお渡ししようとしたのですが、売り物ではないのでと受け取っていただけませんでした。ほんとうにありがとうございました。感謝。感謝。

 

河原町通りの flying tiger で洗えるマスクをおみやげに買い、京阪で東福寺駅まで行き本日最後の今熊野観音寺をお参りしました。かなり歩き疲れた最後に観音寺までの登り坂はこたえました。

 

 

今日の京都の気温は 35℃。自転車で巡る予定でしたが、思わぬトラブルで徒歩で巡ることになりとても疲れた三十三所巡りでした。

一日も早いコロナの収束とワクチン、治療薬の開発を心より祈っています。

 

8月4日、先日の休日出勤の代休をもらって、西国三十三所のお寺を3つ巡ってきました。
 

 

京都まで車で行き、今回は阪急電車を利用して、先ずは第22番 総持寺へ。えっJR総持寺駅もあるの!調べてみると2018年3月に開業していました。以前は青春18きっぷを利用して訪れたので、摂津富田駅まで線路沿いの道を歩いたのを思い出しました。次はJRを利用しようかな。(行ってないので写真はネットからです)




阪急の東向日駅まで戻り、阪急バス66番で第20番 善峯寺へ。よくもこんな細い道路を上手く大きなバスを運転するもんだと感心です。


全長37m 天然記念物の日本一の松「遊龍の松」の前にある経堂に納められた絵馬です。人の体だけでなく、心も蝕んでいくコロナ禍。もうこのコロナ禍を終息させるのは治療薬、ワクチンしかないのかもしれません。現在研究や開発をされているみなさん、激務だと思いますが体調には十分気をつけて、一日も早い薬の開発をお願いします。



戻りはJRの向日町駅までバスに乗り、京都駅で乗り換えて亀岡駅へ。バスで第21番 穴太寺へ。お参りを済ませ、「なで仏」さまが御座す本堂と渡り廊下でつながっている円応院を拝観させていただきます。こんなところにもコロナの影響が……。



初めて「なで仏」さまとご対面です。もちろん撮影は禁止ですので写真はネットより拝借です。


円応院の庭園です。訪れる人も誰もいなくて素敵なお庭を十分に堪能できました。



帰りは嵯峨嵐山駅で降り、3月末にサイクリングで嵐山を訪れたときには定休日だった「森嘉」のひろうす(1個 230円+税)をゲットです♪。



いつもは大行列でなかなか食べられなかった「京都嵐山 湯葉チーズ本舗 本店」。平日でコロナの影響なのか並ばずに人気 No.1のとろけるゆばチーズ(400円)が買えました♪その場で揚げてくれるのでとてもおいしいです。

 

渡月橋のすぐ前の「新八茶屋」でイタリアジェラートコンクール入賞のレモンのワルツ(600円)もいただきます。これもおいしい♪




阪急の嵐山駅から電車に乗って駐車場に戻り、お決まりの大津SAの「551蓬莱」でチルドの豚まんと焼売を買って帰りました。



今回はどこのお寺もほとんど人がいないし、利用した電車 バスも人がまばらで会話も自粛されていました。唯一 天龍寺の前から渡月橋の橋のたもとぐらいまでが少し人通りがあったかなというぐらいで、それでも普段の嵐山の 1/10 以下です。

早くコロナが終息して、カップルや女子グループが楽しそうに笑顔で嵐山を散策する姿が早く戻りますように!!



 

 

あらすじ
りり、りり、りり…… 草雲雀は恋の歌を唄う―― 媛野藩の藩士、栗屋清吾は女中のみつと深い仲になるが、妻として娶ることは周囲から認められていない。そんな折、道場仲間の山倉伊八郎から自分の用心棒になるよう頼まれる。伊八郎が藩の筆頭家老になるには清吾の剣の技が必要という。子を持ちたいというみつの願いに応えるため引き受けた清吾を、伊八郎と対立する派閥からの刺客が次々と襲う。秘太刀「磯之波」で迎え撃つが……。ひとはひとりでは生きていけませぬ―― 愛する者のため剣を抜いた男の運命は!?

ひと言
相変わらず葉室 麟さんらしい爽快な作品だが、最後は少し無理があるように思う。菅野新右衛門を打ち取り家老になる目途がついたら真っ先に伊八郎は、自分の借金の形に白木屋にいった みつのことを真っ先に考え、清吾のもとに戻るよう手配するのが当たり前であろう。参勤交代の供で国許に戻るのが遅れるとしても家臣にその手筈を整えさせることは可能であろう。清吾が一人白木屋へ乗り込んでみつを取り返すというのも面白いが無理があるように思う。草雲雀という虫を知らなかったのですぐに調べてみました。他にも知らない方がみえると思うので下に写真を載せました。




みつがはっと気づいたように立ち上がると隣室に行って、竹籠を持ってきた。「昼間、村の者が旦那様のお慰めにと持って参りました」 みつは竹籠を清吾の前に置いた。すでに鳴き声は止んでいる。「何だ、これは――」清吾は竹籠の中を覗きこんだ。竹籠の中には草が敷かれ、黒い一匹の小さな虫がいるようだ。「草雲雀(くさひばり)でございます」みつは答えながら、竹籠の中を覗きこんだ。「鳴かぬな」清吾は顔をあげてつぶやいた。みつは微笑んだ。「急に明るいところへ連れてきたので驚いたのでございましょう゜暗くすれば、ひと晩中、きれいな声で鳴いてくれます」「そうか――」清吾は立って障子を開けてから、蝋燭の明かりを消した。部屋の中は暗くなり、月の青白い光だけが差し込んだ。清吾はみつの傍らに座った。ふたりが暗い中で待ち構えていると、やがて、―― りり、りり、りり と草雲雀が澄んだ音色で鳴き出した。「とても美しい鳴き声でございます」みつが言うと、清吾は大きくうなずいた。「そうだな、胸に沁みる」 みつはかがんで竹龍を覗きこみながら、「鳴くのは雄なのだそうでございます。離れ離れの雌を恋い慕って鳴くのだと村の年よりが話しておりました」「そうか草雲雀は恋の歌を唄っておるのだな」清吾が何気なくつぶやくと、みつが嬉しげに言った。「風流な虫でございますね」清吾は虫の鳴き声を聞くにつれ、しだいにもの悲しくなってきた。出世を望まず、みつとこの世の片隅でひっそりと生きていくのが自分にはふさわしいと思っていた。
だが、それではあまりに侘しいではないかとも思う。兄が家督を継いだ実家でなすところもなく、歳月を過ごし、妻であるみつは女中同然にこき使われているのだ。  武士に生まれた矜持はどこにも見出せない。(ただ生きて、朽ちていくだけだ)それでは虫と同じではないか。秋の夜長に鳴き通しても、応じてくれる相手はおらず、虚しく、時が過ぎていくばかりだ。清吾はため息をついた。「この虫、逃がしてやろうか」清吾が言うと、みつははっとして振り向いた。「草雲雀はお気に召しませんでしたか」「いや、気に入った。美しく鳴くものだな。しかし、それだけに庭へ放ってやりたくなった」清吾が言うと、みつは竹籠へ目を遣った。「狭い竹籠に入れておくのをかわいそうだと思われたのでございますね」清吾の気持を察したように言った。「そういうことかもしれんな」みつに言われて、清吾はあらためて自分の心持ちに気づかされた。狭い籠に閉じ込められているのは、自分もみつも同じなのだ。草雲雀は鳴いて人に喜ばれるが自分たちには、それもない。ただひたすら、肩をすぼめ、小さくなって生きていくだけなのだ。「せめて草雲雀は広いところへ放ってやろう」清吾に言われて、みつは素直に竹籠を持ち、縁側へ出た。跪いたみつは竹籠を開けて庭にかざした。やがて月の光に誘われるように虫が外に飛び出した。「旦那様、草雲雀が元気に出ていきました」 みつが振り向いて言うと清吾は笑みを浮かべた。「そうか元気に跳んで出たか。それはよかった」言いながら、清吾はふと涙ぐみそうになった。自分とみつにはこの狭い虫籠から出ていく日がはたしてくるのだろうか。それとも鳴き続けて、ある日、気づいたら息が絶えているのか。そんなことを思っていると、みつは、「旦那様、わたしはここの暮らしがとても好きでございます」と慰めるように言った。清吾は仰向けになった。青白い月光が清吾の顔を照らした。「好きなはずはないだろう。日の当たらぬ場所での暮らしではないか」「女子には日が当たることより、もっと大事なことがございます」みつは縁側から夜空を眺めながら言った。
(二)

広間から出ていこうとする昇平に清吾は庭から駆け上がって、追いすがった。「花田殿、ただいまはみつをお助けくださり、まことにありがたく存じます。このご恩は忘れません」 と頭を下げた。昇平は笑って答えた。「わたしと栗屋殿とはいずれ剣をとって戦わねばならぬ身でござる。それゆえ、恩などは忘れてもらったほうがありがたい。それにわたしがお内儀を助けたのは、栗屋殿の言葉を面白いと思ったからでござる」「わたしの言葉が面白かったと言われますか」清吾が首をひねると、昇平は笑って告げた。「さよう、栗屋殿は大事な女房と言われた。武士たるものが、おのれの妻を大事であるなどと抜け抜け言うのをわたしは初めて耳にいたした。わたしの従妹の小萩が栗屋殿に魅かれたわけがわかり申した」昇平は軽く頭を下げて広間を出ようとした。昇平とすれ違うように酒器を盆にのせたみつが戻ってきた。昇平が去ろうとしているのを見て、みつは、申し訳ございませんでした、ありがとうございました、と何度も頭を下げた。昇平は微笑しただけで背を向けると玄関に向かった。清吾は大きくため息をついた。もし、昇平と立ち合うことになったとき、自分は勝てるのだろうか、と心もとない気がした。
(二十三)

伊八郎はちらりと清吾に目を遣った。「これなる栗屋清吾がわたしを助けましたのは、兄の厄介になって暮らす三男坊の境涯から抜け出し、妻との間に子を生(な)したいという、まことに草雲雀のごとく小さな望みを果たすためでございました」草雲雀のごとく小さな望みだと言われて清吾は顔をしかめた。だが、伊八郎は構わずに話を続ける。
「わたしも国東家の家督を継ぐまでは草雲雀のごとく小さい者として生きておりました。しかし、此度、家督を継ぎ、派閥を率い、家老になる身になってあらためて思い知ったのは、ひとが何事かをなすのは、大きな器量を持つゆえではなく、草雲雀のごとく小さくとも、おのれもひとも裏切らぬ誠によってだということでございます」「草雲雀のごとき誠か――」武左衛門はため息をついた。「さようにございます。されば、彦右衛門兄上は、おのれの誠を尽くして生きられたと存じます。父上が哀れと思われるのは僭越(せんえつ)でございましょう」伊八郎の言葉に武左衛門は胸を突かれたかのような顔をした。
(二十八)

清吾が囁くように言うと、みつはくすりと笑った。「子にはなんと名をつけましょう」「そうだな、ひとりで生きていけるような強い名がよいな」清吾が言うと、みつは力をこめて清吾の背にすがりついた。「いいえ、ひとはひとりでは生きていけませぬ。いとしいひとを大事に思える、深い心を持ったひとになってもらいとうございます」「そうか、ひとはひとりでは生きていけぬか」伊八郎も自分もひとりでは困難を乗り越えられなかった。そしていまの自分は背中のみつがいなければ生きていく気力さえ湧かないだろう。そう思ったとき、ひとが何事かをなすのは大きな器量によってではなく、おのれもひとも裏切らぬ誠によってだ、と伊八郎が言ったことを思い出した。みつは草雲雀を飼っていた。草雲雀は恋しい相手を思って一晩中、りり、りり、と鳴くのだという。清吾は草雲雀の鳴き声が耳の中でするのを聞いた。りり、りり、りり (わたしもみつも草雲雀だ)清吾は、みつを背負う腕に力を込めると、草雲雀の鳴き声に合わせてしっかりと夜道を歩いていった。
(三十) 

 

今日のお昼は、餃子が安いと評判の「下町の空 名北店」へ下町とんこくラーメン(759円)と特製肉ぎょうざ(6個)×2(217円)をいただきます。大盛りぎょうざ(32個)か特製ぎょうざ(66個)が名物なのですが、一人では無理なので…。ラーメンも餃子も味は特筆すべきことはありませんが、特製ぎょうざは話題性もたっぷりなので次は数名で伺いたいです。

 

下町の空 名北店

名古屋市北区丸新町

 

あらすじ
2011.3.11、東日本を襲った未曾有の大地震。押し寄せた大津波の影響で、福島第一原子力発電所は、全電源を喪失した。そんな中、刻一刻と迫る炉心溶融を食い止めるため、死地に残り、命を懸けて原子炉建屋に突入した、名もなき作業員たちがいた。心の中に、大切な誰かを想いながら―。一方、避難所では、作業員の家族たちが、余震におびえながら、奇跡を信じて待ち続けていた。オリジナルエピソードも描かれる迫真の小説版。

ひと言
映画「Fukushima 50」。いつもは映画の原作本を読んでから、映画を観ることが多いのですが、この映画だけはどうしても早く観たくて世の中がコロナで自粛ムードの4月1日に少し郊外の映画館(名古屋駅周辺では混雑すると思ったので…)へ観に行きました。1000円で映画が観られる映画の日なのに、観客は私を含めて2人でした。映画のシーンが思い浮かんで、泣きながら読みました。

 

 

佐藤 浩市さん演ずる1F(福島第一原子力発電所の略称)の1・2号機当直長 伊崎 利夫、渡辺 謙さん演ずる1F所長 吉田 昌郎、前田 拓実役の吉岡 秀隆さんもよかったし、伊崎の妻 智子の富田靖子さん、伊崎の娘 遥香の吉岡 里帆さん、他にもいっぱいみんなみんなすごくよかった♪。早くDVDでもう一度、いや後3回ぐらい観たいです。

吉田昌郎さん(実名)がお亡くなりになった10カ月後の2014年5月、あの朝日新聞が「吉田調書」と名づけて「所長命令に違反 原発撤退」とのタイトルでスクープ記事を掲載、「パニックに陥った作業員が原発から逃走」などと1Fで働く人々や吉田さん故人を冒とくするでたらめな記事を報じました。門田隆将さんらが中心となって朝日新聞の報じた内容の誤りを指摘、朝日新聞に記事を撤回させ、謝罪をさせました。

あらためて吉田 昌郎さんのご冥福をお祈りするとともに、この事故で故郷から非難を余儀なくされた方々が一日でも早く故郷に戻れますように!

「ここは線量が高ぇぞ。こっちへ迂回したらどうだ?」 「そうですね、少し遠回りになりますが、急げばなんとかなります。でも、バルブの位置、わかってますか?」 「そりゃあ……行けばわかるよ。たぶん」少し、不安な色が浮かんだ。そこに、拓実が割って入った。「僕、知ってます。僕たちが行きますよ」「えっ?」 突然入ってきた拓実に戸惑う先輩たちに、拓実は臆することなく言った。「僕、1号で長いことやってましたから、AO弁がどこにあるのかも、どうやってバルブを開ければいいのかも、全部頭に入っています」「だからって、お前 ……」「1号機の性格は、僕が一番わかってるんです」拓実が、真剣な表情で頭を下げた。「だから、僕に行かせてください。お願いです」だが先輩も引かない。「だめだよ。お前、あそこにいくら線量があるかわかってるのか?行ったら下手すりゃお陀仏だぞ? 俺より若い人間には行かせられねぇ」「危険なことはわかってます。でも、それでも僕に行かせてほしいんです」拓実は、なおも食い下がった。「僕たちは、1号に育てられたようなもんなんです。一人前のプラントエンジニアになれたのだって、あいつのお陰です。だから…… この手で助けてやりたいんです!」伊崎は知っていた。拓実は1号機での経験が10年以上ある。AO弁がどこにあって、どうやって開ければいいかわかっているというのも誇張ではないのだろう。何より拓実自身が、その1号機にどれほどの『恩義』を感じているか、同じように1F【福島第一原子力発電所の略称】に育ててもらった伊崎には、ひしひしと伝わっていた。だから伊崎は、言った。「原子炉ってのは……機械じゃないんだよな。子供と同じで、やんちゃな奴もいれば、大人しいやつもいる。その点IFで一番手が掛かるのは1号だ。……そうだよな?」「そうです!」拓実が、笑顔で大きく頷いた。
不服そうな先輩だったが、伊崎の意を汲んだのか、無言で着ていた装備を脱いだ。本当は、彼らにもわかっていたのだ。彼らよりも拓実のほうが1号機を熟知している。ベントの成功率を高めるためには、拓実たちに託したほうがよいと。それでも、線量の高い場所に後輩を行かせたくはなかったのだ。だから伊崎は、彼らに言った。「あいつら、高校の後輩なんです。大丈夫、やってくれますよ!」 すぐさま、拓実たちにタイベックと耐火服、全面マスクが渡される。手早くそれらを着込んでいた拓実は、ゴム手袋を嵌めるとき、当然のように指輪を外した。戻ってきたときの汚染を防止するため、高放射線環境には『余計なものは何も持ち込まない』ことが基本だからだ。だが数秒考えたあと、拓実はその指輪を再び、薬指に嵌めた。それを見ていた伊崎は、動揺した。拓実には妻と息子かいたことを思い出したからだ。掛け替えのない家族がいる。にもかかわらず、拓実は突入を志願した。だから拓実は、指輪を嵌めたのだ。もし自分が死んでしまったときに、この身体が前田拓実であると家族にわかってもらうために。一体拓実は、どれほどの心残りを抱えながら、笑顔で「1号機に行く」と言ったのだろう。その心中を思うと、伊崎は、胸か痛んだ。
(第二章 2011年3月12日 12時ごろ)

いつ終わるのかもわからない戦いを続けることに対して、彼らが精神的に参っていることは誰の目にも明らかだった。けれど、そんな今こそ、せめて東電の運転員である俺は踏ん張ろうと、西川は思っていた。だから、突然緊対から吉田が下りてきて発した言葉に、西川は驚いた。
 「協力企業の皆さんで、今やっている作業に直接関わりのない方は、引き上げていただいて結構です」本当に今までありがとうございました。そう言うと吉田は、深々と頭を下げた。西川は思わず、真理と顔を見合わせた。同時に、吉田をしてここまで言わせる状況が、いかに切迫したものかを感じ取る。言われた作業員たちも同じように思ったのだろう。
誰かが、吉田に問うた。「いよいよ危ない、ということですか?」 その声には、恐怖の色が滲んでいた。吉田は躊躇いながらも、「そうです」と頷くと、「いつ、何があってもおかしくない状況です。一刻も早く、避難してください。後は、我々が最後まで守ります」と、言った。強い言葉だ、と西川は素直に感じた。強くて、でも同時に痛々しかった。なぜなら、最後まで我々が守るという言葉には、仮に守れなくとも、我々は身体を張るという覚悟を含んでいたからだ。何より、避難するという指示は、放射線に満ちた外に出る危険を冒してでも、ここから離れた方が安全だという瀬戸際の選択でもある。西川は「そうか、いよいよ最期が近づいているのだ」と、直感した。吉田の言葉に、作業員たちが、逡巡しながらも撤退の準備を始める。吉田は、彼らの姿に頷きながら、同じように休憩を取っていた迷彩服姿の自衛官たちの傍に行き、頭を下げた。
 自衛隊の皆さんも、ひとまず退避してください。本当にありがとうございました」 だが自衛官たちは、お互いの顔を見合わせた後、凛々しく背筋を伸ばして答えた。「所長、民間の方々が戦っているのに、我々が撤収するわけにはいきません。国を守るのが、我々の仕事ですから」 古田は、込み上げる思いを堪えるように、口を真一文字に結ぶと、「失礼しました!」と、腰を直角に曲げた最敬礼を返した。傍で聞いていた西川も、ひとり思う。国を守るのが、我々の仕事、か。国を守れば、故郷も守られる。故郷が守られれば、大事な人たちも守られる。父も、母も、兄弟も、親戚も、友人も、恋人も ―― 誰より大事な人も、守られる。だから俺も、国を守らなければならない。それが、俺の仕事だから。決意とともに、顔を上げる。その視線の先に、真理がいた。「……頑張ろう」真理はそう言うと、小さな笑みを湛えた。
(第四章 2011年3月14日 23時46分)

伊崎は、むくりと起き上がると、ダッシュボードを開け、中にあった一通の手紙を取り出した。差出人は、吉田昌郎。読みやすいが、癖のある字体。古田の分身でもあるかのようなその手紙を、伊崎は読んだ。
「伊崎、お前にもう会えないかもしれないので、手紙を書くことにした。早いもので、あの事故から2年経つ。お互い、大変な経験をしたな。あのとき、もう日本は終わりだと思った。後は神様仏様に任せるしかない。俺もここで死ぬんだな、と腹を括った。事故が起きたら最初に死ぬのは、誰でもない、発電所の人間だ。だけど、死んでしまったら事故が収拾できない。現場の人間の命を守れずに、地元の人たちの命を守れるわけかない。俺たちは、何か間違ったのか。お前はあのときそう言ったな。覚えてるか?今になって、ようやくその答えが見えてきたような気がするよ。俺たちは自然の力を舐めていた。10メートル以上の津波はこないと、ずっと思い込んでいた。確かな根拠もなく、1Fができてから40年以上も、自然を支配していたつもりになっていた。つまり、慢心していたんだ」……。……。「あのとき、お前がいてくれて本当によかった。状況がさらに悪くなったら、最後は全員退避させ、お前と二人で残ろうと決めていた。お前だけは、俺と一緒に死んでくれると思ったんだ。今ごろ、悪いなと思った。奥さんと娘さんには、謝っておいてくれ。本当にありがとう。  吉田昌郎」
―― クソッ、何言ってんだ。俺が、古やんを、ひとり残していくわけねえだろうが。それがお前、ひとりで勝手に逝きやがって――。 「……馬鹿野郎」 水っぽい声で、伊崎は上を向いた。零(こぼ)れそうになる涙を誤魔化すように、目元を手の甲で拭うと、伊綺は車を降り、桜並木の間をゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるように歩いた。 
去年の夏。2013年7月9日。 誰からも慕われ、誰からも頼られ、誰よりも前に出て、誰よりも強かった古田は、誰よりも早く、食道癌でこの世を去った。問い年の伊綺には、まだ実感もわかずにいる。今でも、吉田がどこかから、「おい、伊綺」と呼び掛けてくる気がする。 あの桜の木の陰に、いつもの剛毅でふてぶてしい姿で立っている気がする。けれど、顔を上げても、そこには誰もいない。伊崎は――。だから、青空に語り掛けた。 「吉やん、今年も桜が咲いたよ」
 (エピローグ それから)

7月26日 あいにくのお天気ですが、7月23日から京都国立博物館で開催されている「聖地をたずねて 西国三十三所の信仰と至宝」展に名阪特急「ひのとり」に乗って行ってきました。

 

 

8時20分 近鉄名古屋駅発 大和八木停車の「ひのとり」です。

 

 

どうせなら900円高いプレミアム車両に乗りたかったのですが、大人気で密になるのがイヤなので 200円増しのレギュラー車両に

 

 

プレミアム車両の前後の座席間隔は 130cm。 レギュラー車両でも 116cmあり、とても快適です。

なにこれ!ICカードで無料で利用できるロッカーもあります。

 

 

10時49分に近鉄丹波駅に到着。京阪電車に乗り換えて三条へ。

先ずは前日に予約を入れてあった「本家月餅家直正」のわらび餅を受け取りに行きます。

 

 

今までずっと食べたかったわらび餅ですが、予約が必要なのとタイミングが合わずに今まで延び延びになっていました。

そのまま京阪電車で折り返し七条へ。京都国立博物館の「聖地をたずねて 西国三十三所の信仰と至宝」展へ。

 

 

よくもまあ こんなにきれいな文字が書けるもんだ。それに絵巻などの絵の精密なこと緻密なこと。こんなコロナの感染拡大の中、観にきてよかったなぁと思いました。少し雨が降り出しましたが、大和大路通を歩いて「建仁寺」へ。入ってすぐのところに原田 マハさんの「風神雷神」にも取り上げられた俵屋宗達の「風神雷神図」のデジタル版がありました。

 

 

建仁寺は写真撮影がOKなのがうれしいです。本坊の中庭にある聴音庭の三尊石です。

 

 

仙厓和尚の〇△□図です。

 

 

大雄苑です。

 

 

平成14年小泉淳作画伯によって描かれた法堂の天井画「双龍図」です。

 

 

葉室 麟さんの「墨龍賦」で取り上げられた海北友松が描いた「雲龍図」です。

 

見どころいっぱい。趣もいっぱいの建仁寺を後にして、雨の中、花見小路を歩いて「ぎおん徳屋」へ。

ここも前から行きたかったお店です。コロナの影響と雨ということもあって20分ほどで2階席に案内されました。

 

 

一番人気の徳屋の本わらび餅(1250円)をいただきます。

 

 

 

家に帰って、「月餅家直正」のわらび餅をいただきます。とてもおいしいこし餡をよくもまあこんなに薄く本わらびでくるめるもんだと職人さんの技術にびっくり。それにとても美味しいです♪。

 

 

コロナの感染拡大の中、少し不安な電車旅でしたが、博物館、建仁寺 そして食べたかった2つのわらび餅ととても充実した京都旅行でした。