あらすじ
世間が万博に沸き返る1970年、洋一郎が小学校2年生の時に家を出て行った父親の記憶は淡い。郊外の小さな街で一人暮らしを続けたすえに亡くなった父親は、生前に1冊だけの「自分史」をのこそうとしていた。なぜ?誰に向けて?洋一郎は、父親の人生に向き合うことを決意したのだが…。老人ホームの施設長を務める洋一郎は、入居者たちの生き様を前に、この時代にうまく老いていくことの難しさを実感する。そして我が父親は、どんな父親になりたかったのだろう?父親の知人たちから拾い集めた記憶と、自身の内から甦る記憶に満たされた洋一郎は、父を巡る旅の終わりに、一つの決断をする。

ひと言
恥ずかしながら今まで知らなかった言葉「ひこばえ」。少し寂しい感じもしますが、なんていい言葉なんだろうとしみじみと思いました。読み終えてすぐ懐かしい吉田拓郎さんの『今日までそして明日から』をすぐYou Tube で聞きました。
1963年3月生まれの重松さん、1961年1月生まれの私とほとんど同じ時代を生きて、同じような悩みを持って「今日まで生きてみました」の2人。我々の世代の小学生時代の一番の思い出は万博。コースが5種類もあって、しかも同時にスタートするジェットコースター「ダイダラザウルス」。そうだ!ダイダラザウルスだ! この本を読むまですっかり忘れていました。ありがとう 重松さん。
2018年 48年ぶりに内部が一般公開された「太陽の塔」。ネットの、予約をしていなくても当日キャンセルが出れば入れることがあるとの情報で、その年の夏、大阪に帰省する際に立ち寄ったことがありましたが、残念ながら入れず、記念にピンバッジとTシャツを買って帰りました。懐かしいなぁ。今度はちゃんと予約してみんなで入場したいなぁと思いました。上下 720頁ほどの作品でしたが、下は一気読みでした。重松さん素敵な小説をほんとうにありがとう。

 

 

若い頃はわからなかった。最近になってようやく気づいた。墓や仏壇というのは、亡くなったひとにとっては、人生が終わったあとに行き着くところ ―― おしまいの場所なのかもしれない。しかし、のこされた家族は違う。墓を建立し、仏壇を置くと、そこから亡くなったひととの付き合いが始まる。いわば、始まりの場所になる。そして、始めるからには、途中でほっぽり出すわけにはいかないのだ、断じて。
(第三章 父、帰る)


神田さんは「じやあ、こんな言葉、知ってるか」と訊いた。    ひこばえ ――。
航太はすぐに「春の季語ですね」と反応した。「木の切り株から若い芽が生えてくることでしたっけ」 横から川端さんも「『ひこ』って、孫の意味なんでしょ?」と応えた。「元の幹から見れば孫のような小さな芽が生えてくるから『ひこばえ』なのよね、たしか」田辺さん親子も「あと、東日本大震災のときに、復興の象徴みたいな感じで、よく紹介されましたよね」「うん、あったあった」「切り倒された木から芽が生えてくるみたいに、被災地も絶対にまた立ち上がるぞ、ってね」「うん、自分は切り倒されても、未来に希望がつながるんだよね」と話を継いだ。
(第十一章 息子の息子) 


「結局ノブさんは孫には会えずじまいで亡くなったわけだが、俺はその気持ちを大事にしてやりたくてな……森で一番古くて太い木が切り倒されても、その切り株からひこばえが出れば報われるように、孫が元気で幸せにやってれば、ノブさんも本望だ。草葉の陰で喜ぶ」私より先に、航太が「はい」と応えた。びっくりするほどしっかりした声だった。ふと気づくと、廊下の障子の陰に道明和尚がいた。法要の準備が整ったのを伝えに来たものの、あえて声をかけずに、神田さんの話が終わるのを待ってくれているのだろう。この話が大切なんだと察したから、なのだろうか ―― 実際、和尚は廊下に座り込み、合掌をして話を聞いているのだ。……。……。
その気持ちを込めて、ノブさんに焼香してやってくれ。あなたのことを知りたい、あなたの人生を知りたい、と願いながらお骨に于を合わせてやってくれ」 そうすれば ――。「あんちゃんは、正真正銘、ノブさんの孫になる。このひとのことを知りたいと思うのが、ひととひとがつながる第一歩だからな」
(第十一章 息子の息子) 


ホテルのロビーに戻ると、一雄さんと一緒に姉がいた。姉は私にも母にも連絡をよこさなかったのに、一雄さんには、ちょうど私と母が船着き場にいた頃にショートメールを送っていた。母がホテルに向かったかどうか尋ね、〈もしも万が一、母が前夫の遺骨に手を合わせると言いだしたら、何卒ご理解、ご高配ください〉と伝えていたのだ。事務的な言い回しや、父を〈前夫〉と呼ぶあたりが、いかにも姉らしい。ただ、ショートメールはホテルに着く少し前に送ったわけだから、姉はたとえ自分だけでも父の遺骨に対面するつもりだったことになる。「しかたないじゃろ、わざわざ東京から持ってきたんじゃけえ、あんたの顔ぐらいは立ててあげんと」姉の足元には、地元のデパートの紙バッグに入れた花束があった。アイリスとリンドウをメインにした、小ぶりではあっても美しい花束だった。
(第十五章 再会) 

 
「人間って、最後の最後に骨が残っちゃうんだね。きれいさっぱり消えてなくなることって、できないんだね。わたし、今回のことで初めて実感した気がする」 ……。……。 「洋ちゃん、わたしにも抱かせてもらっていいかな、それ」姉は両手を私に差し出した。私を見つめる目が涙で潤みはじめる。骨箱を渡すと、姉はそれを胸に押し当てるように抱きしめて、目を閉じた。微笑みを浮かべた。その笑顔に言葉を添えるなら ――「お帰りなさい」という姉の声が、どこかから聞こえたような気がした。
(第十五章 再会)


「やり甲斐とか生き甲斐っていうのは、誰かに『ありがとう』と言われることなのかもしれないよな」ハーヴェスト多摩も含めて、高齢者施設は「なにもしなくていいですよ」というのを最大の謳い文句にしている。だが、ほんとうにそうなのだろうか。「なにもしなくていい」とは「誰からも感謝されない」と同じ意味ではないのか。
(第十七章 わたしは今日まで) 


神田さんは美保港からツタ島に渡るのだと知ると、思いがけないことを口にした。「そういえば、ノブさんは大阪の万博に一家で出かける約束をしたきり、いなくなったんだよな」 「はい……そうです」「じゃあ息子、おまえさんもトラックに乗れ」「―― え?」「美保港に行くんだったら、通るんだよ、万博の公園を」 トラックは名神高速から中国自動車道に入るルートを進むことになる。途中で万博記念公園を突っ切る。そのときに、車窓から太陽の塔が見えるのだという。最初こそ困惑したものの、「乗ります」という返事はすんなりと、まるでずっと喉の奥で出番を待ちかまえていたかのように出た。「太陽の塔を見せてください」 神田さんは「任せろ」とうなずき、「ノブさんと一緒に見ればいい」と笑ったのだった。
(終章 きらきら星)