今日は上の娘の引っ越し。前から行きたかった「蕎麦割烹 黒帯 鶴舞店」へみんなでお昼を食べに行きました。私はとろろせいろをいただきます。食べログそば百名店にも選ばれただけあってとても風味がありおいしいです。蕎麦湯も絶品でした。ごちそうさまでした♪

 

蕎麦割烹 黒帯 鶴舞店

名古屋市中区新栄2

 

今日は検診車での胃(バリウム)検診の後、近くのイオンモール名古屋茶屋で初「歌志軒」です。油そば大盛(690円)と揚げ玉ねぎ(100円)のトッピングの食券を買います。テーブルにあるラー油と酢をたっぷりかけてかき混ぜ、仕上げにガーリックとにんにくをかけていただきます。今まで胸やけしそうなイメージがあって食べたことがなかったのですが、くどくなくおいしいです。明太子や半熟玉子などのトッピングで食べてもおいしそうなので次は色々なトッピングを試してみたいです。ごちそうさまでした。

 

歌志軒

名古屋市港区西茶屋2

 

最近はオリンピックのTV中継を観るのに忙しく、このブログを書くのが遅くなりましたが、昨日は自転車で「みそかつの三河屋」へお昼を食べに行きました。お店の名前にもなっている味噌かつ定食(970円)をいただきます。ミニうどんか赤だしのどちらかを選べるのですが、とんかつが大きいという評判なので、赤だしをお願いします。見ての通りキャベツが少ないようにみえますが、ごはんとキャベツはおかわりができます。ごはんのおかわりをいただくつもりで食べ始めたのですが、とにかくとんかつがでかくてお腹がいっぱい、ごはんのおかわりは、なしです。またガッツリ食べたいときに伺います。ごちそうさまでした♪

 

 

みそかつの三河屋   
名古屋市瑞穂区明前町

 

 

今日は定例の水汲みに大垣へ行く途中、伊勢志摩うまれのたい焼き専門店「たいやき わらしべ 大垣店」へ立ち寄りました。TVで 通はあんなしたい焼きを食べるということで、一度食べてみたいと思っていた たい焼きです。あんなし(120円)、つぶあん(170円)、プリン(170円)、ずんだ餅(210円)をいただきます。注文を受けてから焼いてくれるのでアツアツ、それに袋にシールを貼ってたい焼きの種類がわかるようにしてくれている心遣いもうれしいね。あんなしは うーん。やっぱりあんがある方が好みかな。今日いただいた中では、今まで食べたことのないずんだ餅かぷりんが好みかな。他にもおもしろいメニューのたい焼きがあるので食べてみたいです。

 

 

 

いつも水汲みに行く途中の道沿いにお店があるので、これからもちょくちょく寄らせてもらいます。ごちそうさまでした♪。

 

 

たいやき わらしべ 大垣店

大垣市長沢町5

 

 

あらすじ
夫婦円満を装う主婦と、家庭に恵まれない少年。「秘密」を抱えて出戻ってきた姉とふたたび暮らす高校生の弟。初孫の誕生に喜ぶ祖母と娘家族。人知れず手紙を交わしつづける男と女。向き合うことができなかった父と子。大切なことを言えないまま別れてしまった先輩と後輩。誰かの悲しみに寄り添いながら、愛おしい喜怒哀楽を描き尽くす連作集。

ひと言
第165回の直木賞候補作が発表され、Amazonのカスタマーレビューを参考に図書館に予約を入れました。残念ながら受賞とはなりませんでしたが、本屋大賞の候補には間違いなく入ってくる作品だと思います。スモールワール(ズ)、 複数形なのもいいね。 6編それぞれ面白かったですが、「魔王の帰還」が一番印象に残りました。


「姉ちゃん」「誰にも言うな」「言わねえけど……どうすんの?」「分からん」途方に暮れた、魔王にあるまじき声だった。「管につながれて、まぶたも動かせん、声も出ん、そんな姿を見られとうないって言われたんじゃ。元気な姿だけを覚えていてほしい、それが一生のお願いですって言われたら、わしゃどうすりゃあええ。……いつか新しい薬やらかできて治るかもしれん、言うたら、奇跡の話をするな、って、勇が怒ったんよ。初めて、わしに。その希望に僕は耐えられないゆうて、泣いた。自分か、なーんの覚悟もなくて、勇の苦しさなんぞいっこも分かってやれとらんかったのが恥ずかしゆうて悔しゆうて、わしは……」泣いてはいない、けれど魔王の広大な背中が初めて頼りなく見えた。
(魔王の帰還)

―― そもそも、SBSつていう概念自体が疑問符だらけなんですよ。紹介された医師は、瑛里子に分かりやすく説明してくれました。―― いわゆる「三徴候」っていうのがありまして、硬膜下血腫、眼底出血、脳浮腫、これらが見られる場合はSBSを疑ったほうがいいと。そしてこの三徴候は、三メートルぐらいの高さから落ちない限り生じない、だから、第三者が人為的な力を加えた可能性が高いという基準があるんですが、百パーセントではありません。虐待の結果三徴候を示したからといって、三徴候のすべてが虐待の結果とは言えないわけです。赤ちゃんの頭蓋骨はとてもやわらかいので、畳やプレイマットの上で転倒しても乳幼児型急性硬膜下血腫に陥るケースは十分考えられます。アメリカでは、SBS理論を基に虐待とみなされた刑事事件のうち約一割が起訴の取り下げや有罪判決の破棄などに至ったという報道もありますから。
(ピクニック)

帰宅後に苦情を申し立てたが「イメチェンに気づいてもらえてよかったじやん」と笑い飛ばされた。他人事だと思って。「冗談じゃない、あんな恥かかされて、もういやだからな」「それで元に戻したら戻したで言われんじゃね」「ならどうしろって言うんだ!」「それは先生が決めんだよ」佳澄は噛んで含めるように言った。
「時間かけんのだるいって思ったらやめればいいし、今の自分を続けたいんならやればいい。ただ、生徒に笑われたからっていうのはNGな。あいつらがあんなこと言ったせいだってなっちゃうだろ。理由とか原因を他人に紐づけてると人生がどんどん不自由になる」
親と子が逆転したみたいだ。どうしても素直に頷けず「言われた事実は変えられない」とむきになって言い返してしまう。年とともに喜怒哀楽が硬直化してくるのか、感情のブレーキや方向転換がままならないことが最近増えた。
(愛を適量)

 

あらすじ
パリ大学で美術史の修士号を取得した高遠 冴は、小さなオークション会社CDCに勤務している。週一回のオークションで扱うのは、どこかのクローゼットに眠っていた誰かにとっての「お宝」ばかり。高額の絵画取引に携わりたいと願っていた冴の元にある日、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれる。それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたものだという。「ファン・ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? 」 「―― 殺されたんじゃないのか? ……あのリボルバーで、撃ち抜かれて。」ゴッホとゴーギャン。生前顧みられることのなかった孤高の画家たちの、真実の物語。


ひと言
読み終えて最後のページの裏に「ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは、2019年6月19日、パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、16万ユーロ(約2000万円)で落札された。」との言葉が……。

原田マハ公式ウェブサイトでマハさんは「二年ほど前、ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーが、パリの競売会社で競売にかけられました。「このエピソード、原田マハさんが書きそうな感じ」と、読者の方がこのニュースを引用しているツイートを偶然見て、初めてオークションのことを知ったんですが、そのとき今まで散り散りだった小説のパーツが繋がった気がしましたね。」と書かれていました。
マハさんのファンですが一つだけ気になるのが、同じような記述が繰り返し出てくるのが少し難点ですが、さすが原田マハさん とてもおもしろい作品に仕上がっています。
2021年9月18日~12月12日 東京都美術館で開催される『ゴッホ展 ―― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』(ヘレーネとはゴッホの世界最大の個人収集家 ヘレーネ・クレラー = ミュラーです)その後、福岡 そして2022年2月23日~4月10日まで名古屋市美術館でも開催される予定なので楽しみです。




かつてラヴー亭の入り口は通りに面した正面だった。が、現在では、見学者は裏口から中へ入るようになっている。一階左手にはビストロへの入り口があり、正面に狭い階段がある。二階、三階へと続くこの階段は、その昔、三階に住む下宿人たちが使っていた。―― つまりゴッホはこの階段を通って自分の部屋へと行き来していた。
ラヴー亭の二階はミュージアム・ショップになり、三階の「ゴッホの部屋」は修復・保存され、一般公開されている。この部屋の見学者のためには、ビストロの入り口とは別のアクセスが用意されている。見学者は裏庭に設けられたチケッ卜売り場で時間制チケッ卜を購入し、建物の外に造られた階段を上がって、まずは二階のショップのカウンター前に集合する。そこからガイドに連れられて、ビストロ入り口からつながっている狭い階段を上がり、「ゴッホの部屋」を見学する、という仕組みだ。部屋は信じ難いほど狭いので、一度に案内できるのは七、八名が限界である。ゴッホが最期の瞬間を迎えた部屋は、世界中のゴッホファンにとって「ゴッホ巡礼」の聖地となっている。冴も何度か訪れたが、いつ訪れてもふたつの動かざる事実に驚きを新たにする。ひとつは、いまや世界中で愛される画家となったゴッホが最期を迎えた部屋が、こんなにも狭くて粗末だったということ。もうひとつは、こんなにも狭くて粗末な部屋に、毎回息苦しいほどの人々が集まり、まるでたったいまゴッホが息を引き取ったかのように悲しみを共有すること。
(ふたつのリボルバー 4)


ゴーギャンとメッ卜のあいたには五人の子供があったが、そのうち、たったひとりの女の子でゴーギャンが溺愛していたアリーヌは十代のうちに早逝した。娘の訃報をタヒチで受けたゴーギャンは、絶望のあまりヒ素をあおって自殺を図ったが未遂に終わる。その直前に、あの傑作〈我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこへ行くのか?〉を、人生のどん底に落ちた状態で描き上げたことはあまりにも有名だ。
(ふたつのリボルバー 5)


我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

もしこの話が真実だとしたら、それは確かに歴史を覆すことになるだろう。いかなる研究者であれ、歴史家であれ、ゴッホを撃ち抜いたのはゴーギャンだったという仮説を立てた者は世界中どこにも存在しない。話の中では、殺意を持ってゴーギャンがゴッホを撃ち抜いたわけではなかった。むしろゴーギャンはゴッホを精神的に救おうと、自ら狂言自殺を図ってみせた。リボルバーに銃弾が入っていないと思い込んでいたからこそ、思い切った芝居を打てたのだろう。しかしゴッホは身を挺してそれを止めた。実は弾が込められていると知っていたから。彼自身がテオにそうしてくれと裏で指示していた弾が、一発だけ。ゴッホを救おうとしたゴーギャンを、逆にゴッホが救おうとした瞬間、ゴーギャンの手に握られていたリボルバーが暴発した。つまり、ゴッホが銃撃によって致命傷を負った原因は、自殺でも殺害でもなく、事故だった ―― ということになる。
(オルセーの再会 12)

日本に憧れ、美の理想郷を求めてアルルヘ旅立ったゴッホ。世間をあっと言わせようと、新しい様式の確立に執念を燃やし、誰よりも遠くへ到達しようと足掻いたゴーギャン。未知数のふたりの画家を信じて支え、いつか必ず彼らの時代がくると予知したテオ。彼らにとっての未来を生きている自分たちは、彼らの悲劇的な結末を知っている。テオの支援を受けてアルルで始まったゴッホとゴーギャンの共同生活は、ゴッホの「耳切り事件」で幕を閉じた。ゴッホはサン=レミからオーヴェールヘと転地療養し、何か起こったのか真相ははっきりしないが、銃創が致命傷となって三十七歳で他界した。兄の死後、テオは心身を病み、後を追うように半年後に逝去。そしてゴーギャンは、ゴッホが死んだ翌年、ついにタヒチへ旅立つ。その後いったん帰国するが、再びポリネシアへと赴き、病気とけがの後遺症に悩まされながら、孤独のうちに五十四歳で命の灯火を消した。残された史料を分析すれば、彼らが不遇のうちに生涯を閉じたというのが自然と導き出される結末だ。経済面でも健康面でも恵まれていたとは言い難い。
けれど、ほんとうに彼らは不幸だったのだろうか? 好きなように生き、誰にも指図されず、自由に描き、タブローの新しい地平を拓いた。それは間違いない。とすれば、彼らは ―― 幸せだったと言えないだろうか? 彼らが幸福だった証拠、その片鱗が、エレナの物語のそこここにあった。太陽また太陽のタブローを描き続けたゴッホ。身を焦がすほどゴッホに嫉妬しつつ、ついに「彼方の楽園」へ到達したゴーギャン。ふたりはぶつかり合い、傷つけ合い、苦しみ抜き、のたうち回りながらも、「新しい絵」を描くというただひとすじの道を歩み、誰も届かない高みへと美の階段を上り詰めていった。彼らはタブローの自由を勝ち取るために闘った。その事実は、彼らに画家としての幸福をもたらしたとは言えないだろうか?
(オルセーの再会 12)

オルセーが所蔵するゴッホ作品の中でもまさしく白眉の一作、〈オーヴェール=シュル=オワーズの教会〉は人の流れを止める。誰であれ、この絵をひと目見てしまったら引き寄せられてしまうのだ。描かれているのは教会であって教会ではない。隅々まで力がみなぎり、自分はここにいるんだと叫んでいるそれは、まるで画家の化身だ。これを描き上げた数週間後にゴッホはこの世を去るわけだが、冴にはそれが不思議でならなかった。何度見ても、まもなく自殺を遂げる人物が描いたものとはとうてい思えない。この絵はゴッホの遺書ではない。どんなに辛く苦しくても描き続けるという意志を突きつける、自分自身の人生への挑戦状のように冴には見えるのだった。
(オルセーの再会 12)

 



「ところで、出品を取り止めたリボルバー。付着物の調査結果が出たんでしょう?」フランス語に戻して、莉子が訊いた。どうやらすでにサラから情報がいっているらしい。「リコにも一緒に聞いてもらいたかったの。いいかしら?」サラが言い添えた。「もちろんです」と冴はうなずいた。「信じてもらえないかもしれませんが……いや、私も、ちょっとこの結果は信じられないというか……」「ちょっと。もったいぶらないで」莉子が突っ込んだ。サラはくすくす笑っている。冴は、呼吸を整えた。いまから、物語の結末をふたりに告げる。それは、とても不思議な気持ちだった。誇らしいような、せつないような。忘れ難い冒険のエンディングのような。
「報告書によれば……リボルバーのグリップの先端に、微量の絵の具が付着していました。そしてそこに、植物の種子の破片が混在していた ―― ということです」
莉子の顔に、ゆっくりと驚きが広がった。サラの鳶色の瞳が、風に吹かれた湖面のように揺らめいた。いったい、誰が信じるだろうか。この奇跡のような結末を。長いながい時を超えて、リボルバーのグリップに、ほんのかすかな生命(いのち)がとどまっていた。
―― ひまわりのかけらが。
(オルセーの再会 12)

 

よもだのグラパンを食べた後、大名古屋ビルヂングの地下1階の「チャーリーズ」で販売されている「メゾン ルパン ミュラ」のマリトッツオ プレーン(411円)とショコラフランボワーズ(540円)を購入し、5階にあるスカイガーデンでいただきます。

 

 

大輪のひまわりが満開で、おいしいマリトッツオが余計においしく感じられました。ごちそうさまでした♪

 

チャーリーズ

名古屋市中村区名駅3 大名古屋ビルヂング B1F

 

今日のお昼は名駅 サンロードの「Cafe よもだ」へ。よもだ名物のよもだカレーグラパン(580円)をいただきます。容器がパンのグラタンだと思っていたのですが、本格和風インドカレーのドリアです。おいしい♪ これ十分ありです。 チキンもおいしいし、そば屋というよりもインドカレー屋の「よもだそば」のカレーグラパン さすがです。また時々食べにいこっと♪ ごちそうさまでした♪

 

Cafe よもだ サンロード店

名古屋市中村区名駅4 サンロード地下街

 

7月19日 解体大修理を終え12年ぶりに甦った薬師寺 東塔の拝観に行ってきました。

 

 

東塔の初層特別開扉だけでなく、水煙の特別公開もされているので、特別共通割引券で拝観させていただきます

 

 

東塔をバックに、きれいに咲いた蓮の花をパチリ

 

 

西僧坊の水煙特別公開を拝観させていただきます。なんと写真撮影OKです。

 

 

 

もうひとつ、いつも時間の関係でできなかった薬師寺のお写経。今日はこのために薬師寺を訪れました。初めてのお写経道場へ。

身体健全、家内安全、疫病退散を祈願しながら 一字一字心を込めて般若心経を写経します。「かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心」 高田好胤の言葉をかみしめながら1時間ちょっとの心がほんとうに落ち着く写経でした。

 

 

お写経道場を出ようとすると係りの方から名前を呼ばれ、本来は後日郵送されてくるお写経一巻の納経確認のはがきをいただきました。なんとこのはがきは今日から一年間で一回 薬師寺の参拝ができるはがきです。

 

 

薬師寺を後に唐招提寺にお参りします。南大門を入った正面の金堂におはします盧舎那仏、薬師如来、千手観音(いずれも国宝)は空前絶後、いつ見ても圧倒的な存在感です。

鑑真和上御廟の苔の庭です。

 

 

この後、歩いて平城宮の朱雀門を見学する予定でしたが、あまりの暑さに熱中症になるかもと断念。

立ち寄ろうと決めていた近鉄郡山駅から歩いて「御菓子司 本家 菊屋 本店」の御城之口餅を店先でいただこうと思っていたのですが、コロナで中止とのこと。仕方なく6個入りを買って家に帰ってからいただきます。

 

 

もうほんとうに暑くて、このまま帰ろうと思ったのですが、予定していた郡山城まで頑張って歩きます。

 

 

眺めがいいと評判の天守台からの景色です。東大寺、薬師寺も見えます

 

 

もうヘロヘロで名古屋に帰ってきました。もう少し涼しくなったら、またお写経道場に伺いたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ
デビュー作として異例の10万部を超える大ヒット『さよなら、田中さん』の田中母娘が帰ってきました。単なる「続編」とはせず、ひとつの新しい文芸作品として意欲的に取り組んだ一作。前作で強い印象を残した登場人物達がさらに謎とドラマ。花実は中学生となったある日、家の前に見知らぬビジネスマンがやって来る。彼は一体何者?さらに別の日にはやせた老婆が家の前に座り込んでいて……。次々登場する謎めいた人物が引き起こす大騒動。一つ一つの事件に込められた人々の思い、苦しみ、葛藤。生きることへの希望を説く「るりか節」が力強く心に響きます。


ひと言
図書館でこの本を借りようと手に取ったところ、「さよなら、田中さん」の続編のような作品であることを知り、たまたま2冊ともあったので借りました。この本を読むのなら、やっぱり先に「さよなら、田中さん」を読んだ方がいいと思います。


「あのつらい経験、過去があったから今の自分がいるんだと、堂々と胸を張って言える人は、現在が幸せな人です。そうじゃない人は、過去のあのことがあったから、今の自分がこうなった。あのことさえなければ、と悔やむんです」いつだったか木戸先生が言っていたのを思い出す。
(太陽はひとりばっち)


「今時、小学生だってついていかないよ。知らない人に声をかけられても、イカない、ノらない、オオゴエを出す、スぐ逃げる、シらせる。『イカノオスシ』つて散々習っだのに」後ろや横から聞こえてくる。
(太陽はひとりばっち)