あらすじ
パリ大学で美術史の修士号を取得した高遠 冴は、小さなオークション会社CDCに勤務している。週一回のオークションで扱うのは、どこかのクローゼットに眠っていた誰かにとっての「お宝」ばかり。高額の絵画取引に携わりたいと願っていた冴の元にある日、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれる。それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたものだという。「ファン・ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? 」 「―― 殺されたんじゃないのか? ……あのリボルバーで、撃ち抜かれて。」ゴッホとゴーギャン。生前顧みられることのなかった孤高の画家たちの、真実の物語。


ひと言
読み終えて最後のページの裏に「ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは、2019年6月19日、パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、16万ユーロ(約2000万円)で落札された。」との言葉が……。

原田マハ公式ウェブサイトでマハさんは「二年ほど前、ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーが、パリの競売会社で競売にかけられました。「このエピソード、原田マハさんが書きそうな感じ」と、読者の方がこのニュースを引用しているツイートを偶然見て、初めてオークションのことを知ったんですが、そのとき今まで散り散りだった小説のパーツが繋がった気がしましたね。」と書かれていました。
マハさんのファンですが一つだけ気になるのが、同じような記述が繰り返し出てくるのが少し難点ですが、さすが原田マハさん とてもおもしろい作品に仕上がっています。
2021年9月18日~12月12日 東京都美術館で開催される『ゴッホ展 ―― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』(ヘレーネとはゴッホの世界最大の個人収集家 ヘレーネ・クレラー = ミュラーです)その後、福岡 そして2022年2月23日~4月10日まで名古屋市美術館でも開催される予定なので楽しみです。




かつてラヴー亭の入り口は通りに面した正面だった。が、現在では、見学者は裏口から中へ入るようになっている。一階左手にはビストロへの入り口があり、正面に狭い階段がある。二階、三階へと続くこの階段は、その昔、三階に住む下宿人たちが使っていた。―― つまりゴッホはこの階段を通って自分の部屋へと行き来していた。
ラヴー亭の二階はミュージアム・ショップになり、三階の「ゴッホの部屋」は修復・保存され、一般公開されている。この部屋の見学者のためには、ビストロの入り口とは別のアクセスが用意されている。見学者は裏庭に設けられたチケッ卜売り場で時間制チケッ卜を購入し、建物の外に造られた階段を上がって、まずは二階のショップのカウンター前に集合する。そこからガイドに連れられて、ビストロ入り口からつながっている狭い階段を上がり、「ゴッホの部屋」を見学する、という仕組みだ。部屋は信じ難いほど狭いので、一度に案内できるのは七、八名が限界である。ゴッホが最期の瞬間を迎えた部屋は、世界中のゴッホファンにとって「ゴッホ巡礼」の聖地となっている。冴も何度か訪れたが、いつ訪れてもふたつの動かざる事実に驚きを新たにする。ひとつは、いまや世界中で愛される画家となったゴッホが最期を迎えた部屋が、こんなにも狭くて粗末だったということ。もうひとつは、こんなにも狭くて粗末な部屋に、毎回息苦しいほどの人々が集まり、まるでたったいまゴッホが息を引き取ったかのように悲しみを共有すること。
(ふたつのリボルバー 4)


ゴーギャンとメッ卜のあいたには五人の子供があったが、そのうち、たったひとりの女の子でゴーギャンが溺愛していたアリーヌは十代のうちに早逝した。娘の訃報をタヒチで受けたゴーギャンは、絶望のあまりヒ素をあおって自殺を図ったが未遂に終わる。その直前に、あの傑作〈我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこへ行くのか?〉を、人生のどん底に落ちた状態で描き上げたことはあまりにも有名だ。
(ふたつのリボルバー 5)


我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

もしこの話が真実だとしたら、それは確かに歴史を覆すことになるだろう。いかなる研究者であれ、歴史家であれ、ゴッホを撃ち抜いたのはゴーギャンだったという仮説を立てた者は世界中どこにも存在しない。話の中では、殺意を持ってゴーギャンがゴッホを撃ち抜いたわけではなかった。むしろゴーギャンはゴッホを精神的に救おうと、自ら狂言自殺を図ってみせた。リボルバーに銃弾が入っていないと思い込んでいたからこそ、思い切った芝居を打てたのだろう。しかしゴッホは身を挺してそれを止めた。実は弾が込められていると知っていたから。彼自身がテオにそうしてくれと裏で指示していた弾が、一発だけ。ゴッホを救おうとしたゴーギャンを、逆にゴッホが救おうとした瞬間、ゴーギャンの手に握られていたリボルバーが暴発した。つまり、ゴッホが銃撃によって致命傷を負った原因は、自殺でも殺害でもなく、事故だった ―― ということになる。
(オルセーの再会 12)

日本に憧れ、美の理想郷を求めてアルルヘ旅立ったゴッホ。世間をあっと言わせようと、新しい様式の確立に執念を燃やし、誰よりも遠くへ到達しようと足掻いたゴーギャン。未知数のふたりの画家を信じて支え、いつか必ず彼らの時代がくると予知したテオ。彼らにとっての未来を生きている自分たちは、彼らの悲劇的な結末を知っている。テオの支援を受けてアルルで始まったゴッホとゴーギャンの共同生活は、ゴッホの「耳切り事件」で幕を閉じた。ゴッホはサン=レミからオーヴェールヘと転地療養し、何か起こったのか真相ははっきりしないが、銃創が致命傷となって三十七歳で他界した。兄の死後、テオは心身を病み、後を追うように半年後に逝去。そしてゴーギャンは、ゴッホが死んだ翌年、ついにタヒチへ旅立つ。その後いったん帰国するが、再びポリネシアへと赴き、病気とけがの後遺症に悩まされながら、孤独のうちに五十四歳で命の灯火を消した。残された史料を分析すれば、彼らが不遇のうちに生涯を閉じたというのが自然と導き出される結末だ。経済面でも健康面でも恵まれていたとは言い難い。
けれど、ほんとうに彼らは不幸だったのだろうか? 好きなように生き、誰にも指図されず、自由に描き、タブローの新しい地平を拓いた。それは間違いない。とすれば、彼らは ―― 幸せだったと言えないだろうか? 彼らが幸福だった証拠、その片鱗が、エレナの物語のそこここにあった。太陽また太陽のタブローを描き続けたゴッホ。身を焦がすほどゴッホに嫉妬しつつ、ついに「彼方の楽園」へ到達したゴーギャン。ふたりはぶつかり合い、傷つけ合い、苦しみ抜き、のたうち回りながらも、「新しい絵」を描くというただひとすじの道を歩み、誰も届かない高みへと美の階段を上り詰めていった。彼らはタブローの自由を勝ち取るために闘った。その事実は、彼らに画家としての幸福をもたらしたとは言えないだろうか?
(オルセーの再会 12)

オルセーが所蔵するゴッホ作品の中でもまさしく白眉の一作、〈オーヴェール=シュル=オワーズの教会〉は人の流れを止める。誰であれ、この絵をひと目見てしまったら引き寄せられてしまうのだ。描かれているのは教会であって教会ではない。隅々まで力がみなぎり、自分はここにいるんだと叫んでいるそれは、まるで画家の化身だ。これを描き上げた数週間後にゴッホはこの世を去るわけだが、冴にはそれが不思議でならなかった。何度見ても、まもなく自殺を遂げる人物が描いたものとはとうてい思えない。この絵はゴッホの遺書ではない。どんなに辛く苦しくても描き続けるという意志を突きつける、自分自身の人生への挑戦状のように冴には見えるのだった。
(オルセーの再会 12)

 



「ところで、出品を取り止めたリボルバー。付着物の調査結果が出たんでしょう?」フランス語に戻して、莉子が訊いた。どうやらすでにサラから情報がいっているらしい。「リコにも一緒に聞いてもらいたかったの。いいかしら?」サラが言い添えた。「もちろんです」と冴はうなずいた。「信じてもらえないかもしれませんが……いや、私も、ちょっとこの結果は信じられないというか……」「ちょっと。もったいぶらないで」莉子が突っ込んだ。サラはくすくす笑っている。冴は、呼吸を整えた。いまから、物語の結末をふたりに告げる。それは、とても不思議な気持ちだった。誇らしいような、せつないような。忘れ難い冒険のエンディングのような。
「報告書によれば……リボルバーのグリップの先端に、微量の絵の具が付着していました。そしてそこに、植物の種子の破片が混在していた ―― ということです」
莉子の顔に、ゆっくりと驚きが広がった。サラの鳶色の瞳が、風に吹かれた湖面のように揺らめいた。いったい、誰が信じるだろうか。この奇跡のような結末を。長いながい時を超えて、リボルバーのグリップに、ほんのかすかな生命(いのち)がとどまっていた。
―― ひまわりのかけらが。
(オルセーの再会 12)