星が丘テラス THE KITCHEN 内にオープンした「星が丘製麺所」へお昼を食べにいきました。こちらのお店は食べログうどん百名店の「うどん居酒屋 太門」の衣笠さんが名古屋めしのきしめんをもっと多くの人に食べてもらいたいとの強い想いで開店されたお店です。讃岐うどんのお店でも、麺と出汁に絶対の自信を持っている名店はこの時期”すだち”で勝負してきますが、こちらもシンプルなすだちの太門の一半(780円)。それをいただきます。うん おいしい!間違いなくおいしい!。でもやっぱりこれはきしめん じゃなく うどんで食べたいと思いました。私が今まで食べたきしめんで一番美味しいと感じたのが熱田神宮内の「宮きしめん 神宮店」。こちらのお店もこの7月にリニューアルオープンしたとのことなので、かなり久しぶりに食べに行こうと思いました。ごちそうさまでした。

 

星が丘製麺所

名古屋市千種区星が丘元町  星が丘テラス 

 

あらすじ
14歳スーパー中学生作家、待望のデビュー
田中花実は小学6年生。ビンボーな母子家庭だけれど、底抜けに明るいお母さんと、毎日大笑い、大食らいで過ごしている。そんな花実とお母さんを中心とした日常の大事件やささいな出来事を、時に可笑しく、時にはホロッと泣かせる筆致で描ききる。今までにないみずみずしい目線と鮮やかな感性で綴られた文章には、新鮮な驚きが。友人とお父さんのほろ苦い交流を描く「いつかどこかで」、お母さんの再婚劇に奔走する花実の姿が切ない「花も実もある」、小学4年生時の初受賞作を大幅改稿した「Dランドは遠い」、田中母娘らしい七五三の思い出を綴った「銀杏拾い」、中学受験と、そこにまつわる現代の毒親を子供の目線でみずみずしく描ききった「さよなら、田中さん」。全5編収録。


ひと言
著者の鈴木るりかさんは平成15年生まれということにビックリ。この「さよなら、田中さん」はデビュー作品なのですが、ちょうど14歳の誕生日に刊行。他にも 小学館が主催する「12歳の文学賞」史上初3年連続大賞受賞など…。「夜目遠目笠の内」「寒さに震えたものほど、太陽を暖かく感じる(ホイットマン)」こんな言い回しを中学生が使うの?!とびっくりすることばかり。今後楽しみな作家さんです。


「あんただってまだ若いんだから、これからまだまだひと花もふた花も咲かせなさいよ」「いまさら無理無理。子供もいるしさ」「だからなおさらだよ。花ちゃんだってこれから教育に何かとお金もかかるしさ。再婚とか、考えてみなさいよ」「いや、無理でしよ、あたしなんか」「市場を変えりゃいいのさ。そりゃイケメンで若くて、なんて言ったら難しいけどさ、後妻のなり手を捜してる人や年くった独りもんなら、いくらでもいるさ。例えば日本じゃお払い箱になった、廃棄されるような家電が、東南アジアに持っていけば、大人気なんだってよ。あんただって出るとこに出りゃ、ひっぱりだこさ」「なんだか、ちっとも褒められている気がしませんな!」
(いつかどこかで)

木戸先生が前に話してくれたことを思い出す。「人は誰でも、言いたくないことがあります。その人が話したくないことを無理やり聞き出すのはよくありません。真実をすべて知ることがいいとは限らないし、その必要もないんです。そして知った後では、もう知る前には戻れないんですよ」
(いつかどこかで)

「あの人はどうして生きていると思う?」けんとが聞いてきた。「えっ? そりゃあ飲食店の残飯とか拾ってきてるんじゃないの。前、ゴミの日に出された袋漁ってるの見たことあるし」「そうじゃなくて、いや、それもあるんだけど、どうしてこんな生活を続けていられるのかってこと。きっとね、彼なりの希望があるんだと思うんだ。明日は今日より美味しい残飯にありつけるかもしれないし、穴のあいていない靴が手に入るかもしれない。明日は今日より少し暖かくて過ごしやすいかもしれない、ってさ。ほかにもさ、もし病気で苦しんでいる人だったら、少しでも苦痛が和らいで明日は少し体がらくになっているかもしれない、とか。死刑囚だって、死刑執行の朝、執行室までの廊下を歩いている時、いや電気椅子に座る瞬間まで、死刑中止の電話がかかってくるんじゃないか、って思うそうだよ。他人から見たら、どんなに絶望的で最悪の状況でも、その人なりの希望があるから生きていけるんじゃないかな。たとえ針の先ほどのわずかな希望でも、微かな光でも、幻でも、それがあれば、なんとかすがって生きていける」 風間さんのことを思った。風間さんには今光が見えているだろうか。
(花も実もある)

「腹、減ってたろ?」「え」「橋の上にいた時」「あ、はい」「悲しい時、腹が減っていると、余計に悲しくなる。辛くなる。そんな時はメシを食え。もし死にたいくらい悲しいことがあったら、とりあえずメシを食え。そして一食食ったら、その一食分だけ生きてみろ。それでまた腹が減ったら、一食食べて、その一食分生きるんだ。そうやってなんとかでもしのいで命をつないでいくんだよ」田中さんのお母さんが、静かな暗い色の目でこっちを見ている。「その食べ物をくれる人には感謝しなくちゃいけない。それは命をつないで、生かしてくれる人だ。食事を作ってくれる人とか、食材を買うお金を稼いでくれる人とか、な」お父さんとお母さんの顔が浮かんだ。お母さんの作るクリームシチューは僕の大好物だ。塾のお弁当も毎日作ってくれた。お父さんも夜遅くまで働いてくれている。「じゃあ、今日はとりあえず、激安堂のお惣菜担当の人に感謝しなくちゃ」
田中さんが言い、「あと半額シールを貼ってくれた人にもな」田中さんのお母さんが応じ、三人で笑った。
(さよなら、田中さん)

 

今日のお昼は、2人で一宮の「これだ!!製麺」へお昼を食べに行きました。こちらは名古屋の超有名ホテルの寿司職人だった人のお店で、とてもおしゃれでキレイな盛り付けです。豪華盛り濃厚つけ麺(1280円)に麺100g増量(無料)に寿司職人のいなり寿司2貫ゆず・胡麻(300円)をいただきます。とてもおいしいつけ麺ですが、石鍋が小ぶりなせいか後の方はつけ汁の温度が下がるのと、麺は300gまで無料ですがこれだとつけ汁が足らず追加のつけ汁(150円)が必要なのが難点。一番の感動はカウンター上に置いてあるガリで「もちろん丸のままの生姜を三ヶ月塩漬けにしてから軽く火入れして、米酢の最高峰である白菊酢で作った甘酢に一週間漬け込みました。お口直しにお楽しみください」とありますがこのガリは本格的な寿司屋のガリで絶品!。もし行かれる方は是非口直しにどうぞ。ごちそうさまでした。

 

これだ!!製麺 本店

一宮市小信中島字南平口

 

今日は用事で上の娘のところへ行く手土産に、高島屋の北ブロックのイベントスポットに昨日から出店している「きりむきり」のシフォンケーキを買いました。ハッピーチョコサンド、ブルーベリーレアチーズ、フルーツパフェ、シャインマスカットを購入。娘に感想を聞くと「めちゃくちゃフワフワで、クリームがくどくなく、フルーツがめちゃくちゃ美味しかった」とのこと。13日まで出店しているので、また買いにいこっと。

 

きりむきり 竹の山店

日進市竹の山2

7月8日 自治体のコロナワクチン集団接種(1回目)に行ってきました。

 

 

接種会場の保健センター近くの駐車場は車でいっぱいで、多くの人が集団接種に来ています。

受付時間ちょうどぐらいに会場に着きましたが、その時間帯では一番最後で、外で係りの人に「何時の受付時間ですか?」と聞かれ届いた案内はがきを見せると、次の受付時間前に来て待っている人より先に入場させてくれました。ラッキー♪

 

 

受付で予診票のチェックがあり、体温計を渡され、係りの人が体温を予診票に記入し、お医者さんの予診を待ちます。
 

 

簡単な予診(問診)を終えて、隣の部屋に移り、いよいよワクチン接種です。6か所か8か所のカーテンで仕切られた接種場所に入り、左腕を捲って接種を待ちます。接種する人は注射器を入れたトレイを持って2か所の接種場所を行き来して、できるだけ時間のロスがないようによく考えられた接種方法です。(不謹慎なので写真はありません)

出口で予防接種済証(臨時)のシールを接種券に貼ってもらい、別棟へ移動。保健センターに入ってから 接種終了までかかった時間は20分弱です。

気分が悪くなった等の副反応のため、15分~20分別室で待機後、何もなければ帰宅です。

 

 

TVのニュースでも取り上げられていましたが、ワクチンの集団接種のために自治体の人が何度も何度もシミュレーションを繰り返し、今回の接種でも非常によく考えられた集団接種方法だと思いました。保健センターに入ってから出るまで40分もかかりませんでした。保健センターまで来るのが大変なお年寄りのためなのか、センターを出るときにはその送迎用のマイクロバスが3台も停まっていました。

 

本来の業務もあるのに、非常にキビキビと働かれている職員の方の姿がとても好印象でした。今日はほんとうにありがとうございました。また3週間後にもお世話になりますがよろしくお願いいたします。

 

早く日本中の多くの人の2回のワクチン接種が完了し、映画やお芝居、お酒を伴った会食、観光地への旅行等が今までのようにできるようになり、多くの人が笑顔で暮らせる日常が早く戻りますように!!!

 

 

 

今年もコロナ禍で 7月17日、24日の祇園祭の山鉾巡行が中止になりました。

疫病退散を祈願した祇園御霊会(ごりょうえ)が起源の祇園祭なので、コロナ禍で多くの人が苦しんでいる今こそ、例年のような形で祇園祭を実施して欲しいという気もしますが、やっぱり人が多く集まる山鉾巡行は中止せざるを得ません。

ただ各鉾の保存会のご尽力により、今年はちまき授与の申込がWebでできるということなので、一番人気の長刀鉾の粽(ちまき)を先日申し込み、本日 七夕の7月7日に届きました。

 

 

さすが長刀鉾の粽、重厚感が一味違います。また今年は前祭(さきまつり)では2年ぶりに長刀鉾、函谷鉾、月鉾 etc の山鉾建てが実施されるとのことなのでそれも楽しみです♪。

早く、多くの人の2回のワクチン接種が完了し、みんなが笑顔で日々を暮らすことができますように☆。

そして、以前のような賑やかで楽しい祇園祭が戻ってきますように☆。

 

今日のお昼は一宮の「チャーハン専門店 金龍 一宮森本店」へ。評判の 金の豚チャーハン(大盛)(700円)に食べる麻辣(150円)をトッピングしていただきます。少し濃いめの味付けですが、全然くどくなくとてもおいしいです♪そのままでも十分おいしいのですが、食べる麻辣と一緒に食べると、味が締まってまたおいしいです。一緒に運ばれてきた黒酢醤油も味変になっておいしいのですが、そのままに紅ショウガ、麻辣が一番美味しいと感じました。時間をずらして1時過ぎに伺ったのですが、大人気で15分ほどの待ちでした。これだけおいしいと納得。また食べたくなる極上のチャーハンでした。ごちそうさまでした♪

 

チャーハン専門店 金龍 一宮森本店

一宮市森本3

 

 

 

あらすじ
東京の救命救急センターで働いていた、六十二歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。命を送る現場は戸惑う事ばかりだが、老老介護、四肢麻痺のIT社長、小児癌の少女……様々な涙や喜びを通して在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、脳卒中後疼痛に苦しむ父親から積極的安楽死を強く望まれ……。

 


ひと言
緊急事態宣言下の5月21日、吉永小百合さん主演の映画『いのちの停車場』が封切られました。最期の時を迎えた人々が安らぎの時を持ち、家族や親しい人に別れを告げて旅立っていく場所、それが「いのちの停車場」。在宅医療 すごく考えさせられる一冊でした。
読み終えて近くの上映館を探すと、なんと7月8日が上映終了予定となっていました。この1年半にも及ぶこのコロナ禍で多くの映画が公開延期、中止、上映切り上げとなっていることが本当に残念です。


「とても残念ですが、奥様とお別れの時が近づいて来ています」徳三郎は、いつにも増して真面目な口調の咲和子を見つめ返した。「生き物は、生命活動を終えようとするとき、まず食べなくなっていきます。胃腸の動きが止まってゆくからです。奥様の場合も蠕動(ぜんどう)運動 ―― つまり、食べたものを胃や腸が順々に送っていく働きが低下しています。このため流動食が口へと逆流して、吐いてしまうのです」徳三郎は「なるほど」とつぶやく。「死は決して怖いものではありません。きょうはご主人に、お別れの際に見られる奥様の体の変化や、今後の状態について詳しくお話しします。これからのこと ―― 死を学ぶ授業だと思ってください」「死を、学ぶって……」徳三郎がいぶかし気に咲和子を見つめる。咲和子は説明のために用意した大判のスケッチブックを開いた。「死に向かう変化は人それぞれですから、これからお話しするのは、一般的なケースだと思ってください。まずは、亡くなる一週間から二週間前です。①だんだん眠っている時間が長くなります。②夢と現実を行き来するようになります。せん妄といって、うわごとのような言葉を発したり、見えないものが見えているような動作をすることがあります。これらはみんな、死の兆候です」
咲和子は、キーワードを書き進め、ときに身振りで示した。多くの医師がそうであるように、これまで咲和子は、患者が死ぬことについて前もって家族に詳しく説明をしたことはなかった。医学生時代をはじめ、研修先でも、大学病院でも、関連病院でも。もちろん、ひっきりなしに救急患者が出入りする救命救急センターでも。医療の現場では、目の前の患者を治すことだけが医師の役割だと思っていたからだ。
「……最後の日になると、呼吸のリズムが乱れます。いわば危篤状態です。そして、いつもは使わないアゴの筋肉を動かし、口をパクパクとさせてあえぐような呼吸になります。これを下顎呼吸と言います」 「か、が、く …… 何やって?」徳三郎が耳に手を当てる。「か、が、く、こきゅう、下顎呼吸です。亡くなられる八時間くらい前から生じ、死の前兆にあたる呼吸です。脳の酸素不足から起きる状態で、一見、ハアハアと苦しそうにも見えますが、患者さん自身は苦痛を感じていません」「こっちは、どうすればいいがや?」徳三郎が沈痛な面持ちになる。「奥様は死の旅立ちをしようとしているところです。そっと手を握ってあげてください」徳三郎は真剣な目をしてうなずいた。「呼吸リズムはもっと乱れて、間隔が長いときは、息が止まったように見えることがあるかもしれません」「そんなことが……」徳三郎の視線が落ち着きをなくす。「はい、起きます。どうか最後の呼吸まで、見届けてあげてくださいね」徳三郎は歯をくいしばって何度もうなずいた。
「次に、奥様の意識と感覚の変化について詳しく説明します。先ほど、亡くなる二週間くらい前から、せん妄という現象が起きる可能性があるとお話ししましたよね。難しい字ですけど、こんなふうに書きます」咲和子はスケッチブックに、大きな字で「譫妄」と記した。「妄は、心が迷うこと。譫は、うわ言のことです。場合によっては、①神経質になったり、②錯乱状態に陥ったり、③幻覚を伴うようなケースもあります。逆に、④寡黙になってしまって、心の内にこもる患者さんもいます」咲和子は、ここでもキーワードをスケッチブックに記していった。「うちのがどうなるかは分からないがけ?」咲和子はゆっくりと首を振った。「せん妄は意識障害の一種で、興奮の方向に出る場合と、反応性が低下して活動が減少する場合との両方があります。予測はできません」徳三郎は神妙な顔をしている。いつの間にか膝をきちんとそろえ、正座をしていた。「それから、③の幻覚については、すでに亡くなった人の姿を見る体験をすることがよくあります。ご両親やご兄弟、あるいは古い友人や知人。死んだペットのことを言い出すケースもありますね。『お迎え現象』と呼ばれる死の間際の精神症状です」「ああ、お迎えな。あの世からやって来て、病人の枕元に立つちゅう……」徳三郎も卓上にあったチラシとボールペンを引き寄せ、自分なりのメモを作り始めた。
(第一章 スケッチブックの道標)


目の前の男たちは、紫色のラガーシャツを着ている。盛んに手をたたいて足を踏み鳴らし、 自らの力を誇示するような動きを見せる。
「ハ、ハカ?」麻世がすっとんきょうな声を上げた。
〈カ マテ! カ マテ! カ オラ! カ オラ! カ マテ! カ マテ! カ オラ! カ オラ!〉 確かにそれは、ラグビー・ワールドカップでニュージーランド代表が披露したマオリ族の 戦士による踊り、「ハカ」だった。
〈テネイ テ タナタ プッフル=フル ナア ネ イ ティキ マイ ファカ=フィティ テ ラ!〉
男たちが身につけたラガーシャツの胸には、江ノ原が経営する企業の名が縫い込まれている。江ノ原の部下たち、おそらくラグビー仲間なのだろう。……。……。
仙川が示したサイトには、『 Ka Mate 』の日本語歌詞が紹介されていた。

〈私は死ぬ! 私は死ぬ! 私は生きる! 私は生きる! 私は死ぬ! 私は死ぬ! 私は生きる! 私は生きる! 見よ、この勇気ある者を。この毛深い男が 太陽を呼び 輝かせる! 一歩上ヘ! さらに一歩上へ! 一歩上ヘ! さらに一歩上ヘ! 太陽は輝く!〉
「この歌はね、死を覚悟したマオリの部族長が、親しい友に救出された喜びと感謝の気持ちを込めた歌だそうだ。戦いの前の踊りという意味だけじゃなくて、死から生への希望のメッセージにもなっている」
(第二章 フォワードの挑戦)

「発症から七年目だったよ。入院中に癌の痛みが全身に広がり、呼吸も苦しくなって黄疸も出た。そうしたら妻が、家に帰りたいって言ってね。最後に、いっしよに暮らした家をもう一度見たいって」痛々しい妻の様子を思い出したのか。仙川が固く目を閉じた。「……妻は医学的に、いつ亡くなってもおかしくない状況ではあった。それは分かっていたけれど、僕はどうしても受け入れられなかった。自分は在宅医だったくせに、四十歳になったばかりの妻に在宅医療なんて早すぎる、と思った。だから病院で頑張れって励まし続けた。そうしたら妻に拝まれてしまったよ。もう許してって。もう頑張れないって。仕方がない、それなら一日だけ家でいっしよに過ごそうって、妻を連れて帰ったんだ……」ふいに仙川の声が詰まった。仙川の妻と父は、疾患も年齢も病歴も異なる。だが、同じ思いを抱いていた ―― 最後に家に帰りたいと。「二人でゆっくり一晩を過ごして、翌日はまた病院に戻る予定だった。なのに、朝の四時に目が覚めたらベッドに妻がいなかった。嫌な予感がして跳ね起きたら」そこまで言って仙川は、車椅子に乗せた右膝を激しく打ちたたいた。二度、三度と……。「心配した通りだった。妻は、階段の手すりにベルトをかけて ――  首を吊っていた」咲和子は、仙川が妻の病状を考え、病院での治療から在宅医療に切り替えて、自らの腕の中で静かに息を引き取るのを見守ったものと想像していた。寝室には、遺書がわりのメモが残されていたという。〈ワガママをきいてくれて、ありがとう。わたしは、もうどこにも行きたくありません〉と。「病気の進行を考えれば、わがままでもなんでもなかった。僕は妻に、頑張れ、頑張れと、死のギリギリまでムチを打ち続けていた。わがままは、いつまでも妻を病院に押し込めていた僕の方だった」仙川が抱いた二十年以上前の悲しみが、改めて咲和子の胸に突き刺さる。
(第六章 父の決心)

仙川は、部屋の本棚を指さした。「あの二段目にある緑色のファイルを取って」咲和子は言われるままに書類挟みを引き抜き、仙川に手渡す。「これは……」中から仙川が取り出したのは、一九六二年に出された名古屋高等裁判所の判決文だった。そこには、特別に積極的安楽死を是認しうる六つの要件が記されていた。

①患者が不治の病で死期が迫っていること
②耐えがたい苦痛があること
③もっぱら患者の苦痛を緩和する目的であること
④本人の真摯な嘱託・承諾があること
⑤原則として医師の手によること
⑥その方法が倫理的に妥当であること
(第六章 父の決心)

 

緊急事態宣言で休業していた金山の「どて屋 八起」が 6月24日よりランチ営業を再開。ということでお昼を食べに行きました。ネットでこのオムライスを見つけたとき、これ食べたいと思っていた どてオムライス(800円)にチキンカツ(250円)をトッピングしていただきます。甘めの八丁味噌のどて煮がオムライスにとても合い、こんなオムライス食べたことないというおいしさ♪。チキンカツもグッド!。多くのお店がこのコロナ禍の中色々と知恵を絞ってほんとうに頑張っているんだなぁとつくづく思いました。もう緊急事態宣言はたくさんです。早く本業の居酒屋さんで賑わうお店になりますように☆ 美味しかったです。ごちそうさまでした♪

 

どて屋 八起

名古屋市中区金山1

 

あらすじ
1984年よりパキスタン、アフガニスタンで支援活動を続ける医師・中村哲。治療のために現地へ赴いた日本人の医者が、なぜ1600本もの井戸を掘り、25.5キロにもおよぶ用水路を拓くに至ったのか?「天」(自然)と「縁」(人間)をキーワードに、その数奇な半生をつづった著者初の自伝

ひと言
中村 哲さんがアフガニスタンで武装勢力の銃弾に倒れて、もう1年半が経つ。ご遺体になってしまったが、懐かしの日本に戻る際の空港での追悼式典ではアフガニスタンの大統領自らが棺を担いで別れを惜しんだ。1984年は私が就職した年だ。今年の3月に定年になって、今までの来し方を振り返るにつけ、長かったなぁという印象が離れない。その長い年月をアフガニスタンのために尽くした中村さんの強い意志と行動力にあらためて敬意を表すとともに、心からのご冥福をお祈りしたい。


この状態の中で、死にかけた幼児を抱いた若い母親が診療所にくる姿が目立って増えた。旱魃(かんばつ)の犠牲者の多くが幼児であった。「餓死」とは、空腹で死ぬのではない。食べ物不足で栄養失調になり、抵抗力が落ちる。そこに汚水を口にして下痢症などの腸管感染症にかかり、簡単に落命するのである。若い母親が死にかけたわが子を胸に抱き、時には何日もかけて歩き、診療所を目指した。生きてたどり着いても、外来で列をなして待つ間にわが子が胸の中で死亡、途方にくれる母親の姿は珍しくなかった。その姿は、およそ子供をもつ親なら涙を誘わずにはおれぬものであった。
こうして、二〇〇〇年七月、ダラエヌール診療所で悲鳴を上げていたアフガン人医師の建言を容れ、「もう病気治療どころではない」と、診療所自ら率先して清潔な飲料水の獲得に乗り出した。実際、病気のほとんどが、十分な食糧、清潔な飲料水さえあれば、防げるものだったからである。残った村人たちを集め、深い井戸を掘る作業が始められた。……。……。
ほとんど絶望的な状態に陥っていた人々は、タリバン、反タリバンを問わず、こぞって協力した。井戸掘りといっても、井戸そのものは昔から現地にあった。それが涸れ、農民たちがさんざん努力して水が出ないというのであるから、一工夫が必要である。深くできない理由は、地面を掘ると、すぐに分かった。現地の地層は、二〇メートルも掘らぬうち、巨礫の層に突き当たる。子牛くらいの大きさの石が重なると、とてもツルハシでは無理である。苦労に苦労を重ねて、結局、削岩機で巨石に穴をあけ、爆薬をつめて粉砕する方法が最も奏功した。我々は、ロケット砲や地雷の不発弾を見つけては、火薬を掻き出し、「平和利用」した。また、良くしたもので、内戦中爆破が得意であった元農民兵(ゲリラ)などもいて、大いに力になった。
(第四章 大旱魃と空爆のはざまで)

私の家は福岡と熊本の県境、大牟田市三池の山手にあり、山を隔てると熊本県である。五〇〇メートルほど林道を抜けると熊本県南関町、こちらは別の水系である。これまで、県境がどうして決められたか考えたことがなかったが、やっと分かった。人々の暮らしの単位と言える村落は、当然、異なる水系で隔てられるからだ。
(第六章 真珠の水)