今回のワールドカップはこれからの対戦がとても楽しみですが、森保ジャパンのワールドカップは残念ながら終わってしまいました。ただこんなに感動を与えてくれたニッポンの26名のサムライに感謝を込めてこの記事を残すことにしました。

 

 

ドイツ戦の浅野 拓磨のシュート。

 

 

今回のワールドカップで世界最高峰のシュートがたくさん生まれていますが、その中でもベスト3に入るのではないかと思われるようなシュートでした。

 

 

スペイン戦では三笘 薫のラインを割っているのではないかと世界中の話題になったあのシーン。幼馴染の田中 碧が三笘を信じて飛び込んで合わせたというのも印象的でした。

 

 

日本のサポーターや選手のスタンド清掃やロッカールームの清掃も世界の注目の的になり、他の国のサポーターにも広がりを見せたのも素晴らしいことでした。

 

 

 

ロッカールームの11羽の折り鶴も素敵でした。

 

 

 

予選リーグでドイツ・スペインに勝利し、グループ1位通過。もうこれだけでも十分満足なのに、森保ジャパンの26名は誰一人これに満足することなく、日本サッカー界の新しい景色を見たいとあくまでも決勝トーナメントベスト8にこだわります。前田 大然のゴールで今大会初めての先制ゴールを決めたものの、延長戦を戦っても勝敗が決まらずPK戦に

 

 

結果は3-1でクロアチアが勝利。

 

 

4年前のベルギー戦の後半アディショナルタイムでの逆転、そして今回PK戦でのクロアチアの敗戦。今回もベスト8の壁を破ることはできませんでした。どんなに無念だったか、選手の表情や態度から口惜しさがひしひしと伝わってきます。試合終了サポーターやクロアチア選手に向かって森保 一監督が深々と一礼をしたのが印象的でした。

 

 

TV中継の試合10分前に流れたキャプテン吉田 麻也の言葉がすごく印象に残りました。

「やっぱり日本代表ってかっこいいな!と憧れてもらえるような、僕が日韓ワールドカップを見てそう思ったように、今回の大会を通じて 子供たちがサッカー選手になりたいと思ってくれるかが大事」

 

 

ブラボー 森保ジャパン。4年後のワールドカップ 日本が新しい景色を見せてくれることを心より祈っています。ほんとうにとてつもない感動をありがとう。

 

 

 

寅年の今年も残りわずか。先週は信貴山朝護子孫寺へお参りしましたが、今日、11月28日は山科の毘沙門堂へお参りします。

前から行きたかったお寺ですが、毘沙門天の使いが寅、寅年の今年 一年間の感謝とお礼を込めてのお参りです。

 

 

京都の紅葉情報を毎日のようにチェックして、勅使門前の参道が上の「そうだ京都、行こう」の写真のような敷モミジになる散はじめを狙って訪れました。私が今日撮った写真がこれです。

 

 

毘沙門堂の写真をもう二枚。

 

 

 

琵琶湖疎水沿いを散策して安祥寺へ。改修工事中なのか参拝はできませんでしたが、すぐ前の疎水沿いの紅葉がとても美しかったです。

 

 

山科駅から地下鉄で蹴上駅へ。南禅寺へ立ち寄ります。

 

 

 

蹴上で降りた理由は、カレーうどんで有名な「日の出うどん」でお昼を食べようと思ったからです。

ところがすごい長蛇の列。あきらめて哲学の道をそぞろ歩きします。

 

 

哲学の道はもう紅葉は終わりのようです。途中、アンティーク着物ショップのお店のところで哲学の道を逸れ、バスで京都駅へ

 

 

まだお昼を食べていないので、JR京都駅10階の拉麺小路にある「麺匠たか松」のつけ麵をいただきます。

 

 

京都駅でのおみやげは「志津屋」のカルネ。明日のお昼のお弁当です。

 

 

みんなコロナ自粛に疲れたのか(私も)。外人さんも多くいつもの京都の賑わいが戻ってきているように思いました。

家に帰るとコロナの5回目のワクチン接種券が届いていました。晩秋の京都 今シーズン最後の紅葉狩りの旅でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ
ここにいたい。願うことも罪ですか?日本で暮らすクルド人少女の願いと闘いの物語。幼いころから日本で育ち、埼玉の高校に通うクルド人の少女サーリャは、バイト先で東京の高校生・聡太と出会う。県境を流れる荒川の岸辺で、少しずつ心を通わせていく二人。しかしある日突然、在留資格を失ったサーリャの家族は、就労を禁じられ、自由に移動することもできなくなる……。現代社会の不条理を、居場所を求めて闘う一人の少女の視点で描き、ベルリン映画祭で高く評価された映画「マイスモールランド」(2022年5月6日公開・嵐莉菜、奥平大兼出演)を監督自ら小説化した注目作。


ひと言
クルド人難民、在留資格、入管を取り扱った映画「マイスモールランド」の原作本ということで図書館で借りた。映画は東海地方のどこで上映されるのか調べたところ、東京でも一館 愛知で一館の全国で二館だけだった。映画「島守の塔」も岡崎で一館のみだったし…。私が観たいと思う映画は、採算が合わないのか なかなか観る機会に恵まれないものが多い。せめてDVDとして発売、レンタルされることを心から願います。

「これから、仮放免の準備に入ります」職員の声で、現実に生きなければいけない社会に戻される。仮放免。それが、新しい、私たちの身分だった。職員は私たちに、これから課されるルールや制限について話し始めた。
「仮放免とは、本来はここに収容される方が条件付きで外に出ることができる制度です。まず、就労、働くことは禁止です」それに続いて、居住している県外に許可なく出てはいけないこと。保険が自費になること。このルールに違反した場合、いつでも、入管に収容される可能性があることが告げられた。仮放免のために、記入して提出しなければならない申請書や誓約書などが渡された。さらに、定められた保証金を納付しなければいけないという。逃走を防ぐためのものらしく、仮放免の条件を守り、入管からの呼び出しに応じていれば、仮放免の終了時に返金される。大人はひとり、二十万から三十万くらいって聞いたことがある。子どもはそれより安いらしいけれど、そんなにうちにお金かあるんだろうか。
(4)

私は、聡太くんに、どうしてスプレーを使ったアートを始めたのかを聞いた。「グラフィティアートに憧れてて。バンクシーって知ってる? 武器を花束に描き替えたり、メッセージの伝えかたが、すごくいいんだよ」「バンクシーつて、東京にもネズミの絵、描いたって言われてた人?」何年か前に、すごく話題になったことがあった。「そうそう。あのネズミは、バンクシーのトレードマーク。ネズミって菌を撒き散らして病気を広めて人間を困らせてきたじゃん。あのネズミは、嫌われたり、いないことにされてる日陰にいる人たちの象徴で、そういう人たちにも社会を変える力があるんだって、メッセージなんだよ。隠れてグラフィティを描くバンクシー自身でもあるらしい」聡太くんは、目を輝かせながら言葉を続けた。「なんか俺、それにすごく勇気もらって。自分のこと、ちっぽけな存在って思ってたから。だから、俺もただ楽しいってだけじゃなくて、メッセージ性のあることを描きたいと思ってる。いつかね」こんなに熱く語る聡太くんをみるのは初めてかもしれない。夢を語る聡太くんは、とても魅力的だけど、同時に、自分からはずっと遠くにいるようにも感じる。私は、その話を聞きながら、自分をバンクシーのネズミに重ねていた。
(5)

「どうしてですか? 帰ったら捕まる危険があるのに。おかしいじゃないですか。止めてください。先生、お願いです」山中先生は、しばらく考え込んでいた。私は、もう引かないつもりだった。真っ直ぐに山中先生を見つめ続けた。山中先生はふーっと息を吐くと、腹を決めたように話し始めた。
[言わないでと頼まれていたんだけど……。在留資格を失ってしまった外国人でも、日本で育った子どもにだけビザが出たケースがあるんだよ。その家族の場合はね、親のビザを諦めた代わりに、子どもにビザが出たんだ。お父さんは人管の中でそのことを知って……自分だけ帰ると言い出したんだ」「……」私は言葉を失った。山中先生の話では、そもそも日本は血統主義だから、日本で生まれても、日本人の血が流れていないと国籍が取れない。でも、あるタイ人の親子は、滞在資格を失ってしまった親が帰国することで、日本で生まれ育った子どもにのみビザが出たらしい。クルド人でも、日本の大学や専門学校に進むことができた人にだけ、留学ビザとして滞在許可が出て、そこから就職にも繋げることができた例かあるのだと。そういう例があることに希望をかけて、お父さんは自分一人で帰ることを望んでいるのか。私の頭は真っ白になった。
(8)

11月21日、2011年から毎年いつもこの時期にお参りしている長谷もうでに行ってきました。

 

 

昨年よりも今年の方が紅葉がきれいです♪

 

 

今年は盲腸で入院したりといろいろありましたが1年間どうにか無事に過ごせました。一年間お守りいただきありがとうございました。一年間身につけていた古い五色線のお焚き上げをお願いし、新しい結縁の五色線をいただきます。

 

 

今日は弘法大師のご命日 21日。平日なのにいつもより混雑しています。来年の干支の卯の置物を記念にいただきます。

 

 

 

今年は寅年、今日は寅の日なので今までお参りしたことのない信貴山朝護孫子寺にもお参りします。

 

 

 

世界一大福寅をバックに記念撮影

 

 

 

こちらも紅葉が美しいです♪

 

 

 

毘沙門天にお参りし、本堂の戒壇めぐりも体験。信貴山といえば信貴山縁起絵巻 霊宝館にも入館します。

 

 

 

 

今年もまだひと月ありますが、どうにか無事に過ごすことができました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ
九州の静かな港町で叔母と暮らす17歳の少女、岩戸鈴芽。ある日の登校中、美しい青年とすれ違った鈴芽は、「扉を探してるんだ」という彼を追って、山中の廃墟へと辿りつく。しかしそこにあったのは、崩壊から取り残されたように、ぽつんとたたずむ古ぼけた白い扉だけ。何かに引き寄せられるように、鈴芽はその扉に手を伸ばすが……。やがて、日本各地で次々に開き始める扉。その向こう側からは災いが訪れてしまうため、開いた扉は閉めなければいけないのだという。星と、夕陽と、朝の空と。迷い込んだその場所には、すべての時間が溶けあったような、空があった。不思議な扉に導かれ、すずめの“戸締まりの旅”がはじまる。新海誠監督が自ら執筆した、原作小説!


ひと言
新海 誠 監督の「すずめの戸締まり」の原作本。いつも観たい映画があるときは、その原作本があればできるだけそれを読んでから映画を観るようにしています。多くの場合は映画よりも原作本の方がいいと感じることが多いけれど、この本の場合は映画のあらすじは良くわかり、予告編を見ても、これはあのシーンだなとはわかるけれど、これは新海 誠監督のあの素晴らしい画とスケール感抜群の映画で観てみたいなぁと思いました。


ミミズが赤銅色の花となり、空に大きく開いている。校庭を見ると、地面から無数の金色の糸が生え、上空のミミズに向かって伸びていく。ミミズが地気を吸い上げているのだ。空の大輪となったミミズは、地気の重さをその内側にたっぷりと蓄え、地面に向かってゆっくりと倒れ始める。「鈴芽さん、君が鍵をかけろ!」私の胸の下で、草太さんが叫んだ。「えり!?」「もう時間がない。目を閉じ、ここで暮らしていた人々のことを想え!」「ええ!?」「それで鍵穴が開く!」「そんなこと言ったって――」草太さんを見る。彼はまっすぐに戸を睨んだまま、「頼む!」と切実な声で言う。「俺には何も出来ないんだI何も出来なかった、この体では…… 頼む、目を閉じて!」その言葉の必死さに、私は弾かれるようにして目をつむった。でも、何をすれば?ここにいた人たちのことを想う?
それってどうやって――。「かつてここにあったはずの景色。ここにいたはずの人々。その感情。それを想って、声を聴くんだ――!」ここにあったはずの景色――私は思い描こうとする。山に囲まれた学校。陽に輝く広い校庭。玄関の両脇には、私の高校と同じように蛇口の並んだ水飲み場がある。今は泥に埋もれたこの場所で、きっとジャージ姿の生徒たちが水を飲んだりしていたはず。千果。からりとしたあの笑顔。蛇口の水は甘く冷たく、「ようけリセットしんさい」と友達と笑いあう。おはよう。登校時には賑やかだったはずだ。おはよう、おはよう、おはよう。声が聞こえてくる。テストのだるさ、教師の噂話、好きな子への告
白のプラン。色が見えてくる。学年別の三色のジャージ。朝日を反射する白いセーラー服。膝上まで詰めた紺色のスカート。第ニボタンまで開けたシャツの眩しさと、こっそりと染めた髪の色たち。
「―― かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ」あの歌うような不思議な節回しで、草太さんが何かを唱えている。「遠(とお)つ御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ。久しく拝領つかまつったこの山河(やまかわ)、かしこみかしこみ、謹んで ――」「……!」私の右手の中で、鍵が温度を帯びている。青く光っている。青い束のような光が鍵から立ち昇り、アルミ戸に集まっていく。戸の端を押す私の左手のすぐ横に、光の鍵穴のようなものが出来上がっていく。「―― 今だ!」草太さんが叫ぶ。その声に押されるようにして、私は鍵を光に突き刺す。「お返し申す ――!」草太さんのその叫びと同時に、私は反射的に挿し込んだ鍵を回す。ガチャリと何かが締まった手応えがあり、アルミ戸にはめられたガラスが一斉に割れて私たちの背中に降りそそぐ。――と、膨らみきった泡が割れるような音と共に、頭上のミミズが弾け散った。重い雨雲が一斉に吹き飛ばされたかのように、気圧が一気に軽くなる。その数瞬後、きらきらと複雑な光を反射する雨が、シャワーで一吹きしたように私たちのいる廃墟をざーっと洗ったのだった。
(三日目 入れない扉、行くべきではない場所)


私は顔を上げた。すると目の端に、黄色いものが映った。私は手の甲で押し込めるようにして両目の涙を拭い、その子供椅子を手に取り、すずめへと駆け寄った。「すずめ――」泣きじゃくる少女の傍らに、私は椅子を置いてしゃがみ込んだ。「ねえ、すずめ、ほら!」「え……?」瞳からぽろぽろと涙をこぼしながら、すずめが驚いた顔をする。「すずめの椅子だ……。え? あれ?」そう言って、不思議そうな顔で私を見上げる。「……なんて言えばいいのかな」私は笑顔を作りながら、言葉を探す。気づけば太陽は雲の下に沈み、あたりは透明な群青に包まれている。「あのね、すずめ。今はどんなに悲しくてもね ――」私に言えることは、本当のことだけだった。とても単純な、真実だけだった。「すずめはこの先、ちゃんと大きくなるの」強く風が吹き、私たちの涙を頬から空に吹き上げた。空が暗さを増し、星たちが輝きを増した。「だから心配しないで。未来なんて怖くない!」すずめの瞳に、星が映っている。私はその場所までまっすぐに言葉が届くように願いながら、声を強くして、唇に笑みを作って、言った。
「ねえ、すずめ ――。あなたはこれからも誰かを大好きになるし、あなたを大好きになってくれる誰かとも、たくさん出会う。今は真っ暗闇に思えるかもしれないけれど、いつか必ず朝が来る」時が早送りをしているように、星空が目に見える速度で回っていた。「朝が来て、また夜が来て、それを何度も繰り返して、あなたは光の中で大人になっていく。必ずそうなるの。それはちゃんと、決まっていることなの。誰にも邪魔なんて出来ない。この先に何が起きたとしても、誰も、すずめの邪魔なんて出来ないの」幾筋もの流れ星が空で瞬き、やがて草原の向こうの空がピンク色に染まりはじめた。朝だ。私は朝日に照らされていくすずめを見つめながら、もう一度繰り返した。「あなたは、光の中で大人になっていく」そう言って、私は椅子を手に取り、立ち上がった。すずめは私を見上げながら、不思議そうに訊ねる。「お姉ちゃん、だれ?」「私はね ――」あたたかな風が吹く。足元の草花が吹き上げられ、踊るように私たちの周囲を舞っている。私は身をかがめ、すずめに黄色い椅子を差し出しながら言う。「私は、すずめの、明日」すずめの小さな手が、しっかりと椅子を摑んだ。
(常世 ぜんぶの時間)



 

 

JR高島屋の「レトロ喫茶に恋して」に出店している「ボンとらや」。最近TVでよく取り上げられる豊橋のお店です。ピレーネセット(バニラ・ダブル・マロン・りんご・モンブランの5個入 1035円)をいただきます。こちらの方では蟹江の「パリジャン」というお店でパリジャンという名前で発売されているものをよくいただきます。他にもチロリアン(大府)・ステラ(中村区)・マロン(東区喫茶ボンボン)…などなど。これも50年以上の歴史があるコスパ最高の美味しいお菓子です。ごちそうさまでした♪。

 

ボンとらや 本店

豊橋市羽田町

 

 

今日からJR高島屋で開催された「レトロ喫茶に恋して」。そこに あの京都の超老舗純喫茶の「喫茶 ソワレ」が来てくれました。ソワレが名古屋に!。もう行くっきゃないでしょう。もちろんゼリーポンチ(935円)をいただきます。冷静に とても美味しい?と聞かれると返答に困りますが、唯々懐かしい!レトロ喫茶に恋してという今回の企画にドンピシャの逸品でした。こんな素晴らしい企画をしてくれた高島屋の人たち、それに応えて京都から来てくれたソワレに唯々感謝です。一期一会 ほんとうにありがとうございました。

 

喫茶 ソワレ

京都市下京区西木屋町四条上ル

 

あらすじ
本書は、ノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者ポール・ナースが、「生命とは何か」?について、語りかけるようなやさしい文体で答える一冊。著者が、生物学について真剣に考え始めたきっかけは一羽の蝶だった。12歳か13歳のある春の日、ひらひらと庭の垣根を飛び越えた黄色い蝶の、複雑で、完璧に作られた姿を見て、著者は思った。生きているっていったいどういうことだろう? 生命って、なんなのだろう。


ひと言
カスタマーレビューに「図がない」と指摘された方がいましたが、全く同感でせっかく一般の人や、高校生に向けて分かりやすく書いてくれたのであれば、二重らせん構造などのイラストを入れてもらえるともっとわかりやすかったかもしれません。その点が少し残念でしたが、楽しく読ませていただきました。

このことから、死んだ毒性の細菌から、生きている無害な細菌へと、化学物質の遺伝子が伝えられ、その性質を永久に変えてしまったにちがいないと、アベリーは考えた。そして、こうした遺伝子の変質の原因が、死んだ細菌のどの部分にあるかをつきとめれば、最終的に遺伝子の正体を世に示すことができることに気づいた。実際に、変質の鍵となる特性を備えているのは、デオキシリボ核酸であることが判明した。デオキシリボ核酸は、「DNA」という略語の方が聞き覚えがあるだろう。そのころには、細胞の中で遺伝子を運ぶ染色体にDNAが含まれていることは広く知られていたが、大方の生物学者は、「DNAなんて、単純で取るに足らない分子だろう。遺伝みたいに、複雑怪奇な現象の原因であるはずがない」と、考えていた。彼らは間違っていた。
われわれの染色体には、中心部に単一で切れ目のないDNA分子がある。DNAはめちゃめちゃ長くなることがあり、次から次へと鎖状に並んだ、何百何千もの遺伝子を含んでいる。たとえば、人間の二番染色体には一三〇〇個以上の異なる遺伝子の列があり、このDNAを引き伸ばすと、長さはハセンチメートルを超える。われわれの小さな細胞一つに含まれる四六本の染色体を合わせると、DNAが二メートル以上になるという、尋常ではない計算値が導き出される。DNAは、奇跡のような手際のパッキング(梱包)によって、直径が数千分の一ミリメートルほどの細胞に見事に収まっている。さらに言えば、あなたの身体の数兆個の細胞の内側でとぐろを巻いているすべてのDNAを、どうにかしてつなぎ合わせ、それを引き伸ばせたなら、およそ二〇〇億キロメートルの長さになる。これは、地球から太陽までを六五回も往復できる長さだ!
アベリーはとても控えめな人物で、自分の発見をあまり大げさに吹聴しなかったせいか、彼の結論に批判的な生物学者もいた。しかし、アベリーは正しかった。遺伝子はDNAでできている。この真実がようやく理解されて浸透し、遺伝学と生物学全体の新たな時代の到来を予感させた。遺伝子はついに、物理と化学の法則に従う安定した原子の集まり、すなわち、化学物質として理解されたのだ。
(ステップ2 遺伝子 遺伝子の正体)

自然淘汰は、進化の過程で起こるのみならず、われわれの体内の細胞レベルでも起きている。細胞の増殖と分裂を制御するうえで重要な遺伝子が、損傷を受けたり、配列し直されたりして、細胞が制御不能のまま分裂するのが、がんである。
生命体の集団内での進化と同じで、これらがん化した細胞は、身体の防御をすり抜けると、組織を作っている、健全な細胞の数を徐々に上回ってゆく。損傷した細胞の集団が増加するにつれ、細胞内でさらなる遺伝的な変化が起きる可能性が高まり、遺伝子の損傷が積み重なり、ますます侵襲性(しんしゅうせい)の高いがん細胞を生み出すことになる。このシステムは、自然淘汰による進化に不可欠な三つの特性を兼ね備えている。複製、遺伝システム、そして遺伝システムが変異する能力だ。人の命が進化することを許す状況そのものが、最も致命的な人間の疾患の一つの原因になるというのは逆説的だ。もっと実際的な面で言えば、集団生物学者と進化生物学者は、がんに関するわれわれの理解に大きく貢献できるはずなのだ。
(ステップ3 自然淘汰による進化 ある馬鹿げた考え)


 

 

あらすじ
北海道トムラウシの山村留学から福井に帰ってきた宮下家。当時、子供たちの妄想犬だった白い柴犬ワンさぶ子が家族の一員に。三人の子供たちは、大学生高校生中学生となり、思春期真っ只中。それぞれが自分の道を歩き始めていく。しなやかに自由を楽しむ、宮下家五人と一匹の三年間の記録。


ひと言
ひとつ前の 宮下 奈都さんの「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」をこのブログに上げてから、先に読んだ「ワンさぶ子の怠惰な冒険」をまだ上げていなかったことに気づきました(汗)。読み終えてすぐトムラウシってどこ?と調べてしまいました。ワンさぶ子も宮下家の三人の子どもたちもほんとうに微笑ましくてとてもいいです。なんか「北の国から」の純と螢を観ているみたいでした。それにしてもすぐ下に引用した「星一徹か」は若い読者は何のことかまったくわからないだろうし、宮下 奈都さんってそんな歳!?と思わず生まれ年を調べてしまいました。


好きじゃない味のときでも、ちゃんと舐めるふりをして、ぺろっと舌を出し、チラッと私を見上げ、「ほら、食べてるでしょ?」という顔をする。そのまま残すと悪いと思うらしい。気を遣っているんだなあと思うと健気(けなげ)だ。でも、私がその場を離れると、お皿は放置される。今朝はすごく苦手な味だったらしく、後で見たらお皿がひっくり返されていた。星一徹か。
(P24 6月某日 気遣い)

夜、えちぜん鉄道に一時間近く揺られて帰る。最寄り駅の暗がりに次男とむすめが迎えにきてくれていて、それだけのことなのになんだかよくわからないけど泣きそうになった。今年の一筆啓上賞のお題ぱ「母へ」。母への手紙をたくさん読んできた後だったからなあ。 
(P84 1月某日 一筆啓上賞)

もうすぐ受験のために新幹線で上京する次男。なぜか、新幹線にゾンビが乗ってきたらどうするか、という話になった。「どうせならすぐにやられたい」私の正直な意見だ。だって、逃げたり戦ったりしたあげく結局やられるのってすごくやだ。そんなんだったら早いうちにやられて楽になりたい。「最後までやられないっていう選択肢もあるんだよ」次男が意外と前向きなことをいう。普段はわりと後ろ向きな人なのだ。まもなくの受験に向けて戦闘態勢に入ったのだろうか。むすめは、ただただ「いやー! いやー!」と叫んでいる。仮定の話だってば。いや、仮定ですらない。とりあえず日本の新幹線にゾンビが乗ってきた話は聞いたことがない。「僕は、やられるなら最後がいい」夫がいったので、理由を聞くと、「悲しむ人がいなくなってからやられたい」まさかの発言キタ。次男とむすめと思わず顔を見合わせた。悲しむ人……? 子供たちは下を向いて声を出さずに笑っている。こんなしあわせな夫に育てたのは、この私なのだ。
(P182 2月某日 ゾンビが来たら)

父の容態は落ち着いている。一週間後にセンター試験を控えた次男が東京へ戻っていき、むすめは普段通りに登校した。だんだん呼吸が荒くなってきているのがわかる。呼吸を楽にする管を入れますか、と看護師さんが聞いてくれる。見守る家族のためを思ってのことだろう。実際には父はもう苦痛を感じることもないというのに、苦しそうに見えるという見守る側の都合で、終えようとしている生命活動の邪魔をしたくはなかった。でも、少しでも楽になるならそのほうがいい。心は揺れる。ただ、もしも管を入れて呼吸が楽になったとしても、回復するわけではない。今度は心臓がもたなくなったり、弱った身体が何かに感染して熱か出たりするのだろう。何が直接の原因になるのかはわからないが、もうすぐ確実に心臓は動きを止めるのだ。どんなふうに苦しむ父を見るのもつらい。それなら、父に任せるのがいいんじゃないか、と私は思った。正解はわからない。誰かひとりでも管を入れたいといったら尊重しようと思った。母と弟と私、いちばん父に近い三人で話して、みな同じ意見だった。管は入れないことにした。全員が泣いていた。
(P260 1月某日 またね)
 

 

あらすじ
本屋大賞受賞作『羊と鋼の森』の著者がおくる食エッセイ。「毎月一回食べもののことを書く。食べることと書くことが、拠りどころだった気がする。」(「まえがき」より)。北海道のトムラウシに1年間移住したり、本屋大賞を受賞したり……。さまざまな変化があった6年半の月日を、「食」をとおして温かく描き出す。ふっと笑えて、ちょっと泣けて、最後にはおなかが空く。やさしく背中を押してくれるエッセイ78編に、書き下ろし短編1編を収録。全編イラストつき


ひと言
宮下 奈都さんの「ワンさぶ子の怠惰な冒険」がよかったので、もう一冊。料理のエッセイ集という形をとっているけど、料理を通して見えてくる家族へのほっこりする愛情たっぷりなエッセイ集です。巻末の短編(ウミガメのスープ)もよかったです。「羊と鋼の森」はあまり自分には合わないなぁという感想でしたが、「ワンさぶ子の怠惰な冒険」「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」は読了感もとてもよく、宮下 奈都さんの他の作品も読んでみたいなぁと思いました。


クリスマスの夜、一緒に寝ようと誘う子供たちに、これからまだ仕事だというと、残念そうに寝室へ引き揚げた。テーブルの上に手紙が載っていた。むすめの字だった。一通はサンタさんへ。寒くて遠いのにありがとう、と書いてあったので、こっそり大きなハートマークを描いて返信とした。もう一通はママヘ。だいすきなママ、お仕事がんばってね、サンタさんにママヘのプレゼントもたのんでおいたよ、とあった。翌朝、むすめが嬉々として、ママにはどんなプレゼントが来た? と聞くので、ママはもう一生分のプレゼントをもらっちゃったんだよとむすめを抱きしめた。プレゼントは今、にこにこ笑って目の前にいる。
(クリスマスの夜)

冬の土曜日のことだ。その日はたまたま彼女の夫が子供たちを映画に連れていってくれるというので、午後からひとりで寄ると実家に連絡を入れたのだそうだ。すると、彼女のお父さんが、栗ごはんが食べたい、といったのだという。「普段はほとんど食事は一緒にしないの。私は家に帰って家族の分をつくらなきゃいけないから」それなのに、その日はなぜかリクエストがあった。しかも、栗ごはん。季節は過ぎている。「秋になったらつくるからね、って答えたの」ところが、なんの気なしに立ち寄った和菓子屋に栗まんじゅうがあった。彼女はふとひらめいて、お店の人に、もしかして栗を保存していないかと聞いてみたのだという。「そうしたら、茄でて冷凍してあるから、少しでよければどうぞって、立派な栗を分けてもらえたのよ」彼女は両親の好きな和菓子と、思いがけず手に入った栗を持って実家へ行った。リクエスト通りに栗ごはんをつくり、久しぶりに実家で一緒に晩ごはんを食べて帰ったのだそうだ。「その日は父も母も上機嫌でね、栗ごはん、おいしいおいしいってにこにこしながら」彼女のお父さんは、翌朝起きてこなかったそうだ。気がついたら、すでに息をしていなかったという。「びっくりして、悲しくって、私まで心臓が止まりそうになったけど」思い出したらしく、彼女の声が震えた。でも、笑顔だった。
「お父さんは栗ごはんで私を救ってくれたんだなって」大事な人が亡くなると、残された人は悲しみの上に後悔を重ねてしまう。ちゃんと会っておけばよかった、やさしくすればよかった、もっとしてあげられることがあったんじゃないか。それを、彼女のお父さんは栗ごはんひとつですべてクリアしてくれた。季節外れの栗ごはんは、お父さんへの、そしてお父さんからのやさしい贈りものだったのだと思う。すべての死が、思い出せば笑顔になれるような、悲しみや後悔を忘れさせてくれるような、温かい思い出とともにありますように。
(栗ごはん)

口数の少なくなった私を、担当編集者が心配そうに覗き込んだ。「宮下さん、どうですか。お口に合いませんでしたか」合わないわけじゃない。むしろ、ものすごくおいしい。だけど、もっと近い感想がある。「家族にも食べさせてあげたいと思いました」夫は、息子たちは、むすめは、そして実家の両親はこの料理を食べたらなんというだろう。素直にそう口にすると、担当編集者はにっこり笑った。「それって、最高のほめ言葉ですよね」あ、そうかも。これこそ、ものすごくおいしいってことなのかもしれない。
(ものすごくおいしい)