先週東京にいましたが、
花粉がすでにやばいですね。
札幌にもどってもまだ鼻がぐずぐずです・・・。
最近メディアの情報の正確性を問うような世の中ですが、
テレビの番組とかって基本スポンサーがいる時点で、
忖度をなくすのは無理ですよね。
だったら本当に正確な情報を流してくれって意見を伝えたい人は、
番組に出資するか、テレビ局の株を買って本気で変えたいって思わないと、
その個人の発言も嘘になっちゃいますよね。
週刊誌は、広告費と販売で成り立っているので、
意見するよりも買わないってのが正しい抗議だと思いますし、
本当の意味で、視聴者が意見言える対象は、
視聴環境持っている人から集金しているNHKだけじゃないですかね。
まぁ、そのNHKも感覚ずれてますし、
平等どころか偏った思想が見受けられますが(笑)
意見する人たちも、メディアも
自分の立場から自分の意見を言ってるって意味では
不平等の平等ってことで全体的にまとまってますね(笑)
コメント欄ってものが、異常な影響力をもってしまってから、
いい意味でも、悪い意味でも メディア系のバランスが壊れていっていますね。
そのうち今求められているような情報の正確性・平等性は、
コメントにも適用されていくし、過去の発言は、当然残ってますので、
メディア・タレントのみならず、一般人も一般人によって過去の発言を蒸し返される
そんな時代が来るのかもしれませんね。
とうことで、ニルヴァーナのレイプ・ミー。
メディアに殺されたと表現されますが、
実際、ニルヴァーナ自体は売れたかったわけで・・。
行き過ぎたメディアの取材に、
コバーン自身も想像できていなかったと思う。
ビートルズやストーンズはスターとして自分たちを
イメージしていたのに対して、
思想やメッセージ性をもったアーティストたちは
売れてしまうとコバーンと同じように
現実と思想、作品のギャップに苦しんでしまうということが
多々ありますね・・・。
ハードロックの時代から、グランジという新しい価値観は、
時代にマッチしすぎてしまったのかもしれません。
マーケット的に作られたアーティストではなく、
カウンターカルチャーのリアルな目線から生まれた音楽は、
求めていた以上の人々の支持を受けてしまい、
アーティスト自身を追い詰めていく・・。
ただ、グランジ作品がいまだに楽曲評価高いのは、
そのメッセージ性の強さに他ならない。
似て非なるのは、底辺から金でのし上がる、という
アーティストとメディアの利害一致があるHIPHOP。
そう考えると音楽って不思議ですね。
確実に言えるのは、今の時代に対する
カート・コバーンのメッセージが、もう聞けないこと。
革命の代償は大きかったかもしれないです。