そろばん -追憶編- | 妻と私の異世界生活

妻と私の異世界生活

2020年の春
妻が統合失調症を発症

突然、異世界に放り出された妻と私の闘病記録

急性期、休息期を経て回復期に入り安定したのも束の間、2023年の夏、妊娠発覚と同時に再発

いつかこのブログが誰かの助け舟になります様に。






-追憶編-



西松屋で妻が指を指す。


「30%offだから613円」












スーパーで妻が指を指す。


「国産で20%offならカナダ産より割安」












薬局で妻が指を指す。


「200枚入りなら150枚入りより割安」












飲み会で皆んながこっちを見る。


「1人3620円」













会議中に計算が必要になり静まり返る。


「生産能力は162個/minです」
















小さい日常では、


これくらいしか使い所のない暗算能力も、


長い人生を振り返り、


積み重ねたら、


無駄な時間をどれくらい短縮できただろうか。













-小学時代-


町内の小学生は、


ほぼ全員が同じそろばん塾に通っていました。


私は見学時に、


ロケット鉛筆に衝撃を受け入塾を決めました。


当時はそろばん=ロケット鉛筆でした。













そろばん塾は17時〜17時45分で終わるので、


帰り道の公園付き公民館に皆んなが集まり、


暗くなるまでよく遊びました。














当時は17時以降に堂々と遊ぶ口実であり、


19時くらいに帰宅してもそれが普通でした。













先生の名前は「誠」でしたが、


「セイさん」と呼ばれていて、


本当の名前が、


「まこと」なのか「せい」なのかは不明です。














セイさんはいつも「はじめ!」の合図とともに、


外に出てタバコを吸っていました。


お前が行くんかい!


と今なら突っ込みが入るでしょうが、


その頃はそれが普通で、


誰も何も感じていなかったと思います。














そんな人でしたが当然のこと、


そのそろばんの手捌きは圧巻でした。














建物は白いプレハブ小屋で、


40名くらいの生徒が机を並べていました。


席順は1ヶ月に1回、


そろばん大相撲という1000点満点の問題で、


高得点ほど後ろの席になります。


検索してもなかなか出て来ずアメブロからの拾い画像です。

問題は後半になるにつれて難しくなり、

乗算、除算、見取算、見取暗算で構成され、

各250点の1000点満点です。














横綱(1位)は後方の窓際の席で、


塾に入った頃はその席に憧れていました。













セイさんの奥さんも算盤塾の先生で、


そろばん大相撲は、


2つの塾が合同で行います。


後に同じ中学に入学する地域でした。














大相撲の結果は学年ごとにランキング形式で、


後日みんなに配られます。













私の町ではこのランキング表が、


その子のステータスの一つであり、


「あーそろばん大相撲で1位の子ね」


という具合に名前が行き渡ります。


中学でも、


「あの子が大相撲1位の子か」


と言われるほど影響力はありました。














そろばん大相撲には3年生から参加でき、


私は学年では1位だったものの、


上の学年の1位の子には負けていたので、


その頃はまだ憧れの席には座れませんでした。













それでももう一つ目標がありました。


珠算も暗算も1級を取ると、


名前の書かれた札が黒板の上に掛けられます。














歴史は長く私の父親世代の名前もあり、


珠算、暗算どちらも名前がある人は少なく、


とにかくそこに札を掛けたいと思いました。













一時期何かに取り憑かれたように取り組み、


5年生の頃には2枚の札に名を残し、


気がつけば横綱の席にいました。














憧れも座ってみればただの椅子、


そこからは大相撲で1000点を取るという、


過去数人しか達成していない偉業を目指し、


6年生まで頑張りました。












まず1000点を取る為には、


半分は暗算でやらないと間に合わないので、


暗算をひたすら強化しました。













そして最後のそろばん大相撲…


結果は990点…


結局その目標は達成できず仕舞いでした。


母親に、


「すごいけど…あと10点なんやったん?」


と言われましたが私が聞きたいくらいでした。














生徒の中には、


「セイさーん、こんなんやって意味あんの?」


とよくある質問をする子もいましたが、


セイさんは、


「計算が早くて困る事はない、嫌なら辞めろ」


となかなかクールな返答をしていました。













そんなセイさんに連れられて、


算盤の大会に出た事があります。


8月8日開催、通称パチパチという大会です。













銀メダルでしたが、


重みのあるメダルが初めてで、


嬉しかった記憶があります。













帰りにアイスを奢ってもらい、


「2枚札が掛かったやつは〇〇高校に行く」


「暗算は受験に役立つ」


「無駄な時間を短縮できるからな」


後に私が入った高校ですが、


私と1位を争っていた先輩もその高校でした。














4年後、


高校の帰り道に、


いつものようにプレハブの外で、


タバコを吸うセイさんを見かけました。















自転車に乗りながら手を挙げると、


タバコを持つ手を少し挙げてくれました。













せっかくなので戻って会いに行くと、


私の制服を見て、


「やっぱり言った通りやないか」


と誇らしげに言われました。













「受験では役に立った気がするけど…」


「それで充分」


「意味なんてないでな」


「俺が子供に教えたいだけなんやから」


と笑顔で言っていました。














教わる側に意味がなくても、


教えている側には意味がある、


確かにそういうこともあるなと、


今となっては思います。














「ちょっと札見せてよ」


「おう、見てけ見てけ」














私の札の横には、


後輩になるであろう、


3人の名前が掛けられていました。