最後の一画 -追憶編- | 妻と私の異世界生活

妻と私の異世界生活

2020年の春
妻が統合失調症を発症

突然、異世界に放り出された妻と私の闘病記録

急性期、休息期を経て回復期に入り安定したのも束の間、2023年の夏、妊娠発覚と同時に再発

いつかこのブログが誰かの助け舟になります様に。






-追憶編-


「字が綺麗ですね」


市役所の職員に言われ、


「いえいえ、ありがとうございます」


と謙遜してみせる。









その日は帰り際、


偶然掲示板に書道教室の張り紙を見つけ、


ふと書道教室の先生を思い出す。











-小学生時代-


「字は性格を表すって学校の先生いってたけど」


「そうかもね」



「でも字って意識すれば変えられるやん」


「そうよ、だから魔法みたいなものよ」



「意味わからん」


「この人は誠実だとか信頼できるとか…」


「そう思わせる事ができるようになるの」



「詐欺師やん」


「…とにかく練習しなさい、役に立つから」










近所の山の麓に書道教室があり、


週に1回好きな日に通っていました。










教室の中には2匹の猫が放たれていましたが、


生徒の邪魔はしない賢い猫でした。










先生はとても優しい女の人で、


習字のおばちゃんと呼ばれていました。


私は先生の字が好きでした、


今でも尊敬している人です。










私は2年生まで硬筆をしていました。


「いつになったら筆でやらせてくれるん?」


「上手になったらね」


「硬筆の方が大事なのよ」


よくこんな会話をしていましたが、


結局3年生からはみんな毛筆に変わりました。










他の地区の書道教室ではすぐに毛筆、


どんどん試験を受けていくので、


下手でも級が上がって行きます。


「先生、他の地区の子より不利やん」


「なんでそう思うの?」


「下手やのに級が上やもん」


「そう言うのが欲しければ」


「そこに通いなさい」


そう言う生徒もちらほらいましたが、


その時だけ先生は険しい顔をしていました。










「字は資格では上手くならないの」


なんか頑固だなと当時は思ってはいましたが、


他の書道教室の先生が書いた手本を、


どう見ても上手いと思えず、


この教室でよかったと子供ながらに思いました。











ある日先生が教えてくれた事があります。


「字は最後の一画で上手く見せられるの」










生徒達に最後の一画を残させ、


先生が最後の一画を書いて周りました。









ほんとに魔法かと思うぐらい見事で、


バランスが整い力強く、


綺麗な字に生まれ変わりました。










実演して魅せる姿もかっこいいなと思い、


その日から、


最後の一画を意識して書くようになりました。










なんとなく上手くなっている気がしてきて、


小学校で書いた書き初めでは、


なにかの賞に出され大賞をとりました。









6年生で書道教室も卒業し、


高校生になった頃に、


偶然電車で習字の先生に会いました。









色々な話をしましたが、


「やっぱり立派な高校入ったのね」


「よく字が上手いって言われるよ」


「あんたはもともと上手だったからね」


「いや先生の字を真似してるからね」


謙遜していましたが、


先生は少し泣いていました。










最近、


その書道教室ももうないよと母から聞きました。


私が今、


唯一自慢出来るとすれば、


字が綺麗と言われることぐらいです。











中国でも漢字が綺麗と言われてきたので、


お墨付きかと思います。










妻も統合失調症の幻聴や妄想で、


私が偽物かもしれないと思うと、


字を書いてみせてと言ってきます。










学校や就活、


今は病院でも会社でも、


どこに行っても褒められるのは、


先生のおかげだなと、


今になって感謝しています。










字を書く事が少なくなった世の中、


文通の時代なら…


もう少しモテたかもしれません。












妻と私の人生も佳境かもしれませんが、


このままどうなったとしても、


最後の一画は私が筆を待ち、


全てのバランスを整えられたらと思います。