こんにちは、ぐり(@gurinoniwa)です!
3年生になり、大きく成長した長男。
でもまだまだ心配なところも多く、その一つが
強すぎる正義感と「公正世界仮説」的な考え方なんです
前回はこちら↓
以前学校でお友だちのいざこざに首を突っ込んだりしてしまうという相談をしたことがありました。
その時にA事業所のスタッフさんに言われたことは・・・
- きっと本人は良かれと思ってやっている
- 同年代のお子さんよりもルールを把握する力やどうすべきかが見えすぎてしまうことも原因なのでは
- 成長と共に理不尽なことに折り合いをつけられるようになるのではないか
など、今はまだそれほど心配しなくてもよいのでは?という見解だったスタッフさん。
相談した時のお話↓
世の中、平等じゃないじゃないですか。
生まれながらにして発達障害というハンデを背負っている息子たち。
定型発達で生まれてこれたなら療育に通わなくたって良かっただろうし、悩まずに済んだことだって沢山あるわけで
定型発達の子に悩みがないという意味ではないですよ
お金持ちの家に生まれた子、貧困家庭に生まれた子・・・
平等か?と問えば、平等とは決して言えないんじゃないかと思うわけです。
ただそれで世を呪ったり誰かを恨んだりはまた違うかなと。
平等ではないけれど、与えられたものも違うけれど、そこからどうしていくかを選ぶのは自分ですし。
世の中は平等ではないし、理不尽なこともたくさんある。
その理不尽を受け入れることだって、時には必要だったりする。
ただ、その辺の考え方って完全に大人の目線なんですよね
大人の都合とでも言うべきか
折り合いをつけろ!黙って飲み込め!って言われたって、子どもたちの年齢ではまだ喉を通らなかったりする
小さな子には「人には優しくしようね」とか「人のものは取っちゃいけないよ」とか教えますよね。
でも、それを守らない大人だっているわけです
きっと、そういうのを見たときに長男は人一倍憤る。
憤るのは仕方ないにしても、それに折り合いをつけていかなければならない。
うーん、書いてて悲しくなってきた
皆が人に対して優しくできれば、こんな風に世の理不尽を飲み込め!なんて考え、必要なくなるんだろうな・・・
でも色々な考え方の人がいて、良くも悪くもそれが世の常なのであって。
自分自身だって完璧な人間でもないし、清濁併せ呑むことも生きていく上で必要不可欠なんだろうな
ルールを守らない、マナーの悪い人がいたからと言って暴力をふるっていいわけでもないし、キツい言葉で傷付けていいわけでもない。
相手が悪いことをしているんだからこっちだってルール守らなくてもいいはずだ!なんてことになっていいわけでもない。
改めて言葉にすると難しいし、やっぱり世の中理不尽だなって思うけれど、それでも自分は自分として生きていくのが大事なんだと思います。
自分で自分を好きでい続けられる行いを、というか
物事の流れや手法には臨機応変に対応できるのに、強すぎる正義感や「正しさ」を信じるあまりに頭カチカチになりがちな一面も持ち合わせている長男。
色んなことを知って、いろんな人と接して、それでも人に優しくできる心を持っていて欲しい。
聖人君子になれとは全然思いませんけど、自分や身の回りの人たちが楽しく生きられるように進んでいってほしいなって思います
声掛けしつつ、今後も成長を見守ろうと思います
最後までお読みいただきありがとうございました
ではまた
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