こんにちは、ぐり(@gurinoniwa)です!
前回からの続きです。
前回はこちら↓
言語理解の低さが生き辛さに思いっきり直結してそうな長男。
じゃあ言語理解鍛えればいい!なんて簡単な話でもないようで・・・
主治医の言うとおり鍛えようにも鍛えられない、鍛えようとすること自体がもう苦しくなってしまう。
苦しさを軽減するために苦しむというのも必要なような、本末転倒なような・・・
でも「言語理解」というものは人として生きていく上でかなり重要なものではないかと思ったりもします。
人とコミュニケーションを取るのであれば言語は必須。
気持ちを誰かに打ち明けたり、解決のための糸口を探したり、相手に「こうして欲しい」と伝えたり。
その場面において適切な言葉を選んで会話をするって、そう考えたらとても高度なことなんですね
自分を理解するためにも「感情を形にする」「考えを言葉にする」作業はとても大切だと思っています。
何かが起こったとき自分がどう思いどうしたいのか、その時感じている気持ちに名前が付くだけで楽になることだってあるでしょう。
大人になるに連れて人間同士の高度なコミュニケーションが求められる。
人として生きていく中で、遅かれ早かれ必要になってくるのではないかと思うのです。
苦手だから、苦しいからと避けていていいものか
今回のように、自分の気持ちが上手く言葉にできず心の中がずっとモヤモヤして苦しい・・・
でもそのモヤモヤの正体も、何故モヤモヤするのかもよくわからない。
「なんかわかんないけど気持ちがザワザワする・・・怖い・・・」
長男にとって、こう言えただけで大成長なのです
少し前まではどうにもできずに溜め込んで爆発、大暴れなんてことが何度もありましたから
ただ、この気持ちの言語化のレベルは年相応なのか、それともまだまだ追いついていないのか・・・
わからん・・・小2男子ってどんな感じ?
主治医の言うように「頭の中ではすごく沢山のことを考えている」「でもそれをうまく言語化できない」なら、その考えている「すごく沢山のこと」を言語化するために必要になる言語化能力って・・・どのくらい!?
平均に追いつくどころかそれを超えないと結局辛いのか?
もっともっと上のレベルまで上がらないと苦しいってこと???
わからん・・・・・・
続きます
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