ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
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平成29年11月3日に公開した記事で↓の写真を昭和17年10月24日マタニカウ川河口へ進攻した戦車第一中隊と歩兵第四連隊将兵の屍とご紹介させて戴きました。
豪州の友人より
「この写真はサイパンで撮影された」
「写っている戦車はM1シャーマンだ」
「もしガ島で撮影されたとして、倒れている兵士の傷みが少ない」
「位置的に米軍が確保しているエリアでは無いので米軍が撮影したとすればかなり後日になる」
「従って兵士の遺体はもっと傷んでいなくてはならない」
何より後方の地形が違う。
とご指導を頂戴いたしました。
↓こちらは未公開ですが↑の写真を意識して撮ったマタニカウ川西方より河口方面
ゴミの多さに辟易しますが・・・
2018年3月撮影、戦車第一中隊の壊滅、歩兵第四聯隊第六中隊の随伴兵が多く斃れた地であります。
※2018年ガ島御慰霊行の記事、まだ手付かずで反省しきりであります。
比較してみました。
当時の写真に黄色丸で囲った山が2018年の写真には写っていません。
どうも豪州の友人の言う所のサイパン説が濃厚となって来ました。
ガ島のマタニカウ川で散華された歩兵第四聯隊第六中隊の屍ではない事だけは確かだと考えます。
此の場より怪しい情報を撒き散らしご迷惑をお掛けいたしました事を深くお詫び申し上げます。
いつの日かサイパン・テニアンへ御慰霊する事が叶った時には万難を排して豪州の友人の言う所のサイパン説現場写真を撮って来たいと思います。
※米国のサイトでも普通にガ島の写真で掲載されている写真ではありますが↑比較写真と豪州の友人の説を併せ検討の結果ガ島ではありません。
取り急ぎ訂正とお詫びの記事でありました。
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↓以下平成29年11月3日に公開した記事
ヘルズコーナーに続きコフィンコーナー を調べているうちに発見した写真
屍、累々 遠くに戦車が認められます。
見た瞬間、一木支隊の将兵がスチュワート戦車に蹂躙されている場面が思い出され現地の写真を探してみました。
2014年撮影 テナル河口右岸より東方を望む
遠くコリ岬が突き出ている。
↓後方の地形が大きく異なる。
装備は日本軍で間違いないと思われるが一木支隊将兵の写真ではないようだ。
それでは・・・ 戦車は日本軍だとすると
独立戦車第一中隊と随伴兵という事になる。
前田中隊長車より左付近から左方(東方)を写した写真か・・・
独立戦車第一中隊のガ島戦 その二 に遺るこの記述
協同した第六中隊の歩兵は次第に前進方向が海岸線から密林方向へと迂回するに至り歩戦の連携は途切れマタニカウ河口に進出したのは戦車だけであった。
この第六中隊というのは仙台歩兵第四連隊第二大隊第六中隊ということになる。
この場面には居なかったと思われるが第二大隊の機関銃中隊には 天才彫刻家・高橋英吉氏 が居られる。
そして第六中隊は川口支隊総攻撃の際、ムカデ高地を猛攻、青葉大隊の中でも最先鋭中隊で敵司令部付近まで進出し敵の糧秣を奪って口に出来た唯一の部隊なのであります。
その第六中隊将兵の屍なのか・・・・
そして独立戦車第一中隊の記録
歩兵は次第に前進方向が海岸線から密林方向へと迂回するに至り歩戦の連携は途切れマタニカウ河口に進出したのは戦車だけであった。
この件は・・・
一部は集中する敵弾に堪らず迂回したとしても・・・
歩兵は次第に敵弾に斃れマタニカウ河口に進出したのは戦車だけであった。
と表現するのが正しいのではなかろうか・・・
↓の写真からは日本軍将兵の屍を見て取ることが出来ない。
恐らく戦場清掃完了後の上空写真であろう。
この写真をグーグルアースで再現してみると
黄♂印位置から矢印が指向する方向が↓画像の撮影された位置方向で良いと思われます。
遮蔽物も無いこの砂浜を白昼戦車に随伴するなど無策に尽きます。
将兵の無駄死を反省しない大本営派遣参謀の立案した作戦、第一線の真相を的確に表した写真ではないでしょうか。
命令の通り命を賭け国の為に散華されていった住吉支隊歩兵第四連隊第六中隊将兵・・・
第六中隊編成表 ムカデ高地に於いて散華された御英霊含む
×戦死 ◎重傷病 □軽傷病 〇重戦病 〇に×戦病死
心より御冥福をお祈り申し上げます ・・・ 合掌
ここ数日発見した写真
そしてこの
マタニコ川に於いて独立戦車第一中隊と共同した歩兵第四連隊第六中隊将兵の屍
今迄、日本の書籍で紹介されたことも無い貴重な写真ではないかと思います。
もう一つ現在のマタニカウ川河口を拡大して熟視すると河口の砂州が・・・
砂州の突起位置関係が日本軍戦車位置と合致すると考えるのは自分だけでしょうか・・・
マタニカウ川に掛かる橋は何度も行き来しておりましたが・・・
次の機会には此の砂州に行かねばなりません。
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過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
堺台第一拠点の記録
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冥府の戦友(とも)と語る
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新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。