空閨残夢録 -16ページ目

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言




 ウラジミール・ナバコフはスタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ』(1962年)の脚本を手がけたが、監督により、かなり部分を脚色されてしまったらしい。その後、ナバコフはそれが不満だったのかは、いざ知らないが、1970年に再度、映画用の“ロリータ"を脚本に表した。これは映画にはならずにミュージカル上映されて、『ロリータ・マイ・ラブ』の題名で上演された経緯がある。

 エイドリアン・ライン監督が『ロリータ』を1997年にリメイクしているのだが、キューブリック監督と同じくクライマックスの殺人事件の事件現場から車で移動するハンバード教授の姿から物語の冒頭にしている。その形式はキューブリックと同じ方法であるが、映画全体はナバコフの小説に忠実に物語はほぼ展開している。






 ナバコフの小説では主人公エドガー・H・ハンバートが、初めてロリータと出逢った時の少女の年齢は12歳と7ヶ月であった。ハンバードは言わずと知れたニンフェット・マニアであり、彼にとってニンフェットとは9歳から14歳ぐらいまでの少女を性的な対象としていた。

 キューブリックの映画ではロリータ役をスー・リオンという当時15歳の少女が演じている。ライン版はドミニク・スウェインがロリータを演じていて、彼女も撮影当時は15歳であった。

 キューブリック版では、原作とスー・リオンの年齢に誤差があり曖昧にされているが、ライン版のロリータは14歳の設定で映画化されている。ライン版は勿論カラー作品なのであるが、ナバコフの小説が1948年~52年頃の時代的設定であると思わしいのだが、この時代考証により美術、衣装、風俗、舞台設定が行われ撮影されている。キューブリック版は映画制作年代時の1962年頃の設定で撮影されている。






 ライン版はキューブリック版のエロティックな関係性が希薄だったのを埋めるように、ロリータのニンフェット(小悪魔)ぶりや、ファムファタルの存在感を十分に描き、性的描写にも余念がなかった。そして表面的にはモラリストとして演じて生きているハンバートの内面的な葛藤や孤独を、エンニオ・モリコーネの音楽が、儚く、虚しく、孤独の欠落を埋めるように奏でるのが切なく印象的である。

 それとは対照的に、少女のロリータはダンスに夢中で、落ち着きが無く、いつも脚をバタバタさせていて、ハリウッドの映画俳優に憧れ、当時の流行曲(エラ・フィッツジェラルドのテイント・ホワット・ユー・トゥ・ドゥーなど)がお気に入り。ポップで奔放な通俗的な女の子なのであるが、モリコーネの深淵な音楽性がハンバートのテーマ曲になっているのと、ロリータのテーマ曲は当時の流行歌で対照的に演出されているのが音響として強く印象に残る。

 この二つの対極的な音楽性という視点からだけでも、ボクはライン版の『ロリータ』を評価したいと思う。この映画のモリコーネの作品はあまり知られていないが、モリコーネの映画音楽の作品の中でも真骨頂ともいえる。それはエドガー・H・ハンバート教授の苦悩と悲劇を如実に表現していることの評価なのだが、ドロレス・ヘイズ(ロリータ)のテーマ曲ともいえる当時の流行歌による音楽監修が、小説でしか表現できない部分や、映像化の齟齬を音楽で埋めていると感じたからである。






 



 ライン版の映画『ロリータ』は終幕に、ロリータをハンバートから奪ったクィルティを拳銃で殺し(キューブリック版も同じ)、放牧地の丘で警察に追い詰められて自動車から降り、丘の上から街を望むシーンがある。眼下の街からは子供たちの遠い声が聞こえてくる。




 「高い崖からその音楽的な振動に耳を傾け、控えめなつぶやき声を背景にして個々の叫び声が燦めくのに耳を傾けていると、私にはようやくわかった、絶望的なまでに痛ましいのは、私のそばにロリータがいないことではなく、彼女の声がその和音に加わっていないことなのだと。」





 この映画場面の最後のシーンにある朗読は小説のものであり、モリコーネのオリジナル曲は背景で美しい旋律を伴う。さて、このライン版の“ロリータ"はかなりポップな女の子である。ラジオから流れる流行歌、カー・ラジオの音楽、モーテルのBGM、ソーダ・ファウンテンのジュークボックス、ロリータのお好みの曲は1950年前後のヒット曲で、このリズムとサウンドをサウンド・トラック版でモリコーネの音楽とからませて監督がうまく編んでいるのが心憎い。




 



 さて、この映画はロードムービーの側面もある。ハンバートとロリータは、立ち寄る町などのレストランで外食する場面が多い。また自動車の中で、ロリータは自宅のキッチンや庭で、お菓子や果物などを子供ぽっく頬張るシーンが度々散見する。







 印象的なのは、ハンバートとの諍いで、雨の降る夜の街角に、ロリータは泣いて家を飛び出す。ハンバートは追いかけて必死にロリータを街角で見つけ出し、ソーダファウンテンに連れ込みクリームソーダをロリータに食べさせると、泣きじゃくっていたロリータはクリームの甘さに、次第に心を落ち着かせていく。泣いている子供や女の子には、やはり甘味が特効薬であるのは古今東西かわらない場面である。




 



 ウィリアム・ゴールディングの小説を原作にした『蝿の王 (原題:Lord of the Flies)』は、英国のハリー・フック監督により1990年に映画化されている。
 
 物語の時代は、第三次世界大戦という近未来のことになっていて、24人の幼年陸軍学校の児童を乗せた飛行機が太平洋上のある島に墜落する。機長は瀕死の重態で、少年たちは全員無事であった。子供たちの年のころはジュール・ベルヌの“十五少年漂流記"とほぼ同じであろう。

 ゴールディング(1911-93)は『蝿の王』を1954年に発表した英国の作家であるのだが、小説の作中にもジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』(1888年)や、ロバート・マイケル・バレンタインの『さんご島の三少年』(1857年)のエピソードが出てくる。

 英国の作家であるバレンタインの冒険小説は、日本では馴染みが今では余りにも薄いが、 ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』の少年版文学と考えてもらってかまわないであろう。英国の作家であるゴールディングにとって、フランス人の作家であるジュール・ベルヌよりは影響が強かったと思われる作家である。






 『蝿の王』の小説の物語は、初めに、少年たちは、大人を真似て、民主主義的に法をつくり行動を起こす少年がリーダーとなり、無人島の生活を秩序よく暮らすのだが、やがて狩猟をするグループと反目していく。二派に分かれた少年たちは、やがて狩猟隊の少年たちの野生に目覚めた原始的な力に脅かされていく。

 この『蝿の王』は1962年にピーター・ブルックの演出によって映画化されているが、残念ながら日本未公開であるのだが、この1990年のハリー・フックという監督による「蝿の王」はよく出来た映画作品だと思う。

 十五少年漂流記でアコーディオンを弾く少年がいたが、このハリー・フックという監督は、このアコーディオンを無残にも、海の波打ち際で壊れている映像にしたのは、とてもセンスのある映画監督と感じた。このセンスは映画の所々に何気なく映像にしているのが、美しくも恐ろしい象徴として描かれている。





 


 さて、漂流した無人島には野性のブタがいる。少年たちはこのノブタを狩って焼いて食べるが、ブタの他に得体の知れない獣が存在すると妄想するようになり、その闇の獣のようなものに対して、殺したブタの首を捧げることにした。その首が闇を支配してくれると思えたからだった。

 題名の“蠅の王"とは、聖書に登場する悪魔であるベルゼブブを指しており、作品中では蠅が群がる豚の生首を“蠅の王"と形容している。







 1719年に『ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険』(The Life and Strange Surprising Adventures of Robinson Crusoe)が刊行された。所謂いわゆる『ロビンソン漂流記』はダニエル・デフォー(1660-1731年)の書いた小説であるが、海洋ロマン、無人島のサバイバル、漂流記冒険譚の元祖である小説。

 ここからジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』、ロバート・バランタインの『珊瑚礁の島』、ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』などの小説が登場したのはいうをまたない。この小説のジャンルを日本で桐野夏生ワールドで展開されたのが『東京島』がある。この小説は映画化もされている。つまり、この映画はサバイバル・エンターテイメント。


 物語は日本の領海と思わしい南方の無人島に漂着した31人の男たちと、たった1人の41歳の女性との間で繰り広げられるサバイバルが物語の基本的なプロットである。

 32人の流れ着いた太平洋の何処かの島で、清子という中年女性と、もろもろの男たちによる食欲と性欲と情動が剥き出しになった世界。その南洋の島を東京島と名付け生活することになる集団を、そこで生にすがりつく人間の極限状況を描く手腕は桐野ワールドではお手の物である題材であろう。


 桐野ワールドはエンターテイメント小説として評価されるであろうが、ゴールディングの小説は漂流記冒険譚としたジャンルの中でも、人間の生の本質を描いた文学として、実存主義から構造主義の哲学的な移行を指針する金字塔の作品である。



 米国俳優のトム・クルーズ主演映画は『カクテル』(1988 film)の中でも出てくる、米国の都市部で1980年代に流行っていたカクテルに「フライアー・タック」がある。作者や由来が不明のカクテルで、日本のカクテル・ブックにはレシピだけしか載っていないし、詳細は不明である。

 それで、そのカクテルのレシピを紹介するが、ベースのフランジェリコ・リキュールに、ライムジュースにグレナデン・シロップを加えて、これをシェークしてカクテルグラスに注ぎ、オレンジのスライスを飾りつけて供する。

 ベースのリキュールはイタリア産のバルベロ社のもので、ヘーゼルナッツの風味が主体の酒、つまり、榛(ハシバミ)の香りとナッツの芳しい甘いリキュールなんですネ。瓶はお坊さんの形をしておりまして、この酒を造ったフランジェリコという修道士の姿をボトルのイメージにして、リキュールの商品名もフランジェリコと名付けられたようです。






 カクテルの「フライアー・タック」というネーミングには、多分、このカクテルを創作したであろう米国人のバーテンダーが、1973年のディズニー映画のアニメである『ロビン・フッド』を観ていたからだと思われるとボクは個人的に推察し想像する。

 このアニメ映画は、ロビンが狐で、相棒のリトル・ジョンは熊、そして仲間の穴熊はフライアー・タックことタック修道士である。この修道士とカクテルのベースであるフランジェリコ・リキュールのイメージを重ねて、自ら創作したカクテルに「フライアー・タック」と名付けたのだと思われる。






  さて、ボクは、このカクテルのオリジナル・レシピに、オレンジジュースを少々加えて作っていた。そのレシピは以下に載せておこう・・・・・・・



 ※フランジェリコ/40ml
 ※ライム・ジュース/15ml
 ※グレナデン・シロップ/5ml
 ※オレンジ・ジュース/10ml

 上記をシェイクしてカクテル・グラス(3オンス)に注ぎ供する。


 



 このカクテルはベースがスピリッツではなくて、アルコールが低めのリキュールであり、約12度ぐらいで、甘味と酸味が柔らかく調和していて、ヘーゼルナッツの香りが上品である。


 さらにオレンジ・ジュースを加えると、その味わいは柔らかく優しい飲み口になり、女の子ウケするナッティーでフルーティーな口当たり。


 フルコースの料理でも対応できて、フレンチのディナーにボクならお口直しのグラニテにしても楽しめようと思われるカクテル。お酒がダメな人はフランジェリコのリキュールを、ノンアルコールのヘーゼルナッツシロップに変えるとヨイだろう。


 それはシロップの有名なメーカーで、フランスの『モナン』社の製品で、「ノアゼット」のシロップがお薦めである。ノアゼットはフランス語で、ハシバミの意味で、英語ではヘーゼルナッツのことである。











 
 長崎俊一監督による2007年の映画『西の魔女が死んだ』は、原作が梨木香歩による日本の小説で、1994年に単行本が、2001年には新潮文庫より文庫本が出版された作品をもとにする。日本児童文学会新人賞、新美南吉児童文学賞、第44回小学館文学賞受賞したベストセラー小説。

 映画のキャストは、主人公の少女・加納まい役に高橋真悠、まいのおばあちゃん役にサチ・パーカー、まいのママ役にりょう、パパは大森南朋、ゲンジさんに木村祐一、原作には登場しない郵便配達のおじさん役は高橋克実、女優のサチ・パーカーはシャーリー・マクレーンの娘で、6歳から12歳まで在日の経験があり日本語が話せて適役。

 この“西の魔女”とは『オズの魔法使い』と何か因果があるような気がするが、しかし、『オズの魔法使い』のようなファンタージーとは無縁の物語であり、小説は優しく柔らかい女性ならではの文体で、博物学的な好奇心を強く沸かせる描写、シンプルな修辞法、明快な語彙、感じやすい年頃である少女のビルドゥングスロマンでもあり、少女と祖母による心温まる交流を描いた中編小説。

 世間ではこの作家を児童文学の作家として、また、この小説を児童文学の範疇に収めているが、そんなカテゴリーを超えた文学的な作風としても大きく評価できる物語であり、大人も充分に小説として楽しめることができる。



 この物語の主人公は、13歳の少女でスクレロフォビーであるのだが、つまり登校拒否になった少女まいが、英国出身のお祖母ちゃんが暮らす西の或る田舎町で、都会から疎開して体験する日々の日常を描いたものである。

 嫌悪し忌避すべき学級生活から逃れたまいは、祖母の田舎で心洗われる生活をしていくのだが、向かいに住み暮らすゲンジさんという小父さんの下品で、粗野で、卑しい男の品性により心乱され混濁し、楽園の災いと感じる。

 英国の祖母の家系は巫女的なオカルティックな家系で、まいの祖母もそんな血を継いでいるが、まいの祖母は、魔女修行という精神修養を孫に与えるお話が、この物語の中心的なテーマ。

 その魔女修行もゲンジさんによる存在が、心の動揺となり、まいのパパによる過去の言葉が心の凝りとなって、この少女は存在の不安や世界への嫌悪感で葛藤するが、やがて、祖母の愛情と導きがまいの魂に響いていく事になる。




 『西の魔女が死んだ』は、新潮文庫で今は読めるけれども、この物語の続編である「渡りの一日」も所収されていて、この短編もかなり技法的に面白い16歳になった少女まいの物語である。この作品の舞台は小説では“T"市となってるが、映画では“喜田"市とされている。

 つまりタイトルの“西の魔女"とは、まいがパパとママと暮らしていた場所が東京だと仮定すれば、おばあちゃんが暮らす場所は東京から西の山梨県と推察できる。それでママはおばあちゃんを西の“魔女"と呼ぶ。

 物語は最後にゲンジさんの事で、まいはおばあちゃんと凝りを残して、パパの転勤先である“喜田"市へまいの家族が行って終わるのだが、喜田市は多分富山市で、富山は山梨の北に位置する県だ。

 喜田市に引っ越してから二年後、西の“魔女"が倒れたという知らせで、二年ぶりにまいはママの運転する車に乗っておばあちゃんの家に向かうが、この時、まいとママは南に向けておばあちゃんの家を目指すから、死んだおばあちゃんは“南の魔女"になっているのがタイトルの暗示とされている由縁。

 つまり、『オズの魔法使い』では、西と東の魔女は悪い魔女だが、北の魔女と南の魔女グリンダは良い魔女で、ドロシーをお家に帰してくれた。

 そして、まいは東の悪い魔女には成らずに、喜田(北)の良い魔女に成長したのだと映画を見て悟った次第。

 東京で登校拒否になったまいは、北の地方都市では学校で友達も出来て幸せに暮らすが、それは、おばあちゃんの魔女修業の成果でもあった。 

 さて、南に向かっておばあちゃんの家に向かう喜田の魔女は、二年前の一月ほどのおばあちゃんとの暮らしを回想する。おばあちゃんの家に着いてサンドイッチをおばあちゃんとママは作るが、まいは材料のレタスとキンレンカ(金蓮花)を畑に採りに行く。キンレンカは南米原産のナスタチウムと呼ばれる一年草で、別名をノウゼンハレン(凌霄葉蓮)ともいうが、まいはこれが嫌いみたいでサンドイッチから外して食べた。




 翌日、まいは裏山でおばあちゃんと野苺を摘んでジャムを作る。死んだおじいちゃんは中学校の理科の教師だったが、それまで野苺があまり実らなかった裏山は、おじいちゃんが亡くなった年の、おばあちゃんの誕生日に野苺はたわわに実った。おばあちゃんはそれをおじいちゃんのプレゼントだとまいに語る。また、おじいちゃんはこの野苺のジャムを胡瓜にのせて食べたが、いただけない味だったともエピソードとして述べる。

 このワイルド・ストロベリーのジャムは、喜田市に行くまいとのお別れになる、おばあちゃんからのプレゼントにもなる。

 映画の最終章は、おばあちゃんは既に亡くなっていた。まいはママとおばあちゃんを二人きりにして、魔女修業をした思い出のキッチンに行く。そこには、まいが二年前に忘れて置いてきた黄色い四つ葉のクローバーのマグカップに、一輪の花が活けてあり、勝手口に繋がるテラスには、まいが、名付けた“ヒメワスレナグサ"が生き生きと繁茂している。

 この野草の本当の名前を勝手口から現れたゲンジさんが教えてくれた。それは胡瓜草という名前だった。テラスにはおじいちゃんの石と写真があり、その横におばあちゃんから北の魔女へのメッセージがあった。(了)








 名作映画である『第三の男』の名匠、キャロル・リード監督の遺作になった1973年公開の『フォロー・ミー』(Follow Me!)は、ピーター・シェイファーの舞台劇である『The Private Ear And Public Eye』を原作にしている。


 物語はロンドンの街を舞台に、ミア・ファロー演じる米国人のベリンダと、その夫である英国人の紳士で会計士のチャールズ、そしてチャールズに依頼されるおかしな探偵との三角関係を綴っている。

 ここに登場するトポルが演じる探偵のクリストホルーが調査の仕事中でも、煎餅のような、クッキーみたいな、お菓子を常に頬張っているのだが、それがマカロンだとわかったのは、つい最近のことである。それまでは、頬張っているのは焼き菓子だとは認識していたが、あまり関心もなかったので見過ごしてきた。







 このマカロンであるが、日本にマコロンなるお菓子があり、これはマカロンを真似た仙台市で発祥したお菓子で、原料のアーモンドをピーナッツで代用された焼き菓子なのである。それはさておき、そもそも、マカロンは13世紀の昔に、海外の航路から運ばれてきた積荷のアーモンドが、ヴェネツィアに到着したことから物語は始まる。

 このお菓子は、ナンシーに住み着いた二人のカルメル会修道尼によって、18世紀のフランスで評判を得る菓子と、やがてなるのだが、カルメル会修道院の尼僧たちはアーモンドの木を栽培して、17世紀初頭以来、サン=サクルモンの修道院のマカロンのレシピを秘蔵としていた。

 アヴィラの聖テレジア(スペインの修道女でカルメル会の改革者)は、この修道女たちのことを斯様に語ったという。「アーモンドはお肉を食べないここの娘たちに好いものなのです」と・・・・・・。

 フランス革命後、1792年に憲法が修道会を廃止したのだが、それまでにマカロンのレシピはフランス各地の修道会に広まっていたようだ。また各地の地域でマカロンのレシピも製法にも独自に発展したようである。

 今ではマカロンの正統な流派を決めれないほどに、各地で 正当性を主張するマカロンが多く存在しているが、その中でも、一般的に有名なマカロンは、サン=テミリオンのマカロン、サン=ジャン=ド=リューズのマカロン、パリのマカロン、ニオールのマカロン、モン=モリヨンのマカロン、ボルドーのマカロンなどがある。

 現在の日本で一般的に流通しているマカロンはパリ風の“マカロン・パリジャン”であるようだが、さて、このお菓子をはじめて食べたボクもパリ風で、パリのサンジェルマン通りにあるジェラール・ミロのマカロンであった。

 英国映画の『フォロー・ミー』で、探偵さんが食べていたロンドンのマカロンの詳細は知らないが、変種のマカロンは国境を越えて数え切れないほどあると思わしい。基本的なレシピは、アーモンド、卵白、砂糖によるフランス風のメレンゲ菓子の総称をマカロンと呼ぶ。









 さて、映画の物語のあらすじだが、英国の上流階級出身で一流の公認会計士として働くチャールズ(マイケル・ジェイストン)は、或る日、食事をしたレストランでウェイトレスのベリンダ(ミア・ファーロー)と出逢い心惹かれる。


 自由気ままな旅行をしていた米国生まれのベリンダとチャールズはやがて恋に落ちる。そして二人は結ばれて結婚する。ここまではシンデレラのストーリーと何ら変わらない。ヒッピーみたいな女の子とプチ・ブルジョワジーとの恋談義である。


 しかし、物語は、二人の愛は、早くも急展開する。自由気ままなベリンダは家事はできず、社交的交友もままならず、チャールズの言うところの「育ちの違い」なのか、二人の間はやがてギクシャクしていく。


 約束の時間を守れず、家を空けてばかりのベリンダにチャールズは浮気を疑いはじめる。そして素行調査をある興信所に依頼した。そこの探偵クリストフォルーがマカロン を食べながら、ベリンダの尾行を始めるのだが、ロンドンの街を彷徨う彼女に探偵は未熟ながら尾行を気づかれてしまう。


 しかし、依頼された仕事を全うするために探偵がとった作戦は意外にも大胆な行動であった。・・・・・・ネタばれになるので、あらすじはここまでにするが、この探偵のとった意外な行動と、ベリンダと探偵の関係性がロンドンの街を舞台に描かれる描写が、この映画の最大の見どころであり醍醐味なのである。それはマカロンよりも美味しい人と人との愛と孤独のふれあいの味わいを醸し出されている。