空閨残夢録 -17ページ目

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言




 世界で最初にルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を映画化したのは、1903年の「アリス・イン・ワンダーランド」である。もちろんサイレント映画なのだが、監督はセシル・ヘプワースとパーシー・ストウ、アリス役はメイ・クラーク。上映時間は15分にも及ばない作品で、アリスが、ウサギの穴に入り、身体が何度も大きくなったり小さくなったり、変身を繰り返す場面を巧みにトリック映像で演出しているのには関心した。

 1915年のW.W.ヤング監督、アリス役にビオラ・サヴォイの「アリス・イン・ワンダーランド」は、映像の技術的トリックこそないが、ジョン・テニエルの挿絵を美術的に応用した演出は見事である。役者が不思議の国のキャラクターである着ぐるみで登場するが、アリスの自分が流した涙で、ネズミと泳ぐ場面(映画では演出上は川に流される)のネズミの着ぐるみが、ネズミにはあまり見えなかった以外は美術的に、とてもよくできていた作品。

 両作品ともルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を忠実に物語として映像化している。この2作を一緒に納めてDVD化された作品が近年発売されたが、2作品で収録時間が約60分の映像である。







 2010年に公開されたティム・バートン版の「アリス・イン・ワンダーランド」は、ルイス・キャロルの世界のアリスというよりは、ティム・バートン的な世界のアリスであり、ディズニー映画の傑作ファンタジーである。

 この映画に登場するアリスは19歳になって再び『不思議の国』と『鏡の国』へ舞い戻る設定であり、原作から12年後の後日談になっている。また少女から大人へのビルドゥングス・ロマン(成長譚)でもある。







 主人公のアリス役のミア・ワツコウスカは、まるでジャンヌ・ダルクを思わせるような凛々しさと、北欧風の美しさを感じさせてくれるのがファンタジックでもある雰囲気が漂う。


 存在感としてはジョニー・デップのマッド・ハッターの演技力が一際印象深い、赤の女王を演じるヘレナ・ボナム=カーターの怪演ぶりもさることながら、白の女王を演じるアン・ハサウェイの美しさにも目を瞠る妖艶ぶり。

 トゥイードルダムとトウィードルディーや、ニヤニヤだけを残して消えるチェシャ猫などのお馴染みのキャラクターも、実写とモーションキャプチャという映像技術で存在感が活き活きとしているのが面白いが、ハンプティ・ダンプティが登場しなかったのがやや不満だった。  

  





 さて、19歳のアリスも“不思議の国”への入口はウサギの穴だったけれど、そのワンダーランドで飲み食いした印象的な食べ物と飲み物は、イート・ミー・ケーキ(Eat Me Cake)と、白の女王が煎じる飲み薬であろう。

 イート・ミー・ケーキは、この映画では、Eat Me (私を食べて)と書かれたアッペルクーヘンだった。リンゴ入りの焼かれた生地に、卵白と砂糖のアイシングの白い菓子に、チョコレートでイート・ミーの言葉が記されていた。







 
 さてさて、ディズニー映画といえば、1951年に製作されたアニメーションの「ふしぎの国のアリス」はミュージカル・スタイルで印象的な作品だったが、こちらのイート・ミー・ケーキは小箱に入ったクッキーのようなお菓子だった。




  




 アッペルクーヘンを食べたアリスは身体が大きく巨大化してしまって、元の体つきに戻すために、秘薬を作り調合して白の女王がアリスにこしらえる。

 そのレシピとは、



① 燃える蜻蛉(snap-dragon-fly)の焼けた脂を少々

② 揺り木馬蝿(rocking-horse-fly)の尿

③ ブレッド&バタフライの指

④ 名無しの森で失われた硬貨を3枚

⑤ 朝飯前の6つの秘法からスプーン2杯

そして、とびきりの隠し味!をふりかけて、うっメェ~ (Be-e-ehh!)。



 最後にふりかけた隠し味がアッパレ印象的で、この体を小さくする縮み薬とは“ピッシュサルヴァー"と呼ばれる秘薬。


 ・・・・・・これをアリスは不味そうに飲むが、良薬口に苦し、“Be-e-ehh !”、・・・・・・アリスは羊になることはなく、めでたくめでたし元通りのサイズのアリスになりましたとさ、とっぺんぱらりのふぅ・・・・・・(La Fin)





 


 J・R・R・トールキンの『指輪物語』が、2001年に「旅の仲間」、2002年に「二つの塔」、2003年に「王の帰還」の三作品として映画化された。つまり、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作である。

 この物語のプロローグは、遠い遠い昔、闇の冥王サウロンが密かに、世界を滅ぼす魔力を秘めた“ひとつの指輪”を作り出した。サウロンは自らの残忍さ、邪悪さ、そして生きるものすべてを支配したいという欲望を、この指輪に注ぎ込んだのだ。

 やがて中つ国(ミドル・アース)の自由な地は、指輪の幽鬼をふるうサウロンの手に落ちていった。激しい戦火の中で強者たちがサウロンの支配に次々と立ち向かい、ひとりの勇者イシルドゥアが、サウロンの指を切り落とし、指輪を手に入れサウロンを倒した。しかしイシルドゥアは指輪を葬ることなく自らのものとし、悪を永久に滅ぼす唯一の機会を失った。そして指輪はイシルドゥアを裏切り、死に追いやる。

 その後、指輪は時と共に所有者を変え、所在を変え、いつしか伝説、そして神話となったが、数百年の時を経てホビット族のビルド・バギンスの手に渡る。





 

 第一部のあらすじは、人間の他にエルフ、ドワーフ、ホビットといったさまざまな種族が存在する架空の世界である中つ国を舞台に、世界を支配する魔力を持つといわれる冥王サウロンの指輪をモルドールの滅びの山の火の中に葬るために、ホビット族のフロド(イライジャ・ウッド)、サム、ピピン、メリ、魔法使いのガンダルフ(イアン・マッケラン)、人間の王イシルドゥアの末裔であるアラゴルンと騎士ボロミア、エルフ族のレゴラス、ドワーフ族のギムリの9人の「旅の仲間たち」が、指輪を狙う敵と戦いながらモルドールを目指す壮大な冒険を描いている。

 さて、指輪を葬る旅の冒険に出たフロド・バギンスと庭師の息子サムは、ブリー村で魔法使いガンダルフと落ち合うためホビット庄を旅立つ途中で、ピピンとメリに出会い、サウロンの放った9人の黒い騎士たちに追われる。





 魔の手を逃れて4人のホビット一行は、ガンダルフの待つブリー村の宿“踊る仔馬亭"に辿り着く。この宿にあるカフェでホビットたちはパンとチーズにエールで夜食をとる。ホビットたちはビールの一種であるエールが好物だとうかがえる場面だ。





 


 ホビットの食事や好物は人間たちと変わりない。パンにチーズ、野菜やソーセージに、キノコが大好物みたいだ。

 第二部でサムが野うさぎのシチューを野外で作る場面があるが、敵の襲撃で食べられなかったのが残念である。また、第二部と第三部でレンバスという葉っぱに包まれた携行食用のパンはホビット特有の非常食である。

 第三部で無事に、フロド、サム、ピピン、メリの4人はホビット庄に帰還するが、村にたどり着いてエールで乾杯し祝盃とした。


 1954年、『指輪物語』第一部「旅の仲間」、第二部「二つの塔」が刊行される。55年に第三部「王の帰還」が出された。作者のトールキンはオックスフォード大学の言語学者であった。『ナルニア国物語』のC・S・ルイスとトールキンは同じファンタジー同好会のクラブであるサークルの仲間であった。


 トールキンはウィリアム・モリスのファンタジーに強く影響を受けて作家を志す。またフィンランドの“カレワラ”神話に刺激を受けて自らも神話体系を構築することになる。


 『ナルニア国物語』では4兄弟姉妹が現実の世界から箪笥を通して異世界へと入り込むが、箪笥はいわば『不思議の国のアリス』のウサギの穴と同じである。しかし、『指輪物語』には現実世界は存在せずに、創られた神話という人類の歴史の前史という別世界を構築したファンタージーである。


 しかし、ホビットの庄ではエールなどの飲み物、パンやチーズ、ハムやソーセージなどの食文化は、英国の近代から現代と変わらない描写となっている。


 


 









 トルコに旅行してきた知人からお土産をいただいたのだが、それは“ロクム”というお菓子である。日本のお菓子に例えるならば、“求肥”とか“ゆべし”みたいな食感の菓子である。フランス菓子のパート・ド・フリュイにも似ているが、英国ではこのお菓子を“ターキッシュ・デライト”と呼ぶ。

 ロクム(トルコ語:lokum)は、砂糖にデンプンとナッツ(クルミ、ピスタチオ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、ココナッツなど)を加えて作られるトルコのお菓子。この菓子が英国に伝わるとフルーツ系の味や薔薇のフレーバーを配合したレシピなどが生まれる。

 この英国に伝わった土耳古菓子こと、ターキッシュ・デライトで思い出すのが、C.G.ルイス原作のファンタジー 映画は 『ナルニア国物語』(2005年公開)第1章の「ライオンと魔女」である。この映画で白い魔女の誘惑により、ベベンシー4兄弟姉妹の次男であるエドマンドが、お菓子のためにナルニアの王者アスランを裏切る場面がある。

 原作の翻訳では、このターキッシュ・デライトをプリンと訳している。まぁ~、日本では知名度の低い土耳古菓子であるロクムを、魔女の誘惑的なお菓子の魅力として、プリンとした経緯は考慮して、本当はターキッシュ・デライトがエドマンドが誘惑に負けて食べたお菓子なのである。

 トルコのお菓子には、お米入りのプリンで、“ストラッチ”なんてものもありまして、「ナルニア国年代記」の翻訳家の瀬田氏がロクムをプリンと訳したのは、知名度としては日本でプリンの方 がお菓子としては有名ですし、 プリンの方がイメージしやすい事情があったのでしょうネ。別にケチをつける気はありません。







 ディズニー映画の「ナルニア国の物語」の白い魔女役の女優は、ティルダ・スウィントンという英国女優なんですが、何んとも知的で美しく、気高く気品にみちて、とっても怖い妖気に満ちております。美しい魔女も好きですが、妖精のような、4兄弟姉妹の末っ子のルーシーがとってもカワイイのも印象的です。ルーシィがナルニアの国へ最初に行くのですが、箪笥の中からナルニアの雪国へ到達するシーンは、なんとも美しい場面である。そしてルーシィはタムナスさんと出逢いましたネ。

 アスラン王の事にも少々ふれておこうかな、アスランとはライオンを意味するトルコ語だと思うのだが、トルコ には“ラク”というお酒があるのだが、この酒はチーズなんかを肴にして飲まれているようで、メロンとも相性がよいのだそうですヨ。ワインやブランデーにメロンは合うので、この葡萄酒を蒸留した酒がラクだから、メロンを食べつつ酒に合わせるのも利に適うかも知れない。

 ラクをボクは飲んだことは無いのだが、ギリシャの“ウゾ”と同じような酒であり、この透明な蒸留酒は、アニスを風味漬けにした葡萄酒を蒸留したのがウゾなんですが、ラクは乾し葡萄を原料にして蒸留していると伝わる。

 ラクのようなアニス風味の強い酒は、トルコからギリシャの地中海エリアでは好まれて飲まれる。フランスはマルセイユ産のスターアニスを原料にした酒は、“パスティス”と呼ばれていて、“アブ サン”を模して製造されたのが由来の酒。

 アラブ地域では“アラック”という酒があり、この語源が“ラク”の由来で、これらのアニス風味の酒で共通するのは、水割りにすると白濁するのですネ。“ラク”も勿論、水を添加すると白く濁るのですが、この状態を“アスラン・スュテュ(獅子の乳)”と呼びます。

 エドマンドが白い魔女にお菓子で誘惑されてしまったが、大人のボクは“獅子の乳”で白い魔女に誘惑を受けたら、多分、アスランを裏切るかもかもしれないが、それはまるでイエスを裏切ったユダのように・・・・・・。







 さて、C・S・ルイスの描いたファンタジーの大作である『ナルニア国物語』は1950年に『ライオンと魔女』が最初に出された。51年に『カスピアン王子の角笛』、52年に『朝びらき丸 東の海へ』、53年に『銀のいす』、54年に『馬と少年』、55年に『魔術師のおい』、56年に『最後のたたかい』と出されて全7巻となる。

 『ライオンと魔女』は、第二次世界大戦の時の英国が舞台で現実世界から物語は始まる。ドイツ軍の空襲からロンドンを疎開して来たピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの4人兄弟姉妹が洋服箪笥からナルニアの幻想世界へ冒険する物語。

 最初にナルニアに訪れた末娘のルーシィは牧神のような半獣神のタムナスというフォーンと出逢う。フォーンはギリシア神話に登場する腰から上は人間で、両脚は山羊のような姿であった。このフォーンはイブの娘(人間の娘)を見つけたら捕まえるように白い魔女に命令されていたが、タムナムさんは白い魔女を裏切りナルニアから現実世界にルーシィを帰すことにした。

 白い魔女とは、ルイスの愛読したG・マクドナルドの『リリス』からの着想であろうと思われる魔性の女で、リリスはアダムの最初の妻であり、古代バビロニアに起源をもつ夜の魔物である。アスランは先にも述べたがトルコ語でライオンである。この獅子はイエス基督を思わせる存在であり、古代オリエントからギリシア神話などケルト的なキリスト教の世界観を織り交ぜたファンタジックな世界をルイスは壮大に作り上げている。

 この物語にサンタクロースが登場して、ピーターに剣、スーザンには弓と角笛、ルーシィには短剣と魔法の薬をプレゼントしてくれた。子供には白い魔女がエドマドンドにプレゼントしてくれたお菓子のターキッシュ・デライトの方が嬉しいであろうが、飴よりは鞭の方が子供を魂の世界では成長させてくれるみたいだ。現実ではサンタクロースにはお菓子をプレゼントしてもらいたいよネ。








 マーク・トウェインの『ハックル・ベリーフィンの冒険』を、先日、あらためて読んでみた。その前にディズニー映画の『トムソーヤの大冒険』も観たのだが、そこで思ったのが、子供の頃も、今もってバーネットは読んでいないし、これからも読むことはないだろうということで、映画なら気軽に観られると思うや、そこで『小公女』と『秘密の花園』の映画化された作品を鑑賞することにした。





 


 さて、そこでまず、『小公女』であるが、数多く映画化された作品の中でも、1995年に製作された『リトル・プリンセス』(A Little Princess)を観て見た。これは監督がアルフォンソ・クアロン、出演に主演の主人公セーラ役のとびきり可愛いリーセル・マシューズ、悪役のミンチン院長先生にはエレナー・ブロンの配役によるワーナーブラザース映画である。

 この映画では原作と物語の設定が少々違うようで、まずは原作のお話からしていこう・・・・・・

 
 舞台は、ビクトリア朝の英国であり、19世紀のイギリスである。少女セーラ・クルーは、英領であったインドで、資産家の父、ラルフ・クルーと共に暮らしていたが、7歳の頃、父の故郷であるロンドンにあるミンチン女子学院に入学する。父の要望もあり、特別寄宿生として寄宿舎で生活をはじめる。聡明で心優しいセーラは、すぐに友人にも恵まれて前途洋々であった。

 しかし、11歳の誕生日に父親の訃報と事業破綻の知らせが届き、これにより生活は一転する。セーラは屋根裏部屋をあてがわれ、使用人として働く事になったのである。突如訪れた不幸と、不慣れな貧しい暮らしの中でも公女様(プリンセス)のつもりで、優しさを失わずに日々を過ごすセーラであった。

 或る日、窓から迷い込んで来た猿を、お隣の豪邸に届けに行った事から、この富豪こそが父の親友であり、父の事業の成功を告げ、遺産を渡そうと、セーラを捜し求めていたことが判明する。セーラは隣の家に引き取られ、貧しかった時に苦労を共にした寄宿舎の使用人ベッキーも一緒に引き取られて、その後、幸せに暮らした。

 この原作と違い映画では、母を早くに亡くしたセーラが、軍人の父と二人でインドで暮らしていたところから物語は始まる。それは1917年のことで、父は英国の軍人で大尉であったが、戦場に行くことになったセーラのパパは、米国のニューヨークにある女学校の寄宿舎に、娘のセーラを入れることにして物語りは始まる。





 


 セーラの入学した寄宿学校はミンチン女学院で、院長のミンチン先生はなんとも魔女の如く怖い。厳粛で堅苦しい寄宿学校でセーラは、やがて生徒たちの人気者となる。それはセーラがインドで聴き覚えた昔話を、寄宿舎の女の子たちに語ることで、セーラの異国の物語に魅了されたからだ。

 寄宿舎には小間使いの黒人の女の子ベッキーが働いていたが、彼女は屋根裏部屋で暮らしていて、ベッキーは生徒たちとの交流を禁じられているのだが、セーラはベッキーに黄色い靴をプレゼントして友達となる。ベッキーもセーラに心を許して、セーラが暮らしたインドの昔話を聴くのを楽しみにするようになる。







  しかし、父の戦場での訃報が届くと、それまでのお姫様暮らしは、一転して、寄宿舎でベッキーと同じ小間使いに転落する運命が待っていたのだ。それまで厳しいだけのミンチン院長は鬼の如く変貌して小間使いの使用人として扱うようになるのでした。・・・・・・あァ~可哀想なセーラちゃん!(思わずボク涙しました)。

 そして、この映画は後半からファンタジックに演出されていく。それはそれでかまわないのだが、苦境に転落する現実と反比例して美しく物語りは展開するのだが、最初は空想や物語をお友達やベッキーに聴かせていたセーラも暗転する人生に悲しみを覚えて、それに涙し、そして、インドの物語をお友達に語らなくなったのだが、やがて、苦境の現実を受け入れて屋根裏部屋の生活を強く生きるようになると、インドのお話を求めるベッキーの要望に応えて物語る場面が、とてもとっても美しい。





 


 さてさて、ミンチン女学院の寄宿舎で供された食卓の風景には現実にはカレーの料理が登場しないのだが、ベッキーに語るセーラの物語にインドのカレーやサフランなどのスパイスの芳香がする。その、場面を以下に・・・・・・





 それは雪の降る寒い夜であった。・・・・・・(ベッキー)「インドはどんなところなの?セ-ラ・・・」、(セーラ)「空気が焼けるように熱くて独特な味がするのよ」、(ベッキー)「ココナッツみたいな味なの?」、(セーラ)「違うは、スパイスの味よ、カレーやサフランみたいな」、(ベッキー)「他には・・・」、(セーラ)「木蔭でトラが昼寝をし、湖では象が水浴びし、妖精たちを乗せた暖かい風が、草原を吹き抜け、頭上から降り注ぐ歌声が山々にこだまするの、空はいろいろな色が混ざり、孔雀の羽のよう」







 


 このセーラとベッキーの会話のあとに広がる幻想的な場面と映像の美しさは、ボクが観たあらゆるメルヘンやファンタジー映画でも体感できないほど美しい映像で感動してしまった。ラストは、原作よりも、更におまけつきの、ハッピーエンドの結末なのだが、そこはネタバレになるので語らないようにしましょうネ。 

 アメリカの小説家フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット(Frances Eliza Hodgson Burnett 1849-1924)が著した『小公女』(A Little Princess)は、1888年に「セーラ・クルー、またはミンチン学院で何が起きたか」というタイトルで当初は出版される。その後、大幅に加筆されて1905年に『小公女』(A Little Princess)のタイトルで発行された。

 セーラが映画のセリフで何度も口にしておりましたが「女の子はみんなお姫様なのヨ」と、・・・・・・ボクもそう思いますネ。(了)





 1876年に米国でマーク・トウェインの『トム・ソーヤの冒険』が出版される。このアメリカの児童文学は世界的に高い評価を得て今日にいたるのだが、1917年に最初に映画化されると、その後も多くの映像作品が登場する。ボクが近年みたのはディズニー映画で、1995年の『トム・ソーヤの大冒険』(原題:Tom & Huck)である。 
                                                                                                                                          
 この映画は、トム役を当時の子役で全米人気ナンバー1だったジョナサン・テイラー・トーマスが演じている。ハックにはブラッド・レンスローという人気少年スターとの共演であった。ブラッドは1994年、ジョン・グリシャム原作の『依頼人』の主人公を演じて注目を浴びて『マイ・フレンド・フォーエバー』や、ブラッド・ピットの少年時代を演じた『スリーパーズ』などにも 出演して、将来を嘱望されていたのだが、惜しまれながら25歳の若さで急逝した。

 ボクが知らないだけかも知れないが、『トム・ソーヤの冒険』は何度も映画化されたり映像化されているのだが、続編である『ハックルベリー・フィンの冒険』が映像化された作品は目にしないし記憶にない。

 『ハックルベリー・フィンの冒険』がアメリカで出版されたのは1885年である。この作品をアメリカ文学の古典であることを否定する人は少なかろう。この作品についてヘミング・ウェイが以下のように述べている。

 

 「今のわれわれのアメリカ文学は、みんな、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』という小説から始まっている。われらの最上の文学的作品だ。その前にもこんな作はなかったしその後もまだな い。ただしこれを読むときは、黒人ジムが売られるところ(31章)までに止めることだ。そのあとは終りまでごまかしだからね。」









 『トム・ソーヤの冒険』は児童文学として子供が読むには楽しめても、『ハックルベリー・フィンの冒険』は大人が読むに値する文学的なテーマが強く内包している。それは学者や識者がこの文学を真面目に研究しているのだから、ただの児童文学とはいえないものがあるようだ。

 ところで、ヘミング・ウェイが31章までしか読むな・・・・・・と、言っている訳は、31章からの後に、トム・ソーヤが登場して物語のイニシアチブをとることと関係するかも知れない。

 それは、トムの冒険は『アラビアン・ナイト』だの『ドンキ・ホーテ』だの『モンテ・ク リスト伯』だの、そのほか無数のロマンに満ち溢れた世界に通じるフィクションであるが、ハックの冒険は、当時のミシシッピー川沿岸の町や村で、実際に起こった出来事のようなリアリズムを体験する物語だからであろう。

 たとえば、逃亡した黒人奴隷のジムとハックの旅には、この物語の1885年という時間軸は大きな問題を現実的に抱えていた。この現実的な状況に終止符を打つべく『ハックルベリー・フィンの冒険』の終盤にトムが登場して解決する物語に、ヘミング・ウェイをはじめに研究者や評論家の一部は不満とするのであろうと思われるのだ。

 このへんはもう少し詳細に述べたいが、本日の話題は映画の『トム・ソーヤの冒険』であるから、横道にはあまりそれないようにしよう。さて、『トム・ ソーヤの冒険』の映画のあらすじを述べておこう。






 トム・ソーヤーはおよそ10歳のいたずら盛りの腕白少年である。優等生の弟シドと共に、亡くなった母の姉である伯母ポリーに引き取られ暮らしている。トムは勉強嫌いだが、いたずらに情熱を傾け、家の手伝いをサボることに知恵を働かせ、伯母に叱られる毎日を送っている。町外れでホームレス同然に暮らしている少年“宿無しハック”ことハックルベリー・フィンはトムの親友で、この友達には伯母はよい顔をしないが、いつも一緒に遊んだり、いたずらしたりしている。

 また、地方判事の娘で同級生のベッキーの関心を惹こうと躍起になったり、いけすかない気障な少年と取っ組みあいになったり、家出してミシシッピー川をいかだで下り海 賊ごっこをやったりと、トムは大人の決めた枠から外れた無鉄砲ながら楽しい日々を過ごす。

 ある日トムはハックと共に、真夜中の墓地で殺人事件を目撃してしまう。この事件の犯人であるインディアン・ジョーは、前後不覚に酔っ払っていた男のマフ・ポッターに罪を着せるが、裁判の場でトムに真実を告げられ逃走する。

 夏休みの或る日、探検した洞窟の中でトムとベッキーは迷子になり、暗闇と飢えと戦いながら決死の脱出を図る。途中で財宝を探していた逃亡者インディアン・ジョーと遭遇してしまう。トムと救援に来たハックとインディアン・ジョーとの洞窟での対決が映画の終盤ではじまり展開する。 

 さて、テレビドラマでもお馴染みのローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小 さな家』で、ローラがミネソタ州のウォールナットグローブに移住したのが、1877年のことであるが、この前年にマーク・トウェインは、『トム・ソーヤの冒険』を発表している。

 トム・ソーヤの相棒の孤児ハックルベリー・フィンであるが、ローラのインガルス家の料理にハックルベリーパイが登場するのだが、そもそもハックルベリーとは、ブルーベリーの総称として当時は呼んでいた蔓苔桃の事である。このツルコケモモはいわゆるクランベリーの事で、ハックルベリーとクランベリーは子供たちには、お母さんの思い出の味であり、アメリカ大陸のおふくろの味でもある。

 またインガルス家でお馴染みのコーンブレッドは、トムとハックが海賊になるために家出して、焚き火で食べたパンであり、ハックはミシシッピ河で鯰を釣って食べていた。開拓時代も現代でも米国南部では鯰料理はポピュラーでハンバーガーの具材にされている。

 現代でも鯰は米国南部で普通に食べられている食材で、これはチャネル・キャット・フィッシュと呼ばれる。日本でも米国産の鯰は霞ヶ浦で養殖されている。このキャット・フィッシュは養殖ものであれば活魚で刺身でも食べることができる淡白な味わいで美味しい。

 鯰は日本では3種類いて、マナマズ、オオナマズ、イワトコナマズが存在する。オオナマズとイワトコナマズは琵琶湖にしか生息していないので、琵琶湖では3種類の鯰が全て生息していることとなる。この中で美味とされるのはイワトコナマズらしいのだが、この鯰は水深の深い岩場にいて数も少なく幻のナマズらしいのだ。

 日本の天然鯰は天麩羅にするのが美味だと思われるが、歌舞伎の演目でスッポン煮が最高であるというセリフもある。米国南部ではフライにして調理することが多いようだが、ハックは野宿でシンプルに焼いて食べていたと思われる。

 ハックはリアリストであるが、トムはロマンティストでハックのように釣りをして調理をする技術は欠けており、トムは子供の遊びや探検には長けているが、ハックは子供でありながら現実原則を生きていける実存的な能力を有している。