映画と食卓(銀幕のご馳走)その8『トム・ソーヤの冒険(鯰)』 | 空閨残夢録

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言




 1876年に米国でマーク・トウェインの『トム・ソーヤの冒険』が出版される。このアメリカの児童文学は世界的に高い評価を得て今日にいたるのだが、1917年に最初に映画化されると、その後も多くの映像作品が登場する。ボクが近年みたのはディズニー映画で、1995年の『トム・ソーヤの大冒険』(原題:Tom & Huck)である。 
                                                                                                                                          
 この映画は、トム役を当時の子役で全米人気ナンバー1だったジョナサン・テイラー・トーマスが演じている。ハックにはブラッド・レンスローという人気少年スターとの共演であった。ブラッドは1994年、ジョン・グリシャム原作の『依頼人』の主人公を演じて注目を浴びて『マイ・フレンド・フォーエバー』や、ブラッド・ピットの少年時代を演じた『スリーパーズ』などにも 出演して、将来を嘱望されていたのだが、惜しまれながら25歳の若さで急逝した。

 ボクが知らないだけかも知れないが、『トム・ソーヤの冒険』は何度も映画化されたり映像化されているのだが、続編である『ハックルベリー・フィンの冒険』が映像化された作品は目にしないし記憶にない。

 『ハックルベリー・フィンの冒険』がアメリカで出版されたのは1885年である。この作品をアメリカ文学の古典であることを否定する人は少なかろう。この作品についてヘミング・ウェイが以下のように述べている。

 

 「今のわれわれのアメリカ文学は、みんな、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』という小説から始まっている。われらの最上の文学的作品だ。その前にもこんな作はなかったしその後もまだな い。ただしこれを読むときは、黒人ジムが売られるところ(31章)までに止めることだ。そのあとは終りまでごまかしだからね。」









 『トム・ソーヤの冒険』は児童文学として子供が読むには楽しめても、『ハックルベリー・フィンの冒険』は大人が読むに値する文学的なテーマが強く内包している。それは学者や識者がこの文学を真面目に研究しているのだから、ただの児童文学とはいえないものがあるようだ。

 ところで、ヘミング・ウェイが31章までしか読むな・・・・・・と、言っている訳は、31章からの後に、トム・ソーヤが登場して物語のイニシアチブをとることと関係するかも知れない。

 それは、トムの冒険は『アラビアン・ナイト』だの『ドンキ・ホーテ』だの『モンテ・ク リスト伯』だの、そのほか無数のロマンに満ち溢れた世界に通じるフィクションであるが、ハックの冒険は、当時のミシシッピー川沿岸の町や村で、実際に起こった出来事のようなリアリズムを体験する物語だからであろう。

 たとえば、逃亡した黒人奴隷のジムとハックの旅には、この物語の1885年という時間軸は大きな問題を現実的に抱えていた。この現実的な状況に終止符を打つべく『ハックルベリー・フィンの冒険』の終盤にトムが登場して解決する物語に、ヘミング・ウェイをはじめに研究者や評論家の一部は不満とするのであろうと思われるのだ。

 このへんはもう少し詳細に述べたいが、本日の話題は映画の『トム・ソーヤの冒険』であるから、横道にはあまりそれないようにしよう。さて、『トム・ ソーヤの冒険』の映画のあらすじを述べておこう。






 トム・ソーヤーはおよそ10歳のいたずら盛りの腕白少年である。優等生の弟シドと共に、亡くなった母の姉である伯母ポリーに引き取られ暮らしている。トムは勉強嫌いだが、いたずらに情熱を傾け、家の手伝いをサボることに知恵を働かせ、伯母に叱られる毎日を送っている。町外れでホームレス同然に暮らしている少年“宿無しハック”ことハックルベリー・フィンはトムの親友で、この友達には伯母はよい顔をしないが、いつも一緒に遊んだり、いたずらしたりしている。

 また、地方判事の娘で同級生のベッキーの関心を惹こうと躍起になったり、いけすかない気障な少年と取っ組みあいになったり、家出してミシシッピー川をいかだで下り海 賊ごっこをやったりと、トムは大人の決めた枠から外れた無鉄砲ながら楽しい日々を過ごす。

 ある日トムはハックと共に、真夜中の墓地で殺人事件を目撃してしまう。この事件の犯人であるインディアン・ジョーは、前後不覚に酔っ払っていた男のマフ・ポッターに罪を着せるが、裁判の場でトムに真実を告げられ逃走する。

 夏休みの或る日、探検した洞窟の中でトムとベッキーは迷子になり、暗闇と飢えと戦いながら決死の脱出を図る。途中で財宝を探していた逃亡者インディアン・ジョーと遭遇してしまう。トムと救援に来たハックとインディアン・ジョーとの洞窟での対決が映画の終盤ではじまり展開する。 

 さて、テレビドラマでもお馴染みのローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小 さな家』で、ローラがミネソタ州のウォールナットグローブに移住したのが、1877年のことであるが、この前年にマーク・トウェインは、『トム・ソーヤの冒険』を発表している。

 トム・ソーヤの相棒の孤児ハックルベリー・フィンであるが、ローラのインガルス家の料理にハックルベリーパイが登場するのだが、そもそもハックルベリーとは、ブルーベリーの総称として当時は呼んでいた蔓苔桃の事である。このツルコケモモはいわゆるクランベリーの事で、ハックルベリーとクランベリーは子供たちには、お母さんの思い出の味であり、アメリカ大陸のおふくろの味でもある。

 またインガルス家でお馴染みのコーンブレッドは、トムとハックが海賊になるために家出して、焚き火で食べたパンであり、ハックはミシシッピ河で鯰を釣って食べていた。開拓時代も現代でも米国南部では鯰料理はポピュラーでハンバーガーの具材にされている。

 現代でも鯰は米国南部で普通に食べられている食材で、これはチャネル・キャット・フィッシュと呼ばれる。日本でも米国産の鯰は霞ヶ浦で養殖されている。このキャット・フィッシュは養殖ものであれば活魚で刺身でも食べることができる淡白な味わいで美味しい。

 鯰は日本では3種類いて、マナマズ、オオナマズ、イワトコナマズが存在する。オオナマズとイワトコナマズは琵琶湖にしか生息していないので、琵琶湖では3種類の鯰が全て生息していることとなる。この中で美味とされるのはイワトコナマズらしいのだが、この鯰は水深の深い岩場にいて数も少なく幻のナマズらしいのだ。

 日本の天然鯰は天麩羅にするのが美味だと思われるが、歌舞伎の演目でスッポン煮が最高であるというセリフもある。米国南部ではフライにして調理することが多いようだが、ハックは野宿でシンプルに焼いて食べていたと思われる。

 ハックはリアリストであるが、トムはロマンティストでハックのように釣りをして調理をする技術は欠けており、トムは子供の遊びや探検には長けているが、ハックは子供でありながら現実原則を生きていける実存的な能力を有している。