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ぷぷぷ日記

映画・マンガ・アニメ・小説・歴史・日々の雑記帳。

更新は思いついたとき。

実家の建て替えは2戸イチではなく、小さい家を2軒建てる方向で進行中。両親が各方面に住所変更を知らせる面倒がイヤというのもあって、他人さまでなく、私たち親子と弟一家が一軒ずつ借りる形になりそうだ。

家賃がかなり浮きそう。ありがたい話である。
とはいえ なんというか けっこう気持ちは暗いのであります

2戸イチではなく一応2軒になったので自由にプランを作れるといことになった・・・
これがしんどい。お仕着せプランに決まっているほうが割り切れるのに、と思ってしまう。
自由にできる×法規と予算の厳しい制約×一応建て主である両親が納得いくもの(つまり奇抜すぎず、いざとなれば他人様にも貸せるもの?)

てな条件のなかで、なんとか自分好みにできないかと、ちまちまプランの細かいところをいじりつづけて 膨大な時間を消費してしまっていますげっそり
いちおう私は延べ10年ほど建築設計の仕事をしてまして
2級建築士も持ってます。(現場を離れて長いので、自力で実施設計をするのは無理ですが。)

であるから今回実家の建て替えにあたっては 附帯工事を含めて全体をまとめるという役にあたっているのです。 しかし弟が予算度外視で出してくるとんでもない要望をほどほどに抑えるのはなかなか難しく、両親の未練がましいところとか 長いつきあいある近所との兼ね合いなんかを考えると スパスパと色々なことを決められません。
他人様のうちなら、方位・敷地・法規・基本の要望をおさえて「これがベストですよ!」と方針を決め、プランを作れるものですが、自分が住むとなるとできないものですね。


本当は、私もずっと賃貸マンションか団地に住んでいるほうが気楽なんです。日中、家にいない人間が一戸建てに住むというのは、正直めんどう。弟夫婦と同一敷地というのも、彼らと協力とか相談とか、ほとんどできない(なんか、話が通じないので)と考えてますのでそれもマイナス要因ですね。

でも、きっと子どもは喜ぶ! と思うし、誰かが遊びに来て座るところもない・・・てな状態からは脱出できるウッシッシ    がんばろ。
両親が駅近のマンションへ移ることに決まった。

実家は古い部分が築40数年。増築部分が30数年。水廻り以外手をいれてこなかったので、さすがに雨漏り、すきま風などがひどく、父がたまりかねて引越しを宣言した。

私たち居候が出て行き他に部屋もあいているのに、なぜか父はずっと一番寒くて暗い、雨漏り部屋に寝起きしているのであった。
改装・耐震補強して住み続けるという選択肢もあるのだが、父は駅から自宅までの急坂にもかなりうんざりしていたらしい。

しばらく今の家とマンションの両方を使うなどと言っていたが、母に2軒の家を管理するなど到底無理なことだ。ついに母もマンションへ移ることを決意したらしい。 
  ほんとうに? 戸建てで好き勝手に暮らしてきたこの人たち、マンションなんかに住めるのか?・・・・とまだ私は半信半疑である・・

しかし古い家をどうするか、どんどん話は進んでいく。売却するとか二戸イチを建てて賃貸するとかいろんなことを言っている。

いずれにしても問題は、40数年分の荷物をどうするか? だ。
お金のことを別にすれば、これがいちばん大きな問題だろうと思う。
昔から置いてあるさまざまな不用なものたち・・・捨てまくるしかない。これでやっと実家がごみ屋敷になる心配がなくなる。
しかしすっきりきれいになったとき、両親ががっくりボケないか?

そこがとても不安だ。高齢者がリフォームや引越しをきっかけにボケたりウツ病になったりというのは、よくある話で、思い出の品が身近からなくなったり、家の様子が変わってしまうことで心のバランスが失われるらしい。特に母は近所づきあいがなくなってしまうのが自分でも心配らしい。

引越すなら60代のうちがいいというが、ちょっと遅すぎないかかたつむり
前の記事を書いたあと、あやしいトラバがつくようになってしまった
内容は 意味不明、エロ、ネガティブ、擬音などなど
削除するのもめんどうなくらいしょっちゅう・・・・・

つまり前の記事が変な検索キーワードにひっかかりまくりということなのか。

ひとりこもって、ウェブ上で発散する場所を求める暗いひとたち。
エヴァのファンってそういう人たちがかなり多いということが、このことでわかる?
まあ、 わかるような気もするが。 あの結末に共感するということは。そういう人たちなのでしょう。

暗いの自体がいけないとは、ちっとも思いません。それは単にひとの傾向ですから。

しかし、発散する場所がウェブ内でのスパムばっかりって、不健康ですね。
やめましょう。




そういえば こんなことがありました 3年前の話です。 タイからラオスへタイのワークパーミットを取りに行ったときのこと。
インターネットを自由に使えず、私はろくに下調べをせず、準備もできないうちに唐突にバンコクを出発させられました。雇い主は今晩夜行バスで発って、午前中にビザをとって、また夜行バスでとんぼ返りしろという。そんなにうまくことが運ぶのか? しかも幼児をつれて・・・不安ながらラオス・ビエンチャンへ。

ボーダーでは国境越えの手続きのための写真が足りず、現金も足りず、あせりました。なんとかラオス市中へたどりつき、ビザ申請の事務所についた。すると、雇い主が用意してくれた書類はコピーが足りず、またもや写真も足りないとわかる。コピー屋を探して、来た道をえんえんと歩いて戻る・・・私も息子も疲れきって、泣きがはいってきました

コピーしているとき、申請をすませてきた英国人のおやじが話しかけてきました。こんなところでどうしたのかと。事情を話すと大声で 、がなりたてます。
「何を言ってるんだ! 今日中になんてワークパーミットは出ないよ! あしたになる! コピーが足りなかったの? なんてこった!!! どうしてインターネットで調べて来なかったんだ!!!! ネットで調べて、きちんと準備してくるべきだったんだ!!!」

ソンナニあざけるような態度で、頭ごなしにドナラなくても・・・ とっさに返す言葉がなかったのが今でも悔やまれます 。疲れすぎてて機敏に反応できませんでした。(ちなみにこの英国人、初対面らしき白人に「タイはオンナがいいよ~、ホント」などと大声で盛り上がってたイヤなやつです。まわりにタイ人やラオス人がたくさんいるのに、おかまいなし。恥を知れ!今でも何か言い返してやれたらなーと悔やまれます)

しかしまあ、やっぱネットで下調べは必要ですかね。
気ままな旅に出たいもんだ・・・と思う
予約もせずぷらぷらと  旅程はおおざっぱに、日程は長めに。 予定をパスしてもよし 追加してもよし  気が向いたところでボーッとししてもよし  というような。 昔、私の旅行といえば、予定の場所にいる時間よりも 道に迷ったりしてプラプラしている時間がほとんどだったような気がします 。しかしこのところ、旅はこの真逆です

今の仕事では、旅行に出られるのはGWお盆正月、祝日のみ。 休み自体は少なくないけど、旅行は必ず混むときしか出られません。 料金ピーク期の1泊2日や2泊3日・・・ となれば、いきおい旅程はつめこみになる。

この場合ツアーにおまかせが一番楽で安上がりだけど、自分の行きたいところを詰め込むならば、自分ですべて予定を組まなくてはなりません。 今年のゴールデンウィーク、久しぶりに自分で計画して旅行に出ました。近頃は情報集め、問い合わせ、予約、ほとんどインターネットと電話で済んでしまうから便利ですね。

しかし、ネットで調べ始めるときりがない。宿の比較もあちこちのサイトでできるし、とんでもないローカルなバスの時刻表まで見られるのですから、調べ始めるといつまでも終わらない・・・やたらと時間をかけて悩んで、なかなかルートも宿も決まらず。また、意外にネットだけ見ていると見落とすこともあるので、やっぱりガイドブックも見てみたり。ピーク期の宿泊予約は3ヶ月前あたりから埋まり始めるので、けっこうあせりました。

いや~~~ほっとした顔 旅行の手配は大変だった 。この計画を立てるのに、ほんっとに疲れました
3月は引越準備で最高に忙しかったというのに、この旅行の手配で疲れ倍増。 思えば今年の体調不良は、このときから始まったのだな~ 。予定を綿密にたてるなんて・・・ガラじゃないんです。大嫌いです しかも2ヶ月も先のことなんて。

7月に家族旅行で芦ノ湖へ行きましたが、このときは姉が帰日前にアメリカですべて予定をたて、メールで旅程表を送ってくれました。私は遅れて出発する組だったのですが、私が近所から乗る路線バスの時間まで細かく指示されてましたたらーっ(汗) 旅行中も旅程表を持って、姉はまるで添乗員さんのよう。

海外でも国内でも事情は同じなんですね。細かいところまでネットで調べることができる。 予定を消化するだけの旅というのも味気ない気がするので、あまりやりたくないんですけど・・・
きのうの剣道の練習は いまひとつだった
足の使い方を注意され四苦八苦していると竹刀が上がらなくなり、また怒られる。そこに気をとられると今度は体腕足の動きがバラバラになり・・・ 「何回注意したらできるんや~!!!」 てな具合で怒られっぱなしでありました。

生まれてこの方まったくスポーツと縁遠い暮らしをしてきたので、頭で理解できても体が動きません。とくにこの10年くらいはまったく動かずうまい! ・・・・。より年配の方のよりずっとトロい私です。しかし、最近はあまり怒られるとすぐイヤになってやめる人が多いせいか、あとで先生からちゃーんとフォローが入ります。 「だんだん厳しくするから、怒られてもしょげないように!」

はい。ありがとうございました 。  とりあえず今年はボロボロに体調が悪かったですが、体を動かすと代謝がよくなって、ちょっとマシになってきたような。がんばろ。
一緒に練習している息子いわく、「疲れたとは言いたくない。やる気なくなるから」ですと。
かっこいいじゃありませんか。ちょっと惚れます

ヤモリがサンダルの下で死んでいる。 輪ゴムのように円く、ぺちゃんこになっていた。
ひらいた指の小さい形がかなしい。踏んだ覚えはないのに、なぜだ。

2、3日前に小指ほどの長さのヤモリが歩いているのを見た。 敷居のところをそろそろと行くので、襖につぶされないかと心配していたのに。こんなところで死ぬるとは。

ヤモリは追い出したりしない。虫を食べてくれるから。
タイにいたころ、部屋には何十匹ものヤモリが同居していたのだから、驚いたりしない。

タイでは体長15センチもあろうかという大きなヤモリが部屋の外で、ギッ ジジッ と鋭い声をあげていた。数が多すぎるので共食いをする。ガラス窓のむこう側にはりついたヤモリ同士、食い合う様子がよく見えた。 部屋の中には小さいヤモリがたくさんいた。ときどき天井から落ちてくるのでヒヤリとする。
掃除をすると時折、隅から小さいヤモリの死骸が発見される。 さっそく蟻が行列をつくり、肉を持ち帰っていく。さわりたくないのでしばらくおくと、メザシを食べた後のような骨だけになる。

夏の終わり、久しぶりに激しい雷雨だ。
こんな夜はタイのことを思い出す。そして大阪も亜熱帯になっていくのかなと・・・
今年はエアコンなしで過ごしたが、来年はどうなるかな。

もう一つの万葉集
(和書) 1991
文芸春秋
李 寧煕




この本は、万葉集を漢字の羅列である原文にたちかえって、韓国語を用いて読んでみようというもの。すると隠された意味や理解不能とされた語がすらすらとわかるというのだ。

今、私たちが目にしている万葉集は後世の解釈で万葉仮名(漢字の音を日本語にあててカナとして使ったもの)を漢字かな混じりに書き下したものだ。

枕詞などは一般に「特に意味はない」「調子をととのえるもの」などと片付けられている。なんか納得がいかないと思っていたが「もとは韓国語」というハナシに、なるほどそうかも!!!!と踊ってしまった。

いわれてみれば大和朝廷というのは朝鮮渡りの人々とその子孫で多くが構成されていたわけで、一部に韓国語を使ったり、隠れた掛詞として洒落たりというのはおおいにありそうなことだ・・・・この点は今までちっとも考えたことがなかったので感動した。


ただしこの本は、読み進んでいくと解釈の調子が良すぎる点が気になる。

・古代日本語の音韻は現代語と違う(現h音はf音だったり、今では音不明の母音があったことなど)のだが、そこを考慮せず、そのまま韓国語の音に置き換えている。

・韓国語の音についてはハングル表記が始まる15世紀以前の資料が少なすぎるため、置き換えそのものの妥当性が疑われる。(漢字による韓国語表記法ととして参考になる歌は20首程度らしい。)

このように問題点はいろいろあるが、私の知識では評価しようもない。ネット検索すると、さんざん韓国語を研究した大野晋などに否定されているという事実から「ガセ」フラグが立ってしまった。


ただ、いろいろと日本語について再考する機会を与えてくれたことに感謝。

BS11で放映していた『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズ、全25話がようやく終了した。全話つづけて見て、これほど最終話で落胆したハナシはない。

      なんなんやこれはっっっ    こんなんで完結したって言えるんかい!!!
      作り直して 出直して来いーーーーーーーーっ

終了後の私の心の叫びである。中途半端なこの気持ち、いったいどこへ持ってきゃいいのだ?
それほどにひどい終わり方だった。
最終2話を見つつ途中からこうなるのではないかと思っていたとはいえ。ここまでひどいとは・・・。


ご存じない方のために概略説明すると
このハナシは主人公がエヴァのパイロットとなるところからはじまる。

主人公碇シンジの内面のとまどい、悩みが同僚、学校、生活の中で描かれる。

はじめのほうは、わりに普通のアニメと変わりなく見える。

中盤からややエヴァ誕生にまつわる謎、秘密裡に進む人類補完計画という

大きな流れが少しずつあきらかになっていく。

それに伴い、シンジを含む登場人物たちの複雑な過去や内面の葛藤も描かれていく。

 

心理描写がかなり情緒的だったり、エキセントリックだったり、

見る者の気持ちをかなり揺さぶる描写で、これは従来のアニメにない鮮烈さがあり、

感銘を受けた人も多いと思う。

これにはまると鬱の闇にハマる危険があるほどだった。

社会が明るく浮かれすぎていた時代、暗く救いのない作品が好まれたという背景もあっただろうな。

 

謎解きのストーリーは古典的推理小説のようなテイストがあった。

並行して、子どもにはややエグい人間ドラマが構成されている。

ここで新しいアニメの可能性を広げ、ファン層を広げた革新的作品という評ができたのかと思っていた。

さて終盤である。私としては当然、あらゆる謎解きの終着点をワクワクして見守っていた。
エヴァはどうなったのか。人類補完計画とは、どうなったのか。登場人物たちは?

今までの伏線にすべて答えてくれる結末を期待したのだが・・・・

実際に最終2話で語られたのは、すべて主要登場人物数名の内面のみだった。
「自分に生きている価値があるのか? みんなにきらわれたくない。でも自分がきらいだ。」と悩むシンジ。

これは当初から一貫して現れていたテーマであったのだが、

最終話はそのシンジが「自分が好きになれるかもしれない」という活路を見出すところで終了する。


この全25話はここに帰結するためにのみ作られたのか。

これが本当に「人類補完計画」の結果と考えていいのか。

このシンジの内面の物語が主題である以上、使徒との戦闘や、組織や人々が住む都市の設定などはすべて些細な脇の物語として置き去りでよいとされたのか。
まったく疑問というほか、ない。

さて、あまりにも納得がいかないのでwikiで調べてみました。
やはり最終2話は賛否両論が渦巻き、新たに違った結末の物語が作られた。しかしその劇場版も未完成のまま公開された・・・など惨憺たる経過がつづられています。著名人のファンなどが非常に多く、新たなアニメブームを巻き起こしたことなどを考えると「惨憺たる」とは言えないのかもしれませんが。その作り手の葛藤でごちゃごちゃなところがまた「内面の葛藤のドラマ」に魅入られた人々にはたまらなくステキに思えたのかも知れないとも思われます。

しかし私は言いたい。
アニメの世界には、富野由悠季監督しかり、内向的でひとりよがりに走り勝ちな人々が多いとは思う。

けれども、ここまで作り手としてのプロ意識が欠如している監督はいないのではないのかと。

作りたいものを追求するあまり、話として破綻した作品を世に出していいものか。

これを支持するファンの気もまた知れないと思うのである。



 

マトリックス リローデッドを見ていて、『攻殻機動隊』を思い出しどうしても見たくなりました。マトリックスもいいんですが、攻殻機動隊はやっぱり深いィ波 デジタル録画したのを消してしまったのは悔やまれます・・・・
 
攻殻機動隊の第1弾は『GHOST IN THE SHELL』。1995年に公開され、マトリックス他ハリウッドにも多大な影響を与えた作品です。(首のうしろに接続口がついてて脳を有線でつなぐなんてのは攻殻機動隊が先ですよ~)
YouTubeにて「今夏、攻殻機動隊のリメイクバージョンが公開される」という予告映像を発見。映像が短すぎてこれだけじゃよくわからないんですが、あの評価の高いオリジナルをあえて作り直す意義があるのか? 楽しみですがDVD待ちかなぁ