8月5日、西京から携帯に4回も着歴があった。仕事の休憩にたまたま気づき(いつも携帯とかチェックしない人なので)すぐ折り返した。出た声は男性だった。西京がその日の朝亡くなった。
ブログなどSNSに実名をあげない主義ですが、彼女が亡くなったことと、実名は結婚して変わっていること、そしてニックネームが結婚前の名前から来ているため、書かせて貰いました。
彼女と私は小学校の3年から6年まで同じクラスで、親友でしたが、6年の夏休みに彼女は転校しました。仲の良い5人グループで、グループの中にもう一人、京子がいたため、彼女のニックネームは、西京になりました。それからずーっと西京と呼んで来ましたので、そのまま書かせて貰います。
小学校からずーっと付き合いが続いていたわけではありません。人の人生には、リズムがあって、生活リズムが合わないとなかなか会えないものです。
私たちは、26歳の時に、再会しました。1人は連絡取れなかったので、その後、4人グループとして、1年に2回は集まって飲むようになりました。そのうちの1人、タカが、嫁ぎ先の三宅島から戻ってくるたびに、招集をかけてくれたからです。私がニューヨークに行っていた時期を除いて、49歳までは、毎年2回は集まって飲んでいたと思う。西京は中でも一番お酒付きで、お酒も強かった。体は小さいんだけどね。
4人というのは、なかなか便利な人数で、店に入ってもテーブルをうまく囲めるし、時々、会話が分裂しても2対2になるので、全く問題がない。実は、みんなでもう1人を探し当て、一回だけ5人で会ったけれど、やはり生活ペースが合わないのか、その一回きりで、もう一人の京子はその後も参加していない。
40歳の時に、4人で初めて泊りがけの旅行に出た。結婚して子どももいた西京とタカは、その時すでに離婚していた。代わりに、Cが結婚し…。そう、4人の中で既婚者の人数は、2→3→2→1→2→3と変化して行った(笑える)那須高原に出かけたその旅は、ごく普通の旅で、とても楽しかった。2人は、子どもがいて、働きながらの母親で忙しく、2人は、キャリアで忙しく、次の旅行は50歳の時にと約束した。でも、それは叶わなかった。
49歳の時に、西京が白血病になったからだ。最初左の脇あたりにしこりを見つけたので、乳がんかと思ったが、その後、白血病と判明し、肘の骨に転移した時は、もうダメかと思った。柏の癌センター、築地の癌センターにもお見舞いに行った。抗がん剤は、あまり効果なく、骨髄移植しかなかった。そして子ども3人も妹も骨髄は合わず、同時進行していた骨髄バンクで、奇跡的にドナーを見つけることができた。骨髄移植の手術は、想像を絶するものだったようだ。その一週間、全く連絡が取れなかった時は、本当に気がきではなかった。
骨髄移植に成功して、退院したのは、白血病と判明してから一年以上が経過していた。退院したといってもステロイドなどの強い薬を飲み続け、菌に弱い体なので、なかなか外出もできないということで、その月から、毎月、45キロ離れた柏まで、私が車で出かけていくことにした。
人生には、いろいろな局面があるが、この時、私も最後のプロデュース公演を終えたところで、色々考える時期だった。急に生活ペースが変わり、時間に余裕ができたということで、私たちは、一致した。今振り返ればとてもラッキーだったと思う。だから、それからの7年弱(私が原村に引っ越してくる昨年までなので、会っていたのは、6年弱)かなり一緒にいる時間を持てた。
西京の家を訪ねる時、Cやタカを誘うこともあった。退院して半年後、タカを伴って西京を訪ねた時、タカは、体調が悪いのだと初めて言った。その2ヶ月後、タカは救急車で運ばれ、一週間の検査入院でやっと子宮癌だとわかった時には、(今思えば)手遅れで、それから8ヵ月後亡くなった。白血病から復帰していた西京にとっては、私とはまた違った意味できつかったに違いない。タカの闘病中は、私が、西京を車でピックアップしてタカのところへ、出かけるという形だった。二人とも闘病中だったが、私の前で、具合の悪そうな様子を見せることは全くなかった。
私たちが4人で集まることはあの49歳のガンの報告以来なくなってしまった。50歳の旅行も、60歳を過ぎて時間の余裕ができたら、旅行しまくる夢も全部なくなった。4人のバランスがあまりにも良かったので、とても大切な機会を失った感じがしていた。
最後に4人で集まったのがいつだったのか?古い手帳を繰ってみたが見つからない。かなりメモ魔なのだけど、全然分からない。メモ帳にはもっと文章でメモをしておこうと心に決める。けど、また同じことを繰り返すのだろうな。
西京はそれからは回復の一途だった。白血病をきっかけに仕事を辞めざるを得なかったのだけど、その後、数カ所に勤めにでた。フリーマーケットを始めたら面白くなって、自分で手作りグッズを売るようになったら、それを作るのに忙しくなり、そのうち、注文まで入るようになり、休みの日は、フリマ、それ以外の日は、家で裁縫の日々だった。市の教室に通い、手話、ヨガ、フラなどを習い始めた。私と会うのも、必ずしも彼女の家ではなく、吉祥寺で待ち合わせて夕方いっぱい飲むこともあった。いつの間にか、私よりも忙しくなっていた。
2016年の手帳を開く。原村に引っ越してくる前に、久しぶりにCも誘って3人で東京で会った。ランチをして皇居を巡った。
西京に最後に会ったのは、引っ越す一ヵ月前だった。この頃すでに我が家の猫Patraが具合悪く、手帳には、彼女の体調も、書かれていて辛い。(そのPatraは、昨年12月に亡くなった)
原村に引っ越してきてからも、最もよく電話やメールで喋った私の大切な大切な親友だった。
この一年は、西京の方が間違いなく私より忙しい人になっていた。もしかしたら元気だったので無理し過ぎたのかもしれない。GW前に緊急入院になった。骨髄移植後退院してから6年の間に、彼女が入院したのは、多分一回だけだったと思うから、これが二度目。手話ボランティアに出かけ、仕出し弁当を食べたら、それが当たったらしい。他の人たちはなんでもないものに、彼女だけが当たり、「一歩間違えたら腎臓がダメになるところだったぁー」と私に報告した。入院すると暇になるから、私は俄然、メールを打ちまくる。少しでも気が紛れたらと思い、あらゆることを報告する。彼女は、病院でも電話できる環境だと電話してきてくれる。そんなわけでGWは、いろいろな話をした。2週間の入院後、彼女は、「原村に遊びに行く!」あと言っていた。引っ越して一年だから、まだ実現していなかったことをこの入院をきっかけにすぐにも遊びにくると言って計画していた。
そして7月半ば、再び緊急入院になる。今度は、酸素がうまく体に取り入れられなくて呼吸困難のような状態だったと聞いた。検査を繰り返していたので、その結果を求めていたが、私は聞いてはいない。それ以前から、弱りつつあった肺に何かあったのだろう。そして酸素ボンベを装着していると言っていた。家にも酸素ボンベを設置して、鼻から酸素を供給し続けるということで今回は10日で退院した。ベッドが満床だったのと、本人の希望による強行退院だと本人は言っていた。今回の入院中も何度もメールでやりとりしたが、一日メールが来ないとちょっと心配になった。入院理由が呼吸の問題だったからだと思う。先月23日無事退院。「退院おめでとう」メールを送る。最後に喋ったのは26日だ。
庭のミントなどを積んでハーブティーを入れた時、そのポット敷きとカバーが西京の手作りのものであることに気づき、写メを送ったら電話がかかってきた。1時間以上話した。元気だった。楽しかった。西京と私は、会話のペースもとても合うのだ。
ただ、原村には行けない。ドクターストップが掛かってしまった。標高500メートル以上のところへは行ってはいけないと言われたという。それでも彼女の声は変わらずいつも明るく希望に満ちていた。
西京からの最後のメールは、その日の夕方「またチョクチョク電話するわ」というものだった。
私にはもちろん、西京だって、まさか死ぬとは思っていなかったはずだ。タカの時は、急だったけど、心の準備はできた。でも、今回は、白血病だと言ってしまえばそれまでだた、急死だったのだ。
遠く離れていると、亡くなっても実感がない。葬儀も色々考えたが、お盆とぶつかっていたので、参列することは叶わなかった。だから、亡くなった彼女に会っていないから、実感はない。その方がいいともちょっと思った。同居していた人間は、同居人を失うと、本当に本当に辛い時間を過ごし続けなければならないが、そもそも離れているとその悲しみは、時々ふとした時に起きるだけだ。
何か面白いことがあった時、私は、西京に知らせなくちゃと思う。それはメールとか電話とかの手段を使うしかないのだけれど、それでも次の瞬間に「西京はいないんだ…」とぽっかり穴が空いたような感覚を味わう。それだけだ。だけど、辛い。私たちは人生で多くの友人を持つが、その中で本当に気の合う人にどれだけ巡り会えるのか。
私の救いは、この7年間、彼女とたくさんの時間を過ごすことができたということだ。私の誘いにいつも合わせてくれたり乗ってくれたりした。他の友人がみんな忙しいとか言って、会うチャンスをどんどん逃す間、私は、西京とできる限り会った。喋った。
私は、会いたい人には、なるだけ連絡をして、会う約束もすぐに取り付けて会うように心がけている。40代後半から、親友の2人に1人以上が癌になり(西京とタカ以外は今も元気です)いつ何があるか分からないという実感が強くなったのも事実だけど、みんな忙しすぎるとずーっと思っている。いや、違う。SNSなどで繋がっているような気がして安心しているのかもしれない。SNSで喋るのではなく、電話で声を聞く、できる限り会いたい人には、会うべきだ。会わないと、会える時に会わないと。友だち甲斐がない。
私とCは、彼女がもうすぐ暇になったら時々会えるだろう。会って、タカと西京の話もするだろう。でも失ったものはあまりにも大きい。4人で遊びたかった。もっと年をとって、時間ができたら4人で会いたかった。
私と西京の話を最後まで読んで下さりありがとうございました。彼女の供養のために振り返る時間でした。好きな人を大切にしてください。