最近は、月に一度の予定がいくつかある。

月に一度の松本の日。

月に一度の岡谷の日。

と言いながら、出かける場所がある。

 

月に一度、定期的に会う方は、12月のその約束の日が、今年最後ということになる。

ということで、12月に入ったあたりから、よくこの言葉を口にした。

 

「良い年をお迎えください」

 

通常「良いお年を」と言われる方も多い。

 

が、今年の私は、毎回毎回、

「良い年をお迎えください」と軽く会釈をしながら、相手に言葉を送った。

 

若者の間で、省略する言葉が流行る。

 

年始に「あけおめ」と言うようになったのは、何年前からだろうか? 若者が言っていると流行り言葉のように聞こえ、年配の人たちも時々気に入って口にする人を見る。

可愛げがあって、悪くないと思う。

 

しかし、私は、若者たちの省略言葉とは真逆を行き、便利を追求しない人なのだ。

そのせいか、今年は、「良いお年を」ではなくなっていた。

 

どちらにしても相手に伝われば、言葉の意味は果たす。

 

ということで、みなさま、

 

良い年をお迎えください。

先日、あるレッスン会場で、ある人に言われた。

「ダンスとかやっていたんですか? 動きが、何て言うか(たおやか)ですね」

 

嬉しかった。

とっても嬉しかった。

 

ダンスとかやっていました!

全然、才能ないけど…。

踊るのは大好きです。

上手くないけど…。

 

「たおやか」と言う言葉に引っかかった。

この言葉がとってもとっても嬉しかった。

 

そして、思った。

私は人生で、この単語を使ったことがない!

こんなに素敵な言葉なのに…。

 

長く生きてきて、

言葉を使うような仕事もしてきて(どんな仕事でも使うか)

女子たちとおしゃべりするのが大好きな私だけれど、

まだまだ使ったことのない単語がたくさんある。

 

若い人たちが、新し言葉を生み出すのは良いけれど、

古くて美しい言葉が使われず、消えていくのは耐えられない。

もっとボキャブラリー豊かに生きられたら素敵だとずーっと思っている。

私は「人生100年時代」と言う人が嫌いだ。

何を持ってそういうのか?

世の中で言われているから?

 

現在日本で100歳以上の高齢者は8万人以上いる。

が、その8万人に自分が入ると言える人が信じられないのだ。

ある種、凄いとも言える。

私はその中には入らないだろう。

 

8万人の100歳以上の方の中に、

どれだけの人が、自分の意志で、自分の力で、

思い通りとまではいかないにしろ、多少なりとも好きなことをして暮らしているのか?

 

私はそういった何かひとつでも、どんなに些細なことでもひとつ好きなことをして暮らすことができる100歳になる自信はないのだ。

 

それを簡単に言葉にして言える人が私には信じられない。

 

「私はそんなに長生きしないから」

というと、

「そういうこと言ってる奴に限って長生きする」と言われる。

じゃあ、

「人生100年時代」という人はどーなんだ?

そういうことを言ってる人に限って…どうなんだ?

 

そもそも「人生100年時代」という言葉に夢は感じられない。

もしも私の身に置き換えたら悲壮感しかない。

 

100歳まで生きる人は、丈夫な体を持った上に運の強い人だけだと思う。

そういう人と、自分を比べる気さえ起こらない。

つまり私にはそもそも兼ね備えられているとは思えない丈夫な体。

 

健康ならば長生きするに越したことはないと思う。

そうできる人は、それが人生目標でも良いと思う。

 

でも大概の人は元気な100歳にはなれないのだ。

ならないのだ。

 

自分の身体を見つめ、今出来ることをとにかく実行に移す。

明日は、ないかもしれない。

 

若い頃は、将来を夢見て希望に満ちて日々を過ごせばいいと思う。

 

けれど、還暦も過ぎたら、いつもいつも明日はないかもしれないと思って、

ただただ、「今」を生きる。

 

その結果として、希望通り100歳まで生きたら、それは素晴らしいとみんなに祝って貰うべきだと思う。

 

けれど…

私は、ならない。

友人が、普通免許の更新で、実車テストを受けなければならなくなった。

免許の更新を知らせるハガキに、近くの教習所で、実車テストを受けるように通達されたのだ。

 

75歳から、免許の更新には認知症のテストが加わることは知っている。

何度もテレビのニュースなどで見たからだ。

 

しかし、70歳から、実車テストがあることは、その友人からの情報で初めて知った。

 

70歳以上の知人の数人に聞いてみた。

みんな当たり前に実車テストを受けているらしい。

そして、みんな「簡単だから、大丈夫よ」と言う。

 

違うのだ!

問題はそこではないのだ!

 

その友人のハガキを見せて貰うと、実車テストのための費用は【約6450円】

およそというのは、どの教習所に行くかで決まるらしい。

6450円?!

高い!高すぎる!

 

3年、および5年ごとの免許の更新費用だって高いのに、

全員に強制されている実車テストの費用が、実費でそんなに高いなんて!

 

そして、それをみーんな大声で文句も言わずに受けているなんて!!!!

 

車検も免許の更新も、歳をとってから再度テストをすることも、

交通事故を防ぐ意味で、大変良いことだと思う。

しかし、それに関わる費用が高すぎるのだ!

 

そして、ほとんどの日本人は、ハガキを受け取ると文句を言わずにそれを実行しているという事実。

このことには、本当にびっくりする。

 

お金のあるなしに関わらず、

納得のいかないものに対して(公共のお金に多い)もっと声を上げるべきである。

お金のある人たちが、黙って支払っているから、お金がギリギリで生活している人たちが声を上げられなくなっているのだ。余裕のある人が、声を上げるべきなのに。

 

とにかく驚きと怒りで震えた。

 

ちなみに、私は、このまま5年ごとに免許を書き換えていくと71歳の書き換えの時に、実車講習を受けなければならない。うちの夫はラッキーなことに74歳で、実車講習を初めて受け、79歳で初めて認知症のテストを受けることになる。羨ましい。その方がずーっとお得感が…。

 

そのあたりの免許書き換えは、いつが最後(いつ免許返納するか)になるかとの戦いであるわけだから、タイミングが遅い方が良いに決まっている。

 

と、とにかく悶絶する日々であった。

私はモンブランが大好き。

秋になって栗が出てくると、どこのケーキ屋に行っても、とりあえずモンブランを買ってしまう。

どこのモンブランが一番美味しいか、チェックしているかのよう。

 

そういえば、亡くなった母親がモンブランを好きだったことを思い出す。

 

当時の私は若くて、どうしていつもモンブランばかりを購入するのか、てんで理解できなかった。

なのに、

今、私はそれをしている。

 

ある程度年齢を経た女性は、どうやら多くの人がモンブラン好き、らしいのだ。

 

馴染みのケーキ屋さんと話をしてもそうだった。

 

年配の女性は圧倒的にモンブラン好き。

そして、男性は、圧倒的にショートケーキが好き、らしい。

 

この間、ドラマの中でも、年配の男性はショートケーキが好きらしいことをセリフで言っていた。

 

確かに、我が旦那も、とりあえず、ショートケーキだ。

今の私には、それは全く興味のないケーキのひとつである。

先ほど、脚本家、山田太一さんが亡くなったというニュースを見て、寂しい気持ちになっています。

大好きな脚本家でした。

 

私の頭がぼけぼけで、タイトルは言えませんが、インパクトのある作品の数々は、

彼の有名な作品群とは別に、後期もたくさんあるのです。

 

山田太一作品の素晴らしいところは、

その発想力とか、ストーリーとか、そういうことに留まりません。

 

脚本として何よりも重要な、セリフの魅力です。

それは、山田太一作品に出演した方なら誰でも分かるはず。

私も一度でいいから、山田太一作品に出演したいと、家で脚本を読んでいたものでした。

 

そして、見ている側から分かることは、

下手な新人の役者でも魅力的に見せることが出来る、

それはそれは素晴らしいセリフ。

 

山田太一作品をきっかけに脚光を浴びた新人役者は数多くいると思います。

最初に見た時、とっても下手で、どうしよう〜という新人の役者が、

そもそもの魅力を発揮して、ドラマの中で生き生きとしていく姿をよく見せつけられました。

 

もう新作には出会えないわけだけれど、

古い作品でも、再演したり、これからもたくさん人々の目に触れて欲しいと心から思うのです。

 

ご冥福をお祈りいたします。

最近安楽死のことをよく考える。

 

ある程度、年齢を経た人に限るが、

人生、このくらいで良いかな?と思った人には、安楽死という選択があっても良いと思うのだ。

 

そうしたら良いことがたくさんある。

例えば、病気等による、辛い痛みや苦しみを自分の判断で避けることができる。

余生が決まっているから、自己資金を全て使い切ることが出来る。

死んだ後のことを、大切な人に残すことが出来る。

 

辛いのは、いつまで続くかわからないという苦しみだ。

例えば、病気の苦しみ、

例えば、介護の大変さ、

例えば…。

期限が決まっていると、もっと上手く暮らしを立てることが出来る。

 

私が「安楽死」について今考えるのは、身体に自信がないからかと思う。

以前も書いたが、一番辛いのは、身体の寿命以上に生きてしまうことだ。

心臓だけが鼓動を紡ぎ続けてしまうことだ。

 

そうなる前に、自分の頭で寿命を決定することが出来るべきではないかと思う。

それが尊厳なのではないかと考える。

死ぬ権利は、生きる権利なのではないか。

安楽死という選択肢があれば、もっときちんと生き抜くことが出来るに違いない。

 

「はい、ここで良いです」と伝えて、

注射を打つと、そのまま静かに眠り、二度と目を覚さない。という

安楽死があったら救われる人もいるのではないかと考えてしまうのだ。

物価高騰対策に所得税減税?

 

もう一年以上、物価が上がり続けている。

スーパーマーケットに行くたびに、金額を見て手を出せなくなることの多いこと。

時々、陳列棚の前で金額を見て驚いて声が出てしまうこともある。

 

ずーっと上がり続けていると麻痺してしまう人もいるのかもしれない。

しかし、問題は、貧困家庭とか、そもそも余裕のない暮らしをしていた家庭である。

その人たちのことを考えると、麻痺している場合ではない!

 

政府が打ち出した物価高騰対策は、なんとなんとなんとなんと

所得税減税

 

所得税減税って何?!

 

稼いでいる人たちが収めている税金を減らしてあげようという政策。

 

つまり、政府にとって大切なのは、暮らしが厳しい低所得者ではなく、

暮らしに余裕があるバリバリ稼いでいる世帯。

その人たちの税金を減らして、もっともっと稼いで、使って貰おうという政策。

 

物価高対策なら、消費税を下げれば一番効果的、というのは、どんな人でも分かること。

でも、それは絶対にやらない。

 

消費税を一度下げると、もう上げられないと思っているのか、

消費税のお金がどこか権力のある大事なところに流れているのか?

(そもそも福祉に回すといっていたのに、回っていないじゃない!)

 

物価高騰対策としては、駄作を行おうという政府の人たちは、バカなのか?

いえ、彼らは決してバカではありません。

 

国民をうまく騙そうとか、懐柔しようとか、そういうことにはしっかり頭を使っている人たちです。

だから、私たち一般国民は、きちんと監視していかなければならないわけです。

昨日包丁で左手の小指の先をざっくり切った。

血が止まらないとか、指が痛いとかも辛いのだけれど、

それよりもざっくりの切り口を見て気分が悪くなり、1日ぼんやり過ごした。

つくづく看護師にはなれないと思う。

 

とにかくバンドエイドできつく止めたがまだ血が止まらない。

そして、絆創膏を変えるたびに具合が悪くなる。

 

左手の小指という、一番端で、右利きの私には怪我するには一番ラッキーな指のはずなのに、不便なことこの上ない。

小指を守る為に、左の薬指と中指が自由に働かず、左手は2本の指だけであらゆることを頑張っている。

 

ちなみに、キーボードが叩けなくて、ここまで打つのに時間のかかること。

 

小指ごときで、この有様である。

 

パレスチナで、片手とか、片足とかぶっ飛んじゃったら、

そして、治療するための麻酔薬とか鎮痛剤とか手に入らなかったら…と考える。

痛みは計り知れない。

 

プーチンも、ネタニヤフも包丁でざっくり指とか切って仕舞えば良い!

とおもったけれど、あのふたりには、それは蚊に刺された程度なのかもしれない。

 

だめだ、今度はキーボードがうまく叩けなくて具合が悪くなってきたので、終わる。

 

失礼致しました。

朝、畑の雑草をとりながら、パレスチナに心を寄せていたら、上野動物園にいたゾウを思い出した。

 

戦時下、上野動物園にいたゾウは、毒の入った餌を食べず、餌をもらう為に、お腹が空いているにも関わらず後ろ足だけで立って芸をしたというあのゾウだ。

 

そして、鼻をグズグズとさせながら畑の雑草をとった。

 

戦争とは、そういうことだ。

 

人間たちが殺されたり、食べるものに困る状況になった時には、

動物たちはすでに食べさせて貰えず、あるいは食料にされたりする。

ペットの犬も猫も…みんな。

 

今、パレスチナやウクライナで起こっていることはそういうことである。

 

平和な日本にいても時々そうやって心を寄せていると涙が止まらなくなる。

そのくらい、しか、出来ていない。