私が耳に穴を開けたのは、32歳の時、

(人生を変えよう!)と思った。

あの頃は、「耳に穴を開けると人生が変わる。」と言われたりしていたのです(笑)


コロナの時、外出も減り、

ついでにマスクを着用しているので、

イヤリング(ピアス)は非常に使い難いアクセサリーになった。

それで、ピアスを着用しなかったら

耳の穴が塞がってしまった感じだった。


もういいかな、って思った。

最近はイヤリングの金具も良くなって

耳が痛くならないものが増えたし、

イヤリングでいいか。


あれほど、ピアス好きだったのに、そう思った。


イヤリングを買おうとアクセサリーショップに行くと、

やっぱりピアスの方が可愛いものがいくつかあった。

イヤリングを買いに行ったのに、

イヤリングだけではなく可愛いピアスも買ってしまった。


一番先の尖った、細いピアスを入れることで、

閉じ掛けていた耳の穴を開け直した。

しばらく痛いこともあったけれど

今は、快適そのものに戻り、

ピアスもイヤリングも楽しんでいる

と書きたいけど、

やっぱりピアスばかり使ってしまう。


イヤリングは、落とすのだ。

落として、片方だけになって諦めたイヤリングがいくつもあったのだ。

お気に入りのを無くすのは厭


私は外出する時にしかアクセサリーを着用しない。

コロナの時のようにまた閉じてしまうことがないように

なるだけピアスを愛用していこうと、今は思っている

私は、カレーライスもオムライスもフォークで食べる

ある時から、そうしていて、スプーンで食べるなんて考えられない

 

でも、テレビ等で食べるシーンを見ると、

必ず、スプーンで食べている

サラダがついていて、フォークも置いてあるのに

スプーンで食べている

 

ある時、会食で、オムライスを食べた

当然、カトラリーの中のフォークで食べていると、

それを指摘した人がいて、そのことが話題になった

 

私は、オムライスなんてフォークで食べた方が食べやすいし、

スプーンで食べる意味がわからないことを説明した

 

インドカレーで、かなり汁っぽいカレーでも、

ライスがある以上は、フォークで食べて困ることはまずない

 

その場に、他にオムライスを注文した人が数人いて、

みんなが、とりあえずフォークで食べるということを試してみた

そして、新たな発見があった!

 

フォークで食べる方が、スプーンで食べるよりも美味しいのだ

(勿論、私はそう思っていたけれど、証明する術がなかった)

 

そして分析し始めた

普通のシルバーを使った場合、

スプーンの方が、口に当たるシルバーの面積が多い

 

そもそも、木の箸で食べた方が、

普通のシルバーで食事するよりも美味しいことは日本人ならみんな知っていると思う

口に当たるということは味がするということだから

 

言ってみれば、中東の方で、手で食べる習慣があるが、

(私は上手くできないが)

手で食べた方が美味しいに違いないと思う。

 

つまり料理の味を楽しむためには、

口で味わうときに料理の味を邪魔するものが少ない方がいいということだ

 

もう一つ、発見があった

スプーンで食べる時の方が、口を大きく開けなければならない

と、誰かが言った

これは初発見

フォークの方が食べやすい理由の一つだった

 

ついでに、つい先日、グラタンをスプーンで食べているシーンをテレビドラマで見て

あらー! グラタンもスプーンでしたっけ?通常、

と唖然とした

あれは、パスタが入っているのだから、フォークで当たり前だと思うのだけれど

 

ぜひ、フォークで食べてみてください

 

余談:

ロケで下北半島の民宿に泊まった時に、

民宿の女将さんが、割り箸の自慢をしたので、とてもよく覚えている

 

細かいことはともかく

「檜の割り箸」ということで、

珍しいか、高価か、そんなところだろう

 

女将さんが自慢げに話したので、その後、何も言えなかったのだけれど、

料理の味をことごとく邪魔した

箸を口に持っていくと、檜の香りがするのだ

私たちは、香りで食事を楽しむ傾向がある

その日の料理は、ほとんど檜の味しかしなかった

 

そういう意味で言うと、

きっと西洋には(銀食器がいいのかどうか分からないが)

このスプーンなら料理が美味しくなる

というシルバーもあるに違いない

 

私は、家では木製のフォークを使用している

今ひとつ食べやすい木のフォークがないのだけれど、

だんだん進化しているのも事実である

私が若い頃、

例えば40年前、

当たり前に言われていた

 

「男の友情は存在するけれど、女の友情は長続きしない」

 

しかし、今現実には、全く逆になっている

と自信をもって言える

 

当時のそれは、多分、

女性は結婚すると姓が変わるし、

夫の家に入ったり、夫の実家や仕事に引っ張られて、

とにかく夫の意思で、引っ越すことになり、

結婚した女性はそれまでの友人たちと離れ離れになってしまうことが多かったということだと思っている

 

当時は、SNSも携帯電話もないのだから、

引っ越したら住所を相手に伝えておかないと、

連絡が取れなくなる世の中だった

 

今なら、親しい友人はみんなSNSや携帯電話で繋がっているので、いつになっても連絡を取りたい人と取り合うことが可能

(だからと言って、友情が続くかどうかは、また別問題だが)

 

ちなみに私の夫も、隣家の夫も、友人の夫も、

私の周囲で、夫と呼ばれる男たちはほぼ全員、

友達がいない。

そして「友達は必要ない」とも言っている

強がりかどうかは知らない

 

女性はあちこち出掛けては、知人を作り、

ご近所さんとはよく喋り、知り合いが多い

それを友人と呼ぶかどうかはまた別の話

 

私は、多くの人と知り合って、その中で気の合う人だけが友人になっていくと思っているし、心がけてそうしている

 

私は友人が多い

小学校からの友人も、中学からの友人も、

養成所時代の友人も、20代のバイト先での友人も、

その後、仕事仲間だった友人も、たくさんいる

たくさんは必要ないのだけれど、

気の合う人が、必ずしも同じ時期に遊べる友人とは限らないので

それなりにいた方が、私が日々を楽しむためには助かる

 

私に友人が多い理由は、

単に「私がマメだから」である

 

大好きな人とは、SNSで繋がっていることに満足していないで

時々連絡を入れましょう

理由なんて、そこら辺に落ちています

道端に咲く花を見て、誰かを思い出したら

LINEすればいいだけのこと

 

今は簡単にできます

 

ただ、若い頃は、忙しく、傲慢で、ついうっかり大切な人と切れてしまうことがある

 

後悔のないように、少しだけマメに…ね

トランプ大統領とゼレンスキー大統領の会見が

不調に終わり、

本日、トランプ氏は、ウクライナへの支援を停止すると発表した

 

その前の、ワシントンでの会見を見ても、

その前の、ウクライナに支援の見返りにレアアースを要求した件にしても

私には、不条理というか、納得がいかないというか…

 

やりとりを見ていて、

まるでウクライナは敗戦国に見える

 

経験はないのでよく分からないけれど、

戦争をして、負けた国(第二次世界大戦の時の日本ですね)は、

それを集結するために、あらゆる条件を飲み

つまり降伏するということになる

 

ロシアがウクライナに侵攻したのであって、

ウクライナは、戦争をした国という認識が私にはなかった

ウクライナは、ただ、自分の国に入ってきた他国の軍隊を追い出すことを心がけた

そう私は認識していた

 

そもそも2014年にも侵攻され、クリミア半島を奪われた

 

ロシアが、書面で、2度とウクライナに侵攻しないなどと約束しても、誰だって信じられないだろう

 

ウクライナにとって必要なのは

2度と、このような一方的な攻撃を受けないために

NATOに加盟するなりの安全を確保すること

それは絶対条件に見える

 

トランプ大統領のやり口は、

敗戦国に、これまで支援したお金を形で返せと言っている

とても「戦争を終わらせる」という仲裁策は見られない 

 

と私には感じられる

 

相変わらず、世界はきな臭く、

恐ろしいことが起きそうな、いや~な空気を漂わせ続けている

今年一番の雪


でも気温が高いから、明日には日向は溶けるでしょう


でも明日から明後日にかけては、もっと大雪予報です

でも、3月だから何とかなるでしょう


久々の雪道運転は、気を引き締めないと


朝、ノスリが庭にやってきた

 

ウチの辺りで一番よく見かける鷹科の猛禽

 

珍しく、庭にやってきて、

木の枝から獲物を狙っている

 

image

iphoneのカメラでは拡大してもこの程度

そもそも、木と同系色になって、分かりにくい

写真中央、煙突の右上の枝の上で

こっちに顔を向けている子が、ノスリ

 

image

今度は、少し体を起こしているので、

胸の辺りの白がよく見える(←って分かんないだろう)

やはり写真中央、少し右の枝の上の、

白を含んだちょっとした塊

 

この枝の上で、獲物を探している様子

 

しばらく観察していると

上の写真に写っていた小屋の横をチョロチョロと

ノネズミが、こちらに向かって走ってきて、

ウッドデッキの下に潜り込んだ

 

2月13日にブログで紹介した

我が家のウッドデッキで冬を過ごしているノネズミに違いない

そこにあった餌で丸々太って、冬なのに元気な子

 

その子が、逃げ延びて、

ノスリは、別の場所に獲物を探すために飛び移った

 

それを30分ほど観察し続ける、私、

田舎の冬の朝は、飽きることがない

 

今日は演技を教えに東京へ

新宿だあ

こういうところで写真を撮ると、田舎人になった実感バリバリです

懐かしい紀伊国屋書店とか行ってみる

驚いたのは、綺麗な男性が表紙になる雑誌がこんなに並んでいた!

昔は圧倒的に綺麗な女性だったのに…



歌舞伎町にも!

綺麗な男の子ばっかりだぁー

これは何?

ホストクラブの宣伝看板とか?

久しぶりに歩いた新宿では、懐かしいものを見つけることは出来ず、時の流れに驚かされるばかり

若い頃、鏡の裏側にあるもうひとつの鏡が謎だった


「拡大鏡」である


メイクをする時の、小さな鏡の裏には、必ず拡大鏡がついていた


若い頃は、その必要性を感じなかったので、

なんのためについているのか考えもしなかったし、

無駄なものだと思っていた。


一体、誰が使うのだろう????


答えは、歳を取ると使うのでした


視力の良かった私は、その分、老眼になるのが早く

41歳の時に、初めて感じた


時刻表が見えなかった

小さな数字の羅列が、どう目を見開いても見えなくなったのが41歳の時で、

すぐ100均で、老眼鏡を手に入れた


今だったら、スマホなどで時刻表を拡大して見ればいいのにね。


その後、老眼が進むに連れて、

拡大鏡の必要性が分かったのみならず、

拡大鏡の拡大率が上がっていった


ちなみに、今は16倍鏡を使っている

それでもよく見えないので、上手に化粧が出来ない


歳を取らないとわからないことはたくさんある


どのメガネをかけても

どう頑張っても見えないものが存在する

例えば、ルーターのシリアルナンバーとか、

商品についている、商品説明の一部


小さな文字を見るたびに、

年寄りに冷たいな

若い人が作っているのだろうな

と感じる


若い時は、考えもしなかったことに気付かされる


ちなみに、近視ではない友人の多くは41歳ごろ老眼が始まりました

41歳ですよ!

人生の折り返し点と言われている歳


つまり、若い時どんなに視力が良くても、

人生の半分はメガネを掛けて暮らしていくことになる


数えて見れば分かりますが、

41歳は、すぐそこです

朝から、雉の番が庭で大騒ぎ

見ている猫たちも大騒ぎ

冬の朝は退屈することがない

私は、鉛筆が大好き

多分、字を書くときに、手に掛かる力の問題だと思う

他の筆記用具よりも、右手に優しく

書いている感覚もとてもいい

唯一、鉛筆が劣るところは、

書いているうちに、だんだん先が丸くなり、

美しい字が書けなくなり、

削るという行為が必要になること

 

鉛筆が好きと実感したのは、

いつだか覚えていないけれど、

学生時代のどこかで、

シャープペンシルが登場したことによると思う

 

そう、小学生の最初の頃、

まだシャープペンシルは、私の筆箱の中にはなかった

 

シャープペンシルの欠点は、

芯がまだ残っているのに、抑える部分より短くなり、

書けないというよりも、芯がぐるぐる回ってしまうこと

あの気持ち悪さがたまらなく厭

 

さらに鉛筆と比べると、芯が硬く、右手に負担を感じる

それが理由で、一時期よく使っていたシャーペンは

0.7とか、もっと太めの芯のものだった

 

私たちは、芝居をやる時、台本に色々書き込む

それは、当然、消えるペン、つまり鉛筆かシャーペンと決まっている

 

時々、生徒の中に、普通のボールペンで書き込む人を見つけ

注意していた記憶がある

 

台本や楽譜などは、当然、消える鉛筆で書かなければならない

演出家の指示を書き込み、

自分の考えたことを書き込み、

台本は、そのうちその空白を失っていく

 

演出家は、時として、真逆のことをダメ出しで言うので、

ペンで書くなんてあり得ないのだ

 

私の鉛筆立てには、

シャーペンは一本もない

ボールペン、サインペン、ラインマーカー、ハサミ、物差し、

そしていつも鉛筆が入っている

 

仕事の筆箱の中には、キャップをした鉛筆が何本か入っている

 

いつも身近に、鉛筆がある

 

🎵鉛筆がいっぽん

♪鉛筆がいっぽん♪

僕のポケットに🎶