パソコン購入についてHPとトラブりまして、

SONYのノートブックを購入しました。

が、トラブルのお蔭で

今日から27日までPCのない生活を強いられます。


ま、それもいいかな?と

楽しむ予定。


だからブログもUPしません。

携帯では出来ないのでぇ~(x_x;)

最近の若者は、「電話してもいいですか?」とメールを送ってよこす。


彼らは彼らなりに気を遣っているらしく、

いきなり電話したら失礼というのが彼らの意見。


しかし、メールというのは相手に返信を強要しているモノであり

「さっさと電話して来いよ!」っていうのがこちらの意見。


両方ともそれなりに気は使っているのだろうが、

どちらの気遣いが優れているか?

単に違うだけなのか?


「今、電話してもいいですか?」とメールが来る。

それに対して「いいですよ」と返信することは

上記のとおり手間もかかるが、

私の場合罪悪感も感じる。

だって、そんなメール送ってる暇があったらこちらから電話してやればいいじゃんって。

でも、相手は若者で、

こちらに相談があったりして気を遣ってるわけだから

敢えてメールに返信する。


電話ってこういう道具だったっけ?と思う。


そもそも電話は突然鳴るものだ。


都合が悪ければ出ないし、

相手が出た時も、

長い話ならば

「今いいですか?」と聞けばいい。

何もメール送って返信貰って相手を待たせる必要がない。

これが上品な気の使いだとはどうしても思えない。


以前は、相手の都合を考えて、

何時に電話したらいいか考えたものだ。

それが相手に対する気遣いだ。

夜の7時前後は、夕飯時で忙しいだろうな。

でも10時過ぎたら失礼かしら?

と、9時頃を見計らって電話する。

居なければ出ないし、

居たら出る。

「今、ちょっといいかしら?」と聞く。


これが電話の気遣いだと思う。


若者たちが

「急に電話かけたら失礼じゃない」というのは、

メールを送りつけ返信を強要することに対して失礼と感じないならば、

やはり間違った気遣いだと思う。


それよりも間違ってタイミングに掛けてしまうことも起こりうるけれど、

相手の生活パターンを考え、

相手を思いやり、

この時間でどうだぁ!!!!と掛けてみるコトの方が、

やっぱり素敵な気遣いだと思うのだが。


何を言っても、「それは古いです」とか

「以前だったらねぇ」とか言われてしまえば、

全ては空論になってしまうのだが。

プレゼント続き


昨年、ある人にプレゼントを贈った。

これは私の中ではかなりのヒットアイデアだった。

きっと喜んでくれると思った。

それだけで幸せだった。

プレゼント選びにはかなり時間が掛かったが、

最終的にはとってもいいモノが購入できた。


荷物が届くとお礼のメールが来た。

ちょっとがっかりした。

電話の方が良かったなって感じ。

しばしあっていない人だから、

声を聴きたかったのだ。

でも、これはまだいい。

だって、メールでとっても喜んでくれていることが分かったから。


それから一か月もしないうちに、

彼女から小包が届いた。

コーヒーカップが入っていた。

これはもっとがっかりした。


彼女は、私にお返しのプレゼントを贈ってくれたのだ。

しかし、私が彼女にプレゼントを贈ったのにはしっかりとした理由があり

(彼女が5年間頑張ったことに対して)

私が彼女から何かを貰う理由はなかったのだ。

つまりお礼だ。


お礼なんていらなかった。

だって、私は彼女のコトを気に掛けている自分に満足していたし、

いいタイミングで素敵なプレゼントを贈ったことで満足していたし、

彼女がよろこんでくれた様子で満足していた。


先日、別の友人から素敵な贈り物が来た。

彼女の街の特産品をたくさん送ってくれた。

私はそれにたいしてお礼の手紙とメールを送った。

が、お礼はしていない。


私にとっては、あれほど心のこもった品物に対して、

簡単にお礼の品を送ることはどうかと思うのだ。

チャンスはやってくる。

友人ならば、

彼女に返せるチャンスはやってくる。

実際、私は毎日のようにそのチャンスをうかがっている。

そして、今ふたつ心に決めているプレゼントがある。

しかし、まだ贈らない。


彼女が忘れた頃に贈らないと

私の美学なのかもしれない。

忘れた頃に届く贈り物には、

「びっくり」という感情も伴う。

そして、品物以上に喜んでもらえる可能性がある。


そう、私は驚かせたいのだ。

プレゼントにはそういう力もあるのだから。


最近は驚かせることが出来ない若者がたくさんいるような~~


この話は、また後日。


つづく,,,

私はプレゼント好きである。


人にモノをあげるのが好きだ。


が、これが好きだと言えるようになってから

まだ2年は経たないのではないだろうか?

そんなことに気づくのにこんなに時間が掛かったのだ。

つくづく私は平凡で、人より秀でていないのだと自覚する……(x_x;)

ま、とにかく


二十年以上前になるが、ニューヨークに居た時に知ったこと。

「アラブ人は、とにかく人にモノをあげる」


「そのペンいいわね」

「そう? じゃ、あげるよ」


って感じ。

持ち物を褒めると、それをくれる。


その時は、何故だか全く理解できなかった。

しかし、今は理解は出来る(そのペンをあげることは出来ないが)


人にモノを贈る。

受け取った人が喜んでくれる。

それが幸せなのだ。


どちらも幸せになることが素晴らしいが、

実は、贈った人の方が、少し余計に幸せなのだと、私は思っている。


だから、貰う側は、

満面の笑みで「ありがとう!」と言って受け取ればいい、

その後、それがあまり自分にとって必要でなければ捨ててしまってもいいのだ。

だって、大切なことは、

あげた人が満足すること。

そのために必要なコトは、

上記のとおり、

満面の素敵な笑顔と「ありがとう」の言葉だからだ。


そして贈った人は幸せな気分になれる。

少なくとも、その日一日はハッピーに過ごせる。

それが大切。


だから、モノを貰う時は遠慮してはいけない。

だって

モノをあげている人の方が、

実は、ちょっとだけ幸せだからだ。


そんなわけで、

私は今日も、ショッピングしながら、

いろんな友人の顔を頭に思い浮かべる。

誰かに何か買いたくて仕方がない。

いいモノがちょうど見つかると、

友人に会って手渡すまでドキドキする。


こんな私が一番幸せで、一番得をしているのだ。


こんなコトに気づくのに随分時間が掛かりました(´_`。)

昨日は親友のお誕生日だった。

「今日は、KYOKOの誕生日だから出かけてくる」と告げると、

我が旦那様「お誕生日好きだよね」


そう、私はお誕生日好きだ。

だって、お誕生日は、その人にとって大切な日だから。

クリスマスを祝う余裕があったら、

大切な人のお誕生日を祝えばいいと思っている。


そんな私は十数年前から親しい友人に誕生日メールを送っていた。

多い時は、年に30人以上の友人に誕生日メールを送っていた。

メールだから楽だもの。


誕生日のその日にメールを届けるだけのことだ。

コメントもそれほど変えようがない。

久しぶりの人には「お元気ですか?」 の意味もあるが、

基本的には、(あなたの誕生日お祝いしていますよ!)

ということよりも

(あなたのことをいつも気にかけていますよ)程度のコト。

しかし、これが私は大切だと常々思ってやってきたのだ。


別に特別なことをする必要はない。

みんな忙しいからそれほど大変なことを出来ないし、

やって貰うとお返しとか気を遣う人間も多い。

だから、気を遣わせない程度の誕生日メール。


それでも10年とか誕生日メールを送り続けている友人から、

誕生日を聞かれたことがある。

向こうもメールでも送らなくちゃと感じられたようで、

そんな必要はないのだが、

でもやっぱり気にかけてくれることはそれほど悪い気はしない。

と思って、そんなことをやってきた。


しかし、2年前くらいからだろうか?

フェイスブックが日本人に氾濫しだしてからのことだが、

フェイスブックから連絡が入る。

今週は、○○さん(私の友人登録の人)の誕生日です。お祝いしましょう!

誕生日には、お祝いメールがWALLに書き込まれる。

最初の内は、【誕生日おめでとう!】など書き込んでいたが、

その人のWALLには他にもたくさん書き込みがあり、

私が書くこともないかな?と思い出した。


そして、今年からは、

今まで十年以上やっていた誕生日メールを送るということもほとんど辞めてしまった。


みんながやってると、嫌なのだ……きっと、私は。

他のことがやりたくなる。

そもそも十数年誕生日メールを送っていれば、

そろそろあっちもメールが来て当然になってくるから、

来なければ心配してくれるが、

届いてもそれほど感動はない。


感動が必要なのだ。


そこで次の手を考える。


とりあえず、誕生日メールの他の手

誕生日カードを送る。

誕生日プレゼントをあげる。

などなどをやりだすと、

やはりたくさんの人には出来ないから、

親しい友人に限定する。


そして、今年一年間は、

誕生日メールを送らない代わりに、

会えそうな人にはなんとか会ってプレゼントを渡す。

会えない人には、誕生日カードを送る。

中に栞のようなささやかなプレゼントを入れて。


に変わった。


しかし、まだそれほどネタがない。

来年はもう同じことはやりたくない。

誰かを驚かせる事=感動させること

これが重要なのだから(^_^;)

何か分からないことがあるとネットで調べる。

ネットで、文字を入力すれば

たいていのことは答えが見つかる。

分からない時は、文章にして質問してしまえば、

親切な人が、丁寧に教えてくれる。

ネットがあればタイムリーに知識を得ることが出来る。

辞書や辞典を引くよりも

時間が掛からない。


そんな我が家の生活を見つめながら思う。

ネットがないと不便だな...と。


しかし、私の周りにはいまだにネットをほとんど使わない人間がたくさんいる。


40代後半以上の女性で、

パソコンを基本的に使用しない女性はかなり多いと思う。

使おうと思えば使えるが、

基本的に使わない人を含めて。


電話もスマホにまだまだ変わっていない。

壊れたら次の携帯を考える時に変わって行くのだろう。

そもそもネットが必需品でないのである。


その証拠に、

私はフェイスブックをやっているが、

私にとって常日頃から親しくしている友人は

誰一人、私の友人リストにはない。

つまり誰もフェイスブックをやっていない。

私の友人リストに居るのは、

若い人たちと、仕事関係と、男たちである。


そう考えてみたら、

私がもうなければ生きていけないわと思っているインターネットなんてなくたって生きていけるということだ。

そもそもついこの間までそんなものなしに生きてきたのだ。


1995年のWINDOWSからPCが各家庭に入り込んだが、

それでもネット社会と感じ始めるのはもっとずっと後のことだ。


ネットがあると便利である。

しかし、それがなくても生活出来たのだ。

そして、まだ出来るのだ。(将来的には少々不安も)

では、逆にネットがないと困る~(°д°;)と言ってる私たちの方が

よっぽどまずいのではないか?

「これなければ困る」というのは、

実は不便なことなのではないだろうか?


つづく To Be Continued

別れのエチュードを作成していて、

「別れ」について随分と考えた。


人は、人生に何かい人と別れるのだろうか?


ほとんど誰とも別れないで一生を終えられる人もいるかも。

と漠然と考える。

何故なら、別れとは、

ごく一部の親しい人の間でしか発生しないからだ。


親しくない友人とは、

別れないのだ。


ただ、いつの間にか合っていなくて、

最後に合ったのがいつだか思い出せないだけ。


わざわざ別れるのは、

付き合っていた恋人関係

家族関係

以外には非常に少ない。


それから引っ越しである。


友人関係で、私にとって一番辛い別れは、

ニューヨークから日本に帰国する時だった。


空港に友人がお見送りに来てくれた。

しばし楽しく会話していたが、

ゲートの前で別れる頃には、涙が止まらなかった。

ひとりひとりとハグして、

最後の最後に

アテンダントに言われて搭乗した。

飛行機に乗ってからも3時間涙が止まらなかった。


辛い別れは、身を切られるような感じ。

本当にそんな感じだ。

身体が引きちぎられるようなあの辛さ。

出来ればもう経験したくない。


これから起こりうる友人との別れは、

「死」という形を取るのだろうと思われる。


別れるのは本当に辛い。

でも、人と出会った以上は、

人と深く付き合った以上は、

いつか別れがくるのだ。


大して人生に影響を及ぼさず

大して親しくないまま、

なあんとなく別れた友人ばかりがいいか?


それとも、深く親しく付き合って、

辛い別れが将来ついてくる可能性を残すか?


うーん、やっぱり私は、

友人や愛する人よりも後に残るのは厭なのだ。

厭というより、辛すぎて、身体がもたないような気がするのだ。


まだ梅雨明けしませんが、

ここ数日の暑さにすっかり参っている人も多いかと。


直射日光

アスファルトの照り返し、

夏をうっかり楽しみにしていた人も

最近の厭な暑さをすでに体感し、

もう厭になっていたりして~~


私は、数年前から、もう夏が好きではない人になりましたので、

かなり前から戦々恐々としていたのですが、

始まってしまいました。


で、梅雨明けしてからするはずの

暑中見舞いでも申し上げようかと思ったりもしましたが、

それよりも

相変わらず雨続きの、主に九州地方。

ニュースで見ているだけですが、

本当に大変!


豪雨のお見舞いを申し上げた方がいいのだと思っています。


地球温暖化の影響で、

九州地方はここ数年

以前よりも南国の気候に変わってきたのでしょうか?

梅雨というよりも雨期という感じで雨が降り続き

各地に土砂崩れなどの被害をもたらしています。

更に、台風が近づいていまして、

九州地方に向かっているとのこと。


心よりお見舞い申しあげます。

台風にくれぐれもお備え下さい。


雨もそうでしたが、

この台風も九州地方の次に東北地方を通過する恐れがあります。


雨が多く

地盤が緩んだ地域に、さらに豪雨の予想。

ニュース映像を見ていると、

これが日本の九州地方?と首をひねりたくなる映像が

ここ数年続いています。

それに比べて関東平野は

色々な災害から逃れ続けています。


暑いなんて文句言ってる場合じゃないのかもしれません。


しかし、熱中症など、暑さで参ってしまう人が多く出てきます。


私は基本的に喉が乾かない人なのですが(何か変な文章)

こまめにすこーしだけ水を口に含むように心がけています。

みんなで出来ることをやって

人間が作ってしまった自然災害に負けずに

自然と共存して生きていく道を探していきましょうね。


なんかまとまりなくてごめんなさい(・_・;)

世の中は三連休でした。

私は例のごとくお仕事。


人が遊んでいる時に働き、

人が働いている時に遊ぶ。

そんな生活を大人になってからずーっと続けています。


連休中は、通勤電車は空いていて快適だけど、

車は場所によっては予想できない大混雑で恐ろしい目に遭う。


そこで今日は珍しく電車で通勤。

早めに仕事が終わる日だったので、まあいいかと。

それにしても暑かったですねぇ~。


防暑のためのツバ広帽子が役に立ちましたが、

どこか目的地に着くとどっと汗がでてくる……(;^_^A


帰りに駅ビルに寄ったのです。

休みだということは分かっていたんだけど、

どうしてもユニクロで買いたいモノがあったのだ。


駅ビルに入ると、もう休日の混雑が感じられる。

いつもはこんなに人いないじゃん。


これじゃあ、ユニクロは思いやられる。


確かにレジは長い列。

試着室も満室。

それでも回転が良いからそれほど大変ではなかった。


でも、いつも平日の昼間の空いている時間に買い物する私には

ちょっとびっくりの光景なのです。


というか、いつもいつもこれが当たり前の人が

きっと多くいることが

私の生活とはあまりにも違っててびっくりなのです。


私は、自分のこの生活スタイルがラッキーだとずっと思ってきたけど、

みんなはどうなんだろう?


子どもが小さい時は、

学校が休みの時にお父さんも会社お休みであって欲しい

それは分かります。


しかし、大人になって、

大人と遊んでいる人たちは、

わざわざどこも混んでいる土日に遊びたいわけではないと思うのです。


企業も少しずつ変わってきて

平日に休む人も増えているとはいえ、

まだまだやっぱり土日祝日がお休みなんだなぁと

改めて感じたユニクロでした。



そして(←何がだ?)最近興味を持っているのが

「自然治癒力」だ。


これは友人の癌治療の経験から考えるようになった。


癌の治療には、

主に抗がん剤治療と放射線治療がある。

どちらも癌細胞を叩くことを目的としているため、

それに近い細胞も一緒に壊されてしまう。

そのため副作用が強い。

癌細胞と近い(何が近いか忘れた……色々……(;´▽`A``)

髪の毛、消化器系、骨髄などがやられることが多い。

どれも大変な副作用で、

時には、その副作用によって別の病気を併発してしまう。


そもそも人間には治癒力がある。

例えば、癌細胞も小さいモノは体の中にしょっちゅう発生している。とか?

それを増殖させてしまうか?

または小さいうちに撃退してしまうか?

これはのちに大きな差になる。


ということで、

健康なうちに自然治癒力を高めようということだ。

で、はやっているのか?

多くの書籍を見かける。


私はまだ本は読んでいないが、

ネットで調べていろいろ引っかかり、

とりあえず始めていることがいくつかある。


ただ、些細なコトばかりなので、

その効果のほどは分からない。


そう、病気というのはなった時は、悪いことが分かるのだが、

健康な時には、何も感じないのが普通。

しかし、身体の中で何が起こっているか?

大事にならないうちに、対応出来ればラッキーだが…

だから、自分では分からなくても

小さなことの積み重ねが

今の自分の健康につながっていると信じて、

自分が信じることを続ける事が重要なのだ。


今やってること


リンゴジュース

爪揉み

リンパを流す

筋肉を緩める

呼吸法


などなど


効果のほどはまたここでお伝えできると思うが、

とりあえず、お金があまり掛からないことだけを

やるのが私の流儀だo(^▽^)o