今回紹介する忘れて欲しくない名プレーヤーは、忘れて欲しくない、と言うより、最初から知らない人が多いかもしれません。
何故なら、ちょっと昔だからです。
「ヤニック・ノア」
デビューが1976年~1991年に引退。
現在40才、いや、50才以上の方でないと、最初から知らないと言われそうですが、
先日のATPファイナルズのシナー対ジョコビッチ戦で、地元シナーに対して、
「ヤーニック!、ヤーニック!」の大歓声を聞いてノアを思いだし、更に他のアメブロの方がノアについて書いていたのを同時に見つけ、
私も書かなくては、と思った次第でした。
最高ランキング3位。
グランドスラムは1983年に全仏オープン優勝。
クレーコートが強く、全仏の他の年でも好成績を残しています。
クレーコートが強いと言うとストローカーのイメージが強いと思いますが、サーブ&ボレーの頻度も高く、オールラウンドプレーヤーと言えるでしょう。
この人は、グランドスラムの活躍もそうですが、当時日本で開催されていたエキジビションマッチのサントリーカップに、度々来日してくれたのです。
同時期に活躍していたプレーヤー、マッケンロー、コナーズ、レンドルと来日した年は、強く記憶に残っている。
この4人が当時のランキング1位から4位、
レンドルの試合はスゴイ迫力でした。
マッケンローとコナーズの試合はネットギリギリの速いストロークの打ち合い、
レンドルとのラリーはネットのはるか上を通す激しく擦るトップスピンの応酬!、
実家に録画したビデオが残っているハズです。
スライスは、フォアのイースタングリップでトップスピンと逆の強烈なスライス回転。
相手は、かなり打ちずらかった事が想像されます。
テニススクールの、テニスコーチ達にも人気が高いプレーヤーでした。
しかし、キャリア後半は怪我や病気に悩まされ、テニスを離れ、リハビリでやっていたバスケットボールにのめり込み、
「バスケットの方がテニスよりよっぽど面白い」
なんて発言。
また、全豪オープンがクーヨンテニスクラブから会場を現在のナショナルテニスセンターに移す際に、当時の現役選手にサーフェスのアンケートを取ったところ、
芝、ハード、人工芝の選択肢に、
「何故クレーが無いんだ(`Δ´)」
「人工芝、絶対嫌だ」と回答。
(実はオムニコートはオーストラリアが発祥、そのオーストラリアでは廃れていますが日本では大流行ですね)
なんか荒んでるな、と言う印象が残りました。
そしてそのまま引退してしまうのか、と思いましたが、引退した1991年に何とフランスデビスカップチームの監督に就任。
アンリ・ルコントやギ・ホォルジェを率いて優勝してしまったのです。
この時、ノア自身も選手と一緒に猛練習して、
「おー、ノアも出る気でいるのか」
と思わせました。
その後もフランスチームを率いて、デビスカップやフェドカップでも優勝しているので、監督として才覚かあったのかもしれません。
そして、最近のノアはどうしているか調べたら、何とプロの歌手になっていました。(*_*)
今回は、ヤニック・ノアを紹介しましたが、私の思い付きで書いている忘れて欲しくない名プレーヤー、
次は誰を書こうか考え中です。
(-_-;)