「まさか」が創り出す新たな旅とは | がいちのぶろぐ

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このブログにも何度も書いたけれど、「半径3kmの旅」という考え方が創り出す「近場の旅」のアイデアについて、まだまだ考えないといけないことはいっぱい残されている。

 

「半径3kmの旅」と言っても、これも一つの「サービスの提供」であることは間違いないが、こうした「サービス」が生み出す「価値」は、目に見えないし、触ることもできない。

 

つまり現実に提供されるまで、顧客にとってはそれがどのようなものなのかが〝想像しにくい〟という、なかなかに厄介な性質を持っている。

 

ではどうすれば、顧客が想像できるものになるか。ひと言で言えば、顧客が実際に体験した時の〝表情やしぐさ〟を、場面ごとに画像化できれば多少は理解してもらえるだろう。

 

ここで簡単に〝顧客〟と言っているが、それはいったい誰のことなのか。本来は、この部分が最も重要なポイントになると思う。

 

その人は、どのような背景を持った、何歳くらいの人で、どんな趣味や考え方を持った人なのか。そして、その人にどんな内容のサービスを提供するのか。

 

これらのことを可能な限り具体的に想像し、さらに提供するシーンを、季節や背景、時刻などとともに思い描いてみる。その思い描いた人の表情までを想像する。

 

これらすべてを、場所・季節などを含めて、具体的な「シナリオ」として創り込む。そうしてでき上がったシナリオに沿って、「場面ごとに画像化」して行く作業になる。

 

こうすることで、ようやく「顧客が実際に体験した時の表情やしぐさ」を通した〝感情〟が見えて来る。

 

この画像化されるまでの一連の流れをアピールすることで、初めて「サービス」が生み出す「価値」を具体的な物として理解してもらえる。

 

こうして思い描いた顧客像は、「ペルソナ」という言い方をされる。次には、このペルソナに提供する「価値」の中味を考えないといけない。

 

それはペルソナに「なるほど」と思ってもらえるレベルではいけない。そのレベルであれば、ライバルもすぐに同じような価値を提供できるから。

 

例えば、「ナイトツアー」が流行っている。建物をライトアップすれば美しいからとか、動物の夜間の表情は滅多に見られないからと言っても、すぐにライバルも同じことをする。

 

それでは、〝どこも同じ〟から抜け出せない。北海道旭川市の旭山動物園が「行動展示」という概念を打ち出して、それまでとは全く違った動物の見せ方を始めた。

 

これは衝撃的だった。「なるほど」の域を超えて、「まさか」というレベルまで突き抜けた考え方だった。動物は野生であれば、こんな行動をするのだということを観客に見せた。

 

それからは、多くの動物園・水族館等では「行動展示」が当たり前になって行った。それまでの博覧会的な「展示」の方法では、顧客が満足しなくなってしまった。

 

だから、さらなる発展形として「バックヤード・ツアー」であったり、サファリパークの「籠型バス」による見物コースであったりと、次々に踏み込んだアイデアが出されてきた。

 

これらは、「当たり前であれば『見られないモノ』や『体験できないコト』を、『あなただけ』『今だけ』特別に提供します」ということだ。

 

 

「なるほど」と思われるような、「進歩」した考え方であっても、それは顧客を「外部者」と見て、その外部者に向かって「表現を作る」作業になっている。

 

そうではなくて、「まさか」という場合は、顧客を「内部者同然」に扱って、顧客と一緒に「現象を創り出す」作業にまで昇華されているということだ。

 

これを学校に例えれば、そこには〝一方的な授業〟という形式から、〝最初から自分で創り出す〟という〝体験型学習〟への思い切った跳躍が含まれている。

 

「思い切った跳躍」ということは、別の事例を考えるとわかりやすいかもしれない。

 

1年半ほど前に、上京区役所の会議室で「着物わくわくファッションショー」というイベントが行われた。このイベント自体、区役所が助成しているイベントだった。

 

コロナ禍の前は、京都の和装産業が西陣織会館という会場を使い、毎日何回も、着物のファッションショーを開催していた。美しい女性モデルが、次々に着物姿で舞台を歩く。

 

 

 

これは「なるほど」の世界だ。〝きれいだなあ〟とか、〝高価だろうなあ〟など、見ている方もごく当たり前の感想を抱く。

 

それに対して、区役所で行われた着物のファッションショーは、希望する素人の方がモデルを務めた。ここからして、すでに違っている。しかも素人モデルが異装で会場を歩く。

 

 

 

何が異装か。洋装と和装が交差する、そんなファッションが中心になっている。着物姿にショートブーツを履いた人がいる。カッターシャツの上に、着物をまとった人がいる。

 

 

 

(カッターシャツに着物姿/帯に見えているけれど)

 

着物を何枚か重ね着しているのだけど、よく見ると一番のベースはショートパンツ姿だったりする。このように、〝着物と遊ぶ〟と言うような、そんなイメージを提起していた。

 

 

 

若い女性がこのイベント全体のプロデュースをしていたが、ここには「常識外れ」が生みだす「まさか」があった。「傾き者(かぶきもの)」の世界を演出していた。

 

これは、今までも決して特別なことではなかったと思う。思い返してほしい。若い女性がジーンズを履き出した時代のことを。

 

女性が冬場などの防寒策として、〝ズボン〟を身に着けることはそれまでもあった。そこからジャンプアップして、男性のファッションだったジーンズ・パンツを身に着ける。

 

その瞬間に、ジーンズは『ユニ・セックス』化し始めた。この瞬間に「まさか」が起こったのだと思う。「女性のファッション」という常識からの飛躍だった。

 

 

 

異装の着物のファッションショーで提起されていたのは、こうした固定観念からの飛躍だったと思う。ジーンズが、女性のファッションアイテムの一つとなったのと同じことだ。

 

欧米のファッションの「穴明きを用いて、ボタンを止める」文化と、アジア圏の「布を巻きつける、ひもでくくる」文化が出会う場所を、そのプロデューサーは求めたのだ。

 

こうして一つ大きな「まさか」が生まれると、そこから派生して様々な考え方ができるようになる。これを、「半径3kmの旅」にも生かさないといけない。

 

しかもそこでは、具体的な「ペルソナ」が自分で飛躍して、「現象を創り出す」という今までにない作業が行われていてほしい。

 

それこそ今まで「近場の旅」の代表的な事例だった、「ブラタモリ」的な〝学校の授業的〟町歩きから脱皮して、「まさか」のある『参加と余白』が創り出す旅になってほしいと思う。