少し悲しい憲法記念日だと | がいちのぶろぐ

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今日は憲法記念日。1947(昭和22)年のこの日、日本国憲法が公布された日に当たっている。それを記念して、1948(昭和23)年に国民の祝日に制定された。

 

私が生まれてまだ間もないころであり、ただ寝転がっているだけの赤ん坊だった時代の話だ。それから74年が経った。そして今、憲法改正論議が声高に語られるようになった。

 

何にも増して、自民党の憲法調査会の最高顧問に安倍・前総理が就任した、という記事を最近見かけて、震え上がってしまった。恐ろしいことだ。

 

70年も経てば、憲法だって時代に合わなくなってしまうことは十分に考えられるから、継続的に憲法の中味について議論がなされることは必要だし、そこは否定しない。

 

ただし自民党サイドの憲法改正論議は、常に戦前回帰=大日本帝国憲法への郷愁の匂いがするから、私は絶対に好きになれない。

 

改憲論議で争点となっているのは、この国と国民を守るために、憲法9条に自衛隊の存在を明記することが必要だという議論と、それへの抵抗感という問題もあるだろう。

 

だがぶっちゃけてしまえば、そうした議論からは大きく逸脱して、国民皆兵制の徴兵制度が敷かれていた戦前の憲法へ回帰を目指したい、という意識との落差だと思う。

 

安倍・前総理は、お爺さまの岸信介・元総理の薫陶の下で育ち、戦前回帰を推し進めたい、大日本帝国憲法を目指したい、という意欲に燃えているような気がしてならない。

 

だからこそ、自分と心情を同じくする稲田朋美・元防衛相に期待をし、何とか要職に着けて、引っ張り上げようとしていたのだろう。それ自体に、無理があったことは明白だが。

 

地政学的にみて、困った隣国と接していることは事実だ。島国で間に海があることで現状は助かっているけれど、その海域がこの間は荒れ模様になっている。

 

とは言え、それが直ちに徴兵制の軍隊を制度として認めよう、という結論にはならないと思う。そこは意識が大きく異なっている点だし、明らかな線引きがあると思う

 

もちろん自分の国は自分で守る、という原則に異を差し挟もうとは思わない。その点は、国家の自衛権の在り方という大原則に則って考える必要がある。

 

ただ、どこまでを自衛の範囲とするかという点については精細な議論が必要だし、徴兵制による軍隊の復活・創設はすべきでない、という原則論は大事にしたい。

 

それにしても、コロナ禍なのになおオリンピックを強行開催したい、という異常な総理を抱えているから、現状ではそちらが〝国民的大騒ぎ〟になっている。

 

こんな大騒ぎに隠れて、こっそりと政治的な復権を果たしつつある安倍・前総理は、何が何でも憲法改正をしたいという、執念だけは失っていないということなのだろう。

 

コロナ対策も〝モリ・カケ・桜〟の虚偽答弁も、放置したまま政権を投げ出して、国会で矢面に立たずによくなったから、また最大派閥のトップに返り咲こうとしているらしい。

 

叔父に当たる佐藤栄作・元総理の在任期間もはるかに超える、過去最長の政権を打ち立ててきたという自負が、こんな〝おぞましい〟ことを平気でさせているのかもしれない。

 

平和憲法と言われる憲法が公布された記念日に、こんなにも悪い冗談のようなことを書くことになる。そのことがまず悲しい。

 

さらに言えば〝戦後75年〟を過ぎて、世界は新たな枠組みが出来つつあるということだろう。〝対ソ連圏〟というわかりやすい対立から、複雑で入り組んだ対立になっている。

 

お互いが強い利害関係にありながら、もう一方で、一触即発のキナ臭い関係でもあるという複雑な関係だ。こんな状況が長続きするとも思えないが、すぐに発火することも困る。

 

厄介な時代に差し掛かった憲法記念日になっている。