一昨日のブログで、『編集』という言葉にこだわってしまったことを書いた。そのきっかけとなったのが、ソーシャル&エコ・マガジンと銘打った『ソトコト』の5月号の広告を見たことだった。
そこで、その『ソトコト』5月号を買い求めて読んでみた。特集のテーマが「地域の編集術」である。この雑誌は、以前にも何度か読んだことがあるが、「LOHAS」を切り口にしたユニークな雑誌である。是非、お読みいただくと面白いと思う。
特集の扉ページには、「リード文」として次のように書かれていた。
「いつも見慣れた風景のまちだって、とらえ方次第でみるみる変わる。それが、編集というスキルの可能性。
地域の日常を拾い集め、切り取り、削り、つなぎ合わせ、発信することで、会いたかった人に思いが届き、仲間が増える。
ウェブや紙メディア、映像はもちろん、イベント、ワークショップ、まちづくり、食堂と、編集の出番は広がるばかり。
『普通のまち』から『おもしろいまち』へ、ローカルの豊かさをしっかりと伝える、『名編集者』の皆さんの登場です。」
一昨日のこのブログで、「編集」とはどういうことかを、自分なりに次のようにまとめていた。
《[ふわふわと漂流している雲のような<情報>を、漂流しないように固定し(収集段階)、それらの<情報>の<送り手>の側の「意味」の状態で閉じ込めておく(保管段階)。一方で、<受け手>はこの<情報>を自らの「エディティング・モデル」を作動させることによって、その<情報>を自分の「意味」に作り上げてゆくことで、元々の<情報>が『再生』されることになる(編集段階)。
これで、『ソトコト』の「地域を編集するノウハウ」ということが、例えそこでどんなことが表現されていても、「地域には情報が存在する」から、それらを収集・保管する作業が行われていることと、その「地域の情報」を「自分なりの意味」で取捨選択し、把握して、個別具体的に「デザインする」ことで「地域の意味づけ=文化」を考えることができる、ということなのだ。》
一昨日のブログに、「編集」というものを、私はこのように理解したと書いた。
そこで、『ソトコト』の特集の扉ページに書かれている「リード文」と比較してみると、次のような関係になる。
「地域の日常を拾い集め=ふわふわと漂流している<情報>を固定し、<情報>の<送り手>の側の「意味」の状態で閉じ込めておく」収集段階と保管段階から、「切り取り、削り、つなぎ合わせ=<受け手>はこの<情報>を、(中略)自分の「意味」に作り上げてゆく」編集段階を経て、「発信することで、会いたかった人に思いが届き、仲間が増える=元々の<情報>が『再生』される」
このような関係が読み取れる。その結果、『ソトコト』で書かれているように、「いつも見慣れた風景のまちだって、とらえ方次第でみるみる変わる」という状況が、「編集」という作業によって可能になる。「それが、編集というスキルの可能性」とリード文で示されていることが、これで読み解けたことになる。
「見慣れた風景」だったり、地域に存在する行事や施設、観光地や特産品、そこに住む人、そこで活動する人、そこにある企業など、地域が持っている<情報>、そのままにしておいたらそのままの日常でしかない「ヒト・モノ・コト」を、<受け手>である編集者が「切り取り、削り、つなぎ合わせる」ことで、「意味」に仕上げてゆく。その結果、「『普通のまち』から『おもしろいまち』へ、ローカルの豊かさをしっかりと伝える」ことができるようになる。
これが「地域を編集する」ということなのだと思う。
半日掛かりで、「編集」という言葉について考えたことは無駄ではなかった。すっきりと『ソトコト』の特集を読むことができた。
この号の特集では、山形県・朝日町で町民参加の地域づくりを実践しておられる佐藤恒平さんという方が「『地域の編集術』論」という、いわば基調となる論を書かれており、その後は、各地で様々な形で地域活動を行っておられる実例が取り上げられていた。
(「ソトコト」5月号に収録されている写真 無断盗用です。ごめんなさい)
活動は様々であるが、いずれも、そこに存在する「ヒト・モノ・コト」を、「おもしろく」変えて行こうとしている活動である。これが、この間ずっと考えていた「ソーシャル・イノベーション」ということの中味だったのだと思う。
この1,2週間は、「ソーシャル・イノベーション」というキーワードから始まって、「編集」というキーワードに行き、そうして「地域の編集」というキーワードにたどり着いた。
やっと、私の中で「腹落ち」できる流れが出来上がったと思う。さて、これからの3か月間、同志社大学大学院総合政策学研究科の「ソーシャル・イノベーション研究プロジェクト」とどのように向き合っていこうか、この連休中にもう一度考えてみることにしよう。